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第17話 ※ティアナ視点(4):生きる意味を見出すまで
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「私は愚かね。愚か。みんな愚か。みんなみんな愚か。……だが」
我知らず口からこぼれ落ちる。
「だから人間は面白い」
『だから人間は面白い』
私の声に低い男性の声が重なって発せられると、ヴィオレーヌ様はぎょっとした表情を浮かべた。
「ティ、アナ……様?」
「そう思わないか。ティアナ」
『そう思わないか。ティアナ』
楽しそうに問いかけて私の横に音もなく姿を現したのは、黒髪に金の瞳を持つ、この世の者とは思えないほどの美貌を持った男性だった。そして背には全ての色を飲み込む漆黒の翼。
私に手を差し伸べてくれたのは神ではない。人間の欲望、悪意や恐怖などの負の感情を糧とする――美しい悪魔だった。
「魔王!? 倒したはずなのに!」
経験を積んだアルバート様には畏怖の念を抱かせる程の力に気付いたのだろう。
ヴィオレーヌ様の前に立った彼が顔色を変え、謁見室にはざわめきと恐怖が広がる。
「人間界でしか魔王気取りできない下級悪魔と同列に語られるとは心外だ」
「あれが下級悪魔だった……?」
「あまりにも簡単に消滅させては面白くないからな。力加減した。何より糧となる人間の恐怖が減る」
薄く唇を引くその姿は美しくも寒気で身震いするほどの嗤いだ。
「ティアナ、今のお前の絶望は最高に美味かったぞ。いつものように私が望みを叶えてやろう」
悪魔が私の前に初めて姿を現した時、私は妹の快復を願ったが、会いたいという欲の対価としては釣り合わないから叶えると同時に命を取ると言われて諦めた。八歳の妹の行く末を案じたからだ。そこで私を娼館から出してほしいと頼んだ。
彼が娼館から出す方法として選んだのは、私が聖女として認識されるように力を与えたこと。なぜそんな回りくどい方法なのか問うと、面白そうだからと答えた。人が集まる所には欲が集まると考えていたのかもしれない。そして今後も糧を捧げれば対価として願いを叶えてやるとも言った。
神官は高位悪魔の能力には到底及ばなかったようだ。まやかしの聖女を迎えに来ることとなる。
私が多くの男性と関係があったと噂されていたようだが、体を重ねたのはアルバート様だけだ。それは彼が証明することができる。
今となっては監視と分かるが、ほぼ私に付きっきりか、護衛と称して見張りをつけて私が人に近づけないようにしたから。妹の近況を手に入れようとして、医者や事情を知りそうな隊士に接触を試みようとしていることに気付いたからだろう。
結局のところ私は誰とも話ができず、やむなく護衛官と口づけして欲を引き出し、悪魔から情報を得たのだ。
噂の出所となったのは、きっと高位悪魔の気をまとう私に魅了された人が恋人や婚約者に告悔した話。男性の気高い矜持か見栄か、はたまた女性が事実に尾ひれをつけて面白可笑しくした話か。しかし、もはやどうでもいい話だ。
「では」
私はアルバート様とヴィオレーヌ様の二人を指さした。
二人で示し合わせていたところを見ると、彼らはどこかで今回の策略を練っていたはず。
「このお二人の醜くどす黒い欲望をさらけ出し、野望を叩き潰してください」
「承知した」
悪魔は不敵に笑うと室内の様相が突如、謁見室からどこかの一室へと切り替わった。臣下らの姿は消え、ただ戸惑う声だけが聞こえる。
舞台の中央にいるのはアルバート様とヴィオレーヌ様のお二人だけだ。
「毒、ですか?」
不安そうに小瓶を手にしたヴィオレーヌ様が話し始めると、場は静まり返った。それとも観客の声を消したのは悪魔なのか。
「ああ。これを兄上に飲ませてほしい」
「ス、ストラウス殿下にですか?」
「そうだ。兄上の派閥の重鎮らは魔王討伐の成功によって、私を王位第一継承者に押し上げることを検討すると言ったが、押すとまでは言っていない」
