121 / 165
121 黒いガラス
しおりを挟む
宙に漂う黒い影は"容"を成してはいない。質量の気配も感じない。光に近いものであるとソニアは直感する。
そして同時に、それが"よくないもの"ということも感じ取っていた。それにしてはどこか既視感というか、感じたことがあるような不快感であったのだが。
「フィリア様……これは……」
「……想像しているよりも、数倍はくだらないものよ」
口にしたソニアの小さな声に、フィリアは湯から上げた腕を見つめながら言う。その指先にはソニアが目にした黒い靄と薄っすら繋がっている。
その靄はフィリアの指先から出現していた。
「私には、これが必要だった」
フィリアは力強く握りしめる。黒い靄は霧散し、ソニアの目の前から消滅した。不快な雰囲気も消滅して、今一度周囲の清麗さが際立つ。
嫌な違和感が去ったのも束の間。後にはそれはそれで口を開きにくい雰囲気が広がり出した。だがそれはすぐに消えることになる。
フィリアは軽く微笑んで瞳を閉じる。
「まあでも……」
ゆっくりと腕を上げて肩に湯の波をかけた。湯面の波紋が石の縁にあたっては消えていく。
「今この瞬間ぐらいは、ちょっと忘れても罰は当たらないはずよ。ここは戦場でも、利権が飛び交う渦中というわけでもないのだし……」
「……」
フィリアの言葉にはどこか含蓄があるように感じた。それもそのはず。彼女は"戦場"も"渦中"も断片的とはいえ経験しているのだから。
やはり自分とは出来も器も"違う"――ソニアはそう自覚して、自分が場違いなことがさらに浮き彫りになった気がした。
気分も同じく沈む。――と目を伏せたところで、その頬に優しい手が伸びた。
「……え」
「なんて顔してるの」
それはフィリアの手であった。その体温に触れられながら、ソニアは視線を上げる。そこにはソニアをじっと見つめるフィリアの顔があった。
青く澄んだ瞳がソニアをうつす。
「貴女に言ってるのよ。まったく、どうしてそんな張り詰めてるのかしら?」
「……いえ、そんなことは」
「じゃあ命令する」
フィリアの人差し指がソニアの額に触れた。ぴくんと反応するソニアに、フィリアはそのまま告げる。
「理由は言わなくてもいい。けど、張り詰めるのはやめなさい。折角の貴女が台無しよ」
じっと真っすぐ見つめられてはその意見に対抗することなどできなかった。しかしながらそれは少し無理なことでもある。
(張り詰めるなって言われても……)
なにせ劣等感の対象がすぐそばで歩いたり座ったりしているのだ。それをやめろというのは言語両断であり、自分が変わらない限り状況は変わらない。
フィリアは血統に加えて血がにじむ努力もしている。傍若無人な態度はその蓄積された努力の裏返しでもあるはず。それに追いつこうなどというのは何もかも足りない。それこそ天変地異とかが起きないと差は埋まらないだろう。
そして厄介なのがウィズだ。血統、努力もソニアは知らない。知っていると思っていた知らなったことすら最近まで知らなかった。
同時にこんなにたくさん一緒にいる経験もこれが初めてであり、下心から離れたくない気持ちもある。ジレンマだ。
「……」
でもさっきの言葉、少し嬉しかったりもした。
ソニアが言葉を返せずにいると、フィリアはふとぼやく。
「明日は特に用事もないわね」
「……えっ」
◆
「……」
自室のウィズ。飲み物を片手に、ベッドの前で立ち尽くしていた。
ベッドに隣接しておかれている机。その上に見覚えのないビー玉のような黒く染まりきった球体が転がっていた。
(……)
さっきまでは置いていなかった。それは確信できた。
その理由というのも、目の前にビー玉からは意識が惹かれる感覚を得ていたからだ。
(……やべーな)
ウィズは右手に魔法陣を展開し、机を蹴り上げた。宙に舞うビー玉。ウィズはそれをすぐに『緋閃』で撃ち抜く。
ビー玉自体に耐久性があるわけではなかった。緋色の魔力に当てられたビー玉は一瞬にして砕け散る。黒い欠片が散らばってはどこかへ落ちる前に消えていく。
実体が消えたのだろう。ビー玉に対する感覚も消えて、ウィズは一息ついた。
蹴り上げた時に場所がズレた机の位置を律儀にも直しつつ、悶々とした気持ちに毒づく。
(あの玉に"危険"は感じなかった)
机を直し、ベッドに腰を下ろしては倒れこむ。
(感じたのは"親近感"に似た何かだ。自分の一部が出現しているようだった。それが自意識に注視させてくる扇動性がある……。囮……いや、もしそうなら破壊した時にそのまま消滅するというのはおかしい。あのビー玉自体に仕掛けがあったと考えるのが有力か)
ぼーっと天井を見る。考えには出さない。けれども、さっきのビー玉に込められた感覚、とても親しみのある感情に気づていないはずがなかった。
「……ハハッ。話せねーよなぁ、オイ」
ウィズは一人で笑う。そこに介在する余地も必要もなく、それは自己完結するただの自嘲であった。
そして同時に、それが"よくないもの"ということも感じ取っていた。それにしてはどこか既視感というか、感じたことがあるような不快感であったのだが。
「フィリア様……これは……」
