竜の巣に落ちました

小蔦あおい

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47話 ブルネット女4

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「今、なんて言ったかしら? それは本気なの?」
 婚約者からとんでもないことを告げられて、私は耳を疑った。
 悪い冗談でしょ? という確認も込めて、頼りない儚げな瞳を婚約者へ向ける。
 こうすればこの男は私に甘くなるって知っているもの。だけど、今回は通用しなかった。

「だから、贈った今までの高価な宝石やアクセサリーを質入れしてもいいかと訊いたんだ」
「どうして?」
「教会の司祭様から荒らされた墓地の修繕費を請求された。……あいつら相当派手に荒らしたらしい」

 だったら組合の資産で何とかすればいいでしょ? 反論する前に彼は持っていた書状を私に渡した。訝しみながら受け取って中を確認する。
 まず、目に飛び込んできた文字は請求書。それから……その下の数字に瞠目した。

 貴族の帳簿にすらなかったような金額が書き記されている。これは組合の資産では到底支払えない額だった。
 少しでもお金の足しにするために、私の宝石やアクセサリーを売れっていうの?
 冗談じゃないわ! 私を何だと思っているの?

 今の華々しい生活からあの装飾品も宝石もない質素な生活に逆戻りなんて、想像しただけで屈辱だった。私はわなわなと身体を震わせる。
 このままだと、ニルヌの香水を買うお金も出せない。やっと貴公子をものにできる絶好のチャンスなのに。……棒に振ってなるものですか。

 私は婚約者に詰め寄ると、沢山のゼロが付いた金額を指さした。
「こんな金額を提示してくるなんて教会はいつから取り立て屋になったの? 修繕費でどうしてこんなにお金が掛かるのかしら?」
「それが墓地には前大司教様が眠る墓があって、その墓石が割れてしまったんだ。その使われている墓石はとても珍しい素材らしい。生涯神に仕えた偉い方だから彼に謝罪の意を込めて新たに墓を建て直したいんだとよ」
 私は露骨に顔を歪めると、生返事をした。

 もともと教会は大嫌い。だって、神様なんてこの世には存在しないもの。
 見えない存在に助けを求めても救いの手なんか差し伸べてくれない。
 祈って救われるなら私は今頃貴族の屋敷に戻って、煌びやかな夜会で大輪の花として令息たちからもてはやされているもの。
 愚かな信者たちは寄付金を渡せば助かるだの、祈り続ければ救われるだの。全部教会権力者の私腹を肥やすための口実なのにその意図に気づきもしない。
 私がここまでのし上がって来たのは、全部自分の力よ。神様なんて関係ないわ。だから今更、教会に屈してたまるものですか!

 私は書状を握り潰すと何事もなかったように美しく微笑んだ。
「心配しないで。私が話をつけてくるわ」
「いや。そうはいっても……って、おい待て!」
 婚約者の制止を振り切り、踵を返すとすぐに馬車に乗り込んだ。御者に行き先を告げると、馬が緩やかに走り出す。到着するまでの間、私は無意識に指の爪をずっと噛んでいた。



 教会に乗り込むとすぐにシスターが司祭の部屋へ案内してくれた。私がハンカチを携えて涙を流す様子を見て胸が痛んだのだろう。
「只今他の方とお話をなさっていますので少しお待ちください」
 部屋の前で待機することになった。私が小さく頷くと、シスターは違う部屋から椅子を出してくれた。
 これは時間が掛かるということかしら? シスターの真意を探っていると、扉の向こうから懇願の声が聞こえてきた。

「司祭様、どうか。どうか俺の村を助けてくだせえ。十分な寄付金は今支払えねえけど、必ず全部用意しますんで。だから、どうか。どうかっ……!」
「いやはや。こんなはした金では困りますな。神の救いを求めるのなら、まずはこれの五倍の寄付金が必要ですぞ。奇跡は、そう簡単には起こせないのですから」
 今日はもうお引き取りを、という言葉と同時に部屋の扉が開く。

 扉を開けたのは勿論司祭だ。想像通りの丸々とした、どうしようもない体たらくの男だった。高価な宝石のついた金の指輪や腕輪を何本も嵌めているけれど、豚に真珠そのもの。
 中央の椅子には項垂れる年老いた農夫が腰を下ろしている。酷くやつれて頬がこけていて、目の前の豚とは対照的だ。

 農夫は諦めていないようで、尚も司祭の腕に縋りついた。
「司祭様、ワシはどうなってもええんです。だけど、村のもんを救ってくだせえ。悪魔の爪が宿った麦なんか商人は買い取ってくれねえ。そしたら村は冬を越せなくなっちまう」

