【完結】悪徳領主の一途な偏愛

大河

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1章

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 契約のきっかけは一週間前に遡る。

 その日の夕方、サイラスは屋敷の外がやけに騒がしいことに気づいた。

 カーテンの隙間から外の様子を窺う。すると、屋敷の玄関先で執事と領民らしき一人の男が押し問答をしているのが見えた。聞き耳を立てると、男の切実な声が風に乗って届いてくる。

「どうか、お願いします。領民の代表として、領主様に直接お伝えしたいことがあるのです。何とか取り次ぎをお願いできませんでしょうか」

 それを聞いたサイラスは、口の端をわずかに上げた。

 ──ようやく、動き出す領民が出てきたか。

 サイラスは心の中で苦笑した。自分が領主に代替わりしてからの税の取り立てが厳しいことは、サイラス自身も承知していた。財政を立て直すためとはいえ、その負担は領民にとって厳しいものだったに違いない。

 正直に言えば、サイラスはこうした反応を待っていた。厳しい税の取り立ては、領民たちにこの領地が抱える財政的な問題を理解してもらうための手段でもあった。彼らが不満を募らせ、自ら動き出すことをサイラスは期待していたのだ。

 とはいえ、本来であれば、貴族である領主に平民が直談判するなどありえないことではある。実際、対応している屋敷の執事は男をすげなく追い返そうとしていた。

 だが、サイラスにとってみれば、彼はようやく現れた「自ら行動を起こした領民」だ。このまま追い返すには惜しい。

 そこで、サイラスは窓を開け、声をかけた。

「随分と面白そうな話をしているな」

 気軽な口調に、執事がぎょっとしたような顔で振り返る。それと同時に、執事の影に隠れて見えなかった男の顔も明らかになった。

 執事と話していた男は、自分がよく知る人物──元傭兵のエドガーだった。

 (そうか、領民の代表としてきたのは彼だったか)

 サイラスは彼の顔を見て目を見開いた。

 エドガー。

 彼はかつて、自分が絶望の淵にいたときに救いの手を差し伸べてくれた人物だ。その時から、彼の名を忘れたことなど一度もない。

 そして今、その彼が自分の目の前にいる。

 これは──絶好の機会かもしれない。

 サイラスは彼のことをよく知っているが、それは一方的なものだ。エドガーは自分のことなどただの領主としてしか認識していないだろう。貴族と平民という立場の違いもあり、普段であればまともに言葉を交わすことすら難しい関係性だ。

 だが、サイラスは彼に強く惹かれていた。もっと彼に近づきたい──できることなら、親密な間柄になりたいという下心すら抱いている。

 だからこそ、この機会はまさに好機だった。みすみす逃す手はない。

 そんな野心を胸に秘めるサイラスとは対照的に、執事は動揺した様子で頭を下げた。

「申し訳ございません、サイラス様。こちらの者が分を弁えず、直にお目通りを願うなどと申しておりまして……追い返すところでございました」
「よい」

 サイラスは手をひらりと振る。

「そこの男は私に訴えたいことがある様子。ちょうど暇だ、話くらい聞いてやろう。通してやれ」

 執事はサイラスの命令に面食らった様子だったが、小さく嘆息するとサイラスの命令通り、エドガーを屋敷の中に案内し始めた。

 エドガーは屋敷の中に入ると、物珍しそうに周囲に視線を巡らせた。本来であれば無礼な行為ともいえるが、サイラスは気にならなかった。それどころか、自らの屋敷にエドガーが足を踏み入れているという事実に、抑えきれない興奮が沸き上がってくる。

「執事、下がっていろ。私が案内する」

 サイラスは執事を下がらせ、自らエドガーを案内すると言い出した。執事の顔は難色を示していたものの、命令には逆らわずその場を立ち去った。

 エドガーと廊下で二人きりになり、サイラスはますます愉快な気持ちになってくる。久しぶりに彼と二人だけで話せるのだ。それだけで胸が躍った。

「こっちだ」

 サイラスはエドガーを執務室へと案内した。

 開け放たれた窓から涼やかな秋風が吹き抜ける。差し込む夕日は、執務室の机や本棚のすべてを柔らかな朱色に染め上げていた。

 サイラスは部屋に足を踏み入れると、中央にある机の奥の椅子に腰掛けた。そして、エドガーと向かい合う形になる。

「やあ、エドガー。我が屋敷にようこそ」

 挨拶すると、エドガーはきょとんとした表情を見せた。

「領主様は……どうして俺の名前をご存知なのですか?」

 ──もちろん、知っているとも。

 だが、そのいきさつを説明する気はない。エドガーだって当時のことなど覚えてはいないだろう。それに、いま話すべきはそこではない。

 そのため、サイラスは当たり障りのない返答をした。

「お前は三年前、この地で賊が出た時、父に雇われて賊退治を請け負った元傭兵だろう。父がお前の働きをよく褒めていたのを聞いたことがある」

 その賛辞に、エドガーはわずかに下を向き、照れたような様子を見せた。大男が見せる存外可愛らしい仕草に、サイラスは心の中で密かにときめく。だが、その内心はみじんも外には出さない。

「ところで、お前は私に何か訴えたいことがあるとのことだったな。私に直接訴えるなど、よほどのことであろう。申してみよ」

 エドガーは姿勢を正し、真剣な目でサイラスを見据えた。

「……恐れながら申し上げます。このところ、領主様がお決めになった税が重く、領民たちは日々の暮らしにも困っております。特に今年は作物の出来が悪く、このままでは冬が越せない者も出てしまいかねません」

 訴えに対し、サイラスは首を傾げて問い返した。

「それで? 私にどうしろというのだ」

 エドガーはサイラスの顔を見て、息を呑む仕草を見せる。

「……無礼を承知で申し上げます。どうか一年だけでも、せめてこの冬の間だけでも、税を軽くしていただけませんでしょうか」

 サイラスはその訴えを受けて、ふむ、と考える仕草を見せた。そして目を細めてエドガーに尋ねる。

「お前の訴えの内容は理解した。しかし、どうしてお前がきたのだ?」
「それは……どういうことでしょうか」

 エドガーは訝しげに首を傾げる。対してサイラスは、彼の意図を見定めるかのように、冷ややかな視線を投げかけた。

「領主の私に直接訴えるなど、通常はあり得ぬこと。それでも訴えたいことがあるというのなら、本来だったら領地の長老格などが代表としてくるべきだ。それなのにどうして、お前のような最近この土地にやってきたばかりの男が代表としてここへ来たのか」
「それは……」

 その鋭い問いに、エドガーは図星を突かれたように顔を強張らせ、口をつぐんだ。

 サイラスはその様子を見てふっと笑う。

「大方、他の領民にいいように言いくるめられたのだろう。この土地に根付いて間もないお前のような立場では、やっかいな頼み事をされても断りづらいだろうからな」

 その同情的とも取れるセリフに、エドガーははっとした表情を浮かべた。

「……領主様、あなたは人の本質を鋭く見抜く方なのですね。実際、あなたの言う通りです。税の軽減についての意見を出したのは他の領民で、自分はその方に頼まれて領主様に面会に来たにすぎません」

 サイラスは眉を上げる。

「つまり、税の軽減の訴えはお前の意志ではない、と?」

 その意地悪な質問に対し、エドガーは真面目な表情で首を振った。

「いえ、人に頼まれてここに来たことは事実ですが、税の軽減については自分も同じ意見です。この土地に来て、俺を受け入れてくれた人たちがいます。彼らが今、重税に苦しんでいるのを黙って見ていることはできません」

