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五章
六年越しの対決
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ゴウッ―――
男と彼女の間に突風が吹き荒れる。地面に散乱していた落ち葉が舞い上がり、二人の間を乾いた音と共に流れていく。
「さよ」
男が憎々しげに呟いた。
「何故戻ってきた? お前に用はない。さっさとこの場から消え失せろ」
「嫌です」
凛とした声で、彼女が男の命令を一蹴した。
「私は、兄さんを止めるためにここに来ました」
「黙れ。お前にそんな権利などない」
「……その通りです。なのでこれは私の我儘です」
「我儘だと? 開き直ったか。そんな理屈が通るものか!」
男が声を荒げた。
しかし、彼女は引き下がらない。
「何と言われようと関係ありません。私は、絶対に兄さんを止めてみせます」
「……馬鹿馬鹿しい」
うんざりしたように男がかぶりを振った。
「今更、そんな戯言が通用すると思っているのか?」
「…………」
「どいつもこいつも、呆れた連中ばかりだ。綺麗ごとばかり並べて自分を正当化しようとするだけでなく、挙句の果てには俺にもそれを強制しようとしてくる。本当に、愚かで傲慢極まりない」
「……それでも、私の意志は変わりません」
彼女がなおも力を込めて言った。
「……なら、お前は俺の敵だな」
冷え切った目で、男がさよを見据える。
「…………」
「やはり生かしておくべきではなかった。お前は今ここで、俺が殺す」
男がパチンと指を鳴らした。
途端に巨大な氷塊が一つ、男の顔横に出現する。
しかし、さよは冷静だった。
彼女は素早く懐に右手を突っ込むと、そこから黒い数珠と霊符を二枚取り出し、背後にいる俺に向かってそれらを放り投げた。
投げられた数珠は空中で散らばり地面に吸い込まれると、俺の周りに不可視の結界を構築した。二枚の霊符は凍っていた俺の両足にそれぞれゆっくりと舞い降りると、パキンッパキンッという高い音と共に俺を拘束していた堅い氷を粉砕した。俺の足は完全に自由になった。
「はっ、まさかお前が他人を気遣うとはな。そんなにその男のことが大切か?」
「彼をこれ以上、巻き込むわけにはいきません」
兄に目を据えたまま、彼女がゆっくりと俺から距離を取っていく。
「今更善人ぶるのか? 今まで散々他人を利用してきたお前が」
「それは、兄さんだって同じことでしょう」
「……ふん」
男が不満そうに鼻を鳴らした。
「まあいい。すぐにそんな生意気な口も利けないようにしてやる」
「……終わりにしましょう。兄さん」
彼女はちょうど神門の前で立ち止まり、男と真正面から対峙する。
「……そうだな」
男がくいっと人差し指を動かす。
「終わりにしよう」
言った途端、浮いていた氷塊が彼女に向かって突進した。
しかし、彼女の結界構築速度の方が一瞬速い。
バチバチバチッ―――!
凄まじい威力を持った氷塊だったが、それは彼女の結界によって阻まれ、空中で脆く崩れ去った。
だが、男は落ち着いた様子でまた指を鳴らす。
パチン。
今度は四つの氷塊が現れ、前後左右方向から同時に彼女に襲い掛かった。
「ほら、次々行くぞ」
冷淡な嘲笑を浮かべながら男が抑揚のない口調で言う。
だが、
「爆ぜろ!」
それらが結界に触れるよりも前に、彼女が鋭い声で叫んだ。
パァン―――!
四つの石塊が空中で粉々になる。
―――言霊。
しかし相変わらず、男は意に介した様子も見せることなく、また指を鳴らす。
「目障りだ。いい加減諦めろ」
憎々しげに男が毒づく。
複数の氷塊が構築され、次の瞬間にはそれらが彼女に襲い掛かる。
激しい閃光と共に彼女が身を守る。
「何故俺に構う? 何故俺の邪魔をする? 俺が何をしようと、どうなろうと、お前には関係ないだろう」
パチンッ! 男がひときわ大きく指を鳴らした。
パキパキッパキパキパキパキッ―――!
