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第7話 夜の白百合は夢を見る
「あの。ご主人様、メイリーンさんのお気持ちは嬉しいですが、やはりご厚意に甘えるわけにはまいりません」
メイリーンさんが立ち去った後、私はご主人にお断りの話をした。
「いいや。メイリーンからの回収のほうがはるかに確実で早いから、私はあの子の提案に乗るよ。君もあの子がそうしろと言うのだからそうしなさい」
「そんな訳にはまいりません。自分で作った借金は自分で返さないと気が済みません」
「君もなかなか頑固だね。生真面目というか。メイリーンに似ているところがあるよ」
ご主人はくすりと笑うと、既に扉の外に消えたメイリーンさんの背を追うかのように視線を横に流した。
「あの子はね、メイリーンは男性に一晩の美しい夢を売っているが、本当は誰よりも美しい夢を見たがっている子なんだ」
「え?」
「ここを出て行く時は好いた男の元へ行く時だという夢をね」
「……先ほどのお話の方ですか?」
そう尋ねると、ご主人は朗らかに笑う。
「やはり君でも分かってしまったかね。普段はどんなに権威のある人間に対しても媚びず、なびかず、屈しもしない、またそれが許される彼女だが、ひとたび彼の話となると途端に無垢な少女のようになるんだよ。本人を前にすると澄まし顔を装っているがね。数多の男性から好意を抱かれる中で、彼女が唯一その思いに応えたいと心に秘めている人物なのだろうね」
ご主人の言う通り、先ほどのメイリーンさんは、最初に衝撃を受けた妖艶な女性の姿ではなかった。ほのかな恋心を抱く少女のようだった。
「だが、彼女の身請け金は莫大だ。自分の夢が叶うことはないだろうと彼女は思っている。一介の人間にたやすく支払える額ではないからね。それに加えて、謹直に生きる彼に、花を売る自分はふさわしくないとも思っているのだろう。ならばせめて誰も自分を身請けできないようにと、わざと借金を増やそうとしているのだと思う」
メイリーンさんの秘めたる思いに胸が詰まる。
何でも手に入りそうな彼女が唯一手にすることができない望み。
「私も何とかあの子を解放してやりたいと考えているが、そんな私の思惑とは裏腹に、彼女は次から次へと他の花の借金を肩代わりしては膨らませていくんだ。そんなに借金をこしらえて、お前さんが年老いてまで面倒見切れないぞと戒めたら、年老いては私が親父様の面倒を見て、最期を看取るのだから大丈夫、とか言ってね」
涙ぐみながら笑うご主人は、きっとメイリーンさんのことを実の娘のように愛しているのだろう。
「だからエリーゼさん。メイリーンを少しでも哀れに思うのならば、彼女の願いの手助けをしてやってくれ」
「…………はい。ありがとうございます」
思いを受け止めて頷くと、滲んだ世界の中に穏やかに笑うご主人の顔が見えた。
それから四日。
新しい環境に悪戦苦闘するだろうと思われたが、メイリーンさんがうまく便宜を図ってくださって、とても快適に過ごせている。
私は花ではないのだから、客を迎える夜は自室に引きこもっておくようにと言われた。けれど同じ館に身を置く者として、つまずかないように小石さえ取り除かれた綺麗な道を自分だけを歩くのは許されないと思った。だから私は自分も仕事しますと張り切った――ものの、初日は卒倒して迷惑をかけてしまった。だから言ったでしょうと、呆れたメイリーンさんのお顔も変わらず綺麗だなとぼんやりとした頭で考えた。
メイリーンさんはとにかく年下の子たちの面倒見が良く、館で働く子たちから姉さんと呼ばれて慕われているのがよく分かる。
「エリーゼ。薬師のあなたを見込んで話をするのだけれど、私たちの仕事ではね、切っても切り離せない病気があるの」
そんなメイリーンさんが表情を陰らせて私に相談を持ちかけた。
花街の人間が多く罹患することから、花毒と言われている病気のことだろう。
「はい。存じております。現在、急務で研究中です」
花のお手伝いは初日で禁止され、部屋の一室が貸し出されて薬師としての仕事をするようにと仰せつかった。私が作った薬を服用して効果を実感していただいたこともあるようだ。ただ、備品はここにあるもので代用するしかないので大がかりなものはできない。
「治せるの?」
メイリーンさんの目に希望の光が灯ったのが分かった。
自分は幸いにもいまだ花病にはかからず健康でいたとのことだが、これまで何人もの床に伏す女性を見送ってきたと言う。私を助けてくれたメイリーンさんやご主人のためにも、すぐに私を受け入れてくれた館の皆さんのためにも何とか力になりたい。
「……予防したり、発症させないようにしたり、進行を抑制したり、症状の緩和などが可能です。ただ、そうしてそのまま大きな障害が出ずに、人生を終えられた方がいるという研究結果もあります」
「そう」
明言を避ける私を責めることはなく、メイリーンさんは頷いた。
「それだけでも十分だわ。ここにいる者は皆、苦労人ばかりなのよ。苦しみなく、人生を全うさせてあげたい」
「はい。精一杯務めさせていただきます」
「ありがとう。お願いね」
「はい!」
