平安の婚約破棄と姫君の華麗なる意趣返し

銀灰

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 管弦が鳴り、唄は歌われ、酒宴は大いに盛り上がって、十二人会じゅうににんかい歌合うたあわせは宮廷の春に開かれた。

 今はちょうど、柳の二首目が詠まれたところである。酒も進み、ほろろで笑い声が絶えず、女人たちも色よく賑やかにしている。

 次は、恋の一首目である。

 内裏だいりの庭を挟んで、二人の者が向かい合い、歌で雌雄を決する。また、十二人会じゅうににんかい歌合うたあわせにおいては、相手の歌に自身の歌をかぶせ、それを続けることも許されていた。――現代で言う、ラップバトルである。

 奥の御椅子におわすみかどから見て、左側からは目元に涼しさを残すほっそりとした男、すなわち藤原ふじわらの 定家さだいえが姿を現し、歌の席に着いた。

 対するは――。

「…………ん?」

 思わず、朱雀のみかどが小さな声を漏らした。

 右側から姿を現したのは、なんとも奇妙な男であった。
 男にしては長い髪を、蝶のように結っている。あでやかな髪を持つ男だった。

 帯さえ同色に揃えた、藍色の直垂ひたたれ(男性装束)は明けのそらのように一面明るく、表情よりも、皆、その服色に目が行った。

 しずと男は右手の席へ、流麗な所作で腰降ろした。――昼間とはいえ、屋根の傘があり、また、蝋燭の火もない。男の容姿に心当たりがないことが分かる程度の、輪郭だけが窺える不鮮明の中に彼はある。

 はて、あんな男が宮廷にあったか? と宮廷中が首を傾げる中、定家さだいえがその男へ声をかけた。

「そのかた、名はなんと申されるか?」

 すると男は、艶のある声で答えた。

「名乗るほどの者ではございません」

 定家さだいえは「はて」と首を傾げた

 いかな何者であるか。みかどきょうであろうか?

