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さようなら、エリカちゃん。ごきげんよう、新しい人生。
私はエリカちゃんじゃない。
しおりを挟む慎悟から「イライラする」と吐き捨てられた私は、怒りが湧くよりもショックだった。確かに意図せず色々巻き込んできたから、彼を苛つかせている面もあるだろうけど、面と向かってイライラすると言われると傷つくんだけど。
「…イライラさせているのは申し訳ないと思ってるよ…でも、今それを言わなくてもいいじゃん…」
こっちは怖い思いをしたんだよ。好きでもない男にキスされるなんて、最悪のファーストキスでしかない。凹んでいるんだよこれでも。
やっぱりトドメにヤツのお股を蹴っておけばよかった…
「…俺がいつも、どんな気分であんたを見ているか知らないだろ」
慎悟は私を見据えてそう言った。
「…イライラさせているのはわかったって」
クレームは日を改めて聞くから今は本当に勘弁して欲しい。
だけど相手はそれだけじゃ気が済まないのか、話を続けてきた。
「…あんたが消えた時、俺がどれだけショックを受けたか知ってるか? ようやく目覚めたらそこにはエリカしかいなくて……俺はひどい後悔をした」
……後悔?
…やはりインターハイで私が召された事によって、ひどいトラウマを植え付けてしまっていたのか。…言い訳しちゃうけど、あれは私にも予知できない事だったんだよ…?
「もう二度と会えないと後悔したんだ…だからまた会えた時は嬉しかったんだ。あんたは相変わらずで…なのに他の男と見合いをしたり、親しげにしている姿を見せつけられて…本当に腹が立つ」
「…あ?」
見合いをしたり、親しげにしてるのを見て腹が立ったとな? お見合いは二階堂のお祖父さんがセッティングしたものだもん。私がどうこうできるものじゃなかったんだよ? 断ったりしたらお祖父さんの顔を潰すことになるじゃないの。
それに親しげと言われても、ベタベタと接触はしていないよ。それに西園寺さんと仲良くしていて、二階堂家としては損しないでしょう。
「丸山さんと俺をくっつけようとするし…こっちの気持ちも考えないで…本当ひどい人だよあんたは」
「いやそれは…ごめんてば…もうしないって」
慎悟が怒る姿を見るのは初めてじゃないけど、今の慎悟は何に怒っているのかがわからない。
ただ私を責める目で見ているので、私に対して怒っていることだけは確か。
「…そういうところだよ…!」
複雑な感情が入り混じったような表情をする慎悟を見るのは初めてかもしれない。もともと慎悟はあまり感情が豊かなタイプではなかったのに、ここ最近は表情が豊かになった気がする。
それは成長ということでいい意味なのだけど、そんな苦しそうな表情は見たくはなかった。
なんだろう…彼のその表情を私は知っているはずなのに、それを思い出せない。私は苦しそうにしている慎悟に手を伸ばした。
「わっ」
だけどその手を慎悟に握られ、力任せに引っ張られてしまった。引っ張られた私はその動きを予測していなかったので、そのまま慎悟の胸に飛び込む形になった。
慎悟の手が顎にかかったと思えば、顔を上に向かせるために荒々しく動かされた。私はその一連の流れに頭がついていかなかった。もしかして腹を立てた慎悟に殴られるのかとグッと歯を噛み締めたけど、そうじゃなかった。
…慎悟の整った顔がすぐ目前まで迫って来ていたのだ。
相変わらずおきれいなお顔だこと、なんて思う暇もなく、唇を塞がれてしまった。
「…んっ…!」
目の前で、というか自分の身に起きていることが信じられなかった。
なぜ、何故私は慎悟にキスをされているんだ? 目前に慎悟の長いまつげが見える……あれ、これさっきと同じシチュエーションじゃないの!?
顔を反らして唇を離そうと抵抗してみたが、慎悟が顔をしっかり固定して再度唇を重ねてきた。
おい! 何してくれとんねん!
突然の暴挙を止めようと思った私は、空いている手で慎悟の頬を平手打ちをした。その攻撃で慎悟の力が少しだけ弱まったので、私はそのチャンスを逃さなかった。
私は慎悟の手を振り払うと素早く離れた。距離を取って、こっちを感情の読めない顔で見てくる慎悟を睨みつける。
その際ついつい慎悟の形の良い唇に目が行ってしまって、頬にカッと熱が集まるのが分かったが、私は首を軽く振って誤魔化した。
慎悟は悪びれた様子もなく私を見返していたのだが、その瞳が妙に……なんでこいつ男なのにこうも色気があるの!? その瞳で見られた私はひどく動揺した。
私はキスされた口元を手の甲で隠した。バクバクと激しく運動する心臓のせいで、声が上擦りそうなのをなんとか隠して慎悟に怒鳴りつける。
「何するの! 私はエリカちゃんじゃないんだよ!?」
「…そんなのとっくの前から知っている。俺はあんただからキスしたんだ」
「…は?」
その言葉の意味が理解できない私がぽかーんと間抜け顔を晒していると、慎悟はジト目で睨みつけてきた。
「あんたはどこまで鈍感なんだ。…この際ハッキリ言わせてもらう」
怖い顔をした慎悟が一歩前に進んできたので、私は身構えて後退する。なんだ、言いたいことというのは…
慎悟は火傷しそうなくらい熱い視線で私を見つめてくる。…私は他の誰かにそんな目で見られたことはないから、どんな反応をすれば良いのかわからずに戸惑っていた。
…何故そんな目で私を見るんだ。いつもの慎悟らしくないよ。
「…俺が好きなのは松戸笑、あんただ」
「え…」
まつどえみ? …あぁ、私の名前……
「…はぁっ!?」
笑と呼ばれる回数が少なくなってしまっている私の反応はちょっと遅れた。
好き?
