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和解
しおりを挟む薔薇の園に着くと辺りは真っ暗で、昼間は輝かんばかりの庭もすっかりなりを潜めている。
ルーシアは舞踏会の赤いドレスのまま、庭へと向かった。コツコツと高いヒールの音が、シンと静まった庭に響き渡る。
遠くでは舞踏会の客のざわめきとワルツが微かに聞こえるが、今のルーシアの耳には全くといっていいほど入ってこなかった。
それほどまでに、目的の人物を探すのに必死だったから。
ルーシアは周りを見渡しかながら、庭の中央にある噴水に近づく。噴水にはルーシアのお気に入りの天使がいて、こちらを優しく見守ってくれているように感じた。
その付近には、燕尾服を着た一人の男が立っている。後ろ姿は何度見たかわからないほど見覚えのあるもので、大きく胸を弾ませた。
コツコツとヒールの音を響かせ、目的の人物へと近寄る。すると彼は、ゆっくりと振り返った。
「ルーシア、待っていたよ。来てくれてありがと」
アレックスはそう言って、儚げに微笑んだ。いつもの貴公子然とした態度はなく、何かを決意した態度のように思えた。
「アレク」
ルーシアは小さく呟いた。その声は微かに聞き取れるほど小さなものだったが、溢れんばかりの切なさを含んでいた。
彼女は言葉を紡ごうと口を開く。
「アレク様…………わたし」
「ルーシア!すまなかった!この通りだ」
アレックスはルーシアの言葉を遮り、彼女の名を強く、愛情深く呼んだ。そして深々と頭を下げたのだ。
「アレク、顔を上げて」とルーシアが言うまで頭を下げ続けた彼は、その後はっきりとした口調で言った。
「俺は、君を本気で愛している。君からの愛を受け取るためなら、なんでも出来るしなんだって捨てられる」
アレックスは甘さを含んだ双眸で、ルーシアのブルーサファイアの瞳を愛しげに見つめる。その甘さに砕けそうになる腰に力を入れ、ルーシアは言葉を続ける彼を見つめた。
「償いなら、君がいうことならなんでもする。土下座でもなんでも。どんなに惨めになったって構わない。……だからどうかお願いだ。俺を許してくれ。……俺をーーーーーー愛してくれ」
アレックスの全身全霊をかけた魂の叫びにルーシアは荒れ狂う心臓を感じながら、喉をこくりと鳴らした。下を向いた彼女の表情は、アレックスからは見えない。
風が間をすり抜け、薔薇の甘い香りが二人の鼻孔を満たした。
まだ、沈黙が彼らを包む。
アレックスにはルーシアの考えが予想できなかった。「裏切ったくせに何をぬけぬけと」と怒りを露わにする可能性もあるし、「あなたに出会わなければよかった」とさめざめと泣かれる可能性だってある。「なんの冗談よ」といって笑い出される可能性もあり、緊張はいまだ抜けなかった。
しばらく経ったあと、ルーシアはゆっくりと顔を上げた。
アレックスは彼女の表情を見て驚いた。
そこには、柔らかい笑みが浮かんでいたから。そしてその小さな唇から、ルーシアは言葉を漏らした。
「……裏切られたときは辛かった。とても苦しかった。死んでしまうかと思った」
「…………」
アレックスは沈黙し、硬い表情でルーシアの言葉に耳を傾ける。彼女は続けた。
「でもね、それでも思ったのです。ーーーーあなたのことがまだ好き。あなたを許してあげたいって」
「……!」
「私はあなたとずっと一緒にいたい。だって………………あなたを愛しているから」
そういって女は、見惚れるほど優美に、高尚に、可憐に微笑んだ。
その笑顔には温かいものが宿っており、慈愛に溢れた女神のような笑みだった。
ーールーシアは絶対零度なんかじゃない。
アレックスの最初の感想はそれだった。たった今許されたばかりだというのに、見惚れることしかできないのだ。
男は言葉を忘れ、呆然と目の前で微笑む彼女を見つめていた。
噴水の上でこちらを見つめる天使が、まるで恋のキューピッドのように二人を見守っている。