途端、これまでの物とは比較にならないほどの巨大な氷塊が男の隣に構築されていく。
今なお爆ぜる閃光の中で、さよが大きく目を瞠った。
「昔から、お前のそういうところが嫌いだったんだ。勝手に俺の世話を焼いて、勝手に俺に憧れて、勝手に捨てられた気でいやがる。悲劇のヒロインにでもなったつもりか?」
男が心底うんざりした様子でそう言い終わると同時に巨大で歪な形の氷塊が完成した。その直径はちょうど男の背丈ほどもあり、重さは軽く一トンは超えていそうだった。
男が軽く指を動かす。
―――と、
バチッ、バリバリバリバリッッ―――‼
巨大な氷塊は、まるで隕石のような速度を持ってさよの結界に激突した。
「くっ―――!」
さよが苦悶の表情を浮かべる。押し退けられた空気が突風のようになって、ごうごうと境内に吹き荒れた。
「俺から全てを奪ったのはお前だろう。何故しゃしゃり出てくる? 本気で俺を止められると思っているのか? 全てをなかったことにして最初からやり直せると、本当に信じているのか? 俺がどれだけの覚悟でここに立っているか知らねえだろうに!」
男の怒声が耳を劈く。
バリバリと爆ぜる閃光が稲妻のようになって夜闇にヒビを走らせた。
「俺の理解者はこの世でただ一人―――」
男がダメ押しのようにまた指を鳴らす。
今度は先端が鋭く尖った氷柱のような形状の物が男の周りに数本出現した。
「―――お前ではない!」
魂の咆哮のような叫び声と共に氷柱が消失し、今にも破られそうなさよの結界に深々と突き刺さった。
「――――――ッ⁉」
さよの表情に絶望の色が広がる。
「限界か? 結局お前はその程度なんだ」
男が嘲笑を浮かべ、勝ち誇ったように言う。
しかし、
「……ッ、まだです!」
さよは懐から数枚の霊符を取り出すと、それらを空中に放った。彼女の手から離れた霊符は、彼女の周りを一周すると、結界表面に溶けるようにして消えていった。
と、次の瞬間、
バチバチッ……パチ……
あれほど勢いを持っていた巨大な氷塊が急激にその威力を失い、ついには力尽きたようにごとんと地面に落下した。突き刺さっていた氷柱は、結界表面で切断されるようにして真っ二つに砕け、カランカランと石畳の上に散らばった。
境内に、妙な静けさが戻ってきた。
「……何だ今のは?」
数秒の沈黙の後、男が眉を顰めながら口を開いた。
「……私だって、成長しているんです」
はあはあと肩で息をしながら、彼女が不敵な笑みを浮かべる。
男はしばらくおとがいに手を当て、何かを考えていたようだったが、
「ああなるほど。そういうことか」
やがて合点がいったように小さく頷いた。
「全く関心する。人のモノを盗み利用するとは、なんともお前にお似合いの術だな」
皮肉をたっぷりと含みながら、男は冷たく嗤った。
「だが所詮は浅知恵。警戒するには値しない」
言うと男は前髪を掻き上げ、濁った瞳で彼女を見下ろした。
「いい機会だから少しだけ教えてやる。俺とお前の格の違いというものを―――」
次に何か起こるかわからない状況にさよが身構える。
「いくぞ? 目を離すなよ?」
男がそう言い終わるや否や、
「―――ッ⁉」
「―――ッ⁉」
俺とさよは同時に目を瞠った。何が起こったのか頭が追い付かなかった。
―――男の姿が消えたのだ。
目の錯覚とか光の反射の具合とか、そういったレベルの現象ではない。
文字通り忽然と、魔法のように男の身体は闇に溶けて消えたのだ。男に言われた通り、俺は片時も男から目は離さなかった。一体何が―――?
彼女の方も訳がわからない様子で、キョロキョロと辺りを見回している。
―――と、
「どこを見ている?」
ゾッとするほど低い声が鼓膜を震わせた。
はっとして声のした方を見ると、さよの正面―――結界のすぐ外に男の姿があった。
「なっ―――」
さよが目を剥く。
「言っただろう。目を離すなと」
ニヤリと歪んだ笑みを浮かべると、男はやけにゆっくりとした動きでさよの結果に右手を伸ばした。
バチッ、バチバチバチバチッ―――!
男の掌が結界に触れ、激しい閃光が迸る。
「な、何を―――」
「見ていろ。お前の覚悟など、紙切れのようなものだ」
冷たく突き放すように言うと、男は結界に触れていた手をぐっと握った。
と、次の瞬間、
パリイィィィン―――!
