お嬢様なんて柄じゃない

スズキアカネ

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さようなら、私。こんにちは、エリカちゃん。

松戸笑は死んだ。

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 大好きな従兄が知らない女の子とキスをしていた。その時初めて、私は従兄を好きだったのだと気づいたんだ。

 恋に気づいて間もなく失恋した私は沈みがちに帰宅していた。あとは同じ行き先のバスに乗って家に帰るだけ。
 いつもと同じ一日を終えるのだと思っていた。
 私の失恋を除いて。




 バス停留所で帰りのバスを待ちながら私は、夕焼け空をぼんやりと眺めていた。
 まだ外は明るく、空には飛行機雲が残っていた。

 空に意識が向いていた私は気づいていなかった。
 だけど私だけじゃない。立ったままスマホを眺めたり、ベンチに座って本を読んだりしている他の人も気づいていなかった。

 刃物を持った男が目の前を横切っていったのを。

「きゃぁぁぁぁ!!」

 女の子の悲鳴に私だけでなく、そこにいた全員がギクッとした。その絹を裂くような悲鳴に身を縮こませた私は、悲鳴が聞こえた方へ素早く視線を向けた。
 バス停から数メートル離れた路地に、女の子を羽交い締めにする少年の姿があった。彼は私達を舐め回すように睨みつけると、鼓膜がビリビリするほど大きな声で叫んだ。

「警察を呼べ! いいかお前ら…変な動きしてみろ! この女殺すからな!」

 相手は私と同じ年頃の高校生くらい。平均的な身長の、まだ華奢さが抜けないその辺にいそうな少年。
 だけど唯一違うのが…彼の瞳は明らかにイッていたこと。

 犯人が人質にとったのはお金持ちの家の子達が通うという名門私立校の制服を着た美少女だ。所謂セレブ校と呼ばれている、私には縁のない学校だ。…学校は隣市にあるのにどうしてここにいるんだろうか…? 
 
 人質の彼女の首元に刃渡り15センチはあるであろうサバイバルナイフを突きつけ、犯人は口角泡を飛ばしながら怒鳴りつけてくる。
 …少女は首に伝わる刃物の感触に青ざめてガタガタ震えていた。

 悲鳴を上げて数人がその場から走って逃げて行ってしまったが、正義感のあるサラリーマンのおじさんが犯人を冷静に宥めようとして「やめなさい」と声を掛けている。

 私はこっそり人の影に隠れた。制服のポケットに入れていたスマホを手に取ると、犯人にバレないようにタップした。いつ帰れるかわからなくなりそうだったので母宛にメッセージを送ろうと思ったのだ。
 その間も犯人は少女を拘束したまま引きずって、私達に刃物を突きつけて脅している。

“通り魔みたいなのに遭った”
 そうシンプルなメッセージを送ってスマホの液晶を消すと、こっそり制服のポケットにしまう。
 堂々とした外での犯行。犯人から警察を呼べとは言われたものの、身動きを取ったら人質に手を出しそうな雰囲気があったので残っている人全員が緊張状態のまま固まっていた。皆固唾をのんで犯人の動向を伺っている。

 私達が身動きを取らずとも、遠くから見た人たちが異変を感じて通報してくれると信じたい。
 バス停前を通過する車の運転手がぎょっとしてこっち見ているのが窓越しに確認できたから、多分通報してくれるはずだ。

 警察が来ればきっと、解放される。
 その時はそう信じていた。



 サラリーマンのおじさんに加えて、そこにいたおばさんも犯人に対して息子に接するような態度で説得を始めていた。この説得で考え直してくれないだろうか。相手の目的がわからない。
 何故人質をとった上で、要求が「警察を呼べ」なのだろうか。

 15分くらい膠着状態が続いていたが、犯人の要望通りに警察がやってきた。
 パトカーじゃなくて自転車で走ってきたので、誰かが近くの交番まで走って呼んできてくれたのかも知れない。
 先程から緊張感でピリピリした空間に警察官の怒声が響く。

「こら! 何をしてるんだお前、そんな事をして何になる! 今すぐに人質を解放しなさい」

 警察による説得。
 良かった。警察が来てくれた…と安心したのは束の間のこと。

「あぁ、やっときた。遅いよ。…先に始めちゃおうかと思ってた」
「……え?」

 犯人の発言に警察だけでなく、私達も意味がわからず眉を顰めた。
 どういう意味だ? 先に始めるって何を…

 犯人は何がおかしいのかニヤリと笑うと人質の少女を乱暴に放り投げ、サバイバルナイフを持った右手を振り上げた。 

 ──ザシュッ
 あろうことか先程まで宥めていたサラリーマンのおじさんをサバイバルナイフで斬りつけたのだ。
 斬り付けられたおじさんは一瞬何が起きたのかわからないような顔をしていたが、痛みが一拍遅れて脳に伝わってきたようで患部を抑えてフラフラとしゃがみ込む。ジワジワと真っ赤な液体が彼の首元を赤く濡らし、ポタポタと地面には血溜まりが出来ていた。

「うわぁぁ!」
「人が斬られた!」

 おじさんが斬りつけられたことでパニックを起こした人々が悲鳴を上げる。現場はもう混乱状態だ。
 駄目だ、このままじゃおじさんが死んでしまう! 居合わせた人が持っていた上着でおじさんの応急処置をしようと駆け寄って手当している様子が見えた。