ヴィオレーヌ様は頷く。
「私が討伐を終えて戻って来ても、兄上がご健勝の限りは私を支持することはないだろう。だから私の留守中、これを君に託したい」
「で、ですが。こんな重い責任を一人で抱えることは……」
「ああ。君にこんな重荷を担わせて申し訳ないと思っている。だが、これは私たちの未来がかかっているんだ」
アルバート様は青ざめたヴィオレーヌ様の肩に手を置いた。
どこか既視感のある光景に私の唇からは自嘲の笑みがもれる。
「私の自室の鍵も一緒に渡しておく。私が出発後、毒を一回分部屋に隠し入れてくれ」
「え?」
「私が君を裏切ることは決してないが、君の心配を取り除くためだ。もし私が君を裏切った時には、私に命じられたと言えばいい。いくら王子の私でも、第一王子派が部屋を捜索すべきだと主張するだろう。陛下はその声を無視できない」
そう言って鍵を渡されたが、ヴィオレーヌ様の表情が晴れることはない。
「心配しないでくれ。毒は死に至らせる強さはない。ベッドから出られなくなる程度だ。もし万が一、何かあれば母上に相談すればいい」
「王妃殿下に?」
「ああ。私の成人の儀が行われるまでは母上が毒を盛ってきたんだ」
「と言うことは、ストラウス殿下が子供の頃から臥せられている原因はご病気ではなく」
アルバート様は頷くとヴィオレーヌ様の言葉を引き継ぐ。
「この毒だ。兄上は前王妃の子だからな。母上は親心として私を王座に就けたいのだろう」
「もしかして前王妃殿下がお若くしてご崩御なさった原因も」
彼は微笑みながらヴィオレーヌ様の唇を指でそっと押さえた。
「そうですか。王妃殿下もお味方なのでしたら安心いたしました。わたくしも覚悟を決めます。献身的にストラウス殿下にお仕えさせていただきましょう」
「ありがとう。私が帰還した暁にはこの手で兄上を」
アルバート様は固く拳を作る。
最後までは口にしなかったが、誰もが続く言葉を容易に想像できただろう。
「ええ。アルバート様、ご無事のお戻りを心待ちにしておりますわ」
そうして二人が抱き合ったところで悪魔がぱちんと指を鳴らす。暗闇に沈んだかと思うと、今度は愛の言葉と声が場を満たした。妄想を掻き立てる時間を置いて光が当てられると、案の定そこは寝室で、私とアルバート様の睦事が映し出される。
私が鋭く悪魔を睨みつけると彼は嘲笑し、再び指を鳴らして元の謁見室へと戻した。
皆の表情には驚愕や不安の色、下卑た笑みなどが浮かんでいる。中でも険のある表情をしているのは陛下だ。
「ア、アルバート、これは本当なのか! お前は聖女と!? ――いや。それより毒だ!」
「ち、父上! 誤解です! この悪魔憑きの女が謀った幻影です!」
顔色を失って震える王妃殿下とヴィオレーヌ様を見れば、火を見るより明らかだが、アルバート様だけは強気に叫んだ。
「皆、戦闘態勢を取れ! この場で悪魔を倒すぞ! ――ぐずぐずするな! 陛下を守るんだ!」
最初は戸惑っていた国王専属騎士や討伐隊らも、彼の一喝で私に剣を向ける。
「嘘か真か、今すぐにお部屋を捜索すれば分かることでしょう」
「黙れ! この悪魔憑きが!」
怒声と共に踏み込んで私に剣を下ろしたが、悪魔が手を軽くかざすと一瞬で煙に消えた。
「これは私のものだ。手を出さないでもらおうか」
悪魔が静かにそう言うとアルバート様は息を呑んだが、すぐに恐ろしい形相で睨みつけてくる。
「ふっ。人をたぶらかし、騙し裏切る貴様には悪魔の素質があるな。下僕にしたいぐらいだ。――いや。貴様が下僕では寝首を掻かれそうだな」
アルバート様の心はもともと悪魔が感服するほど悪に傾倒していたから、私と長い時間を共にしても自我を失わず、自分の野望に忠実だったのかもしれない。
「さて。ここでは存分に堪能したことだし、そろそろ退散することにしよう。愚かな人間どもが紡ぎ出す愚かな人間模様はこの世に溢れているからな。おかげで私は喰いっぱぐれることはない」
