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Chapter 1
1-2
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風が、止まった。
断続的に吹いていた風は空が息を止めたようにぴたりと止み、そして嵐を予告するかのように激しさを増して再び吹き始める。攫われた花弁が少女の視界を遮る。
「……今度は何だろうね」
どこまでも冷静な少女の、水のように澄んだ声も風の唸りに掻き消される。
いかにも不吉な予兆を前に慌てる様子もなく、狂ったように舞う薄桃色の欠片と、吠える空気に惑わされないよう目を閉じて近付いてくる何かの気配を探る。
「───…!」
警戒網にかかった瞬間、ほとんど表情の無かった顔に僅かな驚きが浮かぶものの、感情の揺れを直ちに押し殺し意識を集中させる。
フワリ、と枝から飛び降りた直後。少女が腰掛けていた枝に三本の平行線が現れる。鎌鼬が通り過ぎでもしたのかと思うほど鋭い刃で深々と付けられた切り傷に枝が弛み先端が垂れる。
「──チッ」
地面に降り立った少女の頭上からガラの悪い舌打ちが聞こえる。見上げると、直径の半分ほどを抉られてもなお辛うじて折れずに踏ん張る枝の根元に立つ、人影。
「残念だったね」
クス、と笑うとその人物は苛立たしげにまた舌を鳴らす。
「ッせェ。引き裂くぞ、クソが」
低く唸るような声。しかし青年と言うにはまだ若さが残る。
その声の持ち主の第一印象は白だった。一切の色素のない真っ白な短髪に、少女に引けを取らない白い肌。額にかかる前髪の奥の、血のように赤い瞳だけが白い背景に彩りを与え良く映えていた。その瞳は忌々しげに歪み、食い縛った口元から鋭い犬歯が覗く。
端正な顔立ちがもったいない、などとこの場に不釣り合いな感想を抱きながら少女は貼り付けた笑みを崩すことなく、
「……どの道、殺すくせに」
皮肉を返す。
「…そうだな、」
少年がニタリと三日月を寝かせた嗜虐的な笑みを作り肯定すると、すぐにその姿が消える。少女はすぐさま自分が立っていた場所から離れると、地面が削がれ茶色い土が周囲に跳ねた。
ボロボロと落ちる土片を横目に少女は樹に身を隠しながら走り出す。
「逃げんじゃねぇ」
大地を蹴り少年も後を追う。逃げ道を探りつつ森を駆け抜ける少女と違い、ただ追いかけるだけで良い少年はみるみるうちに距離を詰め、数秒もしないうちに少女は追いつかれてしまった。
「遅ぇ。全ッ然、遅ぇ」
嘲笑う声は息ひとつ乱れていない。少年は細い腕を掴むと軽く捻りながら、先程二人がいた方向に投げる。狙いを定めたかのように桜の木に向かって無抵抗に飛ばされた体が、幹に激しく打ち付けられた。
「──はっ、」
背中を走る激痛。肺から息が漏れ、骨が軋む音に目の前が白む。
遠のきかけた意識を引き戻したのも背骨の痛みで、着地に失敗した体を起こし無理やり体勢を立て直そうとするが、いつの間にか目の前に現れた少年は右手で首を掴むと軽々と少女を持ち上げた。
「うっ…」
苦しそうに顔を歪め、必死に手足を振り回し抵抗を図る少女。優越感に目を細め余裕そうな少年は、翅を捕らえられた蝶のようにもがく姿を愉しそうに眺める。
「無駄なコトを──」
言い終わる前に視界の端で何かが光ったのを確認する。並外れた動体視力が銀の切先を捉え、ついでにその奥で赤い唇が微かに弧を描いのも見逃さなかった。
「──チッ!」
無防備な首に突き立てられるすんでのところで空いてる方の手で柄を握った手のひらごと掴み、指を抉じ開けると短剣を奪い取る。
皮膚に指が食い込むほど力を込めると堪え切れなかった呻き声が漏れ、苦しみに歪んでいた少女の表情に悔しさも滲む。
「惜しかったなぁ?」
ヒラヒラと見せびらかすように短剣を振ると、ワンピースの上から躊躇なく脇腹を深々と刺した。研がれた剣身はあっさりと布と皮膚を破り、溢れ出た緋色の血が服の下で肌を伝い、白い脚を汚す。
「──っ!」
歯を食いしばった少女の口から、それでも抑えきれなかった掠れた悲鳴が上がる。神経を直接刺激されている感覚を浅い呼吸で和らげる努力も虚しく、短剣が引き抜かれる動作に傷口を焼かれたような痛みが重なる。
銀色だった短剣は、今は根元までべっとりと付いた血で赤く染められている。