さよの結界が木っ端みじんに砕け散った。かがり火の灯りを受けた結界の残滓が、まるで火の粉のようになって彼女に降り注ぐ。
「――――――ッ⁉」
さよの大きな瞳が絶望に見開かれた。
「ほらな」
男が嘲笑を浮かべる。
―――が、さよはまだ諦めていない。
「―――っ、動く―――」
しかし、彼女が言霊を発するよりも前にまた男の姿が消えた。
彼女が慌てて首を巡らす。
と、
「どうした? 俺はここだぞ」
今度はさよの背後にぬっと男が現れた。
「―――ッ⁉」
さよが瞬時に上体を捻る。
が、
「遅い」
彼女が体勢を整えるよりも前に、男の拳がさよの左わき腹にめり込んだ。バキリと鈍い音が響く。
「か………はっ……」
さよの身体は嘘みたいに数メートルほど吹っ飛び、背中から地面に落下した。その拍子に彼女の右頭から純白のリボンが解け、ひらりと舞い落ちる。
「ひゅっ……かっ……ごほっ……」
息をするのも苦しいようで、彼女は殴られた脇腹を右手で抑えながら、左手でガリガリと土の地面を引っ掻いていた。
「……こんなものか」
そんな彼女を心配することなく、男は殴った拳を見つめながらつまらなさそうに呟いた。
「ひゅっ……ごほっ……何を、したん……ですか」
息も絶え絶えに、掠れた声で、彼女が男に言った。
男はそんな彼女を見ると、ふんと鼻で嗤った。
「お前は霊力の扱い方をまるでわかっていない」
「…………?」
「霊力ってのは、もっと優雅で、奥深く、繊細なものだ」
そう話す男の顔は相変わらず下品な笑みで歪んでいたが、その目は笑っていなかった。
「いいか? お前が俺の霊力に干渉できるようになるということは、逆に俺もお前の霊力に干渉できるようになるということだ。そして、自身の周りに張り巡らせた霊力を少し複雑に操れば、光の屈折具合で先ほどのように姿だって消すことができる」
「そ……ん、な……」
さよが信じられないというように呟く。
「まあ、お前には一生かかってもできない芸当だろうがな……。しかしこれでわかっただろ? 俺とお前とでは格が違う」
男が冷たく彼女を見下ろす。
「………ッ」
さよの表情が苦痛から悔しさの色に変わっていく。
「この程度で俺に敵うと思ったのか?」
静かに男が言う。
「…………」
「甘すぎる。考えも覚悟も、まるで足りない。少しも成長していないじゃないか」
「…………」
「さて、どうする? まだ続けるか? それともここで諦めるか?」
男が挑発的な言葉を浴びせかけると、さよは力なく俯いた。
それを認めると、男は深くため息を吐いた。
「お前は本当に俺を失望させるのが得意だな」
「ち、違います。私は―――」
さよが地面に手を付いて、よろよろと立ち上がろうとする。
しかし、
「もういいよ。後で殺してやるから、今はそこで大人しくしてろ」
言うと男は足元に落ちていた石片を一つ拾い上げ、それを軽く指先で弾いた。
男に弾かれた石片は凄まじいエネルギーを持って、彼女の右膝に命中した。
「ぐっ……」
短い呻き声を漏らして、さよが再び地面に倒れ落ちる。
「……本当につまらんな」
男が呟くように言った。
しかし次には調子を変えて、
「……さて、待たせたな。次はお前の番だ」
男は俺に向き直ると、パチンと指を鳴らした。途端、俺の周りに構築されていた彼女の結界が音もなく消失する。
「……ッ、くそっ……」
立ち上がろうとしたが、腰が抜けているのか足に力が入らない。やむなく、ずりずりと尻を引きずって俺は男から距離を取る。
そんな俺を、男は哀れみの籠った目で眺めた。
「お前も諦めが悪い。俺に刃向かった時点で、お前の死は確定しているんだ」
「……お前、自分の妹にあんな仕打ちをして、心は痛まないのかよ⁉」
「心? そんなものはとうに捨てた。邪魔にしかならないからな」
「人でなしが!」
「何とでも言え。目的のためなら俺は手段を選ばない」
「…………ッ」
「今度こそ終わりだ。短い間だったが楽しかったよ」
男が右手を上げる。
数秒後の死を覚悟して、俺はきつく目を閉じた。
だが、その瞬間、
ゴウッ―――!
一陣の風が、男と俺の間に吹き荒れた。
男と彼女の間に突風が吹き荒れる。地面に散乱していた落ち葉が舞い上がり、二人の間を乾いた音と共に流れていく。
「さよ」
男が憎々しげに呟いた。
「何故戻ってきた? お前に用はない。さっさとこの場から消え失せろ」
「嫌です」
凛とした声で、彼女が男の命令を一蹴した。
「私は、兄さんを止めるためにここに来ました」
「黙れ。お前にそんな権利などない」
「……その通りです。なのでこれは私の我儘です」
「我儘だと? 開き直ったか。そんな理屈が通るものか!」
男が声を荒げた。
しかし、彼女は引き下がらない。
「何と言われようと関係ありません。私は、絶対に兄さんを止めてみせます」
「……馬鹿馬鹿しい」
うんざりしたように男がかぶりを振った。
「今更、そんな戯言が通用すると思っているのか?」
「…………」
「どいつもこいつも、呆れた連中ばかりだ。綺麗ごとばかり並べて自分を正当化しようとするだけでなく、挙句の果てには俺にもそれを強制しようとしてくる。本当に、愚かで傲慢極まりない」
「……それでも、私の意志は変わりません」
彼女がなおも力を込めて言った。
「……なら、お前は俺の敵だな」
冷え切った目で、男がさよを見据える。
「…………」
「やはり生かしておくべきではなかった。お前は今ここで、俺が殺す」
男がパチンと指を鳴らした。
途端に巨大な氷塊が一つ、男の顔横に出現する。
しかし、さよは冷静だった。
彼女は素早く懐に右手を突っ込むと、そこから黒い数珠と霊符を二枚取り出し、背後にいる俺に向かってそれらを放り投げた。
投げられた数珠は空中で散らばり地面に吸い込まれると、俺の周りに不可視の結界を構築した。二枚の霊符は凍っていた俺の両足にそれぞれゆっくりと舞い降りると、パキンッパキンッという高い音と共に俺を拘束していた堅い氷を粉砕した。俺の足は完全に自由になった。
「はっ、まさかお前が他人を気遣うとはな。そんなにその男のことが大切か?」
「彼をこれ以上、巻き込むわけにはいきません」
兄に目を据えたまま、彼女がゆっくりと俺から距離を取っていく。
「今更善人ぶるのか? 今まで散々他人を利用してきたお前が」
「それは、兄さんだって同じことでしょう」
「……ふん」
男が不満そうに鼻を鳴らした。
「まあいい。すぐにそんな生意気な口も利けないようにしてやる」
「……終わりにしましょう。兄さん」
彼女はちょうど神門の前で立ち止まり、男と真正面から対峙する。
「……そうだな」
男がくいっと人差し指を動かす。
「終わりにしよう」
言った途端、浮いていた氷塊が彼女に向かって突進した。
しかし、彼女の結界構築速度の方が一瞬速い。
バチバチバチッ―――!
凄まじい威力を持った氷塊だったが、それは彼女の結界によって阻まれ、空中で脆く崩れ去った。
だが、男は落ち着いた様子でまた指を鳴らす。
パチン。
今度は四つの氷塊が現れ、前後左右方向から同時に彼女に襲い掛かった。
「ほら、次々行くぞ」
冷淡な嘲笑を浮かべながら男が抑揚のない口調で言う。
だが、
「爆ぜろ!」
それらが結界に触れるよりも前に、彼女が鋭い声で叫んだ。
パァン―――!
四つの石塊が空中で粉々になる。
―――言霊。
しかし相変わらず、男は意に介した様子も見せることなく、また指を鳴らす。
「目障りだ。いい加減諦めろ」
憎々しげに男が毒づく。
複数の氷塊が構築され、次の瞬間にはそれらが彼女に襲い掛かる。
激しい閃光と共に彼女が身を守る。
「何故俺に構う? 何故俺の邪魔をする? 俺が何をしようと、どうなろうと、お前には関係ないだろう」
パチンッ! 男がひときわ大きく指を鳴らした。
パキパキッパキパキパキパキッ―――!
途端、これまでの物とは比較にならないほどの巨大な氷塊が男の隣に構築されていく。
今なお爆ぜる閃光の中で、さよが大きく目を瞠った。
「昔から、お前のそういうところが嫌いだったんだ。勝手に俺の世話を焼いて、勝手に俺に憧れて、勝手に捨てられた気でいやがる。悲劇のヒロインにでもなったつもりか?」
男が心底うんざりした様子でそう言い終わると同時に巨大で歪な形の氷塊が完成した。その直径はちょうど男の背丈ほどもあり、重さは軽く一トンは超えていそうだった。
男が軽く指を動かす。
―――と、
バチッ、バリバリバリバリッッ―――‼
巨大な氷塊は、まるで隕石のような速度を持ってさよの結界に激突した。
「くっ―――!」
さよが苦悶の表情を浮かべる。押し退けられた空気が突風のようになって、ごうごうと境内に吹き荒れた。
「俺から全てを奪ったのはお前だろう。何故しゃしゃり出てくる? 本気で俺を止められると思っているのか? 全てをなかったことにして最初からやり直せると、本当に信じているのか? 俺がどれだけの覚悟でここに立っているか知らねえだろうに!」
男の怒声が耳を劈く。
バリバリと爆ぜる閃光が稲妻のようになって夜闇にヒビを走らせた。
「俺の理解者はこの世でただ一人―――」
男がダメ押しのようにまた指を鳴らす。
今度は先端が鋭く尖った氷柱のような形状の物が男の周りに数本出現した。
「―――お前ではない!」
魂の咆哮のような叫び声と共に氷柱が消失し、今にも破られそうなさよの結界に深々と突き刺さった。
「――――――ッ⁉」
さよの表情に絶望の色が広がる。
「限界か? 結局お前はその程度なんだ」
男が嘲笑を浮かべ、勝ち誇ったように言う。
しかし、
「……ッ、まだです!」
さよは懐から数枚の霊符を取り出すと、それらを空中に放った。彼女の手から離れた霊符は、彼女の周りを一周すると、結界表面に溶けるようにして消えていった。
と、次の瞬間、
バチバチッ……パチ……
あれほど勢いを持っていた巨大な氷塊が急激にその威力を失い、ついには力尽きたようにごとんと地面に落下した。突き刺さっていた氷柱は、結界表面で切断されるようにして真っ二つに砕け、カランカランと石畳の上に散らばった。
境内に、妙な静けさが戻ってきた。
「……何だ今のは?」
数秒の沈黙の後、男が眉を顰めながら口を開いた。
「……私だって、成長しているんです」
はあはあと肩で息をしながら、彼女が不敵な笑みを浮かべる。
男はしばらくおとがいに手を当て、何かを考えていたようだったが、
「ああなるほど。そういうことか」
やがて合点がいったように小さく頷いた。
「全く関心する。人のモノを盗み利用するとは、なんともお前にお似合いの術だな」
皮肉をたっぷりと含みながら、男は冷たく嗤った。
「だが所詮は浅知恵。警戒するには値しない」
言うと男は前髪を掻き上げ、濁った瞳で彼女を見下ろした。
「いい機会だから少しだけ教えてやる。俺とお前の格の違いというものを―――」
次に何か起こるかわからない状況にさよが身構える。
「いくぞ? 目を離すなよ?」
男がそう言い終わるや否や、
「―――ッ⁉」
「―――ッ⁉」
俺とさよは同時に目を瞠った。何が起こったのか頭が追い付かなかった。
―――男の姿が消えたのだ。
目の錯覚とか光の反射の具合とか、そういったレベルの現象ではない。
文字通り忽然と、魔法のように男の身体は闇に溶けて消えたのだ。男に言われた通り、俺は片時も男から目は離さなかった。一体何が―――?
彼女の方も訳がわからない様子で、キョロキョロと辺りを見回している。
―――と、
「どこを見ている?」
ゾッとするほど低い声が鼓膜を震わせた。
はっとして声のした方を見ると、さよの正面―――結界のすぐ外に男の姿があった。
「なっ―――」
さよが目を剥く。
「言っただろう。目を離すなと」
ニヤリと歪んだ笑みを浮かべると、男はやけにゆっくりとした動きでさよの結果に右手を伸ばした。
バチッ、バチバチバチバチッ―――!
男の掌が結界に触れ、激しい閃光が迸る。
「な、何を―――」
「見ていろ。お前の覚悟など、紙切れのようなものだ」
冷たく突き放すように言うと、男は結界に触れていた手をぐっと握った。
と、次の瞬間、
パリイィィィン―――!
さよの結界が木っ端みじんに砕け散った。かがり火の灯りを受けた結界の残滓が、まるで火の粉のようになって彼女に降り注ぐ。
「――――――ッ⁉」
さよの大きな瞳が絶望に見開かれた。
「ほらな」
男が嘲笑を浮かべる。
―――が、さよはまだ諦めていない。
「―――っ、動く―――」
しかし、彼女が言霊を発するよりも前にまた男の姿が消えた。
彼女が慌てて首を巡らす。
と、
「どうした? 俺はここだぞ」
今度はさよの背後にぬっと男が現れた。
「―――ッ⁉」
さよが瞬時に上体を捻る。
が、
「遅い」
彼女が体勢を整えるよりも前に、男の拳がさよの左わき腹にめり込んだ。バキリと鈍い音が響く。
「か………はっ……」
さよの身体は嘘みたいに数メートルほど吹っ飛び、背中から地面に落下した。その拍子に彼女の右頭から純白のリボンが解け、ひらりと舞い落ちる。
「ひゅっ……かっ……ごほっ……」
息をするのも苦しいようで、彼女は殴られた脇腹を右手で抑えながら、左手でガリガリと土の地面を引っ掻いていた。
「……こんなものか」
そんな彼女を心配することなく、男は殴った拳を見つめながらつまらなさそうに呟いた。
「ひゅっ……ごほっ……何を、したん……ですか」
息も絶え絶えに、掠れた声で、彼女が男に言った。
男はそんな彼女を見ると、ふんと鼻で嗤った。
「お前は霊力の扱い方をまるでわかっていない」
「…………?」
「霊力ってのは、もっと優雅で、奥深く、繊細なものだ」
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「いいか? お前が俺の霊力に干渉できるようになるということは、逆に俺もお前の霊力に干渉できるようになるということだ。そして、自身の周りに張り巡らせた霊力を少し複雑に操れば、光の屈折具合で先ほどのように姿だって消すことができる」
「そ……ん、な……」
さよが信じられないというように呟く。
「まあ、お前には一生かかってもできない芸当だろうがな……。しかしこれでわかっただろ? 俺とお前とでは格が違う」
男が冷たく彼女を見下ろす。
「………ッ」
さよの表情が苦痛から悔しさの色に変わっていく。
「この程度で俺に敵うと思ったのか?」
静かに男が言う。
「…………」
「甘すぎる。考えも覚悟も、まるで足りない。少しも成長していないじゃないか」
「…………」
「さて、どうする? まだ続けるか? それともここで諦めるか?」
男が挑発的な言葉を浴びせかけると、さよは力なく俯いた。
それを認めると、男は深くため息を吐いた。
「お前は本当に俺を失望させるのが得意だな」
「ち、違います。私は―――」
さよが地面に手を付いて、よろよろと立ち上がろうとする。
しかし、
「もういいよ。後で殺してやるから、今はそこで大人しくしてろ」
言うと男は足元に落ちていた石片を一つ拾い上げ、それを軽く指先で弾いた。
男に弾かれた石片は凄まじいエネルギーを持って、彼女の右膝に命中した。
「ぐっ……」
短い呻き声を漏らして、さよが再び地面に倒れ落ちる。
「……本当につまらんな」
男が呟くように言った。
しかし次には調子を変えて、
「……さて、待たせたな。次はお前の番だ」
男は俺に向き直ると、パチンと指を鳴らした。途端、俺の周りに構築されていた彼女の結界が音もなく消失する。
「……ッ、くそっ……」
立ち上がろうとしたが、腰が抜けているのか足に力が入らない。やむなく、ずりずりと尻を引きずって俺は男から距離を取る。
そんな俺を、男は哀れみの籠った目で眺めた。
「お前も諦めが悪い。俺に刃向かった時点で、お前の死は確定しているんだ」
「……お前、自分の妹にあんな仕打ちをして、心は痛まないのかよ⁉」
「心? そんなものはとうに捨てた。邪魔にしかならないからな」
「人でなしが!」
「何とでも言え。目的のためなら俺は手段を選ばない」
「…………ッ」
「今度こそ終わりだ。短い間だったが楽しかったよ」
男が右手を上げる。
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一陣の風が、男と俺の間に吹き荒れた。
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再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
182年の人生
山碕田鶴
ホラー
1913年。軍の諜報活動を支援する貿易商シキは暗殺されたはずだった。他人の肉体を乗っ取り魂を存続させる能力に目覚めたシキは、死神に追われながら永遠を生き始める。
人間としてこの世に生まれ来る死神カイと、アンドロイド・イオンを「魂の器」とすべく開発するシキ。
二人の幾度もの人生が交差する、シキ182年の記録。
『月のトカゲを探す者』第一部(全三部)。
(表紙絵/山碕田鶴)
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