28 / 91
四章
深まる疑惑②
しおりを挟む
「……眠い……」
翌朝。寝不足特有の身体のだるさを覚えながら、俺はリビングへと続く階段を下りていた。昨夜は就寝時刻が遅かったにも関わらず、何故か今朝はいつもよりも三十分早くに目が覚めてしまった。おかげでいつものような心臓に悪い起床からは免れられたのだが、その心境としては微妙なところであった。
ガチャリとリビングの扉を開ける。
「おはよう……」
気だるげな声で俺がそう言うと、台所で朝食の準備をしていたみらいが、弾かれたようにこちらを振り返った。
「ユ、ユウ君⁉」
そして、裏返ったような声を上げる。
「な、なんだよ」
「え、いや、ユウ君……だよね?」
「他の誰に見えるっていうんだよ……」
「い、いや、だって……どうしてこんな時間に起きてきてるの……⁉」
俺の早起きがそんなに珍しかったのか、エプロン姿のみらいはまるで空気銃で打たれた小鳥のように、目を丸くしていた。
「大げさだな。いつもよりちょっと早いだけだろ」
「そうだけど……まさか、ユウ君が自分から起きてくるなんて」
随分な言われようである。まあ、いつもがいつもだけに、それについてはあまり言い返せないのだが……。
「別にいいだろ。今日はたまたま早くに目が覚めたんだよ。それにそのおかげで、誰かさんに布団に潜り込まれずに済んだしな」
軽口を叩きながら椅子に座る。テーブルの上には、まだ何も置かれていなかった。
「えー、何のこと?」
「とぼけんなよ。あの起こされ方心臓に悪いんだから」
「心臓に悪い? ああ、もしかしてドキドキするってこと?」
「いや、そうじゃなくて―――」
「まあ、そうだよね。朝起きてこんな美少女が隣に寝てたらドキドキもするよね!」
うんうんと、フライ返し片手に、みらいは一人納得したように頷いている。
「……あー、そうだな。もうそれでいいよ」
何か言い返してやりたかったが、面倒くさかったので、俺は適当に合わせておいた。
ジュージューという音とともに香ばしい匂いが台所から漂ってくる。どうやら今朝はまたベーコンエッグのようだ。
俺はぼーっとテラス窓の外を眺めた。良い天気だ。夏の日差しがフローリングの床を眩しく照らしている。
そんな光景に平和を感じながら、俺は昨日の夜に見たあの不可思議な現象のことを思い返していた。かつての彼女の部屋で揺れていたあのカーテン―――あの時は小動物か何かの仕業だろうということで自分を納得させたが、やはりどうにも腑に落ちない。あの揺れの原因は、一体何だったのだろうか―――?
「なあ、みらい」
外を見ながら俺は彼女に話しかけた。
「ん、何……?」
「お前さ、昨日の夜、自分の家に行ったりしたか?」
「……えっ?」
フライパンの火加減を調節していたみらいが顔を上げた。
「何、どういうこと……?」
「ああ、いや。大したことじゃないんだけど、昨日の夜、お前の家のカーテンが揺れてるのが見えてさ……」
「カーテンが……?」
「ああ。それで誰かが忍び込んだのかな、なんて思ったりしたんだけど……まあ、お前じゃないよな……」
やはり彼女なわけがない。
ここ数日、シリアスな出来事に見舞われて、変に神経質になっているのだろうか。隙間風か小動物の仕業とでもしておけば説明はつくのに、変に考え込んでしまう自分がいる。
どうしちまったんだろうな、と俺は軽く頭を振った。
……しかし、
しばらくしても、みらいからの返答はなかった。不思議に思って彼女を見る―――と俺は少し目を瞠った。
虚空の一点に視線を据えたまま、彼女が身体を完全に硬直させていたからだ。フライパンから上がる白い水蒸気が、彼女のすぐ眼前を掠めている。
「みらい、大丈夫か?」
不安になって声を掛けると、彼女の身体がビクンと跳ねた。
「えっ、な、何……⁉」
「いや、何か固まってたから……」
「え、そ、そう? そんなことないと思うけど……。それより、えと……何の話だっけ……?」
あたふたとしながら、みらいはコンロのつまみを回して火力を弱める。
「いや、昨日の夜、自分の家に行ったかって訊いたんだけど……行ってないよな?」
「あ、ああ、それね。行ってないよ。行くわけないじゃん。今更何しに行くっていうんだよ」
「まあ、そうだよな……」
「そ、それよりさ。今日は一緒に帰ろうよ」
「えっ、今日?」
唐突にみらいが話題を変えてきた。
「そうそう今日。だってユウ君、ここ数日一緒に帰ってくれなかったじゃん。何か妙に忙しそうだったし……」
