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第26話 ハンカチの記憶
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シメオン様のエスコートを受けて馬車に乗りこみ、動き出したところで私は気になっていたことを尋ねてみることにした。
「旦那様、あれからロザレス福祉施設の調査は行っているのですか?」
「ああ。本来なら国から派遣された調査員が不正を指摘し、改善命令を出すことができるのであればそれが一番だが、施設の数の多さで手が回らない状態にある。どうしても貴族の援助や後ろ盾がなく、困窮している福祉施設のほうへ先に気を向けなければならないからな」
確かに調査する順番としては間違っていない気もする。
「つまり旦那様方のお仕事としては、調査員の手が回らない施設を調査するということなのですね」
「ああ。ただし、国の調査員とうちが協力して行うわけではない。あくまでも我々は不正の疑いが濃厚な施設を秘密裏に調査する。……まあ、調査対象は他にもあるが、ここでは言わないでおこう。とにかくそういう所ほど裏に中級程度の貴族がいて、普通の調査員では手が出せない部分がある」
国から派遣されているとは言え、調査員がそれだけの権限を持たされているわけではないのか。いや、その前に身分制の存在があまりにも大きすぎるのだろう。
「ではどうするのですか?」
「一つは貴族を施設の保証人から引きずり下ろすこと。もう一つは施設に密偵を潜入させることだ。少年が言っていただろう。ロザレス福祉施設は幼い子供しか受け入れないと。そこで施設関係者の間に噂を流すよう指示した」
「噂?」
「最近、この地域で抜き打ち調査が行われているらしいが、審査はより厳しくなって、分別のつく年齢の子供たちからも話を聞いていると。ロザレス福祉施設は慌ててその年齢層の児童を受け入れるはずだ。そこにこちらの人間を潜入させる」
「それはつまり子供をですか!?」
児童施設に入れるのは十八歳までだ。しかしそんな院長なら、分別が良すぎる少年の受け入れは忌避するだろう。もう少し低年齢の人物を受け入れようとするはずだ。
「ああ。君が危惧していることは分かる。だが密偵の一族として、幼い頃より厳しい訓練を積んできている子供だ。普通の子供ではない」
「そう、なのですか。私腹を肥やす貴族がいる一方で、その貴族を摘発するために幼い頃から厳しい訓練を積む子供たちがいるのですか。同じ貴族なのに正しくあろうとする者ほど、背負わされるものが大きく重いのですね……」
それはきっとシメオン様も同じことだろう。幼い頃より厳しい訓練を強いられ、子供の時にしか得られない何かを奪われ、任務を確実に遂行するために感情さえ捨てさせられることもあったのかもしれない。得られるものより失ったもののほうがはるかに多いのではないだろうか。
シメオン様は何か言おうと口を開いたけれど、結局何も言わずじまいだった。
サリナス福祉施設に到着すると、小さな子がぱたぱと玄関にやって来て、こんにちはと元気よく挨拶をしてくれたけれどすぐに中へ戻った。人を呼んでくれたらしい。入れ替わりに玄関へとやって来たその人はロキ君だった。
「ロキ君!」
「あ! お姉さん。本当に来たんだ……」
「あら。私が嘘をつくと思っていたの?」
「ううん。お姉さんが来ることは信じていた。だけど」
ロキ君はちらりと私の隣にいるシメオン様を仰ぎ見る。
「本当にこの人を引きずって来れるのかな、とは思っていた」
「私、こう見えても力持ちなの」
「そうなんだ」
これは本気で信じたわけではないだろうけれど、彼は柔らかく笑った。
「あなたも私との約束を守ってくれたのね」
「うん。お姉さん、エリーゼさんとの約束だからね。あ。院長に会いに来たんだよね。案内するよ」
そう言って先導してくれるロキ君に従って私たちは歩き出す。
