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1.近所のおっさん失踪事件
1-9. グルウ・リンク商会の少年
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(……なんかどっと疲れたなあ)
ギルドでの用事は大した時間もかからなかったはずだが、職場には通常より一時間程遅れての到着となった。
乗っていたトラムの調子が悪く、「走ったほうがはやいのでは?」という速度でしか進まなかったこと。
なによりもトラム停留所近くのコーヒースタンドで一服したことが主な原因だが、本来の契約時間に遅れているわけではないので特に罪悪感はない。
寄り道は、ただの気分転換である。
気持ちのリセットの時間が必要。そう判断し、店で一番苦いコーヒーを胃と心と脳に流し込んだ。
その甲斐あってか気持ちの波は幾分収まってはいるものの、コーヒーにはこのテの疲労をとる効果まで含まれてはいない。
普段よりゆったりとした動作でコックコートを着込みつつ、時計を見る。
時間のかかる仕込みは昨夜のうちに済ませてあるし、普段から余裕をもって行動しているため多少の遅れは問題ない。
あと30分もすればカスガとチルが出勤してくる。店の掃除や開店準備は二人に任せてしまえばいいので、今日のルーティンからは外す。
そこまで考えて、気になるのは残りの食材の行方である。
配達を寄越すといっていた時間に間に合うように出てきたが今のところその気配はない。
約束の時間まではあとほんの数分程。果たして無事に到着するのだろうかと、慣れない配達システムを思考を持っていかれてしまうのだ。
(……大丈夫、だよな?)
カナチカが、仕事の約束を違えることはないだろう。
たった一日の付き合いでも、それだけははっきりとわかる。
話しながら、証拠とばかりにきっちりとメモを取る。これは彼の癖なのだろう。そんな彼に、「メモを読む」癖がないとは考えにくいからだ。
けれど、人が多く集まる場所にトラブルはつきものというもの。
現場の仕切りを任されている以上、万が一のことも考えておく必要があるかもしれない。
(……今日はトラムが詰まってる。倉庫市場ならギリ徒歩圏内だけど、行くならすぐにでも動かないと厳しい)
あちからからの配達が届くのが早いか(そもそもきちんと来るのか)
自分が行くのが早いか(入れ違いになる可能性もある)
うんうんと頭を悩ませながらも一度着込んだコートを脱いで、テーブルに置く。
動くならいま。
出るか。
待つか。
脳内会議が盛り上がりを見せ始めた、まさにその時。
店のドアがドンドン、と揺れた。
ノックにしては強め。どちらかというと体当たりに近い物音だが、ガラス越しに大きな箱が見えたことで慌ててドアに駆け寄る。
「おはようございます!グルウ・リンク商会から、商品のお届けに参りました!」
――待ち人来る、の瞬間である。
ドアを開けると、両手で大きな木箱を抱えた少年が一人。
レンガ色の髪に、クロスグリの瞳。そのひたすらに明るい表情には何の憂いも、計算も、労働者特有の疲労感もない。
まさに元気溌剌といった様子でさわやかな笑顔を見せる少年を前に、スミは思わず目を細めた。
(ま、まぶしい……)
「えっと、中身の確認をお願いしたいんですが、そのまま中へ搬入してもいいですか?」
「あ、はい。お願いします。正面のカウンターの上に乗せてください」
「了解しました!」
少年はスミに導かれるまま、急ぎ足で店内に入った。
すれ違いざま、少年から爽やかな柑橘の匂いがして、爽やかな生き物は体臭まで爽やかなのかと感動してしまう。(勿論そんなわけはないのだが)
服装は、白地に薄い青のストライプが入ったシャツ。黒のスラックスに、履きこまれた黒の革靴というシンプルなもの。
だがどれも仕立てはよく、労働者にしては小奇麗な服装をしているのも高ポイントだ。
(流石、グルウ・リンク商会ってことか……)
「ほぼ時間ぴったりだな……すみません、余裕をもって出てきたんですが」
「ちゃんと間に合ってるので大丈夫ですよ。今日はトラムも詰まってましたし……むしろ余計な仕事を増やしてしまって、すみません」
「いえいえ! カナチカさんのご指示ですし、理由あってのことでしょう? お役に立てたのであれば、余計なんてことはありませんよ」
どこまでもにこやかに、爽やかに。
スミも接客業の人間として、売り物にできるくらいの愛想は身に着けている。
しかし彼はまだ子供といえる年齢である。
同じ年頃の弟や自分の子供時代を重ねてみても、かなり大人びたこの道の「プロ」であることは間違いない。
(ていうか、ちょっとカナに似てるな……?)
「えーっと、あった。こちらが納品書になります。黄色いほうがうちので、もう一枚が畜産市場のものです。お代はカナチカさんから戴いていますので、支払われるのではればそちらに」
「払います。……でも、なんか安くないですか?」
発注書と、納品書。そして実際に届けられた商品を照らし合わせて、中身に問題がないことを確認する。
問題はない。食材の質も最高のもので、そうなると疑問として残るのは納品書に書かれた代金だ。
毎日同じ金額というわけではないが、それでも相場というものはある。
組んだ予算よりかなり控え目に抑えられたその金額に、スミはしっかりと待ったをかけた。
安ければ安いほどありがたいのは当然だが、その理由を聞かないまま享受できるほど世間知らずでもない。
「ああ、多分施設使用料が乗ってないんだと思います」
「使用料?」
「倉庫市場では、施設の運営資金として販売額の5%を頂戴しています。今回は施設運営者のカナチカさんが自分でお買い物をしてたので……」
「あー…なるほど」
そういわれると確かに納得。
彼が自分の施設を使うのに、利用料金を払う必要はない。
「……それにしても安い気はしますけど、まあその分は値切ったんでしょう。市場のおじさんたち、カナチカさんには甘いから。かわいくお願いされたら、イイヨーって言っちゃいそう」
「あいつ、普段そういう感じ?」
それは知りたくなかったかもしれない。
どちらかというと格好良い、頼れる部類の男だと認識していた友人の媚態を想像し、スミは思わず眉をしかめた。
その様子に、少年はくくっと、殺しきれていない笑顔を浮かべる。
「可愛がられてるのは間違いないですね。雇い主だけど」
雇い主だけど『可愛がられている』
その違和感に思わず首をかしげるスミに、少年は今度は遠慮なく、楽しげに笑った。
「うちのボス、いいでしょう」とでも言いたげなその表情から感じるのは、純粋な好意だ。
ギルドでの用事は大した時間もかからなかったはずだが、職場には通常より一時間程遅れての到着となった。
乗っていたトラムの調子が悪く、「走ったほうがはやいのでは?」という速度でしか進まなかったこと。
なによりもトラム停留所近くのコーヒースタンドで一服したことが主な原因だが、本来の契約時間に遅れているわけではないので特に罪悪感はない。
寄り道は、ただの気分転換である。
気持ちのリセットの時間が必要。そう判断し、店で一番苦いコーヒーを胃と心と脳に流し込んだ。
その甲斐あってか気持ちの波は幾分収まってはいるものの、コーヒーにはこのテの疲労をとる効果まで含まれてはいない。
普段よりゆったりとした動作でコックコートを着込みつつ、時計を見る。
時間のかかる仕込みは昨夜のうちに済ませてあるし、普段から余裕をもって行動しているため多少の遅れは問題ない。
あと30分もすればカスガとチルが出勤してくる。店の掃除や開店準備は二人に任せてしまえばいいので、今日のルーティンからは外す。
そこまで考えて、気になるのは残りの食材の行方である。
配達を寄越すといっていた時間に間に合うように出てきたが今のところその気配はない。
約束の時間まではあとほんの数分程。果たして無事に到着するのだろうかと、慣れない配達システムを思考を持っていかれてしまうのだ。
(……大丈夫、だよな?)
カナチカが、仕事の約束を違えることはないだろう。
たった一日の付き合いでも、それだけははっきりとわかる。
話しながら、証拠とばかりにきっちりとメモを取る。これは彼の癖なのだろう。そんな彼に、「メモを読む」癖がないとは考えにくいからだ。
けれど、人が多く集まる場所にトラブルはつきものというもの。
現場の仕切りを任されている以上、万が一のことも考えておく必要があるかもしれない。
(……今日はトラムが詰まってる。倉庫市場ならギリ徒歩圏内だけど、行くならすぐにでも動かないと厳しい)
あちからからの配達が届くのが早いか(そもそもきちんと来るのか)
自分が行くのが早いか(入れ違いになる可能性もある)
うんうんと頭を悩ませながらも一度着込んだコートを脱いで、テーブルに置く。
動くならいま。
出るか。
待つか。
脳内会議が盛り上がりを見せ始めた、まさにその時。
店のドアがドンドン、と揺れた。
ノックにしては強め。どちらかというと体当たりに近い物音だが、ガラス越しに大きな箱が見えたことで慌ててドアに駆け寄る。
「おはようございます!グルウ・リンク商会から、商品のお届けに参りました!」
――待ち人来る、の瞬間である。
ドアを開けると、両手で大きな木箱を抱えた少年が一人。
レンガ色の髪に、クロスグリの瞳。そのひたすらに明るい表情には何の憂いも、計算も、労働者特有の疲労感もない。
まさに元気溌剌といった様子でさわやかな笑顔を見せる少年を前に、スミは思わず目を細めた。
(ま、まぶしい……)
「えっと、中身の確認をお願いしたいんですが、そのまま中へ搬入してもいいですか?」
「あ、はい。お願いします。正面のカウンターの上に乗せてください」
「了解しました!」
少年はスミに導かれるまま、急ぎ足で店内に入った。
すれ違いざま、少年から爽やかな柑橘の匂いがして、爽やかな生き物は体臭まで爽やかなのかと感動してしまう。(勿論そんなわけはないのだが)
服装は、白地に薄い青のストライプが入ったシャツ。黒のスラックスに、履きこまれた黒の革靴というシンプルなもの。
だがどれも仕立てはよく、労働者にしては小奇麗な服装をしているのも高ポイントだ。
(流石、グルウ・リンク商会ってことか……)
「ほぼ時間ぴったりだな……すみません、余裕をもって出てきたんですが」
「ちゃんと間に合ってるので大丈夫ですよ。今日はトラムも詰まってましたし……むしろ余計な仕事を増やしてしまって、すみません」
「いえいえ! カナチカさんのご指示ですし、理由あってのことでしょう? お役に立てたのであれば、余計なんてことはありませんよ」
どこまでもにこやかに、爽やかに。
スミも接客業の人間として、売り物にできるくらいの愛想は身に着けている。
しかし彼はまだ子供といえる年齢である。
同じ年頃の弟や自分の子供時代を重ねてみても、かなり大人びたこの道の「プロ」であることは間違いない。
(ていうか、ちょっとカナに似てるな……?)
「えーっと、あった。こちらが納品書になります。黄色いほうがうちので、もう一枚が畜産市場のものです。お代はカナチカさんから戴いていますので、支払われるのではればそちらに」
「払います。……でも、なんか安くないですか?」
発注書と、納品書。そして実際に届けられた商品を照らし合わせて、中身に問題がないことを確認する。
問題はない。食材の質も最高のもので、そうなると疑問として残るのは納品書に書かれた代金だ。
毎日同じ金額というわけではないが、それでも相場というものはある。
組んだ予算よりかなり控え目に抑えられたその金額に、スミはしっかりと待ったをかけた。
安ければ安いほどありがたいのは当然だが、その理由を聞かないまま享受できるほど世間知らずでもない。
「ああ、多分施設使用料が乗ってないんだと思います」
「使用料?」
「倉庫市場では、施設の運営資金として販売額の5%を頂戴しています。今回は施設運営者のカナチカさんが自分でお買い物をしてたので……」
「あー…なるほど」
そういわれると確かに納得。
彼が自分の施設を使うのに、利用料金を払う必要はない。
「……それにしても安い気はしますけど、まあその分は値切ったんでしょう。市場のおじさんたち、カナチカさんには甘いから。かわいくお願いされたら、イイヨーって言っちゃいそう」
「あいつ、普段そういう感じ?」
それは知りたくなかったかもしれない。
どちらかというと格好良い、頼れる部類の男だと認識していた友人の媚態を想像し、スミは思わず眉をしかめた。
その様子に、少年はくくっと、殺しきれていない笑顔を浮かべる。
「可愛がられてるのは間違いないですね。雇い主だけど」
雇い主だけど『可愛がられている』
その違和感に思わず首をかしげるスミに、少年は今度は遠慮なく、楽しげに笑った。
「うちのボス、いいでしょう」とでも言いたげなその表情から感じるのは、純粋な好意だ。
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