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さようなら、私。こんにちは、エリカちゃん。
懐かしい知己との再会と私の複雑な心
しおりを挟むジリっと照りつける太陽を見上げ、私は目をすがめた。
あっつい。すっかり夏だな。
8月頭に行われたバレー部のインターハイで応援として遠征した私。しかし英学院は惜しくも初戦敗退してしまった。予選突破したくらいだからそれなりに強いはずなんだけど…全国の壁はやっぱり厚い。
ちなみにインターハイは各都道府県からよりすぐりの学校が出場するのだが、私の住む所は2校の出場枠がある。
もう1校は言わずもがな誠心高校だ。くじに当たらなかったのでインターハイで英と対戦することはなかった。誠心高校はというと順調に勝ち進んでいるようで、テレビ中継で応援してます。
…来年の5月の予選大会…いや…1月の春高バレー大会には出たいな。
…うん、頑張ろう。
■□■
お盆の中日、私は二階堂エリカとして松戸家に訪問した。
初盆ということもあり親類縁者、ご近所、知人など多くの人が訪れていた。
なのだが私は二階堂エリカとして一弔問客として振る舞わなければならない。自分に対して線香をあげると、松戸家の面々に頭を下げて二階堂パパママの後をついていく。ついでに家に入った時からペロが私の後ろを着いてくるけど、今はだめだ。
ペロ、ステイしなさい。
弔問客へのおもてなしとしてお菓子と冷たいお茶を振る舞われている間にも続々と弔問客が訪れていて、自分の知らない人の姿がちょいちょいいるのが印象的だった。
同じ現場に居合わせた人とその身内だったり、両親の職場の人、近所の人と線香をあげてくれる。親類や友人だけだと思っていたのに意外だ。
私はぼんやりそれを眺めながら空いてる左手でワシワシとペロの背中を撫でていたのだが、ある人物の姿を見てペロを撫でる手がピタリと止まった。
「…せめてお線香だけでも」
「……おもてなしはいたしかねますが、それでもよろしいですね?」
「それはもちろん…」
硬い声を出す無表情の松戸の父と憎々しげな表情をする母の前で深々と頭を下げるのは年若い青年。
その顔はげっそりとやつれて目元には隈ができている。
…とってもよく似てる。アイツと。
あの人はアイツじゃないと頭ではわかっているが、私は堪えきれずに席を辞した。
家の外に出るとブワッと涙が溢れ出してきた。普段は胸の奥深くで押し殺している意趣遺恨が私を蝕む。
いやだいやだこんな感情なんて持ちたくないのに。私が手を下したらアイツと同じ土俵に立ったことになってしまうのに。
ああでも悔しい悔しい憎い!!
残暑厳しいこの時期、外はじっとりと暑く日差しは厳しい。だけどこの身体は血の気が失せてむしろ寒気を感じた。小さく震えている気がする。
この状態じゃ戻れないので、落ち着くまでここにいようと庭先でうずくまっていたのだが、「…あの、どうかしたの?」と誰かに声を掛けられ、私はノロノロと顔を上げた。
「……!」
「…気分悪いの? ……笑にお線香あげに来た子だよね?」
見慣れた誠心高校のブレザーに身を包んだ少女が気遣わしげに声を掛けてきた。その相手を見た私は思わず彼女の名前を呼んでしまいそうになった。
いつか一緒に全国大会に出られたらいいねとお互い切磋琢磨してきた仲間であり、私の親友。小平依里がそこにいた。
彼女の後ろにはかつての仲間達の姿があり、私を訝しげに見てきている。その目は初対面の他人を見ている目だ。
こんなにそばに居るのに自分であることを証明できないのが辛い。
ぶっちゃけ松戸の両親や二階堂のパパママにカミングアウトするのも精神的におかしくなってると思われる恐れもあったのだ。なんとか信じてもらえたけど、彼女たちはそうは行かないだろう。
きっと笑しか知り得ないことを今言ったとしても彼女たちには理解されずに気味悪がられるだけだ。
「…だ、いじょうぶです…少し休んでたら楽になれたので…」
「……そう?」
私はゆっくり立ち上がって誠心の女子バレー部生一同に頭を下げた。
……生前の私はこの長身の女の子たちの中でも負けないくらい身長が高かったのに、今ではこんなに身長差がある。
どうしようもないことでまた悲しくなった。
私がいきなり席を辞したことを心配した二階堂パパママが今日の所は帰ろうと声を掛けてきたので、少し早いがお暇することにした。
私が室内に戻るともうあの加害者の兄の姿は無くなっていたが、部屋の隅ではお母さんがすすり泣きをしていた。
エリカちゃんの姿をしている私はそれに声をかけることも出来ずに、お父さんと渉にお暇を告げて松戸家を後にした。
■□■
「……お腹痛い」
「もーだから言ったでしょーが。牛乳2Lも飲むなんて体壊すだけだってば」
夏休み後半に差し掛かった。
…部活の練習中に私は腹痛に襲われた。
身長が全く伸びないことにストレスを感じた私は、牛乳を更に2倍飲むことにした。
…だが、それが仇となりお腹を壊してしまった。
汚い話トイレの住人となっていたのだが、部長に帰って休んでなさいと命令されてしまったのでフラフラしながら早退した。
なんて体たらく。
牛乳の量は戻して他の方法を模索しないとな…と考えながら二階堂家に帰り着いた。家の中に入ると、いつもは静かな二階堂家のリビングで人の話し声がした。
珍しくパパママが帰ってきているのかな? と思った私は挨拶をしておこうとリビングの扉を開けた。するとそこにはパパママの他に見知らぬおじさんとおばさんの姿があった。
「あ、お客様でしたか。失礼しました…」
来客中とは知らずに扉を開けてしまった私はやべっと口元を手のひらで抑えた。頭を下げてそっ閉じしようとしたのだが、「えっちゃん、大丈夫だから同席してくれるかな?」と二階堂パパが声を掛けてきた。
ん? 一体何だ? セレブのしきたりかなんかか? と疑問に思いながら私はソファに座る二階堂ママの隣に腰掛けた。
「この方々は宝生様よ。婚約破棄の件でいらっしゃったの」
「…あぁ、あの…どうもこんにちは」
私と二階堂ママのやり取りはどこか他人事のようなやり取りに見えるはずだ。宝生様方は変な顔してるが、もう縁がない相手だから構わないだろう。私は軽く頭を下げて挨拶をした。
「それで…話はまとまったの?」
「…元々エリカと倫也君の婚約は会社同士の協力援助という同盟関係の元に結ばれたものなんだ。他にもいいご縁はあったけども、こちらの宝生様にどうしてもと頼まれてね……だけど倫也君が自己判断でエリカに婚約破棄を叩きつけたんだ。それも学校の他の生徒たちの目の前でね」
「この度は私共の息子の身勝手な振る舞いでご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした…!」
二階堂パパが説明してくれたのでなんとなく流れは読めた。あーそれから男側の不貞(?)で婚約破棄になったってわけか。
夢も希望もない愛のない婚約といえど、宝生サマはそれなりの段取りを持って婚約破棄を申し出ないといけなかったのね。なのにエリカちゃんに大恥をかかせたというわけか。
…それがセレブのやり方なのか? 一般庶民の私にはわからん世界だわ。
当時の状況がわからないから私が何かを言うことは出来ないけど。
だから当初クラスの人達や学校の人達がエリカちゃんの姿をした私を腫れ物扱いにしてたのかな、となんとなく納得した。…いや、殺傷事件のことも勘案されてるだろうけども。
私は二階堂パパママがチクチクと宝生様をいびっているのを口を挟まずに眺めていた。
結局婚約内定した時に決まっていた協力援助の話は立ち消え、慰謝料の話という生々しい大人の事情な内容になっていた。
私はチベットスナギツネのような顔をしていた。リビングに飾られた写実的な絵画をぼんやりと眺めてその時間を乗り切ったのである。
今まで援助してきた資金はもうドブに捨てたと思って回収はしないけど、これ以降は一切手を貸さないと二階堂パパが冷たく切り捨てており、一人アウェイな心境の私は「銀行家が融資を断ってるみたい」とズレたことを考えていた。
それより私お腹の調子が悪いんだけど。なんて言える空気じゃなくて、私は絵画を見ながら脂汗をかき続けていた。
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