「……想像しているよりも、数倍はくだらないものよ」
口にしたソニアの小さな声に、フィリアは湯から上げた腕を見つめながら言う。その指先にはソニアが目にした黒い靄と薄っすら繋がっている。
その靄はフィリアの指先から出現していた。
「私には、これが必要だった」
フィリアは力強く握りしめる。黒い靄は霧散し、ソニアの目の前から消滅した。不快な雰囲気も消滅して、今一度周囲の清麗さが際立つ。
嫌な違和感が去ったのも束の間。後にはそれはそれで口を開きにくい雰囲気が広がり出した。だがそれはすぐに消えることになる。
フィリアは軽く微笑んで瞳を閉じる。
「まあでも……」
ゆっくりと腕を上げて肩に湯の波をかけた。湯面の波紋が石の縁にあたっては消えていく。
「今この瞬間ぐらいは、ちょっと忘れても罰は当たらないはずよ。ここは戦場でも、利権が飛び交う渦中というわけでもないのだし……」
「……」
フィリアの言葉にはどこか含蓄があるように感じた。それもそのはず。彼女は"戦場"も"渦中"も断片的とはいえ経験しているのだから。
やはり自分とは出来も器も"違う"――ソニアはそう自覚して、自分が場違いなことがさらに浮き彫りになった気がした。
気分も同じく沈む。――と目を伏せたところで、その頬に優しい手が伸びた。
「……え」
「なんて顔してるの」
それはフィリアの手であった。その体温に触れられながら、ソニアは視線を上げる。そこにはソニアをじっと見つめるフィリアの顔があった。
青く澄んだ瞳がソニアをうつす。
「貴女に言ってるのよ。まったく、どうしてそんな張り詰めてるのかしら?」
「……いえ、そんなことは」
「じゃあ命令する」
フィリアの人差し指がソニアの額に触れた。ぴくんと反応するソニアに、フィリアはそのまま告げる。
「理由は言わなくてもいい。けど、張り詰めるのはやめなさい。折角の貴女が台無しよ」
じっと真っすぐ見つめられてはその意見に対抗することなどできなかった。しかしながらそれは少し無理なことでもある。
(張り詰めるなって言われても……)
なにせ劣等感の対象がすぐそばで歩いたり座ったりしているのだ。それをやめろというのは言語両断であり、自分が変わらない限り状況は変わらない。
フィリアは血統に加えて血がにじむ努力もしている。傍若無人な態度はその蓄積された努力の裏返しでもあるはず。それに追いつこうなどというのは何もかも足りない。それこそ天変地異とかが起きないと差は埋まらないだろう。
そして厄介なのがウィズだ。血統、努力もソニアは知らない。知っていると思っていた知らなったことすら最近まで知らなかった。
同時にこんなにたくさん一緒にいる経験もこれが初めてであり、下心から離れたくない気持ちもある。ジレンマだ。
「……」
でもさっきの言葉、少し嬉しかったりもした。
ソニアが言葉を返せずにいると、フィリアはふとぼやく。
「明日は特に用事もないわね」
「……えっ」
◆
「……」
自室のウィズ。飲み物を片手に、ベッドの前で立ち尽くしていた。
ベッドに隣接しておかれている机。その上に見覚えのないビー玉のような黒く染まりきった球体が転がっていた。
(……)
さっきまでは置いていなかった。それは確信できた。
その理由というのも、目の前にビー玉からは意識が惹かれる感覚を得ていたからだ。
(……やべーな)
ウィズは右手に魔法陣を展開し、机を蹴り上げた。宙に舞うビー玉。ウィズはそれをすぐに『緋閃』で撃ち抜く。
ビー玉自体に耐久性があるわけではなかった。緋色の魔力に当てられたビー玉は一瞬にして砕け散る。黒い欠片が散らばってはどこかへ落ちる前に消えていく。
実体が消えたのだろう。ビー玉に対する感覚も消えて、ウィズは一息ついた。
蹴り上げた時に場所がズレた机の位置を律儀にも直しつつ、悶々とした気持ちに毒づく。
(あの玉に"危険"は感じなかった)
机を直し、ベッドに腰を下ろしては倒れこむ。
(感じたのは"親近感"に似た何かだ。自分の一部が出現しているようだった。それが自意識に注視させてくる扇動性がある……。囮……いや、もしそうなら破壊した時にそのまま消滅するというのはおかしい。あのビー玉自体に仕掛けがあったと考えるのが有力か)
ぼーっと天井を見る。考えには出さない。けれども、さっきのビー玉に込められた感覚、とても親しみのある感情に気づていないはずがなかった。
「……ハハッ。話せねーよなぁ、オイ」
ウィズは一人で笑う。そこに介在する余地も必要もなく、それは自己完結するただの自嘲であった。
0
あなたにおすすめの小説
友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。
石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。
だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった
何故なら、彼は『転生者』だから…
今度は違う切り口からのアプローチ。
追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。
