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さようなら、エリカちゃん。ごきげんよう、新しい人生。
その目で見られると、何かが変わってしまいそうで。
しおりを挟む私の様子を見に来たというユキ兄ちゃんと出会い頭に衝突して、その顔を見た瞬間大泣きしてしまった私は、比較的人気が少ない静かな体育館裏でユキ兄ちゃんに何があったかを話した。
ユキ兄ちゃんには二階堂の事情とかこの学校での事を話したことがない。なので今さっき起きたことだけを端的に話していたのだ。ユキ兄ちゃんは私の話を途中で止めること無く、相槌を打っていた。
「それでね、慎悟が…あ、慎悟っていうのは去年ユキ兄ちゃんたちと一緒に招待試合観戦した人ね。…今まで色々力になってくれてたんだけど……突然わ、私を好きとか言って…き、キスをしてきて…」
上杉の時は嫌悪感しかなかったのに、慎悟とのキスを思い出したらカッと頬が熱を持った。それを隠すように両頬を手で覆ったけど、赤く色づいているのは多分バレてしまっているだろうな。
「で、でもさ、私いまエリカちゃんじゃん、エリカちゃんの身体で生きているからそんな気になれないと言うか…しかも慎悟は年下だから弟みたいに思っていたしさ」
「うん、そっかそっか」
「もう訳わかんなくて…あいつはエリカちゃんじゃなくて、松戸笑が好きとか言うし…」
さっきのキスを思い出した私は更に頬が熱くなった気がした。えぇい冷めろ、なんでこんなに顔が熱くなるんだ…!
ユキ兄ちゃんはそんな私を優しい眼差しで見守っていた。その瞳が懐かしくて私は昔のように彼に甘えていた。
「…その最初の上杉君って子は、笑ちゃんのことを知っているの?」
「…ネタばらしはしてないけど、上杉は私がエリカちゃんじゃないことに気づいているみたい。…元々エリカちゃんに変な執着をしていたストーカーだよ」
「そっか…」
「…慎悟は……友達だと思っていたのに…」
友達だって、仲間だって思っていたのに…もう、戻れないのだろうか…私がアホなことを言って、慎悟が呆れた顔して指摘するそんなやり取りもなくなってしまうのか…
私達の出会いは最初こそ最悪だったけど、実際にはめちゃくちゃ良いヤツだった慎悟。彼にはたくさん助けてもらった。せっかく仲良くなれたのに。…私を知ってくれている貴重な人なのに…
もう前の私達には戻れないのか…それが悲しくて寂しい。今の私はきっと情けない顔をしているに違いない。
「あー…なるほどね…」
何故かユキ兄ちゃんは1人納得した様子で頷いている。何だよ何を勝手に納得しているんだ。
「なに? なにがなるほどなの…」
私がユキ兄ちゃんの腕を掴んで、どういうことか説明を求めようとしたのだが、ユキ兄ちゃんは私の問いに答えること無く、顔を上げて私の背後に目を向けた。
「…? 何見て…」
彼の視線を追うようにして後ろを振り返ると、私はビシッと固まった。
そこには息を切らせた慎悟の姿があったのだ。まさか私を探して走ってきたというのか!
私はユキ兄ちゃんの背中に回って隠れた。慎悟の顔を見るのが恥ずかしくて仕方がなかったからだ。心臓がドコドコ暴れている。落ち着け、どうしたんだ心臓は。また不整脈が起きるんじゃないだろうな。
「…ほら笑ちゃん、ちゃんと2人で話をしたほうが良いよ」
「やだ! またキスされちゃうもん!」
今の私は冷静じゃない。こんな状態で慎悟と対峙するなんて無理だ。どんな顔したら良いのかわからないし、またキスされたら…私がどうなっちゃうことか…!
なによりも、今までの関係が終わりを告げて、何かが変わってしまいそうで怖い。
「…あんた、まだその人のことが好きなのか?」
ポツリと問いかけてきた慎悟の言葉に私はギョッとした。
いつの話を持ち出してきた!? 告白してしっかり失恋したから、もう心の整理は付きましたけど!?
私はユキ兄ちゃんの背中に隠れていたが、顔を出して反論した。
「…な、何言ってんの!? 3月に失恋してきたって私言ったじゃん! …私はエリカちゃんの身体で色恋する真似できないんだよ!」
他人の体で生きるってことがどういう事かわからないんだろう、私だって全くわからないんだ。
バレーをするとか、友達を作る事とは別問題なんだ。…出来るわけがないだろう。
「あんたは確かにエリカの姿だが、顔つきから言動、行動まで全て違う。俺には今のあんたは松戸笑にしか見えない」
真面目な表情でそんな事を言われた私は混乱した。
なんて返せば良いのかもわからないし、恥ずかしいやら嬉しいやら苦しいやら…この複雑な感情の名前がわからず、ユキ兄ちゃんの背中に隠れてしがみついた。
なんで急にそんな事言うの。なんでそんな顔するの。私は慎悟のそんな顔見たことない。
私はエリカちゃんとは似ても似つかない人間だ。そしてこの身体は顔も体も髪の毛さえも全部エリカちゃんのものなの。…私にしか見えないなんて…私と慎悟は一度も会ったことがないのに、なにを言っているんだよ…。
今の慎悟がなにを考えているのかが私にはわからない。
「…あんたは、エリカの身体じゃ色恋出来ないって言ったけど…これから生きるのはあんた自身じゃないか。エリカはこの世で生きることを放棄してあんたに身を委ねた。…あいつに遠慮して生きていく必要はないだろ」
慎悟の言葉に私はビクリと身体を揺らした。
「今を生きているのはあんただろ。…そういう理由で突っぱねるのは卑怯だ。それならハッキリ嫌いだと言ってくれた方がマシだ。…言われても諦める気はないけど」
ものすごく良いこと言われている気がするけど、私はそれどころじゃないんだよ。
そんな事言われても私はまだ色々心の整理がついていないんだ。…どいつもこいつも勝手な…
私の気持ちはどうでもいいの? 好きなら無理やりキスしてもいいの?