私を抱き上げると悪魔は漆黒の翼を大きく広げ、地から宙へと浮き立つ。
「ま、待てっ!」
「私を消したところで貴様が行った事実は消せないぞ」
悪魔は美しい唇で冷笑して身を翻すと私を連れて窓から飛び去った。
「陛下。アルバート殿下と公爵令嬢の部屋から、ど、毒物が」
「……そうか」
私は嵌められたんですと叫ぶ第二王子と、力なく床に座り込む公爵令嬢、お許しくださいと泣きじゃくる王妃。
沈痛な面持ちをした国王は彼らから背を向ける。
「アルバートとヴィオレーヌ嬢を。そして王妃を連れて行け」
「はっ」
国王の命より騎士は彼らを取り押さえて部屋から連れ出して行った。
「へ、陛下。悪魔憑きを聖女と違えて、何とお詫び申し上げたら……」
神官が国王の前で膝を折る。
するとその時、侍従に支えられながらストラウス王子が部屋へやって来た。
「陛下、やけに慌ただしいですが、何の騒ぎでしょうか。アルバートが戻って来たのではないのですか?」
「ストラウス!? お、お前、その体どうした! ベッドから出て大丈夫なのか」
支えられているとは言え、部屋から出ることも難しかったストラウスが自力で歩いているのだ。
「はい。まだ本調子ではありませんが、とても体が軽くなりました」
「そうか! 良かった」
「ありがとうございます。聖女殿が、毒は私の糧の一つだとか何か呟いて手を当ててくださったおかげです。これまでずっと支えてきてくれたアルバートとヴィオレーヌ嬢にも早くお礼を言いたくて。彼らはどこです?」
――聖女。その者は天より授かりし力をもってあらゆる魔を排除して腐敗した地を清浄化し、傷ついた人々を癒やすと共に安寧な世界をもたらす。
「……神官よ。彼女は確かに言い伝え通りの聖女だったな」
王宮を出た私たちは海一つ飛んで隣国の地を踏んでいた。
「親族への制裁はいいのか。あいつらはお前の金で豪遊していたんだぞ」
糧を寄越すなら力を貸してやると悪魔は言う。
私に借金を課するほど贅沢に慣れた彼らは元の生活に戻れず、勝手に自滅していくだろう。そんな欲に溺れた客を何人も見送ってきた。
「もうどうでもいいです」
「欲深い聖女のなれの果ては惨めなものだな。もはやお前を支えていた欲も枯渇しきっている」
私の何が聖女か。笑ってしまう。
館を出てからも私は何も変わっていなかった。男性に取り縋って生きているだけだった。
「結局、何一つ叶わなかったな」
最初に望んだものはたった一つ。妹に会うことだった。けれど私は欲深く自分の幸せまで望んでしまったから、人の幸せを奪ってまで手に入れようとしたから、全てを失ってしまったのだろう。
私は妹の形見となった木製のおもちゃをポケットから取り出して見る。
――妹がずっと手に持ち続けて汚れてしまった王子様とお姫様の人形だ。
アルバート様は、妹が亡くなっていたことは知っていた。だから帰郷を許さなかった。
きっと頭の片隅では分かっていたと思う。それでも崩れ落ちそうな自分を支えるものが欲しかった。私を見下していた人を見返すものを手に入れたかった。
私は一度おもちゃを握りしめた後、再びポケットに仕舞った。
「悪魔さん、それでこれから私はどこに向かうんですか?」
「なぜ私に聞く?」
悪魔は訝しそうに目を細めた。
「望みを叶えたんだから私の命を取るのでしょう。恨みも晴らしたし、もう生きる意味もない。あなたの言う通り、欲もこの世への未練もありません。さっさと命を刈ってください」
「私は死を司る神じゃない」
「あなたは馬鹿ですか。神なんてこの世のどこにもいませんよ」
思わず冷たい瞳で悪魔を見ると、彼は面食らったように一瞬絶句する。
「馬鹿とは初めて言われたぞ」
「そうですか。では、初めてのお祝いにこの場で召し上がれ。塩をかけて食べると、きっと美味しいですよ。知りませんけど」
「喰った腹の中から嫌味を垂れ流されそうなんだが……」
彼は実に嫌そうに眉をひそめる。
失礼な悪魔である。
「そうだ。お前が新たに生きる意味を見い出した時にしよう」
「なぜ? 今、命を取ればいいでしょう」
