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54話
しおりを挟むやって来たのは二頭の馬に引かれた豪奢な造りの黒い馬車。
御者が馬を停めて扉を開けば、ずんぐりむっくりした男が一人、降りてくる。
身に纏っている立ち襟の黒い衣から、この場にいる誰もが彼は教会の司祭様だと気づいた。
「一体何の騒ぎですかな?」
巨体を揺らしながら近づいてくる司祭様に、聴衆は自然と両側に割れて道をあける。
できた一本道の先にはステージがあり、背の低い司祭様は漸くステージ上で捕縛されて横たわっている元恋人を目の当たりにし、顔を強張らせた。しかしそれはほんの一瞬で、直ぐに穏やかな微笑みを浮かべた。
元恋人は司祭様の登場に気づくや否や、頭をもたげて必死に訴える。
「し、司祭様助けて下さい! こいつら俺に暴力を!」
「何言ってやがるこのクソ野郎っ。先に薬師の姉ちゃんに手ぇだそうとしたのは、おめぇだろうがよ! そこの兄ちゃんが瞬時に動いておめぇをいなしてなきゃな、今頃姉ちゃんが傷物になってたんだぞ」
腕を組んで仁王立ちしている補佐さんは悲劇のヒロインぶる元恋人を睨み、一喝する。そのあまりの迫力に元恋人は短い悲鳴を上げた。
やはり補佐というより彼は、ヤのつく仕事の方が性に合っているような気がする。
それにしても私が目を瞑っている間にそんなことが起こっていたとは。
シンティオが庇ってくれたことは分かっていたけど、そこまでしてくれていたなんて。
毎回助けに来てくれた時、自分が目を閉じて見ていないことが残念でならない。
自ずとシンティオに視線を向けると、真顔の彼は口を開く。
「安心するがよい。ルナには指一本触れさせぬ。守るだけでは追撃の可能性があるから、動きを封じさせてもらった。……女子供に手を出すような非道な輩など、雄の風上にも置けぬ」
シンティオは冷ややかな視線を元恋人へ送った。今まで怒った姿を目にしたことはあったが、ここまで剣幕な姿はなかなかない。
人間の瞳であるはずの瞳孔が竜のように縦長に鋭くなっていく。
私は腕を掴んで首を横に振った。
落ち着いて。ここで怒りに任せて力を使えば大変なことになる。
私が眉根を寄せて訴えると、シンティオは瞳孔を緩めて短く息を吐いた。
「嗚呼……分かっておる、分かっておる。あれと決着をつけるのは我ではない」
怒りを収めたことが分かると、私は再び補佐さんたちの方を見て、会話に耳を傾ける。
補佐さんが先に手を出した元恋人が悪いと息巻いていると、司祭様は穏やかな声で窘めた。
「まあ落ち着きなさい。恫喝はよくありませんぞ? その者がどんな罪を犯そうと、悔い改めて心を入れ替えれば救われます。神はいつも全てを見ておられるのですから。……ところで、私をここに呼び出したのは、このためではありますまい?」
額に青筋を立てる補佐さんが口を開く前に、ニコラが二人の間に割って入った。
「ええ勿論です。本日司祭様にお越し頂いたのは、この領の司教についてお話をするためです。前大司教様の遺言により、我が領全ての教会を指導していた司教様が数カ月前より後任として着任されたため、現在我が領には司教はおりません。ですが、この度漸くそれが決まりました」
聖職者の階級は、この国の教会最高権力者である大司教、各領の司祭を指導する司教、教会の儀式や住人に説教をする司祭の三つ。
この領の司教様が大司教として引き抜かれてしまったため、司祭を指導する者がいないのだ。
「ということは……もしや私がこの領の司教に? ははあ。年齢で言えば、何も不思議ではありませんなあ」
顎に手を当てて独り言のように司祭様が呟くと、ニコラはこっくりと頷いた。
「そうですね。年齢で言えばあなたが就いても何らおかしくない話です」
「長年、神に捧げてきたこの身。どんな任に就こうとも、それは神が私に与えて下さる試練です。なので何があっても受け入れますとも」
「そうですか。それではあなたの司祭職を剥奪することに異論はないということですね。話が早くて助かります」
司祭様はぽかんとして、はあ? と間の抜けた声を上げる。
それから数秒遅れてニコラの言葉を理解すると激怒した。頭からは湯気が立ち上りそうなほど顔は真っ赤に染まっている。
「私は清廉潔白ですぞ! 何を根拠に剥奪など!!」
「その体たらくでよくそんなことが言えるな。飢えたる者にあんたがパンを分け与えているようには一切見えねぇぞ?」
首を傾げる補佐さんは口元を曲げて司祭様の頭のてっぺんからつま先までをわざとらしく眺める。
癪に障ったのか司祭様はさらに顔を赤くした。
「ええい、話になりません! たかだが役人のあなたがたには何の権限もありません。領主様をお呼びなさい! まあ、行方不明で無理でしょうがな!」
「私ならここにいるぞ司祭」
その覇気のある声を聞いて誰もが振り向いた。
前髪をオールバックにばっちりと決め、威厳に満ち溢れたアンスさんがお付きの者をぞろぞろと従えてやって来た。
ニコラが役人だということから、薄々は気づいていたけど。
やっぱりアンスさんがここの領主様だったみたい。
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