呪縛 ~呪われた過去、消せない想い~

ひろ

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四章

諦めと決意

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 胃の底を突き上げられるような感覚と共に、俺は目を覚ました。
 境内の石畳の上で、俺は横たわっていた。
 ゆっくりと身体を起こす。パチパチと弾けるかがり火が、俺の視界を赤く照らしていた。
 ふと目の辺りに冷たさを感じて、目元をこすると、大粒の雫が指に付着した。その時になってようやく、俺は自分が泣いているということに気が付いた。
 膝に力を入れて立ち上がる。肺に空気を取り込んで、俺は深く息を吐いた。
 吐き出された真っ白な水蒸気が、ゆらゆらと揺れながら真っ黒な空に昇っていく。
 今見ていたのは、夢か、幻か―――
 俺は自分の頭に手を触れる。
 彼女たちの温もりが、まだそこに残っているような気がした。
 ……いや、違う。
 あれは、
 きっと―――
「おい! 何をしている⁉」
 突然、後ろから乱暴に肩を掴まれた。
 振り返ると、激昂に顔を歪ませた男の顔が、鼻先数センチの所にまで迫っていた。
「何があったんだ! 説明しろ!」
 喚く男の唾が顔にかかる。
 だが俺は答えずに、極めて落ち着いた動作で、膝に付着していた砂を手で払った。
 そんな俺の態度に苛立ちを募らせた男が、ドンッと俺の背中を突いた。
「もういい! さっさと再開しろ! 貴重なサンプルを台無しにするつもりかっ!」
 押された勢いで、俺は祭壇に手を付く。棚の上に置かれた、彼女たちの形見が目に入った。
 身体の深部から熱いものが込み上げてくる。
 だが息を止めて、俺はそれを抑え込む。ここで感情に引っ張られてはいけない―――
「おい、何をしている⁉ 早くしろ!」
 いつまでたっても始めようとしない俺に苛立った男が、再び背後から怒鳴ってきた。
 俺は目を閉じ、再度、深く息を吸い込む。肺に取り入れた冷たい外気が、じわじわと身体の中に沁み込んでくるのを感じた。
 その感覚を十分に味わって、自分の気持ちに揺らぎがないことを確認してから、
 俺は目を開けた。
 今度こそ覚悟を決めた。
「聞いているのか!」
 男が俺の肩をがしりと掴んだ。
 そんな男に、俺は、
「悪いな」
 そう一言だけ告げると、
 バキィッ―――!
 目の前の祭壇を思いきり下から蹴り上げた。
 棚に乗せられていた稲、塩、御幣、蝋燭などがスローモーションのように宙を舞い、派手な音を立てて地面に落下する。彼女たちのネックレスとキーホルダも、一緒に地面に落ちた。
「貴様ぁ!」
 一拍後、男の顔はまさに鬼の形相へと変わった。
「何のつもりだっ⁉」
 男が物凄い力で俺の胸倉を掴み上げてくる。
 蜘蛛の巣のように血走った眼球がすぐそこにある。男の口からは、シューシューと白い蒸気が吐き出されていた。
「気が、変わったんだ。お前には協力しない。やりたいなら一人でやってくれ」
 殺されそうな気迫だったが、俺は怯まずに、突き放すように言った。
「今更何を言っている⁉ 彼女たちを生き返らせたくはないのか⁉」
「ああ、もういい」
「……もういい、だと?」
 迷いを見せない俺の返答に、男は一瞬面喰ったように目を見開いた。
「お前、自分が何を言っているのかわかってるのか?」
 俺の胸倉を掴む男の拳がわなわなと小刻みに震えている。
「ああ、わかってる」
「彼女たちを見殺しにするのか⁉」
 男が再び怒鳴る。
「もう死んでるよ」
「後悔はないのか⁉」
「……いや、後悔だらけだ」
 俺は軽く奥歯を噛み締めた。
