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お許しあそばして。お嬢様なんて柄じゃございませんの。
十人十色【三人称視点】
しおりを挟むその青年はつまらなそうな顔で廊下を歩いていた。
生意気な従弟の面を拝むために文化祭にやってきた彼は、ただ冷やかすだけのつもりが自分好みの美少女と出会い、調子が狂ってしまった。
しかも彼女は大嫌いな従弟の恋人だという。──ならば、奪えばいいと彼は考えた。それで傷ついた従弟の顔を見られるなら一粒でニ度美味しいと考えたのだ。
従弟の顔は良い、勉強もできるかもしれない。だけどいつも無表情で、生意気で、年上を敬うこともしないあの慎悟だ。上手いことを言えば奪えると彼は思った。
多分彼女は良いところの令嬢だ。温室育ちは慎悟も青年もそうだが、女性経験などは明らかに青年のほうが上だ。モテる割には硬派な慎悟と違って、青年はいろんな女性と浮名を流してきたのだ。
つい最近彼女と別れたばかりなので丁度いい。慎悟から奪うっていうのもまた一興だと、彼女に裏切られた時のあいつの顔は見物だろうと、青年はほくそ笑んでいた。
……だが、可憐な彼女の口から飛び出てきたのはとんでもない惚気である。最初は慎悟の欠点を口に出したかと思えば、それを補うかのように慎悟への想いを語りだした。
虫も殺さなそうな見た目によらず、ハッキリ物を言うタイプらしい。慎悟はと言うと、赤面して羞恥に耐えかねていた。どうやらこの2人は深く想い合っている様子である。…見てくれはただのバカップルであった。
…切々と語られる惚気の数々。聞いている方が恥ずかしくなってきてしまったので、少女の視線が外れたタイミングで、こっそり青年は店を出た。興ざめである。
文化祭を見て回る気も失せたので、女友達でも呼び出してどこかに出かけようかと考えていた青年を呼び止める人物がいた。
「あれ、そこにいるのは常磐君かな?」
「…西園寺…?」
名字を呼ばれた青年…常磐泰弘が振り返ると、そこには高校時代の同級生の姿があった。同じ名門男子校に通っていた元学友だが、ふたりは仲が良かったわけではない。ただの元同級生、顔見知りである。
「そういえば君の従弟がこの学校に通っていたね」
「…お前は?」
「以前お見合いしたことのある女性に会いに来たんだ。情けないことに振られちゃったけど、今は友達としてお付き合いしているんだ」
この男でも振られることがあるのか。人の不幸は蜜の味というわけなのかと泰弘は少し気分が上がった。
「まぁ彼女、君の従弟の恋人なんだけどね。君は会ったことあるかな? 二階堂エリカさん」
「…二階堂…というのは、あの?」
社交嫌いでめったに表に出ることのなかった二階堂エリカ嬢。2年前に婚約破棄と殺人事件に巻き込まれるというスキャンダルにまみれた訳あり令嬢。
──それが、慎悟の恋人。
泰弘は乾いた笑い声を上げた。もやもやしていたところだったので、それを聞いて溜飲が下がったのだ。
「はは…とんだ不良債権を手に入れたもんだな、あいつ…」
何もそんな不良物件を手に入れる必要はなかったのに。どうかしていると泰弘が笑っていると「…不良債権?」と西園寺が聞き返してきた。
彼の顔に視線を戻した泰弘はギクッとした。
いつも温和にニコニコ笑う西園寺の顔が不機嫌に歪められていたからだ。
泰弘は西園寺が苦手だった。いつも温和で朗らかで、人に囲まれる西園寺が苦手だった。家柄はもちろんのこと成績も良く、スポーツも出来て…そして何より、彼は家族に愛されて育ったのだなというのが窺えたから。
泰弘が欲しくても得られなかったものを手に入れている西園寺は、泰弘には眩しすぎた。生きている場所が違う。悪意とか妬み嫉みからかけ離れた場所で生きているのだと考えると、全く別次元の人間に思えた。
「その言葉は聞き捨てならないな。…撤回してくれないかな?」
だが、今の西園寺からは明らかな怒りの感情が伝わってきた。普段怒らない奴ほど恐いと言うが、正にそれである。
「…おいおい、西園寺まで不良債権にお熱なのか? 確かに二階堂との縁は生まれるかもしれないが、婚約破棄に殺人事件の関係者だぞ? 難あり物件だろ」
「殺人事件では巻き込まれた被害者だ。婚約破棄は当事者同士の問題だ。終わったことを部外者がグチグチ噂する必要はない。……彼女はとても素敵な人だ。素直で明るい、可愛らしい人だよ。…よって君のその発言は聞き逃がせないな」
泰弘は素直に謝るというタイプではない。いつもこうしておちょくるような返しをするので、人によっては反発心を買われていた。彼は男子校でも比較的素行の悪い相手とばかりつるんでいたのだ。決して優等生ではない泰弘は学校でも悪目立ちしていた。
西園寺と泰弘が合わないのはこういうところもあるのだろう。
人というのは十人十色だ。同じ人間はいない。必ずしも全員が同じ感想を持つわけじゃない。
Aさんから見たら、二階堂エリカという人物は厄介者に見えるかもしれないが、BさんとCさんが同じ感想を持つかといえばそうではないのだ。口には出さないけど、違う意見を持つ人もいるのだ。
しかも西園寺は彼女を好いていた。……身を引いたとはいえ、現在進行系でまだ彼女のことを好いているのだ。誰だって好きな人、好きなものを悪く言われたら腹を立てることであろう。
その意見に異論を唱えることもアリだが、その理由を事細かに説明して相手を納得させなければ意味がない。趣味嗜好の擦り付け、感情のぶつけ合いではただの泥沼試合。討論は成り立たないからだ。
