俺を彩る君の笑み

幸桜

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一本目

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 パァン

  心臓に溶け込む音。呼応するように鼓動が早くなる。

  母指球に力を入れて一気に地面に押し付ける。

  反動

  跳ね返る力が足から全身を巡り、両腕へと到達する。

  左腕を後ろに引き、繋がった右足の筋肉が力を溜める。

  前でなく、上へと足を上げ、加速する。
  バネと筋肉はそれに応え、力を解放する。

  ────戦いが始まった

  その序章

  俺と江川ではベストタイムが同じでも、性別上どうしても俺の方が筋肉はある。

  そのため、加速という一点だけでなら、負ける気はしない。

  狙い通り、100メートル通過地点で俺は彼女の前を走っている。
  しかし、足音は近い。

  近づく事はないが、離れる事もない。

  400メートルを通過する。

  やや足の回転が遅れ始め、地面へ反動を送りきれなくなる。

  足音が近づきだした。500メートル通過、彼女は俺の横に並ぶ。

  (上等だ)

  俺は大人しく抜かれる気はない。足にムチをうって失った速度を取り戻す。
  これで江川は人一人分俺より走る距離が長くなる。

  しかし、600メートル通過。

  ラスト400メートル、つまりトラック一周分となった所で彼女の速度が更に上がる。

  スタート時と、先程と、2度の加速を経た足は脳の命令を聞かない。

  筋肉は脳の命令などお構い無しに、活動を弱めていく。

  気がつけば、彼女は俺の50メートル前を走り、ゴールしていた。


  10数秒遅れてゴールラインを超える。
  走りの勢いを利用して、トラックの中に入ると倒れたくなる気持ちを抑え、その場に留まる。

  荒い息が、止まらない汗が、身体が湯気を出す感覚に周囲から隔離された感覚を味わう。

  自分の足だけを見つめる眼。
  その小さな視界に1組のランニングシューズが割り込んだ。

  その正体はもちろん知っている。
  毎日、朝と夕。俺はこの靴を見ない日はない。

「先輩」

  凛とした声。その中に甘えは微塵もない。
  真摯な声は反射的に俺の顔を挙げさせる。

  飛び込んできたのは一本の指。

「まず、1勝」

 
 ふっ

  不思議な一言だ。

  疲れが取れたわけでも、先程の走りが夢だったわけでももちろん無い。

  しかし────俺の足が軽くなった。

  足を流れる血の巡りを感じ、その源流の心臓へと、否、心へと手を当てる。

  俺は胸の前で拳を作り、ゆっくりとそれを前に突き出す。

「俺の戦い方を見せてやる」

「楽しみにしてます」

「泣くなよ」

  アスリートの声が
 〝陸上の格闘技〟といわれる種目に魅せられたアスリートが。

  そこに男も女も
  恋もない。

  卑怯? 大人気ない?

  そんな事は言わせない。

  俺は好きにやらせてもらう。

  俺の本来の戦い方で、俺の試合で────戦場で────〝魅せる〟経験と技術で


  俺は江川に勝つ
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