「でも、いい。こんなこと、やっぱりやるべきじゃなかったんだ」
「なんだと?」
 そこで、男の表情が蜃気楼のように歪んだ。
「死んで罪滅ぼしをしようなんて甘かった。あいつらは、そんなこと望んじゃいなかった」
「お前―――」
「あんたも」
 男の言葉を遮って、俺は血走った男の目を真正面から見据えた。
「こんなことは止めた方が良い。誰も幸せにならないし……美鈴さんもきっと哀しむ」
 彼女の名前を出したところで、男のこめかみに太い血管が浮き上がった。
「驕傲甚だしいっ! お前に何がわかる⁉ 望んでいないだと⁉ 哀しむだと⁉ 結局は自分の命が惜しいだけだろうがっ!」
 男の顔面が暗闇でもわかるほどに真っ赤に腫れあがっていく。その顔は俺の後ろでパチパチと弾けるかがり火の炎に照らされ、まるで地獄の炎に包まれているように見えた。
 しかし、
「何とでも言え。お前になんと言われようと、俺の意志は変わらない。こんなところで、俺は死ぬわけにはいかないんだ」
 俺は怯まない。
「腰抜けがっ! 所詮、お前の覚悟はその程度か⁉」
「黙れ。これは俺の意志だ。お前は俺の敵。赦さないし協力もしない。あいつらを陥れたお前なんかに、誰が利用されてなるもんか」
 一息に言い切った。
 これでもう、後に引き返すことはできない。
 男はしばらく、爛々と鈍く輝く双眸で俺を睨みつけていたが、
 やがて、ふっと表情を緩ませると、
「話にならないな」
 太いため息と共にそう言い、男は俺の胸倉から手を放して、その手で後頭部をボリボリと掻いた。
「お前とならわかり合えると思っていたんだが……」
 先ほどまでとは異なる、落ち着いた声だった。
「俺は、お前とは違う」
 喉元を摩りながら俺は男を睨め上げる。
「どうやらそうらしい。こちらの見込み違いだったようだ」
 しかし、そこには俺に対する失意と殺意がしっかりと籠められていた。
「…………」
「最後に、もう一度だけ訊くぞ?」
 掻き毟る手を止めて、男が俺を冷たく見据える。
「俺に協力する意志はないんだな?」
「……ない」
 断言した。
「……そうか、わかった」
 男は頷き、おもむろに前髪を掻き上げる。
 俺は本能的に危険を察知して男から距離を取った。
 だが―――
「なら、もうお前に用はない」
 濁った双眸が俺を捉える。一切の感情の宿らない眼だ。
「―――殺す」
 男がそう言った瞬間、凍てついた大気の温度が更に数度下がった。そしてその直後、俺の足元がガチッと固定された。危うく背中から地面に倒れそうになる。
 なんとかバランスを保ちながら視線を下げる―――と同時に俺は瞠目した。これも男の力の一部なのだろうか。俺の両足は足首の部分まで地面から生えた堅い氷に覆われていた。
 これは―――
 強引に引き抜こうとしたが駄目だった。無理に動かそうとすると足首から先が千切れてしまいそうな鋭い激痛が走った。
「本当に腹立たしい……とんだ時間の無駄遣いだった」
 バキッ、バキバキッ―――
 苛立ちの籠った男の声に応えるように、男の周りで大気の弾ける音がする。
 顔を上げると、数メートルほど離れた男の顔横に巨大な氷の塊が出現しているのが見えた。その氷塊は周囲の空気を吸い込んで大きくなっているようで、ちょうど男の頭と同じサイズになったくらいでその成長を止めた。
 かがり火の炎を受けてキラキラと夜闇に浮かび上がるそれはまるで宝石のように綺麗だったが、今の俺の目には不気味な物にしか映らなかった。
 嫌な予感しかしない。背筋をつうと冷たい汗が流れた。
「終わりだ」
 男が冷淡にそう告げた直後、浮いていた氷塊がふっと消えた。
 俺はほとんど勘だけで上体を大きく右に反らした。
 刹那、
 ドオォォン―――!
