呪縛 ~呪われた過去、消せない想い~

ひろ

文字の大きさ
50 / 91
七章

最後の戦い⑤

しおりを挟む
 屋上へと続く扉もやはり簡素なものだった。特徴のないビジネスライクな扉。
 俺はそのドアノブに手を掛ける。
 ―――かちゃり。
 抵抗なくドアノブは回転した。こちらも鍵は掛かっていなかった。
 キィィィィィ―――……
 乾いた金属音が下の階にまで響く。
 隙間から月明りが差し込み、暗闇の中にいた俺の姿をぼんやりと映し出す。
「………だ、れ……?」
 扉が半分くらいまで開いたとき、蚊の鳴くような弱々しい声が聞こえた。
 目を凝らし、声のした方向を見る。屋上の真中辺りに誰かいるのがわかった。
 その人物はパイプ椅子に座っていたが、身体は白いロープのようなもので縛られており、目には布のようなものが巻かれていた。
 まさか―――
 恐る恐る、俺は声を掛ける。
 すると、
「だれ……時坂君……?」
 救いを求めるような細い声が返ってきた。その声に、俺は聞き覚えがあった。つい数時間ほど前に聞いた声だった。
「無事だったんだな!」
 生きている……。
 よかった。間に合った。
 俺は、急いで彼女の元へと駆け寄る。
 彼女はザイルロープで身体を椅子に固定されていた。それを解こうと俺は彼女の身体に手を伸ばす。
 が、その時、
「ユウ、君?」
「―――ッ⁉」
 すぐ後ろから、そう呼びかけられて俺の身体は硬直した。
 冷たい汗が背中を伝う。心臓がドラムを鳴らすみたいに、早鐘を打ち始めた。
 どうして、あいつの声がこんな所で―――
 そんな疑問がグルグルと頭の中を回る。
 視界が歪む。世界が反転してしまいそうだった。
 俺は錆びついたロボットのようなぎこちない動きで、ゆっくりと後ろを振り返る。
 そこには、
「みら……い……?」
 制服姿のみらいが、腕を後ろに回し入口扉横の壁にもたれるようにして立っていた。
「やっぱり、来ちゃうんだね……ユウ君は……」
 彼女は哀しそうに微笑んだ。
 信じたくなかった。この場に彼女が立っていることを、俺は信じたくなかった。
「何で、お前がここにいるんだよ……犯人は初音なんじゃ……」
 やっとの思いで、俺はそう訊ねる。
 だが彼女の次の言葉で、俺は更に深い絶望の底へと突き落とされた。
「そっか……初音ちゃんのことはもう、知ってるんだね」
「……ッ⁉ お前、あいつのこと知ってたのか?」
 みらいが、ゆっくりと頷く。
「……そんな、どうして……」
 俺は彼女に近づこうとする。だが足が動かない。
 まるで膝から下を石膏で固められたように、俺はその場から一歩も動くことができなかった。
「何で、か……」
 小さな声でそう言うと、みらいは自分の方から俺に近づいてきた。
「それはね、ユウ君―――」
 両手で俺の頬を優しく包みこむ。
 そして、彼女はじっと俺の両眼を覗き込むと、
「私と初音ちゃんが、今回の事件の首謀者だからだよ」
 淀みない口調でそう言った。
「―――ッ⁉」
 脳天をハンマーで殴られたような衝撃が全身を貫いた。手先とつま先が、感電したようにビリビリと痺れる。
 彼女の声が、頭の奥でわんわんと反響していた。
 目の前の彼女が、何を言っているのかわからなかった。思考が混濁する。
 すると、彼女は俺の顔からそっと手を離し、
「二年前……ユウ君の家で起きたあの事件のこと、覚えてる?」
 突然、そんなことを言ってきた。
「……あ……ああ」
 一拍遅れて俺は答える。
 忘れない。忘れるはずもない。俺の脳裏に、夕陽と血の赤に染まったリビングの光景が、鮮明に映し出されてきた。
 しかし、
「あの時、ユウ君の目の前で初音ちゃんを殺してたのは、私なの」
 風が頬を掠めるように、彼女はさらりとそんなことを言った。
「………は?」
 素っ頓狂な声が俺の喉から洩れる。
 今度こそ、目の前の彼女が何と言ったのか理解できなかった。
 だが、そんな俺を他所に、みらいは静かに首を横に振る。
「ううん、ごめん違う。私が殺したのは、初音ちゃんじゃない。初音ちゃんの身代わりになった女の子」
 長年一緒に暮らしてきた彼女の存在が、とても遠いもののように感じた。
「初音ちゃんから、自分は死んだことにしてほしいって頼まれたとき、私すごく悩んだの。死体も出さずに、どうやって生きてる人間を死んだことにすればいいんだろうって……」
 滔々と、みらいが語り始める。
「でもね、ある日、唐突に思い付いたの―――死体がなければ作ればいいんだって……」
 全身に悪寒が走った。彼女のものとは思えない冷たい声だった。
「それから私は、初音ちゃんの代わりになりそうな子を、必死になって探した。髪の長さ、身長、体重、体格、肌の色―――それらすべての条件に合うような子を、血眼になって探した。そして―――ついに見つけたの」
 みらいの顔に薄い影が落ちる。
 ヒュー、と生ぬるい風が俺たちの間を通り抜けた。
「その子は、隣町に住むごく普通の小学生だった。都合の良いことに、その子はお婆さんと二人暮らしだったの。だから、連れ出すのにもほとんど苦労しなかった」
 彼女の言葉を、俺はもう聞きたくなかった。
「適当な理由をつけて、私は学校帰りのその子を、ユウ君の家に連れ込んだ。そして―――」
 そこまで言うと、みらいは辛そうに顔を歪めた。
「……あとは、ユウ君が見た通り。いくら外見が似てるっていっても、顔を見られたら別人だってばれちゃうから、鈍器で顔面を殴ってぐちゃぐちゃにしたの」
 吐き出すようにして言った。
「でも、予想外に時間が掛かっちゃって………結果的に、ユウ君まで巻き込む形になっちゃった」
 ごめんね、とみらいが苦笑しながら謝ってきた。
「……その後、初音ちゃんはちょうど空き家になってた私の家に匿うことになった。でも、不用意に外に出るわけにはいかなかったから、必要なものは全部私が用意した。食事もほぼ毎日私が持って行ってあげてた。そんな生活が、二年間も続いたの」
「ちょ、ちょっと待てよ」
 そこで、俺は思わず彼女の言葉を制した。
「てことは何か? 初音はこの二年間ずっと、あの家で一人ひっそりと暮らしてたっていうのか?」
「……そうだよ」
 みらいが首肯する。
「………ッ⁉」
「初音ちゃんはずっと、ユウ君の隣にいたの」
 とても申し訳なさそうに、彼女は微笑んだ。だが今の俺には、その笑みがとてつもなく残酷なものに見えた。
「そん、な……」
 全身から力が抜けていく。ふらっと倒れ込むようにして俺は地面に膝をついた。
 思考が追い付かない。情報が纏まらない。あまりにも多くの真実を目の当たりにして、俺の頭の中はもうぐちゃぐちゃだった。
 ただ、この二年間、自分が如何に無知で無能で惚けて過ごしてきたのかということだけは、十二分に理解できていた。初音が、誰もいない暗い家で一人隠れるようにして暮らしている間、俺は何も知らず、何も気付かず、ただ悲しみに暮れるだけで漫然と毎日を過ごしていたのだ。
 不甲斐ない―――などという言葉では表しきれない。騙されたとはいえ、俺は妹である初音を守ってやることができなかった。俺は兄失格だ。
 目の前がゆっくりと闇に侵食されていく。深い深い穴の中に引きずり込まれていくような感覚に襲われる。
 眠りたいと思った。やっぱり真実なんて知らなくていい。全ての重荷を投げ捨て、目の前の真実に蓋をして、このまま永遠に眠ってしまいたいと思った。
 もう、限界だ―――
 ………だが、現実から逃れようとしたその時、
 ヴー、ヴー、ヴー……
 ポケットの中で、携帯が震えた。
 取り出すと、それはさよからの着信だった。
 力なく、俺は画面に表示されていた通話ボタンをタッチする。それくらいの気力はまだ残っていた。
『時坂優。無事……ですか』
 彼女の声が聞こえた。気のせいだろうか。彼女の呼吸が、心なしかいつもより少し荒いような気がした。
『聞いて……いますか?』
「……もう無理だよ。俺には……これ以上できない」
 自分でも驚くほどの弱々しい声が出た。
『何……言ってるんですか。何があったんですか』