立ち込める甘い香りに誘われ、少年はそれをきれいに舐め取る。そして、欲望のまま更に血を求めて、崩れ落ちた少女の首筋に噛みつこうと身を屈めた。
断続的に吹いていた風は空が息を止めたようにぴたりと止み、そして嵐を予告するかのように激しさを増して再び吹き始める。攫われた花弁が少女の視界を遮る。
「……今度は何だろうね」
どこまでも冷静な少女の、水のように澄んだ声も風の唸りに掻き消される。
いかにも不吉な予兆を前に慌てる様子もなく、狂ったように舞う薄桃色の欠片と、吠える空気に惑わされないよう目を閉じて近付いてくる何かの気配を探る。
「───…!」
警戒網にかかった瞬間、ほとんど表情の無かった顔に僅かな驚きが浮かぶものの、感情の揺れを直ちに押し殺し意識を集中させる。
フワリ、と枝から飛び降りた直後。少女が腰掛けていた枝に三本の平行線が現れる。鎌鼬が通り過ぎでもしたのかと思うほど鋭い刃で深々と付けられた切り傷に枝が弛み先端が垂れる。
「──チッ」
地面に降り立った少女の頭上からガラの悪い舌打ちが聞こえる。見上げると、直径の半分ほどを抉られてもなお辛うじて折れずに踏ん張る枝の根元に立つ、人影。
「残念だったね」
クス、と笑うとその人物は苛立たしげにまた舌を鳴らす。
「ッせェ。引き裂くぞ、クソが」
低く唸るような声。しかし青年と言うにはまだ若さが残る。
その声の持ち主の第一印象は白だった。一切の色素のない真っ白な短髪に、少女に引けを取らない白い肌。額にかかる前髪の奥の、血のように赤い瞳だけが白い背景に彩りを与え良く映えていた。その瞳は忌々しげに歪み、食い縛った口元から鋭い犬歯が覗く。
端正な顔立ちがもったいない、などとこの場に不釣り合いな感想を抱きながら少女は貼り付けた笑みを崩すことなく、
「……どの道、殺すくせに」
皮肉を返す。
「…そうだな、」
少年がニタリと三日月を寝かせた嗜虐的な笑みを作り肯定すると、すぐにその姿が消える。少女はすぐさま自分が立っていた場所から離れると、地面が削がれ茶色い土が周囲に跳ねた。
ボロボロと落ちる土片を横目に少女は樹に身を隠しながら走り出す。
「逃げんじゃねぇ」
大地を蹴り少年も後を追う。逃げ道を探りつつ森を駆け抜ける少女と違い、ただ追いかけるだけで良い少年はみるみるうちに距離を詰め、数秒もしないうちに少女は追いつかれてしまった。
「遅ぇ。全ッ然、遅ぇ」
嘲笑う声は息ひとつ乱れていない。少年は細い腕を掴むと軽く捻りながら、先程二人がいた方向に投げる。狙いを定めたかのように桜の木に向かって無抵抗に飛ばされた体が、幹に激しく打ち付けられた。
「──はっ、」
背中を走る激痛。肺から息が漏れ、骨が軋む音に目の前が白む。
遠のきかけた意識を引き戻したのも背骨の痛みで、着地に失敗した体を起こし無理やり体勢を立て直そうとするが、いつの間にか目の前に現れた少年は右手で首を掴むと軽々と少女を持ち上げた。
「うっ…」
苦しそうに顔を歪め、必死に手足を振り回し抵抗を図る少女。優越感に目を細め余裕そうな少年は、翅を捕らえられた蝶のようにもがく姿を愉しそうに眺める。
「無駄なコトを──」
言い終わる前に視界の端で何かが光ったのを確認する。並外れた動体視力が銀の切先を捉え、ついでにその奥で赤い唇が微かに弧を描いのも見逃さなかった。
「──チッ!」
無防備な首に突き立てられるすんでのところで空いてる方の手で柄を握った手のひらごと掴み、指を抉じ開けると短剣を奪い取る。
皮膚に指が食い込むほど力を込めると堪え切れなかった呻き声が漏れ、苦しみに歪んでいた少女の表情に悔しさも滲む。
「惜しかったなぁ?」
ヒラヒラと見せびらかすように短剣を振ると、ワンピースの上から躊躇なく脇腹を深々と刺した。研がれた剣身はあっさりと布と皮膚を破り、溢れ出た緋色の血が服の下で肌を伝い、白い脚を汚す。
「──っ!」
歯を食いしばった少女の口から、それでも抑えきれなかった掠れた悲鳴が上がる。神経を直接刺激されている感覚を浅い呼吸で和らげる努力も虚しく、短剣が引き抜かれる動作に傷口を焼かれたような痛みが重なる。
銀色だった短剣は、今は根元までべっとりと付いた血で赤く染められている。
立ち込める甘い香りに誘われ、少年はそれをきれいに舐め取る。そして、欲望のまま更に血を求めて、崩れ落ちた少女の首筋に噛みつこうと身を屈めた。
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