竜の巣に落ちました

小蔦あおい

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59話

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 これが火事場の馬鹿力とでもいうのだろうか。
 私にしては並々ならぬ瞬発力でブルネット女に飛び掛かった。
 黄金のリンゴを奪って、手の届かない場所へ放り投げる。それからリンゴを吐かせるため、羽交い絞めにして握り拳を上腹部に当て、手前に素早く突き上げようとする。しかし、暴れられてはうまく処置ができない。

「大人しくリンゴを吐かせなさい!」
 ブルネット女は激しく抵抗し、頭を振るので押さえようとした。すると、ブルネット女の頭から髪の塊がずるりと落ちる。
「……え? カツラ!?」
 それは地面に落ち、風によって転がされていく。
 後ろの方で補佐さんらしき人の嘆き声が聞こえたような気がするが、私はただただブルネット女の短く刈られた頭と、遠くへ転がっていくカツラを交互に見ていた。

 愕然としていると、カツラが取れてしまったことに気づいたブルネット女が、鋭い瞳をこちらに向ける。
 歯を食いしばり、獣のように唸ると、力任せに踵を私の足に下ろしてきた。
 見た目が軽そうなのに全体重を掛けて踏みつけられては、流石に痛い。怯んで腕の力を緩めると、彼女はリンゴの欠片を嚥下した。


 茫然とする中、ブルネット女の体内で黄金の光が爆発する。ただ、光量はシンティオが食べたリンゴ一個分よりも弱い。
 日中ということもあって、きっとブルネット女に注目していなければ、何が起きているのか分からないだろう。
 私は羽交い絞めにしているブルネット女の変化に、口を半開きにして見つめていた。

 実った黄金のリンゴを採りに行った時のことを思い出す。
 あの時、シンティオは深刻な表情で言っていた。
『黄金のリンゴは見せるだけにして欲しい。万が一にもあれを人間が食べると――食べた者の身に最も望まぬことが起こる』
 その意味が理解できる。

 私は目を見開いたまま、離れるように数歩後ろに後退った。
 ブルネット女はニヤリと笑うと口を開く。
「これで私の願いが叶っ……は?」
 思わず喉元に手を当てる。彼女も自分の異変に気がついたようだ。
 年頃の娘の声は風邪をひいたような、しわがれた声に変化している。
 ブルネット女は怪訝そうに自身の手を見て目を剥いた。
「な、何なのよこれは!? 嫌。嫌よ!!」
 自分の弛んだ頬を何度も触り、更に悲鳴を上げる。

 彼女の背は縮んで腰が曲がっている。肌のハリは失われ、干上がってしまった大地のように深い皺が刻まれている。髪は元の長さまで伸びたものの、白い蓬髪で決して美しいとは言えなかった。

「それが黄金のリンゴを食べてしまった者の末路だ」
 シンティオは私の隣に並ぶと、静かにそして冷酷な声で告げた。
「黄金のリンゴを一口でも食べれば元には戻らぬ。己の我欲についてよく考え、悔い改めるのだな」
「そ……んな」
 ブルネット女の最も望まないもの。それは年老いて美しさが枯れてしまうこと。
 老婆の姿となったブルネット女は両手で顔を覆い、泣き崩れた。

 補佐さんの指揮によって、お付きの者たちがブルネット女を拘束する。
「悲嘆してるところ悪いが、あんたは商業組合長の息子の婚約者で、無関係とはいえない。落ち着いたら事情聴取するからな」
 絶望のどん底では抵抗する気力もないのだろう。ブルネット女は涙を流しながら大人しく連れて行かれた。


 ニコラは転がっていた黄金のリンゴを回収すると、それをアンソニー様に手渡した。
 受け取った彼は黄金のリンゴの小さく齧り取られた面をしげしげと見つめ、それから用意していた布でくるむ。
「まさかここまでの威力だとは。彼女が怪我をしてでも、止めれば良かった。すまないね」
 眉を下げ、ニコラに謝罪する。
 曲がりなりにも彼女はニコラの家族だ。捕縛の際に痛い目に遇うかもしれないが、絶望することはなかっただろう。
「いえ。あれは愚姉の自業自得ですから」
 言葉は淡々としているものの、少年らしいあどけない顔には暗い影を落としていた。
 ブルネット女から嫌な目に遭ってきたとはいえ、思うところがあるのだろう。

 シンティオはニコラの前に立つと華奢な肩に手を乗せる。
「なに、心配しなくても良い。黄金のリンゴは食べてはならぬ代物だが、自分自身と向き合い、心を入れ替えられることができば元の姿に戻る。望まないことが起こるというのは、本人の弱い部分が反映されるということだからな。後はあの女次第だ」
「それは一筋縄ではいかないことかもしれませんね。ですが、それを聞いて少し希望が持てました。ありがとうございます」
 ニコラの疲れた青い瞳に光が射す。
 アンソニー様もその話を聞いて罪悪感が和らいでいる様子だった。

「それじゃあ、我々の仕事はこれからが本番だから。領都に戻るけど、後日改めてお礼をしに来るからね」
「いいえ。お礼なんていいので、お暇ができたら遊びに来てください」
 アンソニー様は温顔に微笑を称えた。
 やがてくるりと背を向けると、お付きの者たちがちゃっかり準備していた馬車に、ニコラと二人で乗り込んだ。

 馬車の前後にはお付きの者が馬に乗って警備を固めている。
 この様子からでも、普段お目にかかれない身分の高い方だと思い知る。一般人の私がアンソニー様と数日間を過ごしていたなんて不思議な感じがした。

 御者が扉を閉め、緩やかに馬車が走り出しす。
 私とシンティオは馬車が見えなくなるまで手を振った。
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