「希望を奪えばまた美味な絶望が味わえるだろう。別に見逃すわけではない」
まるで言い訳するような物言いだ。
「変わった悪魔ですね」
「他に悪魔を知っているのか」
「知りませんけど。まあ、行き先に当てはないですが、付いてきたいなら付いてきても良いですよ」
「言い方な……」
苦笑する悪魔を見ながら、まだ名前を聞いていないことに気付いた。
私は足を止めて彼を仰ぎ見る。
「ところで悪魔さんの名前は何ですか」
「真名を名乗る愚かな悪魔はいない」
真名を知られると優秀な術者によっては、名で縛られてしまうことがあるそうだ。よく分からないが。
「そうですか。じゃあいいです」
興味が失せた私は、彼からすっと視線を外して正面を向くと再び歩き出す。
「聞いておいてその態度は何だ。もっと丁重に懇願するなら教えてやらないでもない」
「いえ。いいです」
私は面倒そうに顔も見ずに答える。
出し惜しみされるほど知りたい情報でもない。それより報奨金を貰い損なった。念の為にと持たされた短剣を売れば、当面の生活費になるだろうか。
「教えてやるからこちらに顔を向けろ」
「全然大丈夫です。興味ないですから」
「きょ、興味ない……? お、おい、聞いて驚け。私の名は」
「いらない、いらない」
今は名よりお金が欲しい。
私は手を振って拒絶した。
「だから聞け! 私の名は――」
この先、私が生きる意味を見い出せるのかどうかは分からない。
見い出せた途端、また絶望を味わされるのかもしれない。
ただ、今、確実に分かることは、うるさ――賑やかな旅路になりそうだということだ。
(終)
我知らず口からこぼれ落ちる。
「だから人間は面白い」
『だから人間は面白い』
私の声に低い男性の声が重なって発せられると、ヴィオレーヌ様はぎょっとした表情を浮かべた。
「ティ、アナ……様?」
「そう思わないか。ティアナ」
『そう思わないか。ティアナ』
楽しそうに問いかけて私の横に音もなく姿を現したのは、黒髪に金の瞳を持つ、この世の者とは思えないほどの美貌を持った男性だった。そして背には全ての色を飲み込む漆黒の翼。
私に手を差し伸べてくれたのは神ではない。人間の欲望、悪意や恐怖などの負の感情を糧とする――美しい悪魔だった。
「魔王!? 倒したはずなのに!」
経験を積んだアルバート様には畏怖の念を抱かせる程の力に気付いたのだろう。
ヴィオレーヌ様の前に立った彼が顔色を変え、謁見室にはざわめきと恐怖が広がる。
「人間界でしか魔王気取りできない下級悪魔と同列に語られるとは心外だ」
「あれが下級悪魔だった……?」
「あまりにも簡単に消滅させては面白くないからな。力加減した。何より糧となる人間の恐怖が減る」
薄く唇を引くその姿は美しくも寒気で身震いするほどの嗤いだ。
「ティアナ、今のお前の絶望は最高に美味かったぞ。いつものように私が望みを叶えてやろう」
悪魔が私の前に初めて姿を現した時、私は妹の快復を願ったが、会いたいという欲の対価としては釣り合わないから叶えると同時に命を取ると言われて諦めた。八歳の妹の行く末を案じたからだ。そこで私を娼館から出してほしいと頼んだ。
彼が娼館から出す方法として選んだのは、私が聖女として認識されるように力を与えたこと。なぜそんな回りくどい方法なのか問うと、面白そうだからと答えた。人が集まる所には欲が集まると考えていたのかもしれない。そして今後も糧を捧げれば対価として願いを叶えてやるとも言った。
神官は高位悪魔の能力には到底及ばなかったようだ。まやかしの聖女を迎えに来ることとなる。
私が多くの男性と関係があったと噂されていたようだが、体を重ねたのはアルバート様だけだ。それは彼が証明することができる。
今となっては監視と分かるが、ほぼ私に付きっきりか、護衛と称して見張りをつけて私が人に近づけないようにしたから。妹の近況を手に入れようとして、医者や事情を知りそうな隊士に接触を試みようとしていることに気付いたからだろう。