こうご期待。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
美人四天王の妹とシテいるけど、僕は学校を卒業するまでモブに徹する、はずだった
ぐうのすけ
恋愛
【カクヨムでラブコメ週間2位】ありがとうございます!
僕【山田集】は高校3年生のモブとして何事もなく高校を卒業するはずだった。でも、義理の妹である【山田芽以】とシテいる現場をお母さんに目撃され、家族会議が開かれた。家族会議の結果隠蔽し、何事も無く高校を卒業する事が決まる。ある時学校の美人四天王の一角である【夏空日葵】に僕と芽以がベッドでシテいる所を目撃されたところからドタバタが始まる。僕の完璧なモブメッキは剥がれ、ヒマリに観察され、他の美人四天王にもメッキを剥され、何かを嗅ぎつけられていく。僕は、平穏無事に学校を卒業できるのだろうか?
『この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません』
戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件
さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。
数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、
今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、
わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。
彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。
それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。
今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。
「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」
「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」
「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」
「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」
命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!?
順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場――
ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。
これは――
【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と
【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、
“甘くて逃げ場のない生活”の物語。
――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。
※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。
魔王を倒した勇者を迫害した人間様方の末路はなかなか悲惨なようです。
カモミール
ファンタジー
勇者ロキは長い冒険の末魔王を討伐する。
だが、人間の王エスカダルはそんな英雄であるロキをなぜか認めず、
ロキに身の覚えのない罪をなすりつけて投獄してしまう。
国民たちもその罪を信じ勇者を迫害した。
そして、処刑場される間際、勇者は驚きの発言をするのだった。
この聖水、泥の味がする ~まずいと追放された俺の作るポーションが、実は神々も欲しがる奇跡の霊薬だった件~
夏見ナイ
ファンタジー
「泥水神官」と蔑まれる下級神官ルーク。彼が作る聖水はなぜか茶色く濁り、ひどい泥の味がした。そのせいで無能扱いされ、ある日、無実の罪で神殿から追放されてしまう。
全てを失い流れ着いた辺境の村で、彼は自らの聖水が持つ真の力に気づく。それは浄化ではなく、あらゆる傷や病、呪いすら癒す奇跡の【創生】の力だった!
ルークは小さなポーション屋を開き、まずいけどすごい聖水で村人たちを救っていく。その噂は広まり、呪われた女騎士やエルフの薬師など、訳ありな仲間たちが次々と集結。辺境の村はいつしか「癒しの郷」へと発展していく。
一方、ルークを追放した王都では聖女が謎の病に倒れ……。
落ちこぼれ神官の、痛快な逆転スローライフ、ここに開幕!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる