後宮の絵師〜皇妃?いいえ、私は虹の神になりたいのです〜

まさな

文字の大きさ
1 / 25
■第一章 小鳥は啼く 

序 吉日の覚醒

しおりを挟む
 清和せいわ五年五月五日、吉日。
 
 その日は、さわやかな風が吹く日でございました。
 蒼天をそのまま水面に写す青々とした池、そこにかかる虹のような半円形アーチの石橋。欄干らんかんの上には、一羽の鳥が止まっています。
 
 鳥の名は小夜啼鳥サヨナキドリ
 不思議なもので、この鳥は生まれてから死ぬまでの間に、たった一度しかきません。
 かの鳥が啼く時は――
 
 それは新たなる帝の誕生を意味しておりました。
 

「さあ、飛び込みなさい」

 小鳥達のさえずりを思わせる、愉快な声が響く庭――。
 ここは大陸の東、『そう』と呼ばれる国でございます。
 
 絹糸をつむぐかいこを特産とする桑国では、そのエサとして国中いたるところにたくさんの桑の木が植えられているのでした。
 
 桑の実は親指くらいの大きさです。それは葡萄ぶどうの房に似た形をしていて、色は黒真珠のように艶やかな色。風が吹く度に、それが髪飾りの歩揺ほようのように可愛く揺れ、見る者の目を楽しませたり、気味悪がらせたりするのでございます。
 
 心地よい風が深緑の葉と甘い実をさわさわと鳴らす中、”園林えんりん”と呼ばれる離宮の庭園では美貌びぼううるわしき乙女達が、一人の可哀想な生贄いけにえもてあそんでおりました。

 生贄にされている少女は名を玲鈴レイリンと申します。幼名は玲玲レイレイ。彼女は貴人でもなく成人してもいませんので、姓やあざなもこの時はまだありません。

水青女官紅
愉快欲沈然
今春看又過
何日是帰年

《和訳》
水面は青々とし、女官達は赤々としながら、
楽しげに生贄を沈めんと欲す。
今年の春もまた過ぎ去ろうとしている。
いつになったら故郷に帰れるのだろうか。

 しくもその様子を歌ったみ人知らずの絶句(詩へん)が残されていますが、この詠み人の冷静さからしてこの離宮においてはいじめ・・・が恒例行事とも言うべきものだったと考えられます。
 外に出る事を許されない彼女達にとっての唯一のストレス解消法は、仲間内の一人を生贄とし、擬似的に敵を作って団結するといういびつなものでございました。
 
 同時代の魚仁羣ぎょじんくんという学者が「あまりに狭い池に多くの魚を入れると、気を荒立てた魚達は共食いを始めてしまう。これは人もまた同じである」と説いています。
 もっともこの”園林”ははしから端まで四(約16キロ)を数える広大な離宮なのですが……。
 
 かくも華やかで凄惨な女の園、私が目撃したこの物語は、そこに吸い寄せられるように迷い込んでしまった一人の異質な”意識”が覚醒するところから、始まるのでございます。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 ――不思議な鳥の鳴き声がして、私が最初に見たのは桜の色だった。

 天女かと思えるほど幻想的で華やかな服。その振り袖のすそはとてもゆったりとしていて、桜の花をそのままあしらったような純粋な色は、見るものの視線をとらえて離さない。

「さあ、端女はしため(小間使いの意)、さっさと飛び込みなさいな」

 その中で紅々と最も彩り鮮やかな服装をした女性が甲高い声で愉快そうに命じた。
 
 春も終わりにさしかかった端午の節句の日とはいえ、水浴びをするにはまだ肌寒い季節である。

 ましてやここは離宮、やんごとなき御方が訪れる住まいであった。
 
 その御方がすべてを所有され、専門の庭師によって厳重に管理されている庭園の池で、許可もなく水遊びなどすれば、どうなるか――。
 鞭打ちや打首の重い罪を科されるのは火を見るよりも明らかであり、社会的にというだけでなく本当に文字通り抹殺されてしまう。


 いや、待て。
 なぜ私はこの”初めて見る場所”を詳細に知っているのか。


 そもそも昨日は徹夜で冬のコミケに向けて200ページカラーという、自分でも「無茶しやがって」と思う百合漫画の大作を仕上げるべく、液タブでガリガリと必死こいて描いていたのだ。
 
 それからコンビニに出かけたはずだが、うちの庭に池など無いし、猫の額のような広さである。断じてこんな見渡すような庭園などではなかった。途中の公園にもこんな池は無い。

 当然、私は混乱する。

「聞こえないのかしら? 端女が馬琴ばきん様にお仕えするこの私に逆らうというのは、馬琴様に逆らったも同じこと。フフ、そんな悪い子には罰が必要ね。わからせておやりッ!」

「「はい!」」

 私と同じみすぼらしい服を着ている二人の女が、威勢の良い返事をすると楽しそうな笑みをたたえてやってくる。
 その手には長さ一尺強(約四十センチ)ほどの黒い鞭が握られていた。それは本来、牛馬を走らせる時に使う短鞭だ。
 
 いけない。
 アレは本当に、とても痛いのだ。
 私はその激痛を骨身にしみるほど知っている。

 なぜ――と思うヒマなどなかった。

 ヒュッと風を切る音がしたかと思うと、バシン!と衝撃が背中にきた。手加減無しで打たれた私は声にならない悲鳴を上げた。

「――――!」

 それは自転車で転んで骨折した時の痛みよりも、タンスに足の小指を思い切りぶつけた時よりも、歯科で年老いた歯医者さんがうっかり手を滑らせてきた時よりも遥かに痛かった。

「さあ、早く飛び込みなさい、薄汚い端女」

 やめて!

 どうしてこんな酷い目に遭わなくてはならないのか。私は困惑したまま、あまりの痛みに耐えきれずに池の中に飛び込む。

 池の水は凍えそうなほど冷たかった。何より、同じ職場の同僚達がみんな笑っている事も、私の心をさらに冷やした。

 人間は怖い――。
 獣よりも知恵が回る分、もっと恐ろしい。

「あらあら、アレを見てご覧なさいな。あんなに口をパクパクと大きく開けて、まるでエサを与えられた池の鯉ですわ」

 命じた才女が愉快そうに笑う。

「ふふふ」「あっはっはっ」「クスクス」

 取り巻きたちもケラケラと笑う。

 一方、こちらは足が下につかない。この橋の下は思った以上に水深があったようだ。
 私はなんとか沈まないようにもがく。が、着物が重くて手足が思うように動かせない。
 ああ、そうだった! 着衣での水泳は極めて危険なのだ。もともと私は泳ぐのは得意じゃないし、ほぼ金槌でした。

「た、助けて! ゴボッ!」

 必死の想いで慈悲を乞う。
 しかし、周囲の笑ってはやし立てる女官達は、誰も手を差し伸べようとはしてくれない。

 私、このまま死んじゃうのかな……

 どうせ死ぬなら、去年の夏にソシャゲで遊んだりせずに、漫画を書くべきだった。
 尊い百合漫画を一冊でいいから自力で完成させたかった――

「そこの女官、そのまま動くな!」

 意識が薄れかけた中、鋭い男性の声が耳に届いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる

竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。 評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。 身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。

最愛の番に殺された獣王妃

望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。 彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。 手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。 聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。 哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて―― 突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……? 「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」 謎の人物の言葉に、私が選択したのは――

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

3歳で捨てられた件

玲羅
恋愛
前世の記憶を持つ者が1000人に1人は居る時代。 それゆえに変わった子供扱いをされ、疎まれて捨てられた少女、キャプシーヌ。拾ったのは宰相を務めるフェルナー侯爵。 キャプシーヌの運命が再度変わったのは貴族学院入学後だった。

公爵家の秘密の愛娘 

ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝グラント公爵家は王家に仕える名門の家柄。 過去の事情により、今だに独身の当主ダリウス。国王から懇願され、ようやく伯爵未亡人との婚姻を決める。 そんな時、グラント公爵ダリウスの元へと現れたのは1人の少女アンジェラ。 「パパ……私はあなたの娘です」 名乗り出るアンジェラ。 ◇ アンジェラが現れたことにより、グラント公爵家は一変。伯爵未亡人との再婚もあやふや。しかも、アンジェラが道中に出逢った人物はまさかの王族。 この時からアンジェラの世界も一変。華やかに色付き出す。 初めはよそよそしいグラント公爵ダリウス(パパ)だが、次第に娘アンジェラを気に掛けるように……。 母娘2代のハッピーライフ&淑女達と貴公子達の恋模様💞  🔶設定などは独自の世界観でご都合主義となります。ハピエン💞 🔶稚拙ながらもHOTランキング(最高20位)に入れて頂き(2025.5.9)、ありがとうございます🙇‍♀️

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

処理中です...