「ロキ君、腕の怪我の状態はいかが?」
「ありがとう。応急処置が良かったんだって。後は自然と傷が治るのを待つだけだって」
「そう! 良かった」
「ああ、そうだ。ハンカチを返さなくちゃ。ごめん、エリーゼさん。一生懸命洗ったんだけど色が落ちなくて」
足を止めて振り返ったロキ君は、私にハンカチを差し出した。
布に付いた血の色は取れにくいものだ。
「そんなの気にしなくていいのよ。それに返してもらわなくても良かったのに」
「……本当? だったらもらってもいい?」
「な」
言葉を発したのはシメオン様だ。
私とロキ君は彼を仰ぎ見る。
「駄目だ、などとは一言も言っていないぞ」
「そうですね? 一言も聞いておりませんが」
そもそもこれは私のハンカチだし。
「そうだ。私のことはいいから話を続ければいい」
変な方。
そう思いながら私はロキ君に向き直る。
「ロキ君、お話の続きを聞かせてくれる?」
「うん。あのね。エリーゼさんに親切にしてもらったことと、自分が人を傷つけてきたことを忘れないようにしたいんだ」
彼の腕の傷はもしかしたら、誰かを傷つけたことで負ってしまったものなのかもしれない。けれど人への感謝の気持ちを忘れず、自分の過ちから逃げずに反省ができるこの子は、これからはきっと真っすぐに生きていってくれることだろう。
「そう。だったらぜひもらってほしいわ」
「ありがとう。大事にするよ」
ロキ君は胸にハンカチを抱いて微笑むとまた歩き出す。
彼のまだ大人になりきらない透明感のある笑顔と過去の誰かとが重なり、こんな風に今も私のハンカチを大事にしてくれているのだろうかと思った。
……ん? ハンカチを大事にしてくれるのだろうか? もしかして先ほどシメオン様の言った通り、私はハンカチで誰かに手当したことがあるのだろうか。
うーん。そう言われるとあるような、ないような。いや。でもこれまでお店でお客様の手当をしたりしたから、その記憶とごっちゃになっているのだろうか。
頭を悩ませていると、ロキ君が立ち止まっている私を促す声に我に返り、私は慌てて彼を追った。
「旦那様、あれからロザレス福祉施設の調査は行っているのですか?」
「ああ。本来なら国から派遣された調査員が不正を指摘し、改善命令を出すことができるのであればそれが一番だが、施設の数の多さで手が回らない状態にある。どうしても貴族の援助や後ろ盾がなく、困窮している福祉施設のほうへ先に気を向けなければならないからな」
確かに調査する順番としては間違っていない気もする。
「つまり旦那様方のお仕事としては、調査員の手が回らない施設を調査するということなのですね」
「ああ。ただし、国の調査員とうちが協力して行うわけではない。あくまでも我々は不正の疑いが濃厚な施設を秘密裏に調査する。……まあ、調査対象は他にもあるが、ここでは言わないでおこう。とにかくそういう所ほど裏に中級程度の貴族がいて、普通の調査員では手が出せない部分がある」
国から派遣されているとは言え、調査員がそれだけの権限を持たされているわけではないのか。いや、その前に身分制の存在があまりにも大きすぎるのだろう。
「ではどうするのですか?」
「一つは貴族を施設の保証人から引きずり下ろすこと。もう一つは施設に密偵を潜入させることだ。少年が言っていただろう。ロザレス福祉施設は幼い子供しか受け入れないと。そこで施設関係者の間に噂を流すよう指示した」
「噂?」
「最近、この地域で抜き打ち調査が行われているらしいが、審査はより厳しくなって、分別のつく年齢の子供たちからも話を聞いていると。ロザレス福祉施設は慌ててその年齢層の児童を受け入れるはずだ。そこにこちらの人間を潜入させる」
「それはつまり子供をですか!?」
児童施設に入れるのは十八歳までだ。しかしそんな院長なら、分別が良すぎる少年の受け入れは忌避するだろう。もう少し低年齢の人物を受け入れようとするはずだ。
