奇跡な男(ひと)

仁木 羽陽

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06 芽生え

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 パチパチパチ。

 フライパンをトントンと小刻みに揺すって一気にオムレツをひっくり返すと、横から小さな拍手が起こった。

「Bravo! すごいな。圭吾は本当に器用だね」

 五十嵐の家に本田が来るようになって、変化したことが少しある。家のキッチンで料理をすることが増えたことと、冷蔵庫にマウンテンデューという炭酸飲料が常備されることになったことだ。

 基本、五十嵐は外食か、下のバーで食べることが多い。家でわざわざ一人分を作るのが手間だったし、後片付けをするのも面倒臭いからだ。だが本田が泊まりに来た日などは、今度は外に出るのが億劫で、五十嵐は自然と台所に立つようになった。今まではほぼ飲み物しか入っていなかった立派な冷蔵庫には、最近ではチーズや塩漬け肉、卵などのちょっとした食材が追加されている。

 母親がだらしなかったせいもあって幼少期から早々に自立することを余儀なくされた五十嵐は、そのオレ様な見かけによらず料理が上手い。高校生の頃には飲食店のキッチンでアルバイトをしていたし、家庭料理はもちろん、凝った料理もレシピを一読するだけでそつなく作れた。

 反して本田は、料理はからっきしダメだった。母親が専業主婦で料理も得意だったため、自炊する必要がなかったと言い訳するが、それを踏まえても、とにかく勉強することだけに重きを置いた生活だったからだろう。メディカルスクールの3年目、16歳の頃からは病院での実習も始まり、以降、ますます忙しくなって料理なんてしている暇がなかった。
 しかも、「基本、私は Lazy なんだ」と自分で言うぐらいだ。もとから料理をする気もないのだろう。

「凄いよ! Fluffyで、中はトロトロ。まるでプロが作ったみたいだ」

 フォークで焦げ目のない完璧なオムレツを切り分けながら、本田はご満悦だった。

 激務の日常の中で食が唯一の娯楽なのか、かなり『美食家グルメ』な彼の手放しの絶賛をもらって、五十嵐も鼻が高い。その美味しく食べてくれる笑顔が見たくて、ついつい自宅での炊事回数が増えているのである。

 本田の休みの前日、仕事帰りに落ち合って外でご飯を食べ、そのまま五十嵐の家に一緒に帰り、翌日のブランチを五十嵐が作る。午後の空いた時間で向かいの事務所にあるトレーニングスペースで汗を流し、また夜ご飯を一緒に食べて連泊。翌朝、五十嵐の家から出勤するというのが、このところの本田の──二人の休日の日課になりつつあった。

 フィットネス大国のアメリカ出身だけあって、本田も違わず体を鍛えることが好きなのだ。医者という重労働な仕事をこなすためにも、ことさら体力作りを心掛けているのかもしれない。

 細身ながらも鍛えられた体。身長は178cmと高めで、容姿も素朴な好青年といった感じで悪くはない。ぱっと見で目を惹く華やかさはないが、だからこそ気軽に近づける親しみやすさがあった。
 何より『ドクター』という肩書きだけで、計算高い女達は目の色を変えて群がってきた。しかも国籍はアメリカで、英語はネイティブ。レディファーストの習慣がDNAレベルで板についているときたら、モテないはずがなかった。

 日本でも医者は高給取りの部類だが、それはアメリカでも同じだ。専門の違いで差があるものの、どの科の医者も年収ランキング上位に食い込んでいる。しかもその年収は日本の3倍以上、下手したら1億超えも夢ではないらしい。

 個人的なお誘いはもちろんのこと、「飲み会だ」「合コンだ」と、本田がことあるごとに同僚や看護師かんごふから参加を懇願されているのも頷ける。だが彼はそれらを蹴って、ここ最近は五十嵐とつるむ方を選んでくれていた。

