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#59 個人の意見
しおりを挟む白夜と雪音は工事中の病院を出て、人が行き交う国道沿いの歩道を歩いていた。
車の走行音や、人々の足跡。会話、電話。それぞれの手段で行われる小さな声が混ざり混ざって、それはノイズとなり、それぞれの喧騒の一端と化している。
日差しが差し込む外の世界は、もうすぐ梅雨入りするらしいが、ちょっと肌寒く感じた。
「……白夜、貴方は"八咫鏡"について知っていますか?」
その中で、白夜の隣を歩く雪音は不意にそう言った。初っ端から本題を振ってくるのはある意味彼女らしいのかもしれない。
雪音は総司から"八咫鏡"について詮索しろ、などというような指令は受けていない。しかし、これは自らと密接な関係がある"白き信頼"の基盤に関わる問題だ。訊いてくるのも当然であろう。
白夜は前を向いたまま、そっけなく答えた。
「……さあな」
「知らないとでも? "八咫鏡"は貴方の"天叢雲剣"と同じく"三種の神器"のひとつ。……あの"神剣"の情報は"白き信頼"からも聞かされていなかった。白夜が"宿星の五人"の六人目であることは突き止めていたのにも関わらず、です。あの"神剣"は意図的に情報網から遠く隔絶されていたということ」
雪音も白夜に倣ったのか、白夜の隣で数ある人込みに紛れたまま、変哲もなくそう告げた。白夜は横目で隣の彼女を見る。
"天叢雲剣"は字により授かったものだ。火孁が金剛寺に襲撃された後に、念のためと授けられたのがその剣であった。
白夜には"天叢雲剣"を。
火孁には"八咫鏡"を。
それぞれ受け取った神具は、それぞれの逆境を切り開くもののため。――逆境を呼び寄せるためではない。
「……」
白夜は押し黙っていた。二人は言葉を交わすこともなく、歩道を歩く。
確かに雪音の言うことも分かる。白夜が"天叢雲剣"を極力使わなかったというのはあるが、命の危険や白夜自身がそう判断した際には普通に使用していた。
その中で"白き信頼"が"宿星の五人"の情報は得ていながら、"天叢雲剣"の情報は得ていない、なんてことはあるのだろうか。
白夜自身、確かに"天叢雲剣"に関しては基本他言無用であった。雪音に話したのが例外なだけだ。
それを加味しても、あの"白き信頼"が把握できていないとは考えにくい。ということは、白夜以外の何者かが情報にプロテクトをかけていたということ。
そんなことできて、それをする理由がある存在。それは白夜の中で、たった一人に絞られる。
白夜はその場で立ち止まると、口を開いた。
「……"八咫鏡"は――」
雪音は数歩先へ行った後、そこで立ち止まって振り返る。
ここで白夜が火孁の"八咫鏡"を雪音に暴露するわけにはいかない。それは白夜だけの問題ではないのだ。本位でそれを語るのは礼節に反する。
だから、火孁が所持しているということは口が裂けても言えない。言いたくない。
しかし――白夜は振り返ってきた雪音を見据える――短い間だが、雪音は白夜の人生における節目といえる瞬間を共に過ごすことになった仲間だ。奇妙な感覚があった。無為にはしたくないと、感情が二律背反しかけていた。
だから、白夜はどちらの邪魔になることは言えなかった。
「"八咫鏡は"……安全なところにある。ちゃんと、この日本に。"白き信頼"の"アマテラス"をどうこうしようとは思っていない人の手に、な」
白夜は"八咫鏡"の存在だけは教えたものの、具体的なことには触れなかった。言い終わった後、白夜は歩き出して立ち止まっている雪音の隣を通り過ぎる。
この答えで雪音が満足するとは思えない。しかしこれは白夜の渾身な逃げであった。――雪音に有利な情報を与えることは、火孁に不利にはたらく。今の白夜はこう答えるしかなかった。
雪音は視線で白夜を追って、通り過ぎた彼の背中を見つめた。
「……そうですか。今のは情報というにはお粗末で、誰かに教えてもあんまり意味がなさそうですね。……でも、それなら、安心です」
「……こんなのでいいのかよ」
皮肉でも何でもない、さらりとした雪音の言葉に今度は白夜が振り返る番であった。そしてその表情には、微かな困惑が露わになっていた。
白夜が告げた言葉は具体性がない気休め程度に過ぎない。それでいて、納得のできるようなものではなかったはずだ。それは言った本人である白夜がよく分かっている。
それなのに、雪音は何の影もなければ追及もせず、白夜の言葉に納得した様子であった。そのまま雪音は歩き出し、白夜の隣を通り過ぎたところで、白夜はハッとして彼女の隣に続いた。
ついてきた白夜に雪音は小さく笑うと、からかうように小首をかしげて言う。
「それだけで充分ですよ。……貴方の言葉であれば、それで」
「――」
その言葉を聞いた白夜は目を見開く。
しかしすぐいつもの表情に戻ると、つられるように小さく笑った。
「そりゃ流石に生ぬるいな。普通ならあれで納得はしねーよ」
二人の会話は町の喧騒に溶けていく。
互いに秘密に迫る会話をしているが、騒がしい世界はそれにあまり関心がないらしい。喧騒の一つ、雑に処理されるだけの音に成り下がっていた。
「そうかもしれませんね。父や姉だったら、口巧みにもっと追及していたでしょう。でも私は、それでいいと思ったから」
それは単なるどよめきの一部。しかし、それには大きな意味があった。
彼女の言葉を聞いた白夜は、小さく笑って返す。
「お前の意見ってわけか。ま、それでいいんじゃねえの。……それがいいな。温室育ち特有の詰めの甘さは健在みたいだが」
「温室育ちが羨ましいんですか? 確かに貴方は温室育ちとは無縁そうですけど」
「言ってろよ」
歩いていると、道沿いにある電気屋の前を通りかかった。
その際、不意に店頭に置いてあるテレビの音が白夜たちの耳へ入り込んできた。
『――次のニュースです。昨日、12時過ぎ、三日月市の大型病院、三日月病院に数人の強盗が押し入りました。強盗ら数人はトラックで病院の入り口を――』
「……おい」
白夜はそれを聞いて思わず立ち止まった。雪音も白夜につられて、長い髪を揺らしながら立ち止まった彼の隣に立つ。
「なんか例の病院に強盗が押し入ったらしいぞ」
「はい」
「トラックで突っ込んできたらしい」
「はい」
「たまたまいた警官とかち合って、発砲騒ぎになったらしい」
「はい」
「幸い患者にけが人はいなくて、病院の従業員には負傷者が出たらしいが、命に別状はないらしい」
「はい」
「……そういうことにしたのか」
「はい」
どこか誇らしげな雪音を横にして、白夜は小さなため息を吐いた。
どうやら、三日月病院で起きた異能力騒ぎは強盗の仕業ということになったらしい。
白夜はテレビトーオーのニュース番組を見ながら、ちょっとだけ感心してしまう。"白き信頼"という巨大な組織による隠ぺいをまた目の当たりにしてしまった。
多くの通行人が後ろを通り過ぎる中、大規模な強盗のニュースを見ているのは二人だけだった。町を行き交う人々は近場が強盗騒ぎ――そういうことになっているだけだが――で大変だというのに、見向きする者が少なすぎる。
しかしそれには理由があった。白夜は今度は少し暗いため息をついた。
「……これがレアケースにしても、だ。最近、こういうニュース多いよな。……死人ゼロの強盗程度じゃ、誰も見向きしなくなってる」
ここ最近の話だった。明らかに過激な事件が増えている。白夜は死んだように生きていた身だったが、それでも色々な場所で淡々とそういう事件が報道されているのを聞いていた。
雪音もやるせなく目を伏せ、静かに告げる。
「……そうですね。21世紀になってから15年とちょっと――2016年にもなったというのに、こんなに負の出来事が起こっているなんて。……何かが、起ころうとしているのかもしれません」
「……虫の知らせってやつか。不穏、だな。……二年前の"妖星墜落"といい、ここ最近は特にそんな気がしてくるよ」
少しの間、電気屋の前で立ち止まっていた二人だったが、ぼちぼち歩き出した。
今日は日曜日だった気がするので、心なしか通行人が多い。その中に混じって、二人は歩いていた。歩きながら、雪音は口を開く。
「……不穏といえば」
彼女の視線の先がちらりと白夜へ移った。
「さっき……父に真意を聞いた時のことです。なんか、様子が違いましたよね?」
「……なにが?」
「普通の――いえ、貴方と会ってまだ二日ほどしか経っていない私の感覚なんですけど――いつもの態度じゃなかった。どこか、焦っているのか、急いでいるのか……あんな強引に話を聞きだすのは、貴方らしくないな、と思いまして」
「……そっか」
雪音の言葉を聞いて、白夜は困ったように苦笑する。その意味が分からず、雪音は少し怪訝そうに目を細めた。
確かに今までの白夜らしくない行動であったと、自分でさえ思う。しかし無意識にやった行動ではなく、自らの意志で行ったものであった。
白夜の"短命"の呪いを消え去り、未来は再構築された。それにあたり、不意に将来のことを考えてしまったのだ。
今までは考えても無駄だった、『どう生きていきたいか』という人間の基盤的な展望。そして極めつけは、解呪の時に夢見た字との邂逅。
――白夜は字のように生きてみたくなって、自分の欲に多少なりと忠実になってみたのだった。
そしてその通りに動いたわけで、聞きたいことも聞き出せた。けれど、白夜の表情は底抜けに明るいといったわけではない。
白夜は告げる。
「なんというか、そう生きてみたい"生き方"ってのを実行してみたわけなんだけどな……」
雑貨ビルの微弱なすき間風が前髪をくすぶる。白夜は久しぶりに感じたようなどうでも良い感覚を前に、額に右手で触れた。
「でも結構、苦しいんだな……。自分勝手、自由に生きようとするってのは」
そう言って、白夜は前髪を軽く上げたのだった。
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