「ああ。君が危惧していることは分かる。だが密偵の一族として、幼い頃より厳しい訓練を積んできている子供だ。普通の子供ではない」
「そう、なのですか。私腹を肥やす貴族がいる一方で、その貴族を摘発するために幼い頃から厳しい訓練を積む子供たちがいるのですか。同じ貴族なのに正しくあろうとする者ほど、背負わされるものが大きく重いのですね……」
それはきっとシメオン様も同じことだろう。幼い頃より厳しい訓練を強いられ、子供の時にしか得られない何かを奪われ、任務を確実に遂行するために感情さえ捨てさせられることもあったのかもしれない。得られるものより失ったもののほうがはるかに多いのではないだろうか。
シメオン様は何か言おうと口を開いたけれど、結局何も言わずじまいだった。
サリナス福祉施設に到着すると、小さな子がぱたぱと玄関にやって来て、こんにちはと元気よく挨拶をしてくれたけれどすぐに中へ戻った。人を呼んでくれたらしい。入れ替わりに玄関へとやって来たその人はロキ君だった。
「ロキ君!」
「あ! お姉さん。本当に来たんだ……」
「あら。私が嘘をつくと思っていたの?」
「ううん。お姉さんが来ることは信じていた。だけど」
ロキ君はちらりと私の隣にいるシメオン様を仰ぎ見る。
「本当にこの人を引きずって来れるのかな、とは思っていた」
「私、こう見えても力持ちなの」
「そうなんだ」
これは本気で信じたわけではないだろうけれど、彼は柔らかく笑った。
「あなたも私との約束を守ってくれたのね」
「うん。お姉さん、エリーゼさんとの約束だからね。あ。院長に会いに来たんだよね。案内するよ」
そう言って先導してくれるロキ君に従って私たちは歩き出す。
「ロキ君、腕の怪我の状態はいかが?」
「ありがとう。応急処置が良かったんだって。後は自然と傷が治るのを待つだけだって」
「そう! 良かった」
「ああ、そうだ。ハンカチを返さなくちゃ。ごめん、エリーゼさん。一生懸命洗ったんだけど色が落ちなくて」
足を止めて振り返ったロキ君は、私にハンカチを差し出した。
布に付いた血の色は取れにくいものだ。
「そんなの気にしなくていいのよ。それに返してもらわなくても良かったのに」
「……本当? だったらもらってもいい?」
「な」
言葉を発したのはシメオン様だ。
私とロキ君は彼を仰ぎ見る。
「駄目だ、などとは一言も言っていないぞ」
「そうですね? 一言も聞いておりませんが」
そもそもこれは私のハンカチだし。
「そうだ。私のことはいいから話を続ければいい」
変な方。
そう思いながら私はロキ君に向き直る。
「ロキ君、お話の続きを聞かせてくれる?」
「うん。あのね。エリーゼさんに親切にしてもらったことと、自分が人を傷つけてきたことを忘れないようにしたいんだ」
彼の腕の傷はもしかしたら、誰かを傷つけたことで負ってしまったものなのかもしれない。けれど人への感謝の気持ちを忘れず、自分の過ちから逃げずに反省ができるこの子は、これからはきっと真っすぐに生きていってくれることだろう。
「そう。だったらぜひもらってほしいわ」
「ありがとう。大事にするよ」
ロキ君は胸にハンカチを抱いて微笑むとまた歩き出す。
彼のまだ大人になりきらない透明感のある笑顔と過去の誰かとが重なり、こんな風に今も私のハンカチを大事にしてくれているのだろうかと思った。
……ん? ハンカチを大事にしてくれるのだろうか? もしかして先ほどシメオン様の言った通り、私はハンカチで誰かに手当したことがあるのだろうか。
うーん。そう言われるとあるような、ないような。いや。でもこれまでお店でお客様の手当をしたりしたから、その記憶とごっちゃになっているのだろうか。
頭を悩ませていると、ロキ君が立ち止まっている私を促す声に我に返り、私は慌てて彼を追った。
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