「何でだろうね、圭吾と一緒にいるのは気が楽だよ。変に Nosy詮索好きでもないし、波長が合うって言うのかな? 気づかないうちに Rapport信頼関係 が出来てたみたいだ。私は結構プライベートで人と会うと気疲れするんだけど、圭吾と一緒だとそれがない。ちゃんと自分の時間を持てている感じがする」

 その日。知り合って3ヶ月も過ぎた頃、本田が何気なくそう言った。サクッとジューシー、熊本産の希少な豚肉を使った揚げたてのトンカツを、美味しそうに頬張りながら。

 大将が目の前で調理する寿司屋のようなカウンター席に並んで座り、五十嵐はビールグラスを傾ける手を止めた。

「そうか? まあここ最近、確かにずっとつるんでいるけど……そういえば、彼女の話とか聞かないな。あの女と別れてから誰とも付き合っていないのか?」

 努めて冷静さを装いながら、何でもないことのように聞いてみる。何だかんだと連絡を取り、仕事関係でボツになった日以外は、ほぼ休日はずっと一緒にいると思うのだが。もしかしたら会えない仕事帰りに誰かと逢瀬を重ねているかもしれない。

「あの女?」

「ほら、初めて会った時、喫茶店に一緒にいた」

「んー……ああ! あのひとのことね。いや、彼女とは付き合ってはいないよ。何度かただ、Go out はしたけど。なんかあまりに Needy で疲れてしまった」

 人と交際する感覚がアメリカ人だからか、どうも説明が難しいらしい。変に英語が混じった言い訳になった。

 一般的に、欧米に告白文化はないという。気が合ったもの同士  Go out  お出かけ   して、時にはセックスまでして相性を確かめ合い、上手くいきそうだと確信してからようやく公認の恋人同士になる。それがどれぐらいの期間続くのかはケースバイケース、分からないらしい。ただ確かなことは、ちょっとデートしただけでは恋人未満、束縛する資格もないお試しデーティング期間というわけだ。

「何というか、日本女性は優しくて可愛いけど、なぜか時々子供っぽく振る舞うね。もちろん人によるんだろうけど、私はどうも苦手だ。あとメールでほぼ毎日、おはよう、おやすみ。お昼は何食べた。可愛いカフェを見つけた。そんなことを写真付きで報告されても、それに丁寧に返信している暇は私にはないよ」

「それはまた……」

 典型的な『構ってちゃんNeedy』だな、と五十嵐は思う。それだけ本田を射止めるのに必死だったのだろうが、ウザがられては本末転倒、逆効果でしかない。

 日本に来て何度かそんなことを繰り返し、もうすっかり懲り懲りなのか。
 日本の外科医はチャラい、取っ替え引っ替え遊んでいて、既婚者ですらしょっちゅう不倫をしていると噂に聞くこともあるが、モテるからといって据え膳を食わないところが、実直で面倒くさがり屋の本田らしかった。

 昔から同年代の人間とは話が合わないとも言っていたし、単に個人的な人間関係を築くのが下手なのかもしれない。特に日本だと、ここで育っていないぶん感覚が違い、世代による共通の思い出話もままならないのだろう。周りの、特に若者のチャラいノリについていけなくて、もう仕事以外のことで関わりを持つのが億劫というか、避けているように思う……

「ショウも大概、排他的だな」

「は? 歯痛い? 何、それ?」

 排他的の意味が分からなかったのか、本田が首を傾げる。五十嵐は笑って誤魔化した。

「苦労しているんだなってことだよ」

「はは。そうでもないけどね。ただ実際問題、女性と真剣に向き合うのは、今の私の状態では諦めているよ。病院から呼び出されることはもちろんだけど、時間がある時は論文に目を通さなきゃいけないし、自分でも書かなきゃいけない。どうしても医者としての自分を優先させしまうから、しょっちゅう彼女を放置してしまうんだ。申し訳ない気持ちがないわけではないんだけど、こればっかりはどうしようもないからね」

