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番外編
攻略対象の風紀副委員長に拾われたけど、柴犬ってなにしたらいいの? りたーんず!【お盆編】
しおりを挟む私が家中をウロウロしていると、玄関に胡瓜があった。何故かその胡瓜には足が生えていて、お盆の上に乗せられていた。
匂いを嗅いでみると、普通の新鮮な胡瓜だ。……私が最後にご飯を食べたのは朝である。なんだかお腹が空いてきた。
盗み食いは良くないとわかっていたが、犬の本能が私をそうさせてしまった。胡瓜に噛み付くと溢れる水分。喉乾いていたので水分補給にもなる。
出来れば冷蔵庫で冷えたもののほうが良かったけど、この際ぬるい胡瓜でも構わない。
私は玄関で一匹、ボリボリと音を立てながら胡瓜を咀嚼していた。
「ただいま……あ」
胡瓜に夢中になっていて、足音と匂いに来づけなかった。胡瓜を盗み食いしている場面を帰ってきたお兄さんに目撃されてしまった。
口に咥えていた胡瓜をボテッとお盆の上に落とした私はフリーズしていた。…胡瓜はもう半分以上食べてしまった。
あぁ、やばい…またおやつ抜きにされる……私はその場にコロンと倒れて無抵抗アピールをした。お兄さん、後で一緒にお散歩に行ってあげるからこの事は黙っていて欲しい。だってこんなところに食べ物があったら食べちゃうよ! 私犬だもん!
だが私の気持ちは彼には伝わらなかったらしい。お兄さんは玄関を上がってリビングに繋がる扉を開いて、私の罪を告発してしまったのだ…
「ばーさん。あやめが精霊馬食べてる」
「あらっ! 食べちゃダメよあやめちゃんー!」
おばあちゃんにメッと叱られてしまった。
ご先祖様をお迎えするための精霊馬だから、お盆が終わったら送り火とともに燃やして処分するのだそうだ。いくら新鮮でも食べてはいけないものらしい。
えぇー…食べちゃった。食べちゃったよー! これで橘家のご先祖様は帰ってこれなくなるの!? 犬生謳歌しすぎてそういう風習がある事に考えが行き着かなかった。
私、橘家のご先祖様に嫌われちゃうかな? 胡瓜食べてごめんなさい…美味しかったです……
ガミガミ叱られたわけじゃないけど、私は自分の非道な行いに落ち込み、自己反省をするために自らケージに引きこもってその日は断食することにしたのである。
あのあと、夕食の時間にいつものようにご主人がご飯だぞと言って餌入れにご飯を入れてくれたけど、私はケージに立てこもったまま一切口をつけなかった。
体調が悪いのか? 病院に行くかと禁断ワードをご主人が口にした瞬間、私は元気よくケージから飛び出して元気アピールをした。ぴょんぴょんと飛び跳ねて元気だよと訴えていると、私の目の前に餌が置かれた。
ご主人が「おすわり」とお食事前の儀式をし始めたので、条件反射でそれに従った。「お手、おかわり」と命令に従って「待て」までされたが、私ははっと我に返った。
私は空腹である。目の前にはいつものご飯。その時私の中で空腹と、昼間に食べた精霊馬の胡瓜がせめぎ合っていた。
私のせいでご先祖様は帰ってこれない…私はなんてひどい柴犬なんだ。
悲しくなってきて、私は声を漏らして鳴いた。
「キュヒ、キュヒキュヒーン…」
「…亮介、お預けの時間が長すぎるんじゃないか?」
「いやそんなことは…おい? 食べていいぞあやめ?」
ご主人は良しと言ってくれたが、私は食べるわけには行かないのだ。…私は決めたのだ。今日は反省の意を込めて、夕飯を食べないと!
私は溢れてくるよだれをそのままにして、餌から背を向けた。ポタポタと涙の跡のように床によだれの跡が出来ているのは、見ないふりをしてくれ。
ケージに入ると、奥の方で丸まって引きこもったのである。今日は自己反省するのだ。
■□■
くるるー…
…お腹が空いた。自分のお腹の音で私は浅い眠りからさめた。
ご主人による餌の誘惑に耐え、お母さんのおやつ攻撃にも耐えた私は空腹でなかなか眠れなかった。お昼にふて寝したせいかもしれない…さっきちょっとウトウトし始めたのだが、お腹の音に起こされてしまったのだ。
お腹すいたなぁ。朝ごはんの時間まであと何時間だろう。…お腹すいた……
食べようと思えば食べられた。お腹が空いたら食べるだろうとケージの外に餌が置きっぱなしになっており、いつもは閉じられるケージの扉が今日に限っては開けっ放しである。
だが、私は朝まで耐え忍んでみせる。
私の寝床であるリビングはキッチンが隣接している。時計の音、冷蔵庫やエアコンの作動音が鳴り響くだけ。
隣の部屋からはおじいちゃんのいびきの声が聞こえる。その更に向こう側にはご先祖様のための仏間があるが、私は唯一そこには入らないようにしている。…近寄りがたい雰囲気があるんだよね……犬になって第6感が冴えているのかはわからないけど……なんとなく、気配を感じるんだ。
橘家のご先祖様ならいいけど、他所様の幽霊様が寄ってきてるかもしれないじゃない? ていうか今お盆だから、あちこちに幽霊さんがいるってことだよね!? やだ、こわい!