とはいえ、泰弘は軽い気持ちで馬鹿にしただけなので、討論する気は全く無かった。
西園寺の怒りに触れて、固まっていた泰弘は「何マジになってんの? ダセェ」と半笑いをしているが、怒っている相手になんと言葉を返すか思いつかずにヘラヘラと強がっていただけである。
ここで素直に謝罪していれば、それで丸く収まるはずなのに、泰弘にはそれが出来なかった。
「……良かったじゃないか、エリカが自分に合わないと判明して」
「二階堂様!」
「久しぶりだな、西園寺君」
西園寺に親しげに声を掛けてきた老人の姿を見て、泰弘は肩を揺らした。先程二階堂エリカと一緒にいたこの老人……彼が二階堂家の現当主で、イチから立ち上げた会社を大きくして、繁栄させたやり手の人物。老年に差し掛かるが、その眼光は鋭く、目の前に立つと威圧感がすごい。…油断できない人物だ。
泰弘の親族が経営する常磐の会社とは直接的な取引はないが、二階堂の影響力は凄まじい。相手の不興を買うと後が面倒になること間違いなしだ。
二階堂翁が参加するパーティに、泰弘も参加したことはあるが、いつも遠くにいたので顔まではハッキリ覚えていなかった。その上、今日の翁は休日スタイルで雰囲気が違ったので全く気づけなかった。
まずい発言を聞かれてしまったと泰弘は渋い表情になった。…だが二階堂翁はあまり気にしていないように見えた。
「まぁ、そういうわけだ。うちの孫娘には二度と近づかないでくれ」
…いや、そうじゃない。害虫自ら離れてくれたので、ホッとしているのだ。
孫娘に近づこうとする不埒な虫を牽制するために、翁はここまでやってきたらしい。彼は泰弘に興味をなくしたように視線をそらすと、西園寺に声を掛けた。
「…エリカに会いに来たのだろう。私はタイムアウトして退店したんだが、折角だからもう一度入店しようと思うんだ。一緒にどうかね?」
「是非ご一緒させてください。エリカさんのクラスは何をなさっているんですか?」
エリカの婚約者候補として推していただけあって、西園寺青年のことを気に入っている二階堂翁。
孫娘に恋人が出来て、縁組は難しくなったとしても翁個人で仲良くしたいと思っているらしい。青年と親しげに会話しながら、翁は3年3組の源氏物語カフェに戻っていった。
取り残された泰弘は、詰めていた息を大きく吐き出した。とんでもない人と会ってしまった。最悪だとげんなりしていた。
一瞬会社に影響がなければいいが…とは思ったが、泰弘は両親のことを思い出して憂鬱な心境に陥った。
自分にないものを持っている西園寺、そして従弟の慎悟。泰弘は昔からそういう人間が気に入らなかった。
2人が持っていて泰弘が持っていないもの。それは親の愛だ。
慎悟の両親は多忙で長いこと一緒にいるわけじゃないが、息子を愛しているとよくわかる。
西園寺は母親が早世しており親は父親だけだが、親代わりの祖父母に沢山愛されている。
……親しくない相手でも、相手が大切に育てられているのはよくわかった。
一方で自分は親の見栄や欲のために生まれ、存在するのだと泰弘は知っていた。
慎悟みたいに、思いっきり息子を構い倒す楽しい父親を、美味しいおやつを作ってくれる優しい母親を泰弘は知らない。
西園寺のように、祖父母揃って授業参観や三者面談に参加したり、学校行事に参加した父親に「大きくなったな」と頭を撫でられることもなかった。
子を大切に想い、慈しむ。その当たり前のようなことが、泰弘には当たり前じゃなかった。
泰弘の母・雛子は、妹である都に対抗するため、彼女よりも早く出産するべく渋る婚約者の意見を押し切って子を身に宿し、その流れで結婚した。
子育てはシッターに丸投げで、見せびらかすためのアクセサリーとして、外では大変可愛がられた。
──父親はもともと、叔母の都の恋人だった。だけどその姉である母親とただならぬ関係になり、都を捨てて婚約したと。それを後悔していると父親が電話口の誰かに漏らしているのを泰弘は聞いてしまったことがある。
当時小学校3年生だった泰弘。まだ幼かった泰弘には衝撃的で、それから荒れた。従弟の慎悟を更にいじめるようになったのだ。
慎悟に嫌がらせをすると必ず叔母の都が泰弘を叱った。構ってくれることが嬉しくて、いじめはどんどんエスカレートしていき、とうとうあのプールでの事件を起こしてしまったのだ。
泰弘の周りからは人が離れていった。
見栄と妹への対抗心で飾り立てて生きる母、母に嫌気が差して他所で愛人を作った父は家に帰ってこない。
泰弘は自分が誰にも必要とされていないと焦燥感に駆られた。何故慎悟には沢山のものが与えられて、自分にはなにもないのかと。
自分のプライドを守るために誰かを見下し、優位に立っていないと安心できなかったのだ。
確かに彼は愛情に飢えていたのかもしれない。与えられるものが多い人を妬むのは人として当然の感情だ。羨ましいと思う感情は仕方ない。
だけど、与えられるばかりの人生はありえない。自分からも相手に与えなければ、何もかも手からすり抜けて何も残らなくなるのだ。
彼はそれを知らないのだ。
19歳である彼は、母親と同じ奪う生き方をしようとしている。
今その事に気づいて彼がその道を引き返さねば…母親と同じ、空虚と虚栄の人生を送ることになると…
まだ、彼はその事に気づけていない。
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