 そう言うと、エドガーは腰を折り曲げ、深く頭を下げた。

「領主様、改めてお願い申し上げます。どうか税の軽減についてご一考ください」

 騎士のように礼儀正しい仕草を見せるエドガーに対し、サイラスは何かを考えるように手で顎をさすった。

 沈黙が流れる。

 サイラスはエドガーの顔をじっと見つめた。税の軽減については、誰かが自分に訴えを起こしてきたら一考してもよいと考えていた。だからここで彼に頷いてやってもよいのだが、それでは面白くない。なにせこれは、エドガーと関係を作れるまたとない機会だ。この機会を活かさない手はない。

「……そうだな」

 サイラスは足を組み直し、改めてエドガーに視線を向ける。

「誰が訴えにこようと、私としては別に構わぬ。つまり貴様らは、私の課す税に不満があるということだな?」

 その台詞を聞き、エドガーの表情が引き締まった。その身に再び緊張を纏わせ、静かに頷く。

「……その通りです」
「そうか」

 サイラスは椅子から立ち上がる。ゆっくりとエドガーの前まで歩き、彼を見上げた。身長差があるせいで、近づいて彼の顔を見ようとすると首をだいぶ持ち上げなくてはならない。

「わざわざ領主の目前まできて訴えようとした、その無謀な勇気は評価してやろう」

 薄く笑いながらエドガーを見上げる。

「その願い、叶えてやらぬこともない」
「それは本当でございますか!」

 ぱっと、その表情を明るくするエドガー。まるで子どものような純粋な喜びを浮かべる彼を見て、サイラスは内心でつい微笑ましく思ってしまう。

 だが、そんな心情とは裏腹に、サイラスは冷たく続けた。

「ただし、条件がある」
「条件、とは?」

 内容を聞き返すエドガーを見て、サイラスは心を決めた。せっかくの機会だ。多少強引な手段を使っても、彼と関係を結んでしまおう──と。

 サイラスは悪戯を仕掛けるような艶めかしい動きで、目の前のエドガーの顎のラインをそっと指先で撫でた。

「……っ」

 突然の接触にエドガーは肩を震わせ、たじろぐ。その様子を見てほくそ笑みながら、サイラスは続けた。

「──私には悪癖があってね」

 顎からゆっくりと手を這わせ、エドガーの腰のラインをなぞる。

「私は女の身体に興味を持てぬ体質なのだ。──この土地の領主になってからというもの、夜を慰めてくれる相手が見つからずに退屈していたところだ」

 その言葉に、エドガーは困惑の色を深めた。

「領主様……俺に何をお望みなのですか」

 サイラスは再び冷ややかな笑みをエドガーに向けた。胸板に手を置き、ゆっくりと撫で上げる。

「私の言葉の裏を読めぬほど、お前も愚鈍な男ではないだろう。分かっているくせに、まだ聞き返すのか」
「……俺のような、図体がでかいばかりの男を抱いても面白くもなんともないでしょう」

 エドガーはサイラスの手から逃れようとする。その台詞に対し、サイラスはさもおかしそうに声を上げて笑った。

「お前、どうやら勘違いをしているようだな。私がお前を抱くのではない。──お前が、私を抱くのだ」

 その言葉に、エドガーはより戸惑いを深めた。目を見開き、口をわずかに開けたまま固まっている。まるで理解が追いつかないといった様子だ。

「領主様を抱くなど……恐れ多いことです」

 エドガーは首を振る。その仕草に、サイラスは薄く笑った。

「なんだ、お前は男など抱けぬというのか」
「それは……」

 言い訳をしようとするエドガーに、サイラスはいったん彼から身体を離した。

「まあ、私も鬼ではない。どうしても男など抱けぬという相手に無理強いするつもりはない」

 その言葉に、エドガーはどこか安堵した様子を見せる。だが、サイラスは改めて追い詰めるように続けた。

「ただし」

 エドガーはサイラスの視線を受けて身体を硬くする。

「お前が、男であるこの私に興奮できるのであれば、話は別だ。それを確かめさせてもらうぞ」
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