もう少し設備が整った所で、かつ薬草を種類豊富に入手できれば、より効果的な薬を作ることができるけれど、ただでさえ、私は借金を抱えているのだ。これ以上、設備や薬草にお金をかけてくれとは言えない。今あるものの中で何とか作り上げたい。皆を健康にしたい。皆の健康は、笑顔は私が守る。それが私に与えられた使命だ。
――そう思っていたのに、またもやその夜、事態は急展開を迎えた。
メイリーンさんが立ち去った後、私はご主人にお断りの話をした。
「いいや。メイリーンからの回収のほうがはるかに確実で早いから、私はあの子の提案に乗るよ。君もあの子がそうしろと言うのだからそうしなさい」
「そんな訳にはまいりません。自分で作った借金は自分で返さないと気が済みません」
「君もなかなか頑固だね。生真面目というか。メイリーンに似ているところがあるよ」
ご主人はくすりと笑うと、既に扉の外に消えたメイリーンさんの背を追うかのように視線を横に流した。
「あの子はね、メイリーンは男性に一晩の美しい夢を売っているが、本当は誰よりも美しい夢を見たがっている子なんだ」
「え?」
「ここを出て行く時は好いた男の元へ行く時だという夢をね」
「……先ほどのお話の方ですか?」
そう尋ねると、ご主人は朗らかに笑う。
「やはり君でも分かってしまったかね。普段はどんなに権威のある人間に対しても媚びず、なびかず、屈しもしない、またそれが許される彼女だが、ひとたび彼の話となると途端に無垢な少女のようになるんだよ。本人を前にすると澄まし顔を装っているがね。数多の男性から好意を抱かれる中で、彼女が唯一その思いに応えたいと心に秘めている人物なのだろうね」
ご主人の言う通り、先ほどのメイリーンさんは、最初に衝撃を受けた妖艶な女性の姿ではなかった。ほのかな恋心を抱く少女のようだった。
「だが、彼女の身請け金は莫大だ。自分の夢が叶うことはないだろうと彼女は思っている。一介の人間にたやすく支払える額ではないからね。それに加えて、謹直に生きる彼に、花を売る自分はふさわしくないとも思っているのだろう。ならばせめて誰も自分を身請けできないようにと、わざと借金を増やそうとしているのだと思う」
メイリーンさんの秘めたる思いに胸が詰まる。
何でも手に入りそうな彼女が唯一手にすることができない望み。
「私も何とかあの子を解放してやりたいと考えているが、そんな私の思惑とは裏腹に、彼女は次から次へと他の花の借金を肩代わりしては膨らませていくんだ。そんなに借金をこしらえて、お前さんが年老いてまで面倒見切れないぞと戒めたら、年老いては私が親父様の面倒を見て、最期を看取るのだから大丈夫、とか言ってね」
涙ぐみながら笑うご主人は、きっとメイリーンさんのことを実の娘のように愛しているのだろう。
「だからエリーゼさん。メイリーンを少しでも哀れに思うのならば、彼女の願いの手助けをしてやってくれ」
「…………はい。ありがとうございます」
思いを受け止めて頷くと、滲んだ世界の中に穏やかに笑うご主人の顔が見えた。
それから四日。
新しい環境に悪戦苦闘するだろうと思われたが、メイリーンさんがうまく便宜を図ってくださって、とても快適に過ごせている。
私は花ではないのだから、客を迎える夜は自室に引きこもっておくようにと言われた。けれど同じ館に身を置く者として、つまずかないように小石さえ取り除かれた綺麗な道を自分だけを歩くのは許されないと思った。だから私は自分も仕事しますと張り切った――ものの、初日は卒倒して迷惑をかけてしまった。だから言ったでしょうと、呆れたメイリーンさんのお顔も変わらず綺麗だなとぼんやりとした頭で考えた。
メイリーンさんはとにかく年下の子たちの面倒見が良く、館で働く子たちから姉さんと呼ばれて慕われているのがよく分かる。
「エリーゼ。薬師のあなたを見込んで話をするのだけれど、私たちの仕事ではね、切っても切り離せない病気があるの」
そんなメイリーンさんが表情を陰らせて私に相談を持ちかけた。
花街の人間が多く罹患することから、花毒と言われている病気のことだろう。
「はい。存じております。現在、急務で研究中です」
花のお手伝いは初日で禁止され、部屋の一室が貸し出されて薬師としての仕事をするようにと仰せつかった。私が作った薬を服用して効果を実感していただいたこともあるようだ。ただ、備品はここにあるもので代用するしかないので大がかりなものはできない。
「治せるの?」
メイリーンさんの目に希望の光が灯ったのが分かった。
自分は幸いにもいまだ花病にはかからず健康でいたとのことだが、これまで何人もの床に伏す女性を見送ってきたと言う。私を助けてくれたメイリーンさんやご主人のためにも、すぐに私を受け入れてくれた館の皆さんのためにも何とか力になりたい。
「……予防したり、発症させないようにしたり、進行を抑制したり、症状の緩和などが可能です。ただ、そうしてそのまま大きな障害が出ずに、人生を終えられた方がいるという研究結果もあります」
「そう」
明言を避ける私を責めることはなく、メイリーンさんは頷いた。
「それだけでも十分だわ。ここにいる者は皆、苦労人ばかりなのよ。苦しみなく、人生を全うさせてあげたい」
「はい。精一杯務めさせていただきます」
「ありがとう。お願いね」
「はい!」
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