「………」
『時坂優?』
「………」
『時坂優‼』
 突然、さよの甲高い声が俺の耳を貫いた。
 ビクッと肩が跳ねる。思わず携帯を落としてしまいそうになった。
『しっかりしてください! そこから先は全てあなたにかかっています。そんな調子でどうするんですか!』
 さよの怒声が針のようになって、俺の耳にグサグサと突き刺さってくる。
「そ、そんなこと言われなくたって……」
 反射的に、俺は言い返していた。
『なら、そんな弱々しい声を出さないでください! いいですか! 私はあなたを信頼してその役目を任せたんですよ! 失敗なんてしたらただでは済ましませんよ!』
 さよの荒々しい声が頭の中に響いてくる。茫然とした。
 だが、そんな彼女の声を聞いている内に、何故だか不思議と心が落ち着いてくるのがわかった。思考がクリアになっていく。
 ついさっきまで真暗だった目の前に、ほんの少しだけ光が射したようだった。
「……わかった」
 今度こそ覚悟を決めた。
「やれるだけやってみるよ」
 力強くそう言った。
『わかれば、いいんです、よ……』
 しかし、依然さよの息遣いが荒い。やはりどこか苦しそうだ。今度は気のせいなどではない。
「おい、さよ、大丈―――」
 ―――プツッ―――!
 だが訊く前に、彼女の方から通話を切られてしまった。
 彼女のことは気になったが、俺は携帯をポケットにしまって立ち上がる。そしてみらいに向き直った。
「悪かった。俺は、今までお前がそんな重荷を抱えて生きていたことに、気付きもしなかったよ」
「ユウ君………?」
「初音がいなくなった時も、俺は取り乱すばっかりで、本当のことなんて何一つ見えてなかった。もっと俺がしっかりしていれば、今回みたいなことは防げたのかもしれないのに……。ほんと、俺は今まで、何をやってたんだろうな」
 俺は自嘲するように笑った。
「………」
「……でも、だからといって、お前たちがこれ以上罪を犯すのを、黙って見ているつもりはない。人殺しなんてもっての外だ。悪いけど、全力で止めさせてもらう」
 俺は、背後で椅子に縛り付けられたままの彼女を庇うように、みらいの前に立ち塞がった。
 するとみらいは、少し驚いたようにその鳶色の目を見開いた。
「そっか……やっぱりユウ君は優しいね」
 しかしすぐに、いつもの優しい表情に戻って、くすりと微笑んだ。
「みらい……?」
「ううん、何でもない。大丈夫。ユウ君は、自分の信じる道を突き進んだらいいと思う。私は何も言わない。邪魔もしないからさ……」
「いいのか……?」
「……うん」
 ほんの少しの間の後、みらいが小さく頷く。
「お前、初音の共犯なんだろ? ここで俺を止めなかったら、初音を裏切ることになるんじゃないのか?」
 俺が心配したように言うと、みらいは少し困ったような、そしてもうどこか疲れ切ってしまったような、微妙な表情を浮かべた。
「そうだね……。でも、いいの。私も、何が正しいのか、よくわからなくなっちゃったから……。初音ちゃんに協力することがユウ君たちの幸せに繋がるはずだって、この二年間ずっと信じ続けてきたけど……もしかしたら、間違ってたのかもしれない。他の道もあったのかもしれない」
 みらいがそこで言葉を区切る。
「……だから、ユウ君がその人を助けるって言うなら、私はそれを邪魔したりしない。たとえそれが望まない未来に繋がったとしても、きっと私は後悔したりしない。だって、それはユウ君が選んだ道だから」
 決意の籠った眼で彼女はそう言った。
「…………」
「だから、いいよ。早く彼女を解放してあげて」
「……わかった。後でちゃんと話聞くからな。そこで待ってろよ」
「……うん」
 彼女が頷くのを確認すると、俺はみらいに背を向けて縛られている彼女に手を伸ばした。
 しかし―――
 ―――パンッ!
 突然何の前触れもなく、乾いた音が屋上に響き渡った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