 轟音が夜闇に轟いた。
 巨大な氷塊は俺の耳横を掠め、背後の杉の木に直撃していた。振り返ると、ミシミシと音を立てて幹の部分から地面に倒れ落ちていく杉の木の様子が目に飛び込んできた。
 ぞわりと全身の皮膚が粟立つ。
 もしもあれが直撃していたら―――
「悪運の強い奴だ」
 男が溜息を吐く。
「今ので大人しく死んでいればよかったものを」
「……しぶとさにだけは、自信があるからな」
 ほとんど強がりだけで言い返す。
「……そうか」
 男は全く興味がないように呟くと、パチンと指を鳴らした。
 と、
 バキッ、バキバキッ、バキバキバキッッ―――!
 先ほどと同じサイズの氷塊が、今度は三つ、男の周りに瞬時に出現した。
 頭から血の気が引く。
 無理だ。避けられない。
 本能がそう告げていた。
 どうする―――
「今度こそ終わりだ。最期に言い残すことがあれば聞いてやるぞ?」
 男が片側の口角だけを上げて冷たい微笑を浮かべる。
 どうすればいい。何か打開策はないのか―――
 俺は必死に思考を巡らせる。
 心臓がバクバクとドラムを打つように五月蠅い。俺はほぼ無意識に右手で胸を鷲掴みにしていた。
 と、その時、
 俺はあることに気が付いた。
 鷲掴みにした自分の胸に視線を落とす。
 待て。たしか、今の俺の中には―――
「どうした? 恐怖で口も利けないのか?」
 男が嘲笑うように言う。
 迷っている暇はなさそうだった。こうなったら一か八かやってみるしかない。
 俺は目を閉じ、集中する。昨日の、さよの話を思い出す。
「死を受け入れる準備でもしているのか?」
 男がくつくつと喉を鳴らす。
 だが俺は構わず、自分の胸の内に宿る碧い炎を意識する。そこから少しずつ炎を抜き取って、身体全体にそれを巡らせるイメージをする―――
「……まあ、何も言い残さずに死ぬのも、また良いだろう」
 男の声音が少し低くなった。不気味な嗤い声が消える。
 死がすぐそこにまで迫っているのを肌で感じた。
 恐怖が足元から這い上がってくる。膝がガクガクと震え始める。
「じゃあな―――」
 男がすぅと息を吸い込む様子がわかった。俺はギュッと目を瞑る。
「―――死ね」
 大気よりも冷たい男の声が俺の鼓膜を震わせた。
 黒板を尖った爪で思いきり引っ掻いたような、空気の裂ける音が響く。
 ―――今だ。
「おおおおおおおおっ!」
 俺は固く目を閉じながら両手を前に突き出す。巡らせた霊力を掌から一気に放出する―――イメージをする。
 これは賭けだ。しくじれば、俺は間違いなく死ぬ。身体を木端微塵にされて肉塊になる。
 頼む、どうか―――
 どうかこれだけは―――
 ―――……一瞬にも、数分にも、何時間にも感じた。
 ふと我に返ったのは、頭に上った血液が下りてきて、どこかで聞いたことのある破裂音を認めた時だった。
 バチッバチバチバチバチッ―――!
 すぐ前方で電気が弾けるような音が轟いている。
 懐かしい音だ。それを聞いたのはひどく昔のことのように感じる。
 俺は恐る恐る瞼を上げる。
 と同時に、目を剥いた。
 伸ばした腕のすぐ先で、巨大な複数の氷塊が眩い閃光を走らせながらボロボロと崩れ落ちていたのだ。
 それらはひとしきり閃光を走らせた後に、細かな結晶となって空気中に消えていった。
「馬鹿な……」
 男が信じられないと言うように呟いた。声が震えている。
「俺の霊力を制御したというのか……」
 男の顔に、初めてはっきりとした動揺の色が現れていた。
 俺も信じられなかった。
 傷一つ負わず、自分が今生きているということに現実味が持てなかった。
「……何なんだお前は……」
 男がぼうぼうに伸びた髪を右手で無造作に掴む。
「…………」
「どこまで俺を侮辱すれば気が済むんだ……!」
 苛立ちの籠った声と共に、男はギリッと奥歯を鳴らした。
 パチンッと再び指が鳴らされる。
 バキッバキバキッ、バキバキッ、バキバキバキッッ―――!
 先ほどよりも更に多くの氷塊が男の周りに出現した。
 男が俺を睨みつける。
「これで、本当に終わりだ」
 低く殺気の籠められた声と共に氷塊が消失する。
 俺は咄嗟に両腕を真横に伸ばし、自らの周囲に結界を張り巡らせるイメージを広げた。
 バチッバチバチバチバチッ――――――!
 そのイメージ通り、俺の周りには透明な障壁が構築され男の攻撃を無力化する。
「ははっ、大したものだ。だがそんな付け焼き刃がいつまで通用するか」
 男は嘲るように言うと、くいっと人差し指を動かした。と、俺に襲い掛かっていた氷塊が結界の周りを猛スピードで旋回し始めた。
 バチッ、バチバチッ、バチバチバチッ――――――!
 閃光が周囲を覆い、男の姿が掻き消される。
 ビシィッ―――!
 結界に亀裂が走った。
「くそっ―――!」
 俺は両腕に渾身の力を込めて結界に霊力を流し込む。
 ピシィ、パシィッ、ピキッ―――!
 しかし、そんな俺を嘲笑うように、結界のあちこちに複数の亀裂が走り始める。
「このっ―――!」
 身体の内に宿る全ての霊力を出し切ってしまう覚悟で、俺は結界の維持に全力を注ぐ。これが破られれば、俺はどの道死ぬ。両足を氷で固定されている以上、俺はここから動けない。男の攻撃が終わるのが先か、俺の霊力が尽きるのが先か―――
 勝負だ。
 しかし無情にも、
 ピシィ、パシィッ、バキィッッ――――――!
 亀裂の一部に拳大ほどの穴が空けられた。
 その穴を基点として結界が見る見るうちに破壊されていく。細かな氷の破片が入り込んできて俺の頬に傷を付けた。
 ここまでか―――
「終わりだ、死ね」
 男の低い声が響く。
 と同時に、ひときわ大きな塊が眼前に現れた。
 バキィッッッ―――!
 その塊が、俺の結界を完全に破壊する。
 猛烈に強い風が吹いた。
 俺は死を覚悟し、きつく目を閉じる。
 大砲玉のような氷が頭部を吹き飛ばし、俺は即死する。彼女たちとの約束を果たせないまま、俺は短い一生に幕を閉じる―――はずだった。
 しかし、どうしたことか。
 いつまで経っても意識が狩り取られる気配がない。感覚が途切れる瞬間が訪れてこない。
 まさか俺は既に死後の世界に来てしまったのか……?
 そう思いながら、ゆっくりと目を開ける。
 と、
 すぐ目の前に誰かの背中が見えた。
 真っ白な白衣。朱色の緋袴。巫女装束に身を包んだその人物の頭の両端には、夜闇に映える純白のリボンが結ばれていた。
「ああ……」
 思わず情けない声が漏れてしまう。
 小さな背中に、これ以上ない頼もしさを感じた。
 驚きと安堵が入り混じった声で、俺は彼女の名前を呟く。
「さよ」
 自分の名前を呼ばれた彼女は、顔だけで俺の方を振り返ると、口元に優しい微笑を灯した。
「よく、思い留まってくれました」
 身体中の筋肉から力が抜け、俺は膝から地面に崩れ落ちた。
「あとは任せてください」
 静かに言うと、彼女は男に目を据えた。
「終わりにしましょう。兄さん」
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