呪縛 ~呪われた過去、消せない想い~

ひろ

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四章

深まる疑惑②

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「……眠い……」
 翌朝。寝不足特有の身体のだるさを覚えながら、俺はリビングへと続く階段を下りていた。昨夜は就寝時刻が遅かったにも関わらず、何故か今朝はいつもよりも三十分早くに目が覚めてしまった。おかげでいつものような心臓に悪い起床からは免れられたのだが、その心境としては微妙なところであった。
 ガチャリとリビングの扉を開ける。
「おはよう……」
 気だるげな声で俺がそう言うと、台所で朝食の準備をしていたみらいが、弾かれたようにこちらを振り返った。
「ユ、ユウ君⁉」
 そして、裏返ったような声を上げる。
「な、なんだよ」
「え、いや、ユウ君……だよね?」
「他の誰に見えるっていうんだよ……」
「い、いや、だって……どうしてこんな時間に起きてきてるの……⁉」
 俺の早起きがそんなに珍しかったのか、エプロン姿のみらいはまるで空気銃で打たれた小鳥のように、目を丸くしていた。
「大げさだな。いつもよりちょっと早いだけだろ」
「そうだけど……まさか、ユウ君が自分から起きてくるなんて」
 随分な言われようである。まあ、いつもがいつもだけに、それについてはあまり言い返せないのだが……。
「別にいいだろ。今日はたまたま早くに目が覚めたんだよ。それにそのおかげで、誰かさんに布団に潜り込まれずに済んだしな」
 軽口を叩きながら椅子に座る。テーブルの上には、まだ何も置かれていなかった。
「えー、何のこと?」
「とぼけんなよ。あの起こされ方心臓に悪いんだから」
「心臓に悪い? ああ、もしかしてドキドキするってこと?」
「いや、そうじゃなくて―――」
「まあ、そうだよね。朝起きてこんな美少女が隣に寝てたらドキドキもするよね!」
 うんうんと、フライ返し片手に、みらいは一人納得したように頷いている。
「……あー、そうだな。もうそれでいいよ」
 何か言い返してやりたかったが、面倒くさかったので、俺は適当に合わせておいた。
 ジュージューという音とともに香ばしい匂いが台所から漂ってくる。どうやら今朝はまたベーコンエッグのようだ。
 俺はぼーっとテラス窓の外を眺めた。良い天気だ。夏の日差しがフローリングの床を眩しく照らしている。
 そんな光景に平和を感じながら、俺は昨日の夜に見たあの不可思議な現象のことを思い返していた。かつての彼女の部屋で揺れていたあのカーテン―――あの時は小動物か何かの仕業だろうということで自分を納得させたが、やはりどうにも腑に落ちない。あの揺れの原因は、一体何だったのだろうか―――?
「なあ、みらい」
 外を見ながら俺は彼女に話しかけた。
「ん、何……?」
「お前さ、昨日の夜、自分の家に行ったりしたか?」
「……えっ?」
 フライパンの火加減を調節していたみらいが顔を上げた。
「何、どういうこと……?」
「ああ、いや。大したことじゃないんだけど、昨日の夜、お前の家のカーテンが揺れてるのが見えてさ……」
「カーテンが……?」
「ああ。それで誰かが忍び込んだのかな、なんて思ったりしたんだけど……まあ、お前じゃないよな……」
 やはり彼女なわけがない。
 ここ数日、シリアスな出来事に見舞われて、変に神経質になっているのだろうか。隙間風か小動物の仕業とでもしておけば説明はつくのに、変に考え込んでしまう自分がいる。
 どうしちまったんだろうな、と俺は軽く頭を振った。
 ……しかし、
 しばらくしても、みらいからの返答はなかった。不思議に思って彼女を見る―――と俺は少し目を瞠った。
 虚空の一点に視線を据えたまま、彼女が身体を完全に硬直させていたからだ。フライパンから上がる白い水蒸気が、彼女のすぐ眼前を掠めている。
「みらい、大丈夫か?」
 不安になって声を掛けると、彼女の身体がビクンと跳ねた。
「えっ、な、何……⁉」
「いや、何か固まってたから……」
「え、そ、そう? そんなことないと思うけど……。それより、えと……何の話だっけ……?」
 あたふたとしながら、みらいはコンロのつまみを回して火力を弱める。
「いや、昨日の夜、自分の家に行ったかって訊いたんだけど……行ってないよな?」
「あ、ああ、それね。行ってないよ。行くわけないじゃん。今更何しに行くっていうんだよ」
「まあ、そうだよな……」
「そ、それよりさ。今日は一緒に帰ろうよ」
「えっ、今日?」
 唐突にみらいが話題を変えてきた。
「そうそう今日。だってユウ君、ここ数日一緒に帰ってくれなかったじゃん。何か妙に忙しそうだったし……」
「ああ……うん。まあそうだったかもな」
 多少の違和感を覚えつつも、俺は彼女に話を合わせる。
「でしょ。だからね、今日は久しぶりに一緒に帰ろうよ」
 確かにここ数日、俺はあまり彼女に構ってやれていなかった。一昨日は二件目の火事の現場に、昨日は母校の中学校に訪れていたからだ。しかも昨日は、なかば置き去りにするような形で彼女を置いてきてしまった。
 ピリリとした罪悪感に苛まれた俺は、
「そうだな。今日は一緒に帰るか」
 と答えた。
 断る理由もない。さすがに三日連続で、さよと一緒に帰るようなことはないだろう。
「よし。じゃあ約束だよ」
 ぱあっとみらいの顔に笑顔が浮かぶ。
「ああ、わかったよ」
 苦笑しながら、俺は頷いた。



# # #



 驚いた。まさか気付かれたのかと思った。
 この二年間、私が身を引き裂かれるような胸の痛みに耐え、ひた隠しに実行してきたことが水泡と化してしまったのかと本気で戦慄した。
 でも違った。彼はまだ気付いていなかった。
 よかった―――……。
 ……いや、よかったのだろうか―――?
 私は自分に問い掛ける。
 勘付かれたと思ったあの瞬間―――一瞬心がふわっと軽くなるような感覚に襲われたのは何故だろう。真綿で優しく包まれるような妙な安心感を覚えたのは何故なのだろう。
 ……まさか―――
 ほっとしたのだろうか? 解放されたと思ったのだろうか? 彼が気付いてくれたことに喜びを感じたのだろうか―――?
 ……バカバカしい。
 私は一笑に付す。
 まさかまだ私の中に、躊躇いという感情が存在していたなんて―――……。
 私にはもう、選択の道などありはしない。傲慢に、自分の運命を選べるような立場にはないのだ。
 そう。私の運命は、二年前のあの日から決まっている―――。あの日、絶望に暮れた日から―――。あの日、罪を犯した日から―――
 すべては、彼女の意のままに。
 それがきっと私たちの―――いや、彼らの幸せに結びつくのだから―――
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