呆然と立っていたアレックスはしばらくしてやっと言葉を理解できたようで、小さく疑問をぶつける。
「本当に…………許してくれるのかい?」
ルーシアはコクリと頷いた。
(私はアレクと一緒に居たいのだもの。許さない理由はないわ)
心の中で呟く。
すると突然、目の前の彼は興奮したようにルーシアへと近づいた。
「ルーシア……ルーシア、ルーシア!!!」
「……えっ?」
あまりの行動に、ルーシアは驚きを隠せない。
アレックスは幾度も名前を呼んだかと思うと、飛びつかんばかり彼女を抱きしめた。それはまるで、籠の中に鳥を閉じ込めるかのような、執着を感じさせる抱擁であった。
全身全霊で求められ嬉しくはあるが、若干抱きつかれた腕に対して息苦しさを感じたルーシア。
(そういえば初めて告白してきたときも、同じような反応だったわね)
じっと身を任せながらも、そう思い至る。
そのせいなのかルーシアは先ほどまでの甘い感情は苦笑いへと変わり、冷静な瞳で彼を眺めた。
恐らく、冷静にならざるを得ないほどアレックスの行動が情熱的すぎたからだ。
「あぁ、愛してるよ。もうずっと君を離さない」
「え、えぇ、嬉しいわ。ありがとうございます。アレク」
「君は?僕を愛している?」
「愛してるわ」
そう答えると、アレックスは満足げに彼女の頰を手の甲で撫でた。そしてルーシアの美しく結われた黒髪を撫で、その横髪を指に絡ませた。
アレックスの瞳は微かな情欲を宿しているように見えた。
「それなら」
アレックスはそういうとルーシアの顎を持ち上げ、そっと唇を重ね合わせた。温もりを宿す唇同士が触れ合う。
ルーシアは、受け取った唇の温かさを心の中で噛み締め、もっと彼を感じようと意識させた。
月明かりの下、薔薇園の噴水前で重なり合う二人。それはまるで、一枚の絵画のように美しいものだった。
しばらく唇を合わせたままでいるとアレックスはゆっくりと離れ、再度啄ばむようにキスを贈った。何度も何度も角度を変え、繰り返す。
まだ鼻で息をすることに慣れぬルーシアが少し息を乱し、その小さな口が開くと、熱い舌が進入してきた。アレックスの舌は、ルーシアの口内を蹂躙するかのように激しく動き回る。
「ふぅ……っん」
思わず吐息が漏れ、ルーシアの心臓は暴れまわった。
(ちょ、ちょっとこれはマズイ気がするわ……)
このまま外で。という展開を恐れたルーシアは、アレックスの肩を叩き一旦中止の合図を送る。
その行動気づいたのか、アレックスは少々不服そうな顔をしながらも渋々離れてくれた。
ルーシアは荒い息を整える。一通り荒い呼吸が収まると、彼に自分の意思を伝えた。
「ここでは、誰がみてるか分からないわ」
「では移動しよう。どこがいいかな?僕としては、早く君を抱きたくて仕方ないんだ。お願い」
ルーシアは、平然と口にしたアレックスを桃色に染まった頰で見つめる。すると彼もまた、見つめ返してくるのだ。獰猛な、野生的な、雄を含む視線で。
ルーシアは自分の背筋が甘く震えるのを感じた。アレックスからは視線を外しつつ、仕方なさげな口調で述べた。
「私の自室」
「……え」
「私の自室でいいかしらって言ったのよっ」
照れのせいか、半切れ気味になってしまうルーシア。
(なんだかんだ言って、彼を受け入れてしまうのよね。私って、ほんとにアレクのこと好きなんだわ)
しみじみと思いつつ、彼の双眸を見つめる。アレックスは少々間を開けた後、
「いいの?」
と尋ねた。
(仕方ないじゃない。それ以外の王城の場所だなんて、落ち着かないわ。……なんとか周りを誤魔化すよう、ハイリに頼まなくちゃ)
そう考えながら、ルーシアは頷いた。
彼女の了解の意を受け取ると、二人は自然と手を繋ぐ。そのあと見つめあって、互いに微笑みを向けあい庭園をあとにした。
月の光が薔薇を照らす神秘的な姿を背にしてーーーー
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