「…上杉も、慎悟も自分勝手すぎる。…私の気持ちは無視なわけ…?」
「…? 笑ちゃん?」
「今の私はエリカちゃんとして生きてることだけで精一杯なんだよ!」
ワナワナ震えているのがユキ兄ちゃんに伝わっているのだろう。彼が訝しげな声で私を呼んできたが、私はバッと飛び出して慎悟の元にズカズカ近づくと、手を振り上げた。
パシッと破裂音が響き渡る。私が慎悟の頬を打った音だ。
「…あんたの事見損なった…いくらイケメンでもやって良いことと悪いことがあるでしょうが…!」
「……」
「慎悟なんて嫌いになっちゃうんだから!」
叩いた頬は赤く染まっていたが慎悟は痛みを訴えるわけでもなく、静かに此方を見下ろすだけ。私は慎悟に渾身の睨みを利かせると、1人でその場からズカズカ立ち去っていった。
とにかく慎悟から離れたかった。私達はきっとどんなに話してもわかりあえない。
私は怒っていた。上杉にはもちろんのこと、信頼していた慎悟にもだ。2人とも自分の気持ちばかりで強引で勝手だ!
そのまま怒りに任せて鼻息荒くグラウンドに出ていくと、奴と遭遇した。
「見つけたぞ! バニーガール!」
「…まだあんた参加してたの!?」
この人文化祭中ずっと逃走ゲームに参加している気がするけど、他に回りたい出し物とかないのかな!? この追跡者の大声によって、グラウンドを捜索していた他の追跡者が寄ってきて、さぁ大変。
私は彼らの手から逃れるために駆け出した。
イライラムカムカしていた私だが、この追跡者たちに追いかけられること数十分、体を動かしてちょっとだけ心が落ち着いた気がした。
…だけど、慎悟や上杉の無体を許そうなんて気にはとてもなれなかった。
■□■
そんなこんなでドタバタの文化祭は終わった……もうちょっと青春っぽく楽しい思い出が出来てもおかしくないのに。がっかりである。
文化祭の終了時間を迎えて、来賓客を全て見送った所で各クラスに片付けの業者さんが入ってきて、搬出作業が始まっていた。生徒たちはこれから後夜祭に参加なので、片付けは業者さんに任せてそちらに向かうことになっている。私も制服に着替えてから後夜祭の行われるグラウンドに出向いた。
文化祭出し物の人気投票の表彰式では、うちのクラスの出し物は投票2位だった。それは純粋に嬉しい。もらえるのは賞状だけだけど。1位なら英学院特製ノートとペンセットを生徒分贈呈されるのにな。…いや、ノートやペンはそこまで欲しくはないけどさ。気持ち的な問題かな。
「2位でも嬉しいですね」
「良かったですわね、二階堂様」
「1位とは15票差なのが惜しかったね」
「少ない人数だけの準備でここまで来たんだから大したものでしょ」
うちのクラスは内部分解したお陰で、頑張った人と頑張っていない人の差が大きい。頑張った人は純粋に喜んでいたけど、そうじゃない人は複雑そうな顔をしているのが印象的だった。
ちなみに私はあの後最後まで逃げ切った。因縁の追跡者には捕まらずに逃げ切ったよ…!
あとでクラスで確認したら、あの例の人はクイズカードをゲットしてもクイズで不正解になってしまって、何度チャレンジしても一問正解のアイスクリーム引き換え券しかゲットできなかったみたい。懲りずに再チャレンジ、再々チャレンジを重ねていったみたいよ。
何が彼をそうさせたんだろうね。
『男女別々に別れて大きな円を作ってください』
…どうやら今年もフォークダンスが開催されるらしい。去年も思ったけどなんでフォークダンスなんだろう。
ストーカーと遭遇したくない私はこっそり男子パートに潜り込もうとしたのだが、元生徒副委員長の寛永さんに見つかって女子パートに戻されてしまった。去年の私が男子パートで踊って当時の生徒会長を困惑させたから、今年はマークでもされていたのであろうか。
私は渋々フォークダンスを踊っていたのだが、ターンして次のペアの人の手を取ろうとして、その手を…引っ込めてしまった。そして私は相手を無視するようにぷいっと顔を背けた。
なぜなら相手が慎悟だったから。
音楽が鳴り渡り、周りの生徒達はみんな恥ずかしがりながらも踊っている中、私は相手の手を取らずに、踊らないままでいた。
音楽が切り替わると、私は次のパートナーの手を取って逃げた。慎悟がこっちを見ている気がしたけど、私はそっちに目を向けないで顔を反らし続けた。
だって怖かったんだ。
慎悟が知らない男の人に見えたから。
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