結局のところ私は誰とも話ができず、やむなく護衛官と口づけして欲を引き出し、悪魔から情報を得たのだ。
噂の出所となったのは、きっと高位悪魔の気をまとう私に魅了された人が恋人や婚約者に告悔した話。男性の気高い矜持か見栄か、はたまた女性が事実に尾ひれをつけて面白可笑しくした話か。しかし、もはやどうでもいい話だ。
「では」
私はアルバート様とヴィオレーヌ様の二人を指さした。
二人で示し合わせていたところを見ると、彼らはどこかで今回の策略を練っていたはず。
「このお二人の醜くどす黒い欲望をさらけ出し、野望を叩き潰してください」
「承知した」
悪魔は不敵に笑うと室内の様相が突如、謁見室からどこかの一室へと切り替わった。臣下らの姿は消え、ただ戸惑う声だけが聞こえる。
舞台の中央にいるのはアルバート様とヴィオレーヌ様のお二人だけだ。
「毒、ですか?」
不安そうに小瓶を手にしたヴィオレーヌ様が話し始めると、場は静まり返った。それとも観客の声を消したのは悪魔なのか。
「ああ。これを兄上に飲ませてほしい」
「ス、ストラウス殿下にですか?」
「そうだ。兄上の派閥の重鎮らは魔王討伐の成功によって、私を王位第一継承者に押し上げることを検討すると言ったが、押すとまでは言っていない」
ヴィオレーヌ様は頷く。
「私が討伐を終えて戻って来ても、兄上がご健勝の限りは私を支持することはないだろう。だから私の留守中、これを君に託したい」
「で、ですが。こんな重い責任を一人で抱えることは……」
「ああ。君にこんな重荷を担わせて申し訳ないと思っている。だが、これは私たちの未来がかかっているんだ」
アルバート様は青ざめたヴィオレーヌ様の肩に手を置いた。
どこか既視感のある光景に私の唇からは自嘲の笑みがもれる。
「私の自室の鍵も一緒に渡しておく。私が出発後、毒を一回分部屋に隠し入れてくれ」
「え?」
「私が君を裏切ることは決してないが、君の心配を取り除くためだ。もし私が君を裏切った時には、私に命じられたと言えばいい。いくら王子の私でも、第一王子派が部屋を捜索すべきだと主張するだろう。陛下はその声を無視できない」
そう言って鍵を渡されたが、ヴィオレーヌ様の表情が晴れることはない。
「心配しないでくれ。毒は死に至らせる強さはない。ベッドから出られなくなる程度だ。もし万が一、何かあれば母上に相談すればいい」
「王妃殿下に?」
「ああ。私の成人の儀が行われるまでは母上が毒を盛ってきたんだ」
「と言うことは、ストラウス殿下が子供の頃から臥せられている原因はご病気ではなく」
アルバート様は頷くとヴィオレーヌ様の言葉を引き継ぐ。
「この毒だ。兄上は前王妃の子だからな。母上は親心として私を王座に就けたいのだろう」
「もしかして前王妃殿下がお若くしてご崩御なさった原因も」
彼は微笑みながらヴィオレーヌ様の唇を指でそっと押さえた。
「そうですか。王妃殿下もお味方なのでしたら安心いたしました。わたくしも覚悟を決めます。献身的にストラウス殿下にお仕えさせていただきましょう」
「ありがとう。私が帰還した暁にはこの手で兄上を」
アルバート様は固く拳を作る。
最後までは口にしなかったが、誰もが続く言葉を容易に想像できただろう。
「ええ。アルバート様、ご無事のお戻りを心待ちにしておりますわ」
そうして二人が抱き合ったところで悪魔がぱちんと指を鳴らす。暗闇に沈んだかと思うと、今度は愛の言葉と声が場を満たした。妄想を掻き立てる時間を置いて光が当てられると、案の定そこは寝室で、私とアルバート様の睦事が映し出される。
私が鋭く悪魔を睨みつけると彼は嘲笑し、再び指を鳴らして元の謁見室へと戻した。
皆の表情には驚愕や不安の色、下卑た笑みなどが浮かんでいる。中でも険のある表情をしているのは陛下だ。
「ア、アルバート、これは本当なのか! お前は聖女と!? ――いや。それより毒だ!」
「ち、父上! 誤解です! この悪魔憑きの女が謀った幻影です!」
