風の唄 森の声

坂井美月

文字の大きさ
上 下
41 / 49

龍神の里に雪が降る①

しおりを挟む
最後の夕食を終わらせ、それぞれが明日の帰宅に思いを馳せていた。
美咲は空の部屋に顔を出したが、姿が無いので外へと向かった。
すると恭介と空の姿を見つけてしまう。
ぼんやりと夜空を見ている空に
「此処に居たんだ」
恭介が空に声を掛けた。
「恭介様」
驚いた顔をする空に、恭介はゆっくりと歩み寄る。
空が座っている縁側に並んで座ると
「此処は…変わらないな」
ぽつりと呟いて夜空を見上げた。
空は並んで座る恭介に居心地が悪いのか、立ち上がろうとして恭介に腕を掴まれる。
「最後なんだからさ、今日くらいは少しで良いから一緒に居てよ」
そう言われて、空は諦めたように座る。
黙って2人で夜空を見上げると
「ごめんな…」
ぽつりと恭介が呟いた。
「え?」
驚いて恭介を見ると、恭介は夜空を見上げたまま
「記憶が戻り始めてから…ずっと考えてたんだ。あいつにとって、俺ってなんだったんだろう?とか。あいつは子供さえいれば…風太が居れば、もう俺は必要なかったのかな…とか」
ぽつりぽつりと語る恭介から、空は視線をゆっくり外す。
「でもさ…多分、本当のことは、まだ消されている記憶の中にあるんだとも思ってるんだ」
恭介はそう呟くと、ゆっくりと空の顔を見た。
そして頬にそっと触れると
「空…。きみが本当は何者で、何を隠しているのは…俺には分からない。それでも、きみと出会えた事は後悔していないんだ」
そう言って優しく微笑んだ。
「恭介…さ…ん…」
涙で視界がぼやける中、空はそう呟いた。
すると恭介は驚いた顔をした後、嬉しそうに微笑んで
「やっと『様』から抜け出せた」
と呟いた。
そしてゆっくりと空を抱き締めると
「風太を…あんなに良い子に育ててくれてありがとう。そして…きみを最後まで悲しませてばかりいて、ごめんな」
そう呟くと、恭介はゆっくりと空の身体を離し
「明日の朝は早いんだろう?時間を取らせて悪かったな。じゃあ、おやすみ」
そっと空の頭を撫でると、ゆっくりと歩き出した。
空の瞳からは、涙が溢れては落ちて行く。