「ああ……うん。まあそうだったかもな」
多少の違和感を覚えつつも、俺は彼女に話を合わせる。
「でしょ。だからね、今日は久しぶりに一緒に帰ろうよ」
確かにここ数日、俺はあまり彼女に構ってやれていなかった。一昨日は二件目の火事の現場に、昨日は母校の中学校に訪れていたからだ。しかも昨日は、なかば置き去りにするような形で彼女を置いてきてしまった。
ピリリとした罪悪感に苛まれた俺は、
「そうだな。今日は一緒に帰るか」
と答えた。
断る理由もない。さすがに三日連続で、さよと一緒に帰るようなことはないだろう。
「よし。じゃあ約束だよ」
ぱあっとみらいの顔に笑顔が浮かぶ。
「ああ、わかったよ」
苦笑しながら、俺は頷いた。
# # #
驚いた。まさか気付かれたのかと思った。
この二年間、私が身を引き裂かれるような胸の痛みに耐え、ひた隠しに実行してきたことが水泡と化してしまったのかと本気で戦慄した。
でも違った。彼はまだ気付いていなかった。
よかった―――……。
……いや、よかったのだろうか―――?
私は自分に問い掛ける。
勘付かれたと思ったあの瞬間―――一瞬心がふわっと軽くなるような感覚に襲われたのは何故だろう。真綿で優しく包まれるような妙な安心感を覚えたのは何故なのだろう。
……まさか―――
ほっとしたのだろうか? 解放されたと思ったのだろうか? 彼が気付いてくれたことに喜びを感じたのだろうか―――?
……バカバカしい。
私は一笑に付す。
まさかまだ私の中に、躊躇いという感情が存在していたなんて―――……。
私にはもう、選択の道などありはしない。傲慢に、自分の運命を選べるような立場にはないのだ。
そう。私の運命は、二年前のあの日から決まっている―――。あの日、絶望に暮れた日から―――。あの日、罪を犯した日から―――
すべては、彼女の意のままに。
それがきっと私たちの―――いや、彼らの幸せに結びつくのだから―――
翌朝。寝不足特有の身体のだるさを覚えながら、俺はリビングへと続く階段を下りていた。昨夜は就寝時刻が遅かったにも関わらず、何故か今朝はいつもよりも三十分早くに目が覚めてしまった。おかげでいつものような心臓に悪い起床からは免れられたのだが、その心境としては微妙なところであった。
ガチャリとリビングの扉を開ける。
「おはよう……」
気だるげな声で俺がそう言うと、台所で朝食の準備をしていたみらいが、弾かれたようにこちらを振り返った。
「ユ、ユウ君⁉」
そして、裏返ったような声を上げる。
「な、なんだよ」
「え、いや、ユウ君……だよね?」
「他の誰に見えるっていうんだよ……」
「い、いや、だって……どうしてこんな時間に起きてきてるの……⁉」
俺の早起きがそんなに珍しかったのか、エプロン姿のみらいはまるで空気銃で打たれた小鳥のように、目を丸くしていた。
「大げさだな。いつもよりちょっと早いだけだろ」
「そうだけど……まさか、ユウ君が自分から起きてくるなんて」
随分な言われようである。まあ、いつもがいつもだけに、それについてはあまり言い返せないのだが……。
「別にいいだろ。今日はたまたま早くに目が覚めたんだよ。それにそのおかげで、誰かさんに布団に潜り込まれずに済んだしな」
軽口を叩きながら椅子に座る。テーブルの上には、まだ何も置かれていなかった。
「えー、何のこと?」
「とぼけんなよ。あの起こされ方心臓に悪いんだから」
「心臓に悪い? ああ、もしかしてドキドキするってこと?」
「いや、そうじゃなくて―――」
「まあ、そうだよね。朝起きてこんな美少女が隣に寝てたらドキドキもするよね!」
うんうんと、フライ返し片手に、みらいは一人納得したように頷いている。
「……あー、そうだな。もうそれでいいよ」
何か言い返してやりたかったが、面倒くさかったので、俺は適当に合わせておいた。
ジュージューという音とともに香ばしい匂いが台所から漂ってくる。どうやら今朝はまたベーコンエッグのようだ。
俺はぼーっとテラス窓の外を眺めた。良い天気だ。夏の日差しがフローリングの床を眩しく照らしている。
そんな光景に平和を感じながら、俺は昨日の夜に見たあの不可思議な現象のことを思い返していた。かつての彼女の部屋で揺れていたあのカーテン―――あの時は小動物か何かの仕業だろうということで自分を納得させたが、やはりどうにも腑に落ちない。あの揺れの原因は、一体何だったのだろうか―――?
「なあ、みらい」
外を見ながら俺は彼女に話しかけた。
「ん、何……?」
「お前さ、昨日の夜、自分の家に行ったりしたか?」
「……えっ?」
フライパンの火加減を調節していたみらいが顔を上げた。
「何、どういうこと……?」
「ああ、いや。大したことじゃないんだけど、昨日の夜、お前の家のカーテンが揺れてるのが見えてさ……」
「カーテンが……?」
「ああ。それで誰かが忍び込んだのかな、なんて思ったりしたんだけど……まあ、お前じゃないよな……」
やはり彼女なわけがない。
ここ数日、シリアスな出来事に見舞われて、変に神経質になっているのだろうか。隙間風か小動物の仕業とでもしておけば説明はつくのに、変に考え込んでしまう自分がいる。
どうしちまったんだろうな、と俺は軽く頭を振った。
……しかし、
しばらくしても、みらいからの返答はなかった。不思議に思って彼女を見る―――と俺は少し目を瞠った。
虚空の一点に視線を据えたまま、彼女が身体を完全に硬直させていたからだ。フライパンから上がる白い水蒸気が、彼女のすぐ眼前を掠めている。
「みらい、大丈夫か?」
不安になって声を掛けると、彼女の身体がビクンと跳ねた。
「えっ、な、何……⁉」
「いや、何か固まってたから……」
「え、そ、そう? そんなことないと思うけど……。それより、えと……何の話だっけ……?」
あたふたとしながら、みらいはコンロのつまみを回して火力を弱める。
「いや、昨日の夜、自分の家に行ったかって訊いたんだけど……行ってないよな?」
「あ、ああ、それね。行ってないよ。行くわけないじゃん。今更何しに行くっていうんだよ」
「まあ、そうだよな……」
「そ、それよりさ。今日は一緒に帰ろうよ」
「えっ、今日?」
唐突にみらいが話題を変えてきた。
「そうそう今日。だってユウ君、ここ数日一緒に帰ってくれなかったじゃん。何か妙に忙しそうだったし……」
「ああ……うん。まあそうだったかもな」
多少の違和感を覚えつつも、俺は彼女に話を合わせる。
「でしょ。だからね、今日は久しぶりに一緒に帰ろうよ」
確かにここ数日、俺はあまり彼女に構ってやれていなかった。一昨日は二件目の火事の現場に、昨日は母校の中学校に訪れていたからだ。しかも昨日は、なかば置き去りにするような形で彼女を置いてきてしまった。
ピリリとした罪悪感に苛まれた俺は、
「そうだな。今日は一緒に帰るか」
と答えた。
断る理由もない。さすがに三日連続で、さよと一緒に帰るようなことはないだろう。
「よし。じゃあ約束だよ」
ぱあっとみらいの顔に笑顔が浮かぶ。
「ああ、わかったよ」
苦笑しながら、俺は頷いた。
# # #
驚いた。まさか気付かれたのかと思った。
この二年間、私が身を引き裂かれるような胸の痛みに耐え、ひた隠しに実行してきたことが水泡と化してしまったのかと本気で戦慄した。
でも違った。彼はまだ気付いていなかった。
よかった―――……。
……いや、よかったのだろうか―――?
