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2日目

感染者ということ02

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   ~~~1時間後~~~



「クソッ……面倒なのが居やがる……!」

  ゾンビ達の襲撃を上手いこと躱しながら進んでいた俺たちだが、入り組んだ住宅街に差し掛かったところで歩みを止められることになった。

「スプレーか……!」

  俺は苦々しく呟く。
  〝スプレー〟とはゾンビの変異種の俗称だ。見た目は人間大のスライムと言った風で大した戦闘力もないが、奴には一つだけ厄介な特性があった。

  それは、攻撃すると身体からウィルスが多量に含まれる霧を噴き出すのだ。
  当然、それを吸い込んだものは例外なく感染する。故に、スプレーを見掛けたら戦闘はせずに回避するのが常識となっていた。

「仕方ないわ。別の道を―――」
「ダメ!  後ろからも来てる!」

  明菜の言葉に振り返れば、そこには俺達の気配を感じ取ったのかゾンビの集団が迫り来ているところだった。

「クッ……このままじゃ……」

  まさに〝前門の虎 後門の狼〟と言った状況、
  退路を塞がれ逃げ込める場所もない状況に全員が言葉を失う。

「仕方ない…………か」

  誰に言うともなく呟くと、俺は後ろ腰から銃を抜き取った。
  そして、安全装置を外すとスプレーに向かって走り出す。

「お、おい…………!!」
「アイツの相手は俺がします!  文弥さんはゾンビを牽制してください!」

  それだけを言うと、俺は眼前に迫ったスプレーに対して銃を構える。
  そして、迷わず連続してトリガーを引き絞った。

『―――――――――ッ!!』

  響き渡る銃撃音。
  破壊的な衝撃が俺の腕を突き抜けると同時に、スプレーの体の一部が瓦解する。

  ダメージを与えたという確かな手応え。
  だが、その直後にスプレーが反撃とばかりに傷口から派手にミストを噴出させた。

  俺の周りを取り囲むように粘性の高い霧が漂う。
  それは確実に俺の鼻と口から体内に入り込み、粘膜に張り付いて吸収されていく。

  普通の人間ならば1分と持たずに強濃度のウィルスによりゾンビへと変異してしまう状況だ。しかし、俺の身体は常と変わらぬコンディションを維持していた。

(噂は本当だったか……)

  俺は心の中で呟くと同時に安堵の気持ちを抱いた。

  ウィルスに感染した者はスプレーのミストの影響を受けない―――真偽のほどは確かではないが、多くの人間の耳に届いていた噂だった。

  確証のない一種の賭けだったが、上手くいったようだ。
  俺は自分の中に余裕と勝利への確信が深まるのを感じると、僅かに笑みを浮かべながらスプレーと対峙した―――



                               ~~~30分後~~~



「ふう……何とかなったか」

  早々にミストを片付けて退路を作り、俺たちは近くにあった公園に駆け込んだ。周りに奴等の気配はなく、場違いなほど平穏な空気が漂っていた。

「…………動くな!!」

  だが、その瞬間に文弥さんが俺に向けて銃を構えた。
  しっかりと眉間を狙っていることから冗談ではないのが理解できる。

「……どういうつもりですか?」

  努めて冷静な声色で問い掛けるが、彼は油断することなく銃口を向け続けながら、真希さんを庇うようにして俺から距離を取っていく。

「キミ……感染しているな?」

  慎重な口調で、しかし確信を得ている表情で問われる。
  さすがに、無策でスプレーに挑めば知られてしまうということか。

「ええ…………残念がらね」

  だから、俺も隠す事なく肯定する。
  ここに来て見苦しく否定するつもりはなかった。

「いつの事だい?」
「昨日の夜ですよ」

  言いながら噛まれた傷口を見せる。
  未だ変質を見せていない状態を確認して、文弥さんは少しだけ銃口を下ろした。

「だったら、あと数日間は正気でいられるということか……」
「そんな言い方……!!」

  激昂したように明菜が口を挟む。
  俺がゾンビ化することは確かなことだが、すでに人間ではないとするかのような物言いが気に障ったのだろう。

「……どうするつもりだい?」
「何がですか?」
「もし、覚悟がなくて〝始末〟が難しいなら僕が……」
「フザけないで!!」

  怒りを爆発させた明菜が銃を抜き取り文弥さんに突き付ける。
  もし、それ以上のことを言うのならば撃つという明確な意思を宿した瞳で睨み付けてもいた。

「この人のお陰で助かったのに、どうして そんな事が言えるの!?」
「ゾンビ化が確定している感染者が危険なことは君も知っているだろう」
「だからって勝手過ぎる……!」

  俺のために怒りを露わにしてくれる明菜に少しばかり心が軽くなる。
  だが、文弥さんの言っていることが正しいのも事実だった。

  感染者は見た目で判断することが出来ない。
  そのため、仲間に迎え入れた後に発症して感染源となるということは否定できない話なのだ。事実、それで壊滅したコミュニティも存在する。

「彼は時限爆弾も同じだ。放置するわけにはいかない」

  言いながら、下げていた銃口を再び上げる。
  だが、それを見守る明菜ではなかった。

「させないって言ってるでしょ!!」

  怒号を叩き付けながら、明菜もトリガーに掛ける指へと力を込める。
  その姿から身の危険を感じたのか、さすがに文弥さんも銃を降ろさざるを得なかった。

「分かったよ……だが、もう君達と行動を共にすることは出来ない」

  まあ、そうだろう。
  今の状況下で感染者と同道したいと思う人間など存在しない。

「それじゃ…………」

  短く別れの言葉を告げると、文弥さんは真希さんを伴って歩き去っていく。
  その背中を俺は複雑な気持ちで見送った。

(これからも、こういう事はあるだろうな……)

  感染者という事実―――それが〝枷〟となる場面は避けられないだろう。

  俺自身、今は人間だと胸を張って言える。
  しかし、いずれゾンビ化することが確定している存在は、普通の人々からしたら【化け物】のカテゴリーに含まれてしまうのだ。

  そこに相容れられる要素はゼロと言っていい。
  他の人々から見たら、俺は既に〝ゾンビ〟なのだから。

(なら、いっそのこと―――)

  明菜と離れたほうがいいのか―――そう思うより早く、彼女が俺を抱き締めた。突然の温もりに思わず思考が停止する。

「大丈夫だよ……私が傍にいるから……」

  俺の沈黙を傷心と勘違いしたのか、慰めるように呟く。
  ある意味で全く逆の心持ちだったのだが、その言葉は間違いなく俺の深い部分を救ってくれた。

「ああ……ありがとう……」

  そう答えながら、俺も明菜を抱き締める。
  気が付けば、心の中にあった迷いは綺麗に消えていた―――
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