ありがとうなんて…言わないで欲しかった。
ごめんなんて…謝らせたかった訳では無かった。

ほんのひと時でも、共に過ごす時間が長ければ長い程、離れるのが辛くなる。
これは罰なのだ…。
空はゆっくりと目を閉じて思い出す。

あの日、恭介が知っている最後の記憶は、自分が与えた偽の記憶。
本当は、自分を抱えて大龍神の神殿へ駆け付けたのだ。

「頼む!タツを…タツを助けてくれて!」
必死に頭を下げる恭介に
「誰のせいで…タツが禁忌を侵したと思っている」
大龍神は冷たく恭介を見下ろした。
「罰なら俺が全部受ける…。だから、だからどうか…彼女を助けてくれ」
泣いて縋る恭介に
「みっともないな…。人間は…1人では何もできぬくせして、我が者顔でこの世界を汚し行く」
冷めた目をした大龍神が、そっと近付き恭介からタツの身体を奪い
「では、お前に最後のチャンスを与えよう」
そう言うと
「2度と…タツや風太に近付くな。それを守れるか?」
と言って小さく笑った。
「それで…それでタツが救われるなら…」
恭介がそう答えると
「それだけでは生温いな…。そうだ。此処で暮らした2年間の記憶を、全て消させてもらう」
大龍神の言葉に、恭介が言葉を失う。
「どうした?2度と会わぬのなら、此処での記憶などいらないだろう?」
大龍神の言葉に、恭介は両手で握り拳を握る。
(忘れる?この2年間を?)
思い出すのは、穏やかで温かい日々。
それを奪われるのが罪なのだと…恭介が諦めた時
「恭介よ。もし、お前がなにかの弾みでタツの事を全て思い出したら、あの子は死ぬ」
そう付け加えたのだ。
「なん…だって…?」
「なぁ…恭介。罪を犯した我らが死んだら、どうなるのかを知っておるか?」
大龍神は冷たくそう言い放つと
「雪になるのだ」
そう言って小さく笑った。
「雪?」
「そう。しかも、この里に雪が降るのだ」
大龍神の言葉に、恭介が小さく笑い
「馬鹿な。こんな温暖な場所に雪が?」
と呟くと
「そうだ。それはそれは美しいぞ。しかも、その雪は積もる事もない」
大龍神の言葉に恭介は愕然とした。
「それは…遺体さえも、触れられないという事ですか?」
「お前に、タツの命を背負う覚悟があるのか?」
そう言われて、恭介は戸惑いながらも
「それしか…救う方法が無いのなら…」
と頷いた。
「では、お前に最後の鍵をやろう」
と言うと、恭介は息を飲んで
「鍵?」
と答えた。
「そうだ。お前の記憶を消した後、幾つもの偽の記憶を張り巡らせさせてもらう」
「偽の記憶?」
「そうだ。お前は見つけ出せるかな?真実の記憶を…。そしてもし、お前とタツが再会する事があれば、それはもう、お前の知るタツではない。人間のお前が、姿を変えたタツが分かるのか?…これは見ものだ」
喉で笑う大龍神に恭介が大きく頷くと、
「タツよ。恭介の記憶の封印は、お前がやりなさい」
「え?」
「大した力も必要ないだろう?」
大龍神に言われて、大龍神の腕の中から、そっと近くの椅子に下ろされる。
「恭介さん…ごめんなさい」
涙を流す空の前に、恭介はゆっくりと片膝を着いて座った。
「俺こそ、こんな風にしかお前を救えなくてごめん」
そう言って恭介が目を閉じた。
「さぁ…別れの記憶を与えよ」
大龍神の声に、空がそっと恭介の額に自分の額を当てる。

恭介さん…。
私はね、生まれ変わったら空になりたい。
あなたを守り、照らし続ける空に…
日溜りはあなたを優しく包み、そよ風はあなたの頬を優しくなでるしょう。
夜空の月は、どんな暗編みの中でもあなたを照らし、雨は優しくあなた達人間の飲み水となる。
忘れないで
あなたと永遠に会えなくなっても
あなたに触れられなくなっても
私はどんな姿にでもなって、あなたを守り続けるから…
だからあなたは笑っていて
その優しくて温かいあなたの笑顔が大好きでした
恭介さん
愛しています。あなたを永遠に…

額を離すと、恭介の身体がゆっくりと倒れ込む。
空はその身体を抱き締めて
「さようなら。あなたは他の誰かと、新しい人生を送ってください」
そう言って、そっと髪の毛にキスを落とした。
すると恭介の身体を白い光が包み込む。

「記憶の削除は済んだか?」
大龍神の言葉に頷くと
「だからあれほど言ったのだ。人間に思いを寄せても、結局、待っているのは破局なのだ」
悲しそうに呟く大龍神を見て、大龍神にとっても、いつしか恭介は息子のように可愛い存在になっていた。

「では…恭介の身体を龍神神社へ移動させるぞ」
大龍神がそう呟くと
「待って!」
座敷童子が風太を抱いて走って来た。
「なんだ?座敷童子」
大龍神が不思議そうに見ると
「お別れのお花をあげたいの」
そう言って、そっと恭介の手に花を握らせた。
「座敷童子…。里の植物を人間界に持ち込むのは罪になるのを忘れたのか?」
呆れた顔をする大龍神に
「だって…最後の別れだから…」
と涙を流す。
大龍神は頭を抱えると
「分かった。私はなにも見ていない、それで良いな」
と言うと、恭介の身体を抱き締めているタツの頭を撫でて
「2人を助けてやれぬ母を、恨んでおくれ」
そう呟くと、恭介の身体に触れた。
「さようなら、我が息子よ。2度と会う事はないだろう」
大龍神の声と共に、恭介の身体がゆっくりと消えて行く。
しおりを挟む

処理中です...