顔色を失って震える王妃殿下とヴィオレーヌ様を見れば、火を見るより明らかだが、アルバート様だけは強気に叫んだ。
「皆、戦闘態勢を取れ! この場で悪魔を倒すぞ! ――ぐずぐずするな! 陛下を守るんだ!」
最初は戸惑っていた国王専属騎士や討伐隊らも、彼の一喝で私に剣を向ける。
「嘘か真か、今すぐにお部屋を捜索すれば分かることでしょう」
「黙れ! この悪魔憑きが!」
怒声と共に踏み込んで私に剣を下ろしたが、悪魔が手を軽くかざすと一瞬で煙に消えた。
「これは私のものだ。手を出さないでもらおうか」
悪魔が静かにそう言うとアルバート様は息を呑んだが、すぐに恐ろしい形相で睨みつけてくる。
「ふっ。人をたぶらかし、騙し裏切る貴様には悪魔の素質があるな。下僕にしたいぐらいだ。――いや。貴様が下僕では寝首を掻かれそうだな」
アルバート様の心はもともと悪魔が感服するほど悪に傾倒していたから、私と長い時間を共にしても自我を失わず、自分の野望に忠実だったのかもしれない。
「さて。ここでは存分に堪能したことだし、そろそろ退散することにしよう。愚かな人間どもが紡ぎ出す愚かな人間模様はこの世に溢れているからな。おかげで私は喰いっぱぐれることはない」
私を抱き上げると悪魔は漆黒の翼を大きく広げ、地から宙へと浮き立つ。
「ま、待てっ!」
「私を消したところで貴様が行った事実は消せないぞ」
悪魔は美しい唇で冷笑して身を翻すと私を連れて窓から飛び去った。
「陛下。アルバート殿下と公爵令嬢の部屋から、ど、毒物が」
「……そうか」
私は嵌められたんですと叫ぶ第二王子と、力なく床に座り込む公爵令嬢、お許しくださいと泣きじゃくる王妃。
沈痛な面持ちをした国王は彼らから背を向ける。
「アルバートとヴィオレーヌ嬢を。そして王妃を連れて行け」
「はっ」
国王の命より騎士は彼らを取り押さえて部屋から連れ出して行った。
「へ、陛下。悪魔憑きを聖女と違えて、何とお詫び申し上げたら……」
神官が国王の前で膝を折る。
するとその時、侍従に支えられながらストラウス王子が部屋へやって来た。
「陛下、やけに慌ただしいですが、何の騒ぎでしょうか。アルバートが戻って来たのではないのですか?」
「ストラウス!? お、お前、その体どうした! ベッドから出て大丈夫なのか」
支えられているとは言え、部屋から出ることも難しかったストラウスが自力で歩いているのだ。
「はい。まだ本調子ではありませんが、とても体が軽くなりました」
「そうか! 良かった」
「ありがとうございます。聖女殿が、毒は私の糧の一つだとか何か呟いて手を当ててくださったおかげです。これまでずっと支えてきてくれたアルバートとヴィオレーヌ嬢にも早くお礼を言いたくて。彼らはどこです?」
――聖女。その者は天より授かりし力をもってあらゆる魔を排除して腐敗した地を清浄化し、傷ついた人々を癒やすと共に安寧な世界をもたらす。
「……神官よ。彼女は確かに言い伝え通りの聖女だったな」
王宮を出た私たちは海一つ飛んで隣国の地を踏んでいた。
「親族への制裁はいいのか。あいつらはお前の金で豪遊していたんだぞ」
糧を寄越すなら力を貸してやると悪魔は言う。
私に借金を課するほど贅沢に慣れた彼らは元の生活に戻れず、勝手に自滅していくだろう。そんな欲に溺れた客を何人も見送ってきた。
「もうどうでもいいです」
「欲深い聖女のなれの果ては惨めなものだな。もはやお前を支えていた欲も枯渇しきっている」
私の何が聖女か。笑ってしまう。
館を出てからも私は何も変わっていなかった。男性に取り縋って生きているだけだった。
「結局、何一つ叶わなかったな」
最初に望んだものはたった一つ。妹に会うことだった。けれど私は欲深く自分の幸せまで望んでしまったから、人の幸せを奪ってまで手に入れようとしたから、全てを失ってしまったのだろう。
私は妹の形見となった木製のおもちゃをポケットから取り出して見る。
――妹がずっと手に持ち続けて汚れてしまった王子様とお姫様の人形だ。
