上 下
50 / 58
最終章 故に世界はゼロ点を望む

第四十九話 既成事実を媚薬とするならば

しおりを挟む
「脱ぐって、いくらなんでも……」アストはカトレア先輩を見上げて言った。

 不思議なことに、現在の俺はこの状況を覚えていない。エレナの時といい、この記憶は誰の記憶なのか。この記憶は俺にとって、事実であるかさえ不確かなものだった。

「お姉ちゃん、なにしてるの?」

 ユイナは姉、シシリーに対して疑問を抱いていた。それもそのはず、彼女の姉は服を脱ぎ捨て、一糸纏わぬ姿になっている。

「私の、私の体だけでお願いします。ユイナはなにも悪くないんです……」

 シシリーは馬車の床に両膝をつき、両手と頭を床に擦り付ける。傍には丁寧に畳まれた布、いや、シシリーの服があった。

「忍び込んで、体で払うのはいいこと。でも『妥協してくださいって』お願いをタダで聞くほど、私は優しくないよ?」

 カトレア先輩の一言には重力が伴う。彼女の言葉は、土下座しているシシリー先輩の背中に、ずっしりと重くのしかかるのだ。

 対するアストとユイナ、彼と彼女は未だ理解が追いついていない。二人はただなにも話さず、カトレア先輩とシシリーの会話だけが馬車に響く。

「分かってます。でもユイナは、ユイナはなにも悪くない。……悪いのは全部私です」

 シシリーは土下座から微動だにせず語る。言葉は震え、彼女の拙い語彙も底をつきそうだった。

「悪いとか、悪くないとか……。貴方が決めることではないし、罪を背負えるほどの人間でもない……」

 常にカトレア先輩は上から言葉を打ち下ろす。現在の俺はこの世界に干渉できない故、哀れな少年少女に何もしてやれない。

「どうか、どうかユイナだけは……」床はシシリーの涙で滲む。

「食欲を満たしたいなら、他の欲を差し出せばいい。……それが道理」

「他の……。他に……」ユイナは自身の体を触り、他のものを探していた。

 アストとシシリー、ユイナはまだ幼い。それすなわち、カトレア先輩が指している言葉すら聞いたことがないだろう。

「あるじゃん、性欲」しかしカトレア先輩の表現は直接的なもの。

 誤解の余地もなく幼い彼らに突き刺さる。いや、しかしながら誰も意味を知らない。

「リーダー、せいよくってなんですか?」

 普段なら気まずい雰囲気を作り出す、いわば魔法の呪文。今回だけは例外的に、性教育を施すのだ。

「食べて寝ると同じこと。アストが女の子とエッチなことするの」

「エッチな……。きっ、キスとか?」アストは真面目に質問する。

「それはいつもやってる。そうじゃなくて、……特別な方」

 アストはこの言葉を皮切りに顔が青ざめ、ガクブルと全身が震えるのであった。しかし、現在の俺には察する事は出来ても、記憶での裏付けはなかった。

「あれはイヤ、やだ、エッチやだ……」彼の表情は恐怖に上書きされている。

「アストが嫌がるから痛くなる。受け入れれば気持ちいのに……」

「大好き……」カトレア先輩は震えるアストを抱きしめ、何度も、何度も耳元で呟いている。

「エッチなこと……。お姉ちゃん、私怖いよぉ……」

 ユイナは土下座する姉に縋って泣いていた。ポロポロと頬を伝って落ちた涙は、シシリーの美しい背中を伝って床に溢れる。

「大丈夫、ユイナは私が守る。全部、全部、私が悪いから」

「リーダー、俺やだよ、したくないって」アストも大粒の涙を流す。

「大好き、大好き……」カトレア先輩は狂ったように呟く。

狭い馬車の中、やはりカオスになってしまった。

ジュジュ!!

世界にノイズが入る。

「そうか、あの時と一緒か」俺には多少の慣れがあった。

ホー、ホー、

 場面が切り替わると既に日没後。何処から、ミメイフクロウの鳴き声が聞こえるほどの深夜。

パチパチ……

 俺は木陰にいて、視線の少し先には淡い光。なんとなくキャンプしていることは理解できたし、そこにアストがいることも察した。

俺は木陰から様子を見る。

「はあっ、はあっ、はあっ……。もっと、もっと頂戴?」

 俺は目を疑った。俺の視界の中心にはシシリーがいて、だけど彼女の瞳にはアストが映って。しかもシシリーの雰囲気が全体的にエロい。

「んんっ、えへぇ、んちゅう」

……もはや手遅れ。

あの姉妹は全裸、そして腹部に大きな穴。

 オーバーヒールによって、本能を刺激されてしまっている。彼女達には俺しか見えていない。所詮、焚き火の光も彼女達にとっては照明でしかないようだ。

「リーダー、助けて、やだ、したくない……。んんっ!」

 唯一正気を保っているアスト。しかしながら、二人の獣に押さえつけられてしまってはなす術がない。半歩ばかり離れた所で見守っているカトレア先輩はただ、無言でアストを見下ろしていた。