 みなもとの 道義みちよしが含み笑いを噛み殺す中、宮廷の皆、みかどもまた、奇抜な風体の男へと注目を向けていた。

 さて、みかどからの示唆はなかったものの、みなもとの 道義みちよしから進行の合図が送られて、演出であったかよと、果たして、この歌合うたあわせの幕は上がった。

 左手、西の側の、定家さだいえの先行で歌が詠み上げられる。


「花冷えの
 夜更け過ぎても
 独り待つ
 君の姿を
 想ふは月に」


 ――春の冷たい夜に、夜更けが過ぎようと独り待つ恋人を想えば、私は美しい哀愁に満ちた慕情を思わせられるよ、というの歌である。

 これに、向こう岸に座る男は、情の不明な微笑みを表情に湛えた。

 定家さだいえの歌に皆が湧き上がる中、続けて、右手に座る、男の番である――。


「待ちぬれば
 今ははな散る
 足元の
 落ち葉踏みしめ
 独りく」


 ――待ち続けることが終わり、それに伴い美しい哀愁に満ちた慕情のはなは散ってしまいましたが、散ってしまった寂寥感にも負けずに、私はこの道を歩み続けるでしょう。

 彼が詠んだのは、どうしてか定家の歌を皮肉るような内容の歌であったのだ。

 定家さだいえいぶかし気な表情を浮かべ、皆が首を傾いだ――

 と、その時であった。

 の加減が移り変わり、ふと、東手に座る男の、顔容姿を、日の白い光が照らし上げた――。

「あっ、お前はッ――」

 定家さだいえの上げた声に、男は花のような笑みを表情に浮かべてみせた。

 いや、その者は、男の者ではなかった――


 葵姫である。
 見紛うことなどあろうか、その白い肌、眉が色よくも凛と美しい顔容姿、紛れもなく、橘氏の葵姫であった――。


 これには、みかどさえも小さく、関心の声を漏らした。

 観客の席からどっと声が上がる。男たちは囃し立ての調子で話を交わし合い、女人たちは口元を抑えて、歌の席に座る彼女を見やった。

 酒の席である、これは話が弾む。

 盛り上がりは最高潮に達して、定家さだいえはつぅと背に冷や汗を流し、表情には玉の汗を浮かせた。

 とはいえ――この男も絢爛けんらんと陰謀、光と闇が渦巻く、宮廷で生きる者である。
 次のときには汗を引かせて、その背筋を伸ばし、葵姫と対座した。

 次は定家さだいえが詠むかという流れである――


「春の波
 しずに潮満つ
 月見れば
 花よりも君
 美しきかな」


 ――春の波のように静かに潮のみつる、そんな風情のある、穏やかで大人しい月のように君もあれば、君は花よりも清く美しいね。そんな意味の歌であった。

 意趣返しとしては悪くない。
 定家さだいえはそっと口角を持ち上げた。

 定家さだいえの目には、それが効いたように口を塞いだ葵姫の姿があった。

 だが――彼女は次の瞬間、はなと微笑んで、よく通る美しい声をして、返しの歌をうたい上げたのだった。



「恋し波
 寄せては返す
 花冷えよ
 去りても道は
 光満ちたり」



 嗚呼ああ、激しくも美しい恋慕を、貴方様と交わしましたね。
 波のように押し寄せる想いに、私が返す想い……。
 今となっては、冷たい春の夜の日ですが――でも。

 あの日も。
 あの日も。

 思い返せる何時いつの日も。

 季節が移ろって、その日々が去りても、私の見ている景色には、光が満ちています。

 私を決して穏やかにはしないその恋慕は、素晴らしいものであったからです。


 ――――宮廷から、感嘆を漏らす声が、どっと上がった。

 皆々、感心の声をしきりに上げて、中には、目尻に涙を浮かべる者も多くあった。

 定家さだいえの意趣に、言葉を返すだけではない。

 聴く者に情景を映し見せる歌であり、定家の歌を踏まえた意趣でもある、また、最初に詠んだ歌に繋がる、深いおもむきも備えてさえいた。

 なによりも――それは紛れもなく、美しく鮮やかな【恋の歌】であった。

 朱雀のみかどが、一つ、歌を呟いた。

 それは思わず繰り返してしまった、「恋し波――」の歌であった。

 勝敗の意向は決した。


「さあ、そこまで! 軍配は東、――葵姫の元へ!」


 判者司はんじゃのつかさの裁定に、宮廷にある者は、一層の歓声を上げた。

 帝《みかど》でさえも拍手を送り、みなもとの 道義みちよしなどはもう噛み殺すこともせずに笑い声を上げていた。――揺れるほどの、その日最も大きな喝采に、葵姫は楚々と、頭を下げたのだった。

 ――そして顔を上げ、定家さだいえのほうを見れば……。
 そこにあったのは、奇妙に着物をずらして座る、青白い顔に脂汗を垂れ流した、口元をカックリと開いた間抜けな男の姿。

「――――さらば。これにて、おさらば」

 決着を自らの手で付けて。

 さっぱりと、手酷く振ってきた男の姿に背を向けて、葵姫は凛と、花冷えの日も超えた季節の道を、歩み始めたのだった――。


 ◇


 その後は――、葵姫は宮廷中の者から一目の称賛を覚えられる女性となり、殿方からは多くの恋文を、宮廷の女人からも高い尊敬を寄せられたという。

 定家さだいえはといえば、あの十二人会じゅうににんかい歌合うたあわせの日以来、どうにも宮廷を渡り歩くに上手くいかず、特に女人に関する話にしては、周りの評判よろしくない。誠実に想う人を無情にも袖にする、奔放の過ぎる色恋の振る舞いも、どうやら、しゅんと成りを潜めてしまったようである。

 そんなところが事の顛末であるのだが。さて、この十二人会じゅうににんかい歌合うたあわせ出来事――そこに一つの、小さな謎があったことに、気付いただろうか?


 葵姫が座していたのは、東側の席である。
 太陽は東から昇り、西へと沈むので、時間が経つにつれて、日は西側を白く照らし出すことになる。

 の加減が変わって、なぜ日は東手である右側を照らしたのか……?


 このことは、神もその様子を楽しんでいたのではないかと、宮廷内で、まことしなやかに噂されていた。


 
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