お嬢様なんて柄じゃない

スズキアカネ

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さようなら、私。こんにちは、エリカちゃん。

悪夢の日から今日のこの日へ【松戸渉視点】

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『渉! 早く帰ってきなさい…! お姉ちゃんが…笑が…!』

 部活中に職員室まで呼び出された俺は、電話口で取り乱す母の言葉を呆然と聞いていた。
 姉の笑が殺されただなんて信じられなかった。エイプリルフールはとっくの昔に終わったよと母さんに言ってみたが、嘘じゃなかった。
 俺の姉は見ず知らずの奴に殺されて死んだ。


 俺達が姉と再会できたのは、検死や司法解剖が終わった3日後。
 姉は物言わぬ骸に変わっていた。
 まるで寝ているようだったので、俺は姉の身体を揺すって起こそうとしたけれど、手のひらに伝わってくるのは熱ではなくて冷たさ。物言わぬ人形になってしまった姉は二度と目を開くことはなく。両親がどんなに呼びかけても姉が返事をすることはなかった。


 事件直後、こちらの気も知らないマスコミ達に何件も取材を申し込まれたものの、そっとしておいて欲しいと父が何度も断っていた。 
 なのに何処から情報を入手したのか知らないが、テレビや新聞雑誌・ネットには連日プライバシーを無視して、被害者の情報が流されていた。
 だけどその時の俺達はクレームをつける気力もなく、テレビを消して情報源から目をそらし、ひたすら悲しみに暮れる日々を送っていた。

 もう二度と会えない。
 東洋の魔女になるって言ってたじゃん。なにしてんだよ。頭おかしい通り魔なんか黄金の右手でぶん殴ってやれば良かったのに…なんで姉ちゃんが…
 俺は姉を殺された怒りと悲しみと、言いようのない喪失感に苛まれていた。



 だけど、姉は帰ってきた。

「…渉、あんたは好きな子の写真をスマホにコレクションしてるんでしょ? ストーカーチックだからやめときなさいねそれ。それと点数の悪かったテスト用紙とエロ本の置き場所はー…」

 別人の体に入った姉は、相変わらずであった。赤の他人(二階堂夫妻)がいるってのに俺の秘密をばらすだなんてなんてことをするんだあの姉は!!
 まさかそんな憑依なんて恐山のイタコじゃあるまいしと疑ってはいたが、立ち振舞いや言動、家族しか知り得ない情報をペラペラ話す彼女を見ていたら信じざるを得なかった。
 彼女が相手の心を覗ける超能力者という可能性もあるけど、どっちも同じくらいありえない現象だよな。

「あとねあんた、性癖は人それぞれだけど、相手に強要するのはやめときなさいよ」

 美少女の顔してそういう事言うのはやめてほしいんだけど。




 姉は昔からバレーバカだった。父方のばーちゃんの話を真に受けてバレーを始めたら、すぐに夢中になった。
 姉の口癖は「東洋の魔女の再来になる」だ。中学でメキメキ頭角を現し、県内でも強豪の高校に推薦入学した。姉は将来を嘱望しょくぼうされていたのだ。

 そんな姉の影響を受けないわけはなく、俺は中学に入学するとバレー部に入部した。姉と比べられることはまぁあったけど、半分は妬みだったし、実際に姉はすごいからあまり気にならなかった。
 休みの日は姉と姉の親友である依里姉ちゃんと一緒に練習をして、ビシバシ指導された。
 姉に認められると嬉しくて、俺ももっとバレーがうまくなりたいと思うようになったのだ。

 別人の体に入ってしまった姉は、宿主が通う英学院のバレー部に入部したけど、あまり思わしい成果が現れていないようだ。英学院もそれなりにバレー強豪だが、誠心高校には遠く及ばない。
 それ以前に、バレー選手としてのそもそもの条件が揃っていない今の身体ではレギュラーにすらなれていない。 
 
 そりゃそうだ。二階堂エリカさんはお嬢様で、スポーツとは無縁そうだ。背は姉の元の身長の頭一個分くらい違うし、華奢でバレー向きではない。
 姉は姉なりに奮闘しているが全く背が伸びないと嘆き、俺を見る度に「身長をよこせ、もしくは縮め」と理不尽な絡み方をしてくる。高校生になると女子はあまり背が伸びない気がするからあまり高望みしないほうがいいと思うけど、それを言ったら怒られるので絶対に言わない。