「そりゃそうだ」

「それに私は基本、一人でいる方が気が楽なんだよ。昔から、誰か人に合わせて行動することがどうも苦手なんだ」

「ああ……」

 わかる気がする。神童と呼ばれた幼い頃からずっと、周りから浮いた存在だったのだろう。

 既に達観しているのか、本田の顔に悲壮感は窺えない。それどころか呑気に、腰からお尻にかけての赤身部分が気に入ったようで、大将にトンカツのお代わりをお願いしていた。

」と声高に逢坂に宣言しときながら、五十嵐は、最近では本田の一挙一動に気持ちが揺れ動いていた。豚の油で艶めいた男の唇を色っぽいと思ってしまうのは、重症だろうか。

 これまで本田は何度も五十嵐の家に泊まりに来ているが、客用の布団を彼のために用意しようと思ったことは一度もなかった。キングサイズというベッドの広さに物を言わせて、ずっと同衾している。人の家なので当たり前だが、本田自身も何も要求してこないし、それどころか変わらず泊まりに来ているので、特に嫌悪感はないのだと都合よく解釈している。

「ところで、今日はこの後どうする?」

「あのアニメの続きを観るのは? なかなかどうして、あれ、良く出来ているよ。Cells細胞  の仕組みが素人でも理解しやすいって、私の  Dad  も絶賛していた。講義で学生にも見せているんだって」

「あー……それでもいいけど。そういえば、あの消防士もののニューシーズンが、サブスクで配信始まっていたはずだぞ」

「あっ! LAの方?」

「ああ」

「Yay! じゃあ、そっちの方がいいな。あれ、面白いよね」

 本当に本田とは気が合う。何か食べに行く時でも、共に何かする時でも、「何でもいいよ。貴方が決めて」なんて勿体ぶられることはないし、映画ひとつ観るのも好みの傾向が同じなので、ピンポイントで「あれは? これは?」と意見を出し合って選ぶことが出来た。

 普段、何気ない会話を楽しむことが多いが、逆に沈黙が続いたとしても、気まずい思いをすることはない。
 同じ部屋にいながらも各々の仕事や筋トレに夢中になっている間は、お互いの邪魔をしないことは暗黙の了解だった。自分のペースを崩すことなく傍にいるのが自然で、いい意味で、余計な気を遣わないでいい。

「じゃあ、そろそろ行こうか。大将、ご馳走様でした。美味しかったです」

 律儀に店員にお礼を言う本田が、すかさずプラチナ色のカードを財布から取り出す。いつも泊めてもらうし、部屋で飲むアルコールや作ってくれる料理は五十嵐が負担してくれているからと、なるべく平等イーブンでいようと心掛けてくれているのだ。

 本田の厚意を素直に受け取って、五十嵐は代わりに彼がいつも持ち歩いている黒のビジネスリュックに手をかけた。荷物持ちをして出口の方に向かい、頭を下げて見送りをしてくれる大将に軽く挨拶をする。

「じゃあ大将、また」

「ありがとうございました」

 本田が、「今夜は美味しいトンカツが食べたいな。日本の料理は本当に世界一だよね」と言うので、周りにお勧めを聞いて選んだ店だった。五十嵐の家から徒歩圏内にあり、車を出さなくていいので一緒に酒も飲める。この店はアタリだったなと、五十嵐も気持ちよく堪能した。

 この後、いつものように部屋でワインボトルを開けて、お気に入りの海外ドラマを一緒に観よう。たわいない事で笑い合い、眠くなったらそのまま同じベッドで眠ればいい。いつもは若干の嫌悪感を感じる他人の体温が、それが本田のならば心地いいとすでに分かっている。

 思わず。五十嵐は本田の硬い体を抱き締めることを想像してしまった。

 いやいや。男の体だぞ……

 だが……

 切にそうしたいと望んでいる自分を自覚して、五十嵐はそっと天を仰いだ。
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