オカルティック・アンダーワールド

アキラカ
ホラー
出版社で働く地味なアラサー編集者三枝が飛ばされたのは、なんと社内地下にあるオカルト雑誌『アガルタ』編集部だった 教育係として付き合わされるのは、怪異好きの変人高校生、アルバイトの秦史(はだふひと) 心霊現象、都市伝説、正体不明の怪異――取材先では次々と現れる“ありえない”出来事に振り回されながらも、二人の絆は少しずつ深まっていく だが、それらの怪異には、ふたりの“運命”に繋がる秘密が隠されていた ※ この作品はフィクションです。 実在の人物や団体とは関係ありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

(学園 + アイドル ÷ 未成年)× オッサン ≠ いちゃらぶ生活

まみ夜
キャラ文芸
年の差ラブコメ X 学園モノ X オッサン頭脳 様々な分野の専門家、様々な年齢を集め、それぞれ一芸をもっている学生が講師も務めて教え合う教育特区の学園へ出向した五十歳オッサンが、十七歳現役アイドルと同級生に。 子役出身の女優、芸能事務所社長、元セクシー女優なども登場し、学園の日常はハーレム展開? 第二巻は、ホラー風味です。 【ご注意ください】 ※物語のキーワードとして、摂食障害が出てきます ※ヒロインの少女には、ストーカー気質があります ※主人公はいい年してるくせに、ぐちぐち悩みます 第二巻「夏は、夜」の改定版が完結いたしました。 この後、第三巻へ続くかはわかりませんが、万が一開始したときのために、「お気に入り」登録すると忘れたころに始まって、通知が意外とウザいと思われます。 表紙イラストはAI作成です。 (セミロング女性アイドルが彼氏の腕を抱く 茶色ブレザー制服 アニメ) 題名が「(同級生+アイドル÷未成年)×オッサン≠いちゃらぶ」から変更されております

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

紙の上の空

中谷ととこ
ライト文芸
小学六年生の夏、父が突然、兄を連れてきた。 容姿に恵まれて才色兼備、誰もが憧れてしまう女性でありながら、裏表のない竹を割ったような性格の八重嶋碧(31)は、幼い頃からどこにいても注目され、男女問わず人気がある。 欲しいものは何でも手に入りそうな彼女だが、本当に欲しいものは自分のものにはならない。欲しいすら言えない。長い長い片想いは成就する見込みはなく半分腐りかけているのだが、なかなか捨てることができずにいた。 血の繋がりはない、兄の八重嶋公亮(33)は、未婚だがとっくに独立し家を出ている。 公亮の親友で、碧とは幼い頃からの顔見知りでもある、斎木丈太郎(33)は、碧の会社の近くのフレンチ店で料理人をしている。お互いに好き勝手言える気心の知れた仲だが、こちらはこちらで本心は隠したまま碧の動向を見守っていた。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

182年の人生

山碕田鶴
ホラー
1913年。軍の諜報活動を支援する貿易商シキは暗殺されたはずだった。他人の肉体を乗っ取り魂を存続させる能力に目覚めたシキは、死神に追われながら永遠を生き始める。 人間としてこの世に生まれ来る死神カイと、アンドロイド・イオンを「魂の器」とすべく開発するシキ。 二人の幾度もの人生が交差する、シキ182年の記録。 『月のトカゲを探す者』第一部(全三部)。 (表紙絵/山碕田鶴)  

処理中です...