 当初姉はリベロになると言っていたが、やっぱりスパイカーの座を諦められないようだ。
 英学院の文化祭でエリカさんの姿をした姉が招待試合に出場していたが、身体が違うとやっぱりやりにくそうだった。腕の長さも打点も違うんだ。仕方のないことだ。姉のやり方ではなく、エリカさんの身体でのやり方でプレイしないとダメなのだろう。他人の身体だから尚更コツを掴めないのであろう。
 
 だけどなんだかんだで姉は向こうでうまくやっているようで俺は安心していた。
 姉が殺された事実は変わらないが、あんな事があったせいで塞ぎ込むのではなく、表に出て以前のようにバレーに熱中している姉を見ることが出来て本当に良かった。
 姉が心残りだったことを精一杯出来ている事実に救われた気分になれたのだ。


■□■


「証人? …でも中身は姉ちゃんじゃん」
「…裁判所の証人呼出しは余程のことがないと断れないのよ。下手したら罰せられるし……なによりも笑が証言するって言ったみたい」

 二階堂さんとの電話でのやり取りを終えた母さんが浮かない顔をしていたので、何事かと尋ねてみたら、通り魔事件の初公判でエリカさんが証人として呼出しされたというではないか。

 エリカさんは間近で姉が殺害された瞬間を目撃した人間だ。証人として呼ばれるのは妥当である。
 だけど、中身が被害者である松戸笑の場合はどうなるんだ? 

「…姉ちゃん大丈夫なのかよ」
「……」
 
 両親もなんとも言えない表情をしていた。だけど反対した所で、どうにかなるものでもない。姉のしたいようにさせようと見守るスタンスで行くことに決めたのだ。



 姉が両親や俺を心配させないように弱音を吐かないようにしていることを俺は気づいていた。

 自室で犬のペロに弱音を吐いているのを耳にしたことがあるが、俺は声をかけることが出来なかった。
 姉の苦しみは姉じゃないと理解できない。俺がここで口出ししたら、姉はそれを気にして自分を責めてしまうだろうから。たぶん今の姉は、慕っていたユキ兄ちゃんにも心の内を明かさないであろう。

 …姉はそれで平気なのだろうか。
 吐き出したそれを受け止めてくれる相手がいなくても、姉は潰れないだろうか?
 


 公判当日、傍聴席に二階堂夫妻の隣に座る姉を見つけた。大丈夫だろうかと心配になったが、姉は落ち着いた様子だった。
 むしろ加害者の兄のほうがひどく病んでいる様子で、その顔を見た俺はぎょっとした。お盆のとき姉に線香をあげに来た時よりも追い詰められているようにも見えた。
 …あの人大丈夫かな。

 俺はバレないように加害者家族の様子を伺っていたが、開廷の時間になり裁判官が登場すると続いて奥の方から被告が入廷してきた。

 …あいつか。加害者兄と顔立ちが似ているな。姉と同じ17歳、隣の市の高校生。ムシャクシャしたから、見ず知らずの人間を殺した頭のおかしい男。
 俺は姉を殺された怒りが蘇ってきたので被告を睨んだが、あいつは傍聴席を一瞥すらしない。…図太いのか、ただの小心者なのか。

 俺の隣に座っていた、もうひとりの被害者の奥さんが遺影を持ってわなわな震えていた。
 俺は逆隣の母さんが心配になって様子を伺ってみたが、その目に怒りはあるものの、まだ幾分か冷静さがあった。

 そして姉の様子をそっと伺ってみたが、エリカさんの姿をした姉は被告をきつく睨みつけていた。
 もしも俺にオーラが見えるのなら…赤だ。姉は闘志に燃えていた。


 …大丈夫だな。姉はきっと戦い切るだろう。
 エリカさんとしての証言をするというのは難しいかもしれないが、きっと姉ならその使命を見事に果たすに違いない。
 あの日起きたことを裁判官と裁判員に訴えて、司法でしっかり裁いてもらおう。きっとこれはエリカさんが姉に与えてくれたもう一つのチャンスなんだ。本当のところはわからないけど、そう思いたい。

 俺は全く役に立てないが、姉の味方をすることはできる。
 頑張れ姉ちゃん!
 俺は心の中で姉にエールを送ったのであった。
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