 …私はその場から動けずにいた。
 感じていたのは恐怖だ。
 地面に足の裏がくっついたように動かないのだ。私もあの人のように救護するべきなのに体が動かない。

 その状況を犯人はニヤニヤとして眺めていた。その手には血の付いたサバイバルナイフがしっかりと握られている。

「…なっ! なんてことを! 今すぐナイフを下ろしなさい! でなければ発砲する!!」

 警察官はホルダーにセットしていた拳銃を取り出し、犯人に向けた。だけどこの沢山の人がいる場所じゃ一般人に銃弾が当たる可能性があるから、多分威嚇のつもりなのだろう。
 その脅しに対して犯人は愉快そうに笑って警察官を挑発した。

「撃てるもんなら撃てよ! …僕は死ぬのなんて怖くないんだから」 
「……何を言っているんだ」
「殺すなら誰でも良かったんだ。ただ僕は死にたいんだよ。だけど自殺じゃ意味がない。有名になってから死にたい。あいつらを見返してやる必要があるからね……その為にはこうするしかなかった」

 犯人の意味不明な犯行理由に警察官は、自分だけの手には負えないと判断したのか無線で応援を呼び始めた。
 
 私も犯人の言っている意味がわからなかった。
 有名になりたい?
 殺すなら誰でも良かった?
 …見返してやる必要? 
 随分勝手な理由だ。それはこの場にいる人間のうちの誰かに対する怨恨ではないという意味なのだろう。
 
 どうして見ず知らずの人間にそのようなことができるのか。
 理解できないし、したくもない。

「聞こえますかー!?」
「もうすぐ救急車が来るから! 頑張って!!」

 おじさんの救護をしていた人が必死の呼び掛けをしているが、おじさんの意識が遠のき始めているようだ。
 おじさんにも家族がいるだろうに。おじさんの左手薬指にシルバーの指輪が光っているが、おじさんの血で赤く汚れてしまっている。…きっとおじさんの帰りを待って、今頃奥さんがご飯を作っているだろうに。子供だっているかもしれない。
 なんで何も悪くないおじさんが、こんな頭のおかしい奴に……

 人の命が消えゆく瞬間を目の当たりにした私は他人のことなのに、悔しくて涙が出てきた。
 それと同時に犯人を許せないという感情が吹き出してきた。
 私に何ができるか?
 私にできることは……

 犯人が次いで牙を剥いたのは人質の少女だ。彼女は犯人に放り投げられた後、地面に倒れ込んだのだが、目の前で刺傷事件が起きた恐怖で腰が抜けて動けなくなっていたようだ。
 そんな彼女を犯人は次なるターゲットにしたのだ。

 少女に向けて、犯人は刃を突き立てようと腕を大きく振りかぶった。

 だめだ。
 
 私の体は勝手に動いた。
 現場を駆け抜ける。ちょっと人にぶつかってしまったが、相手に謝る余裕はない。先程まで足が棒のようになって動けずにいたのが嘘みたいに早く走れた。
 そして…迫りくる刃物の衝撃に身構えて、固く目を閉じた少女の体を力任せに引き寄せて抱き込んだ。

 その直後、私の背中に鋭い痛みが走る。

 ドグシュ、と今までに聞いたことのない音が耳に入ってきた。


 …あつい!
 あつい! 
 背中が燃える!!

 痛みよりも先に感じたのは熱さ。
 目の前がチカチカした。
 

 何度も何度も刃で背中を突かれた。
 刺された傷は肺にまで達したのだろうか私の口からゴポッと泡混じりの血が溢れ出す。

「あはっ、ははは、あははははは!!!」
「きゃぁぁぁぁぁあぁあぁ!!」

 少女の悲鳴が至近距離で聞こえた。
 辺りには私の血らしき赤い液体が飛び散り、狂ったように笑う少年は返り血で真っ赤に染まっていた。
 狂ってる。こいつは、おかしい人間だ。

 …私ってば何してるんだろう。
 あぁ私はこんな見ず知らずの狂った人間に殺されて終わるのか。
 ただそう思った。

 私は自分の腕の中にいる少女に目を向けると、彼女は可哀想なくらい青ざめて呆然としていた。

 私は彼女を安心させるために最後の力を振り絞って笑った。
 だってもう声なんて出せなかったから。

 私の名前は松戸まつどえみ
 笑顔の素敵な女の子になりますようにって、両親が付けてくれた大切な名前だ。

 …お父さんも、お母さんも悲しむだろうな…それに…弟のわたるも……

 …ユキ兄ちゃん… 
 こんなことになるんだったら…せめて好きって言っておけばよかった。

 あぁもうダメかも。
 痛みが麻痺してきたし…なんだか頭もぼんやりしてきて……すごく眠たいや……

 私はゆっくりと目を閉じた。





 それからどうなったのかは私にはわからない。
 だって私は死んでしまったから。


 だけどあの女の子の事だけが気がかりだった。

 気がかりだったけど、死んでしまった私にはどうしようもない。
 私は目の前に現れた黒いトンネルを潜って、光の当たる場所へと向かっていった。

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