待てよ、ちょっと待てよ。私だぞ? 男顔で背が高くて、男子よりも女子にモテて…ガサツでアホなバレー馬鹿の私だぞ?
いやいやいやいや、慎悟はきっとエリカちゃんを見ているんだ。そうに違いない。
だって私を女扱いしてくれたのはユキ兄ちゃんだけだったんだ。私なわけがない。
「…慎悟、きっとエリカちゃんの事を忘れられないから勘違いを…」
「エリカは全く関係ない。俺が好きなのはあんただ」
「……」
グイグイと迫ってくる慎悟を前にして私はパニック状態だ。昨日上杉のクラスで渡された星座占いのモテ期到来ってこの事なのか? 何この偶然。こわい。
…そもそも本来の私だったら、きっと慎悟はこうは出てこなかったはず。松戸笑の外見じゃこうはならなかったはずだ。エリカちゃんの姿であることに加えて…多分、周りにいないタイプだから新鮮に見えただけだよ。
ずっと高級フランス料理を食べてきたから、それに飽きてインド料理に興味を持つみたいな感じだよ…きっとそうに違いない。
「…わ、私は、慎悟をそういう風に見たことはないなぁ? …年下だし」
そうだ、私の好みは年上の男の人なのだ。慎悟はよく出来た弟のような感覚で見ていたのだ。彼を邪な目で見たことは一度もないのだ。
だけど慎悟はそれでは納得できないのか、私を非難するような目を向けてきた。
「…1歳の差じゃないか。…何故俺を子供扱いする。そういう理由で切り捨てるのはやめてくれ」
「ご、ごめ…でも」
あんたの告白を受け入れられない理由はそれだけじゃない。
エリカちゃんのこの身体で誰かと結婚ということでさえ抵抗があるというのに、色恋だなんて。
私はそんな簡単に切り替えられるほど器用な人間ではないのだ。
「私は慎悟をそういう対象で見ることはできない」
慎悟はモテるんだ。もっと育ちのいい、可愛らしい女の子と縁を結ぶべきだ。私みたいなワケアリな人間なんか止めたほうがいい。
私は慎悟の未来のためにきっぱりフッた。このせいで私達の友情が終わりを告げるかもしれないのが悲しいことだが…無駄に期待をさせるほうが非情だ。
私は深々と頭を下げてごめん。と心から謝罪した。
告白するのって勇気がいるよね。私もそうだった。ユキ兄ちゃんに失恋してとても辛かったから、その気持ちはよくわかる。
…でもだからって気持ちに答えることなんて出来ない。
本当にごめん。
私は誠心誠意対応したつもりだった。これでこの話は終わり。私の気持ちを無視してキスしてきたことは…色々複雑な心境だが、水に流そうと考えていた。
…だけど相手はそうはいかなかったらしい。
「…なら、そういう対象に見られるようにするだけだ」
「…え?」
…それは、諦めないって言う宣言なのだろうか。いやいや、だからこっちはごめんなさいって…
下げていた頭を上げて、私は慎悟に何かを言おうとした。だけどそれは叶わなかった。
いつの間にか距離を詰めて、目の前にやってきていた慎悟と目が合った私は金縛りに遭ったかのように動けなくなった。
だってあまりにも真剣な目で見つめられたから。慎悟にじっと見つめられるとどこかむず痒くて…その目から逃れるなんて出来なかった。
慎悟の腕が伸びてきて、それに囚われた私はまた唇を奪われた。今度は先程よりも激しいキスだった。奪われるようなキスに私はされるがままであった。
私は一瞬こんな事を思った。
上杉の時は死ぬほど嫌だったけど、慎悟のはそんなに嫌じゃない…
その直後我に返った私は無性に恥ずかしくなってきた。なので無体な真似をしてきた慎悟の腹にパンチを入れた。
「ぐっ!?」
「何すんだよバカ!」
危ない! 但しイケメンに限るに流されるところだった! イケメン怖い。魔力でも使っているのかあんたは! エリカちゃんの唇を何だと思ってんのあんた達はぁ!
お腹を抱えて背を丸めた慎悟をその場に残すと、私は階段を駆け下りてその場から逃走した。
顔から火が出そうだ。なんでこんな事になっているのかもうわけがわからない。廊下を走ってはいけないのに私は走っていた。走らないと気が済まなかった。
階段を降りきった私は昇降口に向かった。グラウンドに逃げよう。
慎悟と顔を合わせるのが恥ずかしくて無理。なんだコレ! 意味分かんない。…さっきの本物の慎悟か? 同じ顔をした親戚とかじゃないの? いやいやいや…本当に意味がわからない…
立て続けの出来事に、頭が一杯で混乱状態であった。
──ドンッ
「うぁっ」
案の定、私の前方不注意で人とぶつかってしまった。
「す、すいません!」
「…あれ…笑ちゃん……?」
「……!」
私が慌てて謝罪すると、ぶつかってしまった相手が私の名を呼んだ。見上げてみればそこに温和そうな親しみやすいフツメン顔が……相手の顔を見た私は気が抜けてしまった。
「う゛ぁあああー! あ゛うー!」
「!? どうしたの!? 笑ちゃんなにがあったの!?」
享年17、生きていれば18の自分は人目憚らずにガチ泣きしてしまったのだ。
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