アルバート様は、妹が亡くなっていたことは知っていた。だから帰郷を許さなかった。
きっと頭の片隅では分かっていたと思う。それでも崩れ落ちそうな自分を支えるものが欲しかった。私を見下していた人を見返すものを手に入れたかった。
私は一度おもちゃを握りしめた後、再びポケットに仕舞った。
「悪魔さん、それでこれから私はどこに向かうんですか?」
「なぜ私に聞く?」
悪魔は訝しそうに目を細めた。
「望みを叶えたんだから私の命を取るのでしょう。恨みも晴らしたし、もう生きる意味もない。あなたの言う通り、欲もこの世への未練もありません。さっさと命を刈ってください」
「私は死を司る神じゃない」
「あなたは馬鹿ですか。神なんてこの世のどこにもいませんよ」
思わず冷たい瞳で悪魔を見ると、彼は面食らったように一瞬絶句する。
「馬鹿とは初めて言われたぞ」
「そうですか。では、初めてのお祝いにこの場で召し上がれ。塩をかけて食べると、きっと美味しいですよ。知りませんけど」
「喰った腹の中から嫌味を垂れ流されそうなんだが……」
彼は実に嫌そうに眉をひそめる。
失礼な悪魔である。
「そうだ。お前が新たに生きる意味を見い出した時にしよう」
「なぜ? 今、命を取ればいいでしょう」
「希望を奪えばまた美味な絶望が味わえるだろう。別に見逃すわけではない」
まるで言い訳するような物言いだ。
「変わった悪魔ですね」
「他に悪魔を知っているのか」
「知りませんけど。まあ、行き先に当てはないですが、付いてきたいなら付いてきても良いですよ」
「言い方な……」
苦笑する悪魔を見ながら、まだ名前を聞いていないことに気付いた。
私は足を止めて彼を仰ぎ見る。
「ところで悪魔さんの名前は何ですか」
「真名を名乗る愚かな悪魔はいない」
真名を知られると優秀な術者によっては、名で縛られてしまうことがあるそうだ。よく分からないが。
「そうですか。じゃあいいです」
興味が失せた私は、彼からすっと視線を外して正面を向くと再び歩き出す。
「聞いておいてその態度は何だ。もっと丁重に懇願するなら教えてやらないでもない」
「いえ。いいです」
私は面倒そうに顔も見ずに答える。
出し惜しみされるほど知りたい情報でもない。それより報奨金を貰い損なった。念の為にと持たされた短剣を売れば、当面の生活費になるだろうか。
「教えてやるからこちらに顔を向けろ」
「全然大丈夫です。興味ないですから」
「きょ、興味ない……? お、おい、聞いて驚け。私の名は」
「いらない、いらない」
今は名よりお金が欲しい。
私は手を振って拒絶した。
「だから聞け! 私の名は――」
この先、私が生きる意味を見い出せるのかどうかは分からない。
見い出せた途端、また絶望を味わされるのかもしれない。
ただ、今、確実に分かることは、うるさ――賑やかな旅路になりそうだということだ。
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退会済ユーザのコメントです
もしかしたら人間は悪魔より悪意に満ちた心を内に秘めている生き物なのかもしれませんね。
コメントを頂きまして、誠にありがとうございました!
ティアナは最後に恨みを晴らすという大きな欲望(人間の濁った欲望)を叶えてもらったことで悪魔に興味(執着)を持たれ、彼が興味を失うまでこれから希望と絶望を繰り返す険しい道のりとなるだろうということが予想されます。
ですから良いとこ取りとは思わないのですが、視点が変われば見える風景が変わるように、そういう希望の見え方も無限に広がる結末の内の一つとなるのかなと思います。
コメントを頂きまして、ありがとうございました!
コメントを頂きまして、誠にありがとうございます。
そうですね。
ライトなざまあを目的としていたはずなのに、気付けばドロドロとした人間模様となっていました……(謎)
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!