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第一章
なくしものの正体
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あちこちに散らばった思考のかけらが少しずつ集まって、世界が輪郭をとり戻していく。とろんとした頭に冷や水を浴びせかけたのは、夢のなかでも出会った男の声だった。
「あ、起きた? 全然起きないからヒゲ引っ張っちゃった。何気に猫のヒゲ触るの初体験だから大興奮」
視界いっぱいに山田太郎のにやけた顏が飛び込んできて、黒猫は慌てて後ろに飛びのいた。足が踏ん張り切れずに危うく転びそうになる。首元で、鈴が鳴った。今まで自分と一体のように馴染んでいたはずの響き。
「――ねえ、知ってた?」
山田はしゃがみこむと、おもむろにぶちぶちと草を抜き始めた。
「生きとし生けるものはさ、みーんな欠けてるんだよ。それぞれ違う部分が、生まれたときから破損してる不良品なわけ。だから足りなくて、だから埋めたい。だからずっと探してて、だから……見つけられる」
立ち上がった男は抜いた草をばらばらと黒猫の上に降らした。
「『ある』からじゃない、『ない』から見つけられるんだ」
降る緑の向こう、大きな笑みが刻まれる。
「おめでとう、きみは優良品に生まれ変わった。だから、きみには見つけられない、分からない。世界の美しさも、誰かを愛しいと想う気持ちも」
理解できないはずだ。川面を跳ね返すひかりの美しさも、恋敵に恋猫のしあわせを託す愚かさも。
それこそが――黒猫が失くしたものの正体だったのだから。
「さて。これが黒猫ちゃんが求めてたことの答えだよ。……ショック?」
反応を伺う眼差しに、夢の中と同じ挑むような視線を返した。
「感謝してるよ、天使さん。僕にこの力をくれて」
草を地に落とすべく頭を振るえば、黒猫を黒猫たらしめる鈴が鳴る。
「すべてが手に入るわけじゃないんだって、そりゃあちょっとはがっくりしたけど、それだけだ。この力があれば明日も生きられる。生きていける。比べるまでもない。そんなもの……『いらない』よ」
「きみならそう言ってくれると思ったよ。鈴をあげたかいがあるってもんだ。いちおう神様のお詫び品だからね。どうぞこれからも大事に使ってあげて」
目を細めた山田は、しかし時計をちらりと見ると、はじめて焦った顔になった。
「しまった、明日提出のレポートがまだ終わってないんだった。学生も意外と大変でさ。まあ、ご近所さんだし、困ったことがあったらまた呼んでよ。仲良くしよう」
それだけ言うと、後ろ手にひらひらと手を振りながら、来たときと同じぐらい突然に姿を消した。
河川敷からの帰り道、疲れ果てたからだを引きずるようにして歩いた。
「……そりゃそうか、もう一度生まれるところからやったんだから」
黒猫はぽつりと呟いて、その壮大さにちょっとだけ笑った。まさか、と一笑に付してしまいたいぐらいのありえなさ。。
夜の散歩を楽しむ気はとっくに失せていた。さっさと寝てしまいたい。長いながい一日を一刻も早く終わりにしてしまいたかった。
いつも寝床にしている歩道橋の下がもう少しというところで、黒猫はほっと足を緩め――立ち止まった。遠く、闇夜に浮かび上がる月のようなシルエットが見えたから。
「どうして……」
白猫は黒猫を見つけると、飛ぶように駆けてきた。
「ごめんなさい、決闘のこと気になって、いてもたってもいられなくて。変なふうに別れてしまったし……」
黒猫が何もしゃべろうとしないので、ますます白猫は心配そうな顔になる。ブチ猫とのことなんかすっかり頭から忘れ去っていた。そんなことのために、待っていたのか。
「……勝ったよ」
「本当に! よかった!」
白猫は瞳を輝かせて、しっぽをくねらせた。
「心配かけてごめん、花」
途端、しっぽの動きがぴたりと止まる。白猫はそのままうつむいてしまった。何かおかしなことでも言っただろうか。不思議に思って顔を覗き込むと、地面にぽたり、雫が落ちた。
「わたしの名前……覚えててくれた。忘れてしまったんだと思ってた」
涙をごまかすように喉を鳴らして寄り添う白猫に、どうしてだろう、黒猫は胸にちくりとちいさな痛みを感じた。
「あ、起きた? 全然起きないからヒゲ引っ張っちゃった。何気に猫のヒゲ触るの初体験だから大興奮」
視界いっぱいに山田太郎のにやけた顏が飛び込んできて、黒猫は慌てて後ろに飛びのいた。足が踏ん張り切れずに危うく転びそうになる。首元で、鈴が鳴った。今まで自分と一体のように馴染んでいたはずの響き。
「――ねえ、知ってた?」
山田はしゃがみこむと、おもむろにぶちぶちと草を抜き始めた。
「生きとし生けるものはさ、みーんな欠けてるんだよ。それぞれ違う部分が、生まれたときから破損してる不良品なわけ。だから足りなくて、だから埋めたい。だからずっと探してて、だから……見つけられる」
立ち上がった男は抜いた草をばらばらと黒猫の上に降らした。
「『ある』からじゃない、『ない』から見つけられるんだ」
降る緑の向こう、大きな笑みが刻まれる。
「おめでとう、きみは優良品に生まれ変わった。だから、きみには見つけられない、分からない。世界の美しさも、誰かを愛しいと想う気持ちも」
理解できないはずだ。川面を跳ね返すひかりの美しさも、恋敵に恋猫のしあわせを託す愚かさも。
それこそが――黒猫が失くしたものの正体だったのだから。
「さて。これが黒猫ちゃんが求めてたことの答えだよ。……ショック?」
反応を伺う眼差しに、夢の中と同じ挑むような視線を返した。
「感謝してるよ、天使さん。僕にこの力をくれて」
草を地に落とすべく頭を振るえば、黒猫を黒猫たらしめる鈴が鳴る。
「すべてが手に入るわけじゃないんだって、そりゃあちょっとはがっくりしたけど、それだけだ。この力があれば明日も生きられる。生きていける。比べるまでもない。そんなもの……『いらない』よ」
「きみならそう言ってくれると思ったよ。鈴をあげたかいがあるってもんだ。いちおう神様のお詫び品だからね。どうぞこれからも大事に使ってあげて」
目を細めた山田は、しかし時計をちらりと見ると、はじめて焦った顔になった。
「しまった、明日提出のレポートがまだ終わってないんだった。学生も意外と大変でさ。まあ、ご近所さんだし、困ったことがあったらまた呼んでよ。仲良くしよう」
それだけ言うと、後ろ手にひらひらと手を振りながら、来たときと同じぐらい突然に姿を消した。
河川敷からの帰り道、疲れ果てたからだを引きずるようにして歩いた。
「……そりゃそうか、もう一度生まれるところからやったんだから」
黒猫はぽつりと呟いて、その壮大さにちょっとだけ笑った。まさか、と一笑に付してしまいたいぐらいのありえなさ。。
夜の散歩を楽しむ気はとっくに失せていた。さっさと寝てしまいたい。長いながい一日を一刻も早く終わりにしてしまいたかった。
いつも寝床にしている歩道橋の下がもう少しというところで、黒猫はほっと足を緩め――立ち止まった。遠く、闇夜に浮かび上がる月のようなシルエットが見えたから。
「どうして……」
白猫は黒猫を見つけると、飛ぶように駆けてきた。
「ごめんなさい、決闘のこと気になって、いてもたってもいられなくて。変なふうに別れてしまったし……」
黒猫が何もしゃべろうとしないので、ますます白猫は心配そうな顔になる。ブチ猫とのことなんかすっかり頭から忘れ去っていた。そんなことのために、待っていたのか。
「……勝ったよ」
「本当に! よかった!」
白猫は瞳を輝かせて、しっぽをくねらせた。
「心配かけてごめん、花」
途端、しっぽの動きがぴたりと止まる。白猫はそのままうつむいてしまった。何かおかしなことでも言っただろうか。不思議に思って顔を覗き込むと、地面にぽたり、雫が落ちた。
「わたしの名前……覚えててくれた。忘れてしまったんだと思ってた」
涙をごまかすように喉を鳴らして寄り添う白猫に、どうしてだろう、黒猫は胸にちくりとちいさな痛みを感じた。
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