 悪魔の爪、という言葉は農村にいた時によく耳にした。養父がよく言っていたわ。
 それが宿る麦を食べると恐ろしい病に罹って苦しみながら死ぬ。
 見つけ次第、必ず村の全ての麦を焼却処分しなくてはいけない。これは領主様からの決まりごとだった。

 この農夫の村の麦は悪魔の爪が宿ってしまったために収穫ができなくなってしまったのね。
 司祭は優しい手つきで農夫のか細い手を引き剥がした。
「今の苦境は神があなたがたに与えた試練ですぞ。どうすべきか、よく考えなさい。……とはいえ、私ももう少し何かできないか考えてみましょう」
「ほ、本当ですか! 嗚呼、これぞ神のお導き。ありがとうございます、ありがとうございます!!」

 この豚、神妙な顔つきで喋っているけどそんなこと微塵も思っていないわ。農夫は感激して司祭の顔を見ていないから、彼が虫けらを見るような目をしているのに気づかない。嗚呼、愚かな農夫。

 彼は涙ぐみながら慇懃に礼をして去っていった。その姿が見えなくなると司祭は掴まれていた服の部分を汚らわしそうに振り払い、襟を正す。
「司祭様、お時間はございますか?」
 しっとりとした澄んだ声で話しかけると、豚は私を一目見て目の色を変えた。
 神様を盾にして権力を振りかざす聖職者だとしても所詮ただの男。私の美貌を前にすればたちまち鼻息が荒くなる。
「ええ勿論ですとも。さあこちらへ」
 豚に促されて部屋に入ると、私は先程の農夫が座っていた椅子に腰かける。

「いやはや、このような美しいお嬢さんが一体何の用でしょう?」
「こちらの書状に手違いがあったのではと、確認のために訪問させて頂きました」
 私は書状を豚に渡す。すると途端に私の身体を舐めまわすように見てはデレデレしていた空気がピリッとしたものに変わった。

「嗚呼、こちらは組合に請求した修繕費のことですね。一文字たりとも間違いなどありません。新しい墓を作るのできっちり払って頂かないと。前大司教様の眠る墓です。このままの割れた状態にしておくことも、質の劣る墓石を使うことも私にはできませんな。前大司教様の面子を潰すことになりますから」
「だけどこんな大金、すぐには用意できないわ」
「いえいえ、できますとも」
 豚は顎を撫でながらニヤニヤと笑う。
「あなたの組合は領主様から特別に付与された自治権がある。それにはこの請求額と同じだけの価値があると踏んでいます。私の方に譲渡して頂ければ、今回の請求は取り下げましょう」

 ……腐っても教会権力者ってわけね。今現在、領主様は行方不明。自治権を渡してしまえば、組合の資産もその運営もこの豚のいいようにされてしまうわ。そうなると私が自由に使えるお金がなくなる。
 司祭という肩書は伊達じゃないようね。だけど、私には男という生き物がどういうものなのかよく分かっているわ。

「司祭様はっ……なんて酷い方なの」
 私は大粒の涙を流して泣き始めた。美しく儚げに泣けば、どんな男も毒気を抜かれる。
 そしてものの見事に豚は慌てふためいた。
「嗚呼、泣かないで下さい。私は別にあなたを虐めているわけでないのですよ」
「ではどうして……どうしてこんな酷い仕打ちをなさるの? 先ほどの方の時もそう。司祭様は神様に仕える身でありながら私たちから苦しみを取り除いて下さらない。神様の奇跡の力を持っていると仰りながら一度だって奇跡を起こして下さらない。……もしかして、本当は神の奇跡なんて司祭様には起こせないのではないですか?」
 純粋無垢な潤んだ瞳で司祭を見つめる。神に仕える迷える従順な子羊であるかのように。

「な、何を言い出すかと思えば……」
 ムッとする司祭に透かさず私は謝った。
「あっ、申し訳ございません! 私ったらなんてことを……。司祭様は素晴らしい方なのに。いなくなった領主様と違って私を助けて下さるお方なのに!」
 両手で顔を覆ってすすり泣いていると、豚が私の両肩に分厚い手を置いて宥めてくる。尚も謝りながら泣いていると彼は耳元で囁いた。

「そういえば領主様はまだ見つかっていないようですね。あなたの言葉で目が覚めましたよ。請求のやり方を変えましょう。何、お金はもう必要ありません。上手くいけば先ほどの村も救えますよ」

 お金が必要ないと聞いて私は上手くいったと確信する。これで予定通り、ニルヌの香水が買える。
 私は豚に気づかれないようにしたり顔をする。
 やがて、椅子から立ち上がると司祭の手を取った。わざと私の胸元に持っていき、嬉し涙を流して優しく微笑んだ。

「嗚呼、ありがとうございます。司祭様」
 こうして豚は至極ご満悦で新たな書状を発行し、これを婚約者に渡すように伝えた。
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