28 / 127
第1章:東の魔の森編
第28話:逢いたくて
しおりを挟む
目覚めは最悪だった。
会ったこともない祖父の話、祖母の噂、他人が思う扉の向こう側の存在、おまけに私の恋愛話。どれもこれも当事者でない人がとやかく言って、さもありなんと忠告する。
うざったい。
それがミヤコが感じた最初の一言。小さい町の中でよっぽど退屈と見える傍観者たちは言いたいことを言い、あることないことを噂する。
ミヤコは特別反発心が強いわけでも、人間嫌いなわけでもない。ある程度他人が自分をどう思うか気になるし、できれば悪く思われたくはない。だけど、どうしようもないことだってあるのだ。
例えば、両親の離婚。
例えば、聡との最悪の別れ話。
例えば、異世界に通じる扉。
ミヤコが選んだわけではない。
なんとか自分なりに対応して生きようとしているのだ。
昨夜飲んだ酒も良くなかった。考えてみれば、クルトさんと濃度の濃いリキュールを飲んだ後ですでにほろ酔いだったのだ。その後で日本酒なんか飲むんじゃなかった。
今日は養護施設の仕事がある。のろのろと布団から出ると、昨日はお風呂にも入らずに寝てしまったことを思い出して、すっきり目覚めるようにイランイランのオイルをバーナーに落としてキャンドルを灯し、シャワーを浴びた。
養護施設の仕事は朝早く始まる。朝食の準備と昼食の準備をしなければならないから、6時半には厨房に入る。9時から10時まで休憩に入り、今度はランチの準備だ。ミヤコの仕事は2時半で終了だが、今日は所長から呼び出しがあったので、仕事が終わり次第、署長室へと向かった。
「真木村さん、患者さんからもスタッフからも評判いいわよ」
「ありがとうございます」
若杉夏子はこの養護院の署長で、50代の女性だ。穏やかな性格とほっそりした容姿が人気のイケメンキャリアウーマンである。ミヤコはもし自分が一生独り身ならこんな女性になりたいなと密かに思う人だった。
「それで、あなた結婚相手をお探しなんですって?」
「は?」
「そういう噂があるのだけど、違うの?」
また、噂か。どこのどいつがそんな無責任な噂を流しているんだろう。私に恨みでも?
「全くのガセです。探してません」
「あら、そうなの」
「どこからそんな噂を聞いたんですか?」
所長はにっこり笑うと「さあ、どこからかしら」と首をひねった。
「ただね、結婚相手を探してるのならうちの息子はどうかと思って」
「……いえ。すみません。今は全然そんな気持ちがないので」
「でもあなたもう25歳でしょ。そろそろ真剣に探してもいいんじゃないかしら?フラフラしてると行き遅れるんじゃない?周囲の目も気になるでしょう?うちの、お買い得よ?」
そら、きた。「結婚相手を探してる」噂じゃなくて「フラフラしてる」噂を聞いたんでしょう。
「すみません。フラフラしてるつもりもありませんし、東京から戻ったばかりなのでまずは落ち着きたいんです。仕事もちゃんとしたいですし。結婚とか恋愛は二の次で」
そもそも、私は自分の店を持ちたいのだ。第一ゴールがそこなのに、なんでスタート前からつまづいているのだろう。
ミヤコはムカムカする気持ちを抑えながら所長室を出た。最悪の朝に輪をかけて気分が悪い。今日は厄日だ。さっさと家に帰って大人しくテレビでも見よう、と考えて気がついた。テレビはベッドと共に捨てたのだ。ますますテンションが下がってしまう。パソコンの画面で見るのもいいが、引きこもりになったようで気が滅入る。
仕方がない。庭の手入れをして落ち着こう。そうだ、おばあちゃんの部屋が書斎になっていたっけ。何か面白い本があるかもしれない。
気を取り直して、ミヤコは買い物をしてから家に帰ることにした。
***
「ミヤコちゃん、しばらくうちの店来ないでくれるかなあ」
鈴木酒店の主人が会計を済ませようとしたミヤコに言い放った。
「え?」
目を瞬いて、主人の顔を見る。困ったように薄ら笑いをしているが、その目には軽蔑と中傷の色が浮かんでいた。
「うちのバカ息子が、あんたに熱を上げていただろう。最近仕事にならないんだよねえ。わかるかなあ。いやあミヤコちゃん、結婚やめて帰ってきただろう?あのバカもまだ希望があるとかなんとか言ってたんだけど、あんたもう他に男を連れ込んでるそうじゃないか」
なにそれ。信じられない。クルトさんのことそんな風に思ってたわけ?噂の出所がまさか鈴木君だったとは。
「わ、かり、ました。ご迷惑を、おかけします」
子供じゃあるまいし、いい年した男が。親に頼んでわたしに来るなと?あの時は、店に普通に来て構わないとか、言ってなかった?クルトさんのことだって説明して納得してたんじゃないの?
ミヤコは支払いをすませると、早足で帰路に着いた。胸をこぶしで殴られたみたいだ。ずくずくと痛みが走る。わけのわからない感情が腹の中を走り回るような不快感と圧迫感。荒れ狂う嵐の海に放り出されたような気がして、呼吸が浅くなる。
「ミヤちゃん、ちょっと話があるんだけど、今夜いいかしら」
感情のこもらない瞳で呼ばれた方を見ると、叔母が玄関から顔を出してミヤコを呼んでいた。
「叔母さん」
「夕飯でも一緒にどう?」
今度はなに?誰も彼も、笑顔を貼り付けて毒を吐く。叔母さんも叔父さんも淳兄さんも結局みんな一緒。
また突き放される。あの時みたいに。
味方は何処にもいない。
確かなのは、自分の立っている場所だけ。
望むな。
期待するな。
頼るな。
おばあちゃんだけが。
「すみません、おばさん。今日はちょっと具合が悪くて」
「あら、大丈夫?薬は飲んだの?」
「少し寝れば、大丈夫だと思うから」
「そう?それじゃまた今度ね。ちゃんと寝るのよ?」
「…はい。ありがとうございます」
「ミヤちゃん?本当に大丈夫?」
いつになく他人行儀な態度のミヤコを訝しげに見つめ、そう聞いた和子にミヤコはもう答えることはできなかった。無表情にお辞儀をして、自宅へと帰っていく。そんなミヤコの後ろ姿を和子は心配そうに見送っていたが、ミヤコが和子に振り返ることはなかった。
買ってきた食材をキッチンに置き、祖母の仏前に座る。いつもの通り、お供えを置き線香を