私は自分に問い掛ける。
勘付かれたと思ったあの瞬間―――一瞬心がふわっと軽くなるような感覚に襲われたのは何故だろう。真綿で優しく包まれるような妙な安心感を覚えたのは何故なのだろう。
……まさか―――
ほっとしたのだろうか? 解放されたと思ったのだろうか? 彼が気付いてくれたことに喜びを感じたのだろうか―――?
……バカバカしい。
私は一笑に付す。
まさかまだ私の中に、躊躇いという感情が存在していたなんて―――……。
私にはもう、選択の道などありはしない。傲慢に、自分の運命を選べるような立場にはないのだ。
そう。私の運命は、二年前のあの日から決まっている―――。あの日、絶望に暮れた日から―――。あの日、罪を犯した日から―――
すべては、彼女の意のままに。
それがきっと私たちの―――いや、彼らの幸せに結びつくのだから―――
0
あなたにおすすめの小説
オカルティック・アンダーワールド
アキラカ
ホラー
出版社で働く地味なアラサー編集者三枝が飛ばされたのは、なんと社内地下にあるオカルト雑誌『アガルタ』編集部だった
教育係として付き合わされるのは、怪異好きの変人高校生、アルバイトの秦史(はだふひと)
心霊現象、都市伝説、正体不明の怪異――取材先では次々と現れる“ありえない”出来事に振り回されながらも、二人の絆は少しずつ深まっていく
だが、それらの怪異には、ふたりの“運命”に繋がる秘密が隠されていた
※ この作品はフィクションです。 実在の人物や団体とは関係ありません。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
(学園 + アイドル ÷ 未成年)× オッサン ≠ いちゃらぶ生活
まみ夜
キャラ文芸
年の差ラブコメ X 学園モノ X オッサン頭脳
様々な分野の専門家、様々な年齢を集め、それぞれ一芸をもっている学生が講師も務めて教え合う教育特区の学園へ出向した五十歳オッサンが、十七歳現役アイドルと同級生に。
子役出身の女優、芸能事務所社長、元セクシー女優なども登場し、学園の日常はハーレム展開?
第二巻は、ホラー風味です。
【ご注意ください】
※物語のキーワードとして、摂食障害が出てきます
※ヒロインの少女には、ストーカー気質があります
※主人公はいい年してるくせに、ぐちぐち悩みます
第二巻「夏は、夜」の改定版が完結いたしました。
この後、第三巻へ続くかはわかりませんが、万が一開始したときのために、「お気に入り」登録すると忘れたころに始まって、通知が意外とウザいと思われます。
表紙イラストはAI作成です。
(セミロング女性アイドルが彼氏の腕を抱く 茶色ブレザー制服 アニメ)
題名が「(同級生+アイドル÷未成年)×オッサン≠いちゃらぶ」から変更されております
紙の上の空
中谷ととこ
ライト文芸
小学六年生の夏、父が突然、兄を連れてきた。
容姿に恵まれて才色兼備、誰もが憧れてしまう女性でありながら、裏表のない竹を割ったような性格の八重嶋碧(31)は、幼い頃からどこにいても注目され、男女問わず人気がある。
欲しいものは何でも手に入りそうな彼女だが、本当に欲しいものは自分のものにはならない。欲しいすら言えない。長い長い片想いは成就する見込みはなく半分腐りかけているのだが、なかなか捨てることができずにいた。
血の繋がりはない、兄の八重嶋公亮(33)は、未婚だがとっくに独立し家を出ている。
公亮の親友で、碧とは幼い頃からの顔見知りでもある、斎木丈太郎(33)は、碧の会社の近くのフレンチ店で料理人をしている。お互いに好き勝手言える気心の知れた仲だが、こちらはこちらで本心は隠したまま碧の動向を見守っていた。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
182年の人生
山碕田鶴
ホラー
1913年。軍の諜報活動を支援する貿易商シキは暗殺されたはずだった。他人の肉体を乗っ取り魂を存続させる能力に目覚めたシキは、死神に追われながら永遠を生き始める。
人間としてこの世に生まれ来る死神カイと、アンドロイド・イオンを「魂の器」とすべく開発するシキ。
二人の幾度もの人生が交差する、シキ182年の記録。
『月のトカゲを探す者』第一部(全三部)。
(表紙絵/山碕田鶴)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる