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41話
しおりを挟む町に着くとアンスさんは約束通りパン屋へ行って白パンを買ってくれた。
勿論予想していた通り、クルミの蜂蜜漬けのパンなんてなかった。
シンティオが肩を落として項垂れるかと思ったけれどそんなことはなかった。
だってアンスさんは大盤振る舞いに端から端まで並ぶ白パンを全て買ってくれたし、その上お勧めだというオレンジマフィンも買ってくれた。
棚に並ぶ白パンが店員の手によって下ろされていく度、シンティオは感嘆の声を上げて幼い子供のようなはしゃぎっぷり。
正直、シンティオよりも嬉しいのは店主の方だろう。
彼は「おお、神よ!」と祈るように両手を組んで感激している。いつもは腰痛持ちで動きが鈍いのにその足取りはスキップしそうなくらい軽やかだ。
店員から白パンとオレンジマフィンを別々に包んでもらい、それを受け取る。
アンスさんと私の鞄の中に白パンは入ったけれど、残りのオレンジマフィンは難しかったので私が両手で抱えることにした。
「どうもありがとうございました」
入り口に立ち、始終ご満悦な店主に見送られて私たちは店を後にした。
「他に何か欲しいものはないかい?」
「いいえ、もう充分です。沢山買って下さってありがとうございます」
アンスさんはまだ何か買ってくれるようだったけれど、これだけの白パンを買ってくれたのだ。他に何かを強請ることはできない。
シンティオも白パンをすべて買い占めてくれるとは思っていなかったので、アンスさんに何度もお礼の言葉を伝えた。
再び歩き出して大通りに差し掛かれば、やはり昼間とあってそこはとても混んでいた。負傷したアンスさんと、それを補助するシンティオには歩きづらいと判断して、遠回りにはなるけれど人通りが少ない道を選んで歩いた。
朝から歩きっぱなしであるため、アンスさんの息は上がっている。
「この路地を右に曲がればすぐに私の店があります。ゆっくりでいいので、あと少しだけ頑張って下さい。私は先に店に行きます」
私はアンスさんを勇気づけると、小走りで店へと向かった。
疲労困憊のアンスさんに、疲れを癒すお茶を用意するためと、サンおばさんから捻挫に効く湿布をもらうため。
「あの様子だと、足の捻挫だけじゃなくて体調も崩してしまうかもしれない……元気になってもらわなくちゃ」
路地を右に曲がると、いつもと異なる光景を目の当たりにして、私は足を止めた。
私の店の前に見慣れない、一人の少年が箒仕事をして立っている。
杏色の髪に青玉のような瞳の小柄な少年だった。
……この子、誰だろう。
前にどこかで会ったような…………あ!
横顔を眺めていると、私はこの少年とどこで会ったのか思い出した。
それはシンティオがブルネット女の欲にのまれて倒れてしまった時。私が彼の下敷きになって、動けなくて助けを求めたのに情事と勘違いして猛ダッシュで逃げていったあの少年だ!!
え? なんでこの子が私の店の前を掃いてるの!?
一人面食らって突っ立っていると、不意に少年と目が合った。
少年も初めは怪訝そうにこちらを見ていたが、あの時のことを思い出したのだろう。みるみるうちに青褪め、やがて口を開いた。
「ああー! あの時の破廉恥なお姉さ……むぐぅ!!」
「ほほほほほ、可愛い少年ですこと。このオレンジマフィンを召し上がれ~」
少年の口を封じるべく、私は咄嗟にオレンジマフィンを捩じ込んだ。
そんな大声で変なことを言うんじゃない。変な噂が流れて売り上げが落ちたらどうしてくれる!
「ん~んん~!!」
逃げられないように後頭部を手で押さえ、私はぐいぐいとマフィンを押しつけた。少年は苦しいと涙目で訴えてくるが、また何か言われては困る。
「もう変なことを言わないなら二個目のマフィンをぶち込まないで解放してあげる。約束できる?」
念押しして尋ねると少年は何度も首を縦に振るので私は彼を解放した。
マフィンを口から取り出して少年はげほげほと咽ながらその場に崩れ落ちた。
うん、必死だったからってちょっとやり過ぎた。ごめんよ少年。
すると、今度は背後から何故かおどろおどろしい声が上がった。
「ルナ……な、何故なのだ。何故会ったばかりの小僧に餌付けをしているのだ」
「……へ?」
振り返ると、物凄く剣幕なシンティオとその横には疲れきったアンスさんがいた。
「だから何故我ではなく、そのどこの馬の骨とも分からぬ小僧に餌づ……」
「ああー!」
突然、少年が二度目の大声を上げ、シンティオの言葉を遮った。
わなわなと震え、興奮する少年はじっとシンティオ――ではなく、アンスさんを見つめている。
「やっと見つけましたよ!! 一体どこ行っていたんですかアンソ……むぐぅ!!」
「ははははは。まったく可愛い少年だねえ。ほらほらこの白パンを食べなさい」
何か言いかけた少年だったが今度はアンスさんの手によって口に白パンを捩じ込まれた。
あれ、アンスさん普通に歩いてないか?
俗に言う火事場の馬鹿力ってやつ?
そんなことを考えていると思案顔のシンティオが私の隣に並んだ。
「あの小僧、まさかルナだけでなくアンスにまで餌付けを受けるなど。一体どんな術を……」
「えっと、さっきから何を言ってるの?」
見上げると、シンティオは少し困ったような、怯えるような声色で言った。
「……ルナよ、我には餌付けてくれぬのか?」
言っていることの意味がさっぱり分からない。けれど、今にも泣き出しそうな顔で懇願されては断れまい。
「餌付けくらいいいわよ……て、わっ!!」
すると何故か私はシンティオに抱き締められた。唐突な抱擁にびっくりして顔が赤くなる。
けれど、客観的に見てみよう。抱き合う男女とその傍らには口に白パンを捩じ込まれて今にも窒息死しそうな少年。
うん、全然ロマンティックじゃない。寧ろ――。
「……なんだこのカオス」
こうして顔に集中していた熱は急激に冷めた。
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