「なんでだよ、どうなってんだよ……」

 俺はそれ以上の困惑。ユイナの話と全然違うどころか、シシリーが俺のファンになる動機すら見当たらない。

「過去って、意外と曖昧なもの。思ってた事実が、本当にそうとは限らない……」

ザッ、ザッ……

 カトレア先輩は俺に向かって来る。勘違いでもなんでもなく、俺たちの瞳は重なり、声もまっすぐ飛んでくる。

「アストがここまで来たのは、シシリーのせい。さっき殺されたでしょ?」

「はい、殺されましたね」

 『見えてるの?』などといった確認はいらない。彼女には俺が見えている。それは確定事項なのだから。

「ちょっとだけ、んふふっ」俺に近づいてもカトレア先輩は足を緩めなかった。

 彼女に俺は抱き寄せられ、太陽の香りに包まれる。太陽、頭に浮かぶのはそういう感覚だった。

「なんで、どうしてこんなことを?」俺は答え合わせをするかの如く尋ねる。

「この世の神様を皆殺しにするため……」

 俺は驚いて身をひこうとする。しかし全身に絡みつくカトレア先輩の体はびくともしない。

「神様がいるから、攻撃学とか、防御学がある。でも、それはこの世界にいらないもの」

「いらないわけないです。人々を幸せにしてます」

「その価値観はダメ、洗脳されてる。私がせっかく過去を変えたのに、また同じ轍を踏む」

「過去を、変えた?」

 俺の疑問に、カトレア先輩から答えが返ってこなかった。代わりに口内、舌をねじ込まれる。

「れろっ、んんっ……ぷはぁ」

 相変わらず思考はぐちゃぐちゃに。カトレア先輩の甘い舌に、脳まで犯された気分だ。

「残念、アストはまだ知らない」彼女からの返答はたったそれだけ。

「教えてくださ──」

「んちゅ、んっ、れろっ……」

 その後は焚き火が消えるまで、この森の中に水音が響き渡るのであった。音源は二つ、夜はより深く、なんて洒落は通用しない。

「アスト、もっと」「欲しい、ほしいのぉ……」




──キーンコーン、カーンコーン

 チャイムの音で目が覚めた。埃っぽい部室、俺は机に突っ伏して寝ていたようだ。机の上にはエレナの弁当、それとハンカチ。

「んっ、いつから寝てたっけ……」周囲を見渡すが誰もいない。

 窓から風が吹き抜け、頭が寝ている俺を迎えにきた。ただ、異常に寒く感じるこの部屋、シシリー先輩に殺されてあまり時は経っていないはず。

スン、スン……

「カトレア先輩?」俺の鼻腔をくすぐる太陽の香り。

 それはついさっき嗅いだものと同等かつ、より強く残っていた。頭の中で彼女を思い描き、まるで彼女に恋しているみたいに胸が苦しくなる。

それは、アカツキ先輩に対する恋心に匹敵するのか。

未だ答えの出ない迷宮を俺は彷徨うしかなかった。

──キュルリ

「うわぁ! この部屋さっむー!!」快活な少女の声。

オリヴィア先輩の入室は、彼女を見る前から声で察していた。

「アスト君じゃん! ちょうどよかったー!!」

 オリヴィア先輩は俺の向かい側に腰掛ける。手にはフラスコ、中にピンク色の液体。

「ええっと、まさかそれを飲ませに?」

「だいせいかーい! アスト君にピッタリな薬だよー!」

 オリヴィア先輩はグイグイとフラスコを俺に近づける。勘違いかもしれないが、明らかにイケナイ薬を飲まそうとしている。

「ふふっ、ほら、早く飲んで?」
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

最弱スキルも9999個集まれば最強だよね(完結)

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:42pt お気に入り:1,881

精霊の森に捨てられた少女が、精霊さんと一緒に人の街へ帰ってきた

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:63pt お気に入り:2,255

悪役令嬢に転生したので、剣を執って戦い抜く

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:63

フィライン・エデン Ⅰ

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:6

危険な森で目指せ快適異世界生活!

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:10,167pt お気に入り:4,124

おれは忍者の子孫

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:13

神がかり!

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:21

乙女ゲームの村人に転生した俺だけど悪役令嬢を救いたい

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:666

処理中です...