私はケージの中に収まってプルプル震えていた。
『ハッハッハッ…』
気のせいかもしれないが、ケージの外から荒く息する何者かの気配がする…。え、なに? 息切れ? ご先祖様、精霊馬がなかったから全力で走って戻ってきたの?
……私のせいだ!!
私は謝罪しようとケージから飛び出した。飛び出してからの土下座である。
ごめんなさいごめんなさい! 私のせいなんです、私が胡瓜食べちゃったから…!
私は謝罪した。ご先祖様に犬の気持ちが伝わるかわからないけど、精一杯謝罪した。
『ハッハッハッ…』
だがまだ息が整わないのか、ご先祖様は息切れを起こしている……私はそろりと顔を上げた。
電気が落とされたリビングは電化製品の電源ランプしか明かりがない。カーテンも閉められ、外灯の明かりも入ってこない暗い空間だ。
…なのにその中で彼は、薄ぼんやり発光していた。
私の魅惑のアーモンドアイに映ったその姿は…犬であった。柴とは違う…多分いろんな犬がミックスされた雑種であろうか。茶色と黒と白の毛がミックスされていて、私と同じように三角のお耳がピンと立っている。その瞳は黒い。私よりも身体が大きく、老犬の域に入ったその犬は私を静かに見下ろしていた。
えっ、侵入してきたの? …いやでも…生きている気配がしない…犬の幽霊もお盆に帰ってくるのか…
幽霊さんなのだが、不思議と怖い気持ちにはならなかった。その犬の瞳は穏やかに凪いでおり、敵意なんて一欠片も感じられなかったからだ。
私はその犬を見上げて、首を傾げた。
もしかして橘家で昔飼われていたワンちゃんかな?
おかえりなさいませ犬先輩! お水飲みます? 口つけてない餌もありますよ!!
私は後輩らしく先輩犬に媚を売った。犬世界のヒエラルキーというものだ。長旅でお疲れであろう、せめてものおもてなしである。
胡瓜を食べてしまった罪悪感を払拭したかったとも言えるが。
置きっぱなしの餌入れを鼻で押して、犬先輩(仮)の前に出すと、彼はその匂いを嗅ぐ仕草をしていた。
あっ、そうだ、パパ上! パパ上は先輩犬を一等かわいがっていたって聞く。会わせてあげたら喜ぶと思うんだ!
こっちです犬先輩! パパ上は2階でおねむ中ですよ!
私が着いてこいというと、犬先輩はのっそりとした動きで私の後を着いてきた。
当然のことながらパパ上の部屋は閉ざされていた。
そういう時はこうだ。私はワンツージャンプでドアノブを開けることに成功した。私だっていつまでもか弱い子犬ではないのだ。いまや出来る子犬なのである。
ガチャッとちょっと大きめの音がしたが、おねむ中のパパ上は寝返りを打っただけで、目を覚ますことはなかった。
私が誘導するまでもなく、犬先輩はかつてのご主人であるパパ上のもとに近寄っていった。パパ上の手に鼻を押し付け、キュヒー…と切ない鳴き声をあげる犬先輩。それだけでパパ上を慕っている様子が窺えた。
私は少し離れた場所からうんうんと頷いていた。愛されて亡くなったペットは虹の橋で飼い主を待っているとは言うけど、人間とは寿命が違いすぎるもの。こうして会いに来ることだってあるよね。お盆だもの、いいじゃないの。
彼らだけにしてあげようと思って、私はそっとその場を離れて、自分の寝床に戻っていった。
愛犬が帰ってきたことに、眠っているパパ上は気づいていないかもだけど、今夜はいい夢を見ているといいよね。
■□■
「ガフガフガフッ」
朝起きると、おばあちゃんが朝ごはんをくれた。
いつものドッグフードに鰹節スープと茹でたキャベツを掛けてくれたものだ。おいしい。空腹だったからいつもの倍以上美味しい。
「あら、今日はちゃんとご飯食べてるのね。もしかしたら餌に飽きたのかしら?」
ウンそれは否めないね。毎回同じものは流石に飽きるよ。人間みたいに味変えられたらいいけど、それは贅沢ってものなんだろうか…
私は朝ごはんをぺろりと平らげた。
美味しかった。お肉もいいけど、お魚もいいよね。
「おはよう」
「おはよう裕亮。…あらどうしたの、目が赤いわよ」
「…大丈夫」
パパ上おはよう! いい夢見れた? 犬先輩はもう帰っちゃったのかな?
パパ上は目を真っ赤にしていたが、なんだかスッキリした顔をしている。もしかしたら夢の中で先輩犬と会えたのかもしれない。良かったね!
私がパパ上を見上げてニコニコと笑っていると、彼の手が降りてきて抱っこされた。
「今の時間ならまだそんなに暑くないから散歩に行くか」
「ウァン!」
散歩行く行く!
私がしっぽフリフリして散歩に喜んでいると、玄関横の胡瓜の精霊馬が目に入った。
橘家のご先祖様は無事に帰ってこれたのであろうか。仏間は怖いので近寄れないけど、帰ってきていたらいいな…
犬先輩がパパ上と再会した時の嬉しそうな顔を思い出して、私はなんだかじんわりほっこりした。
外に出ると、夏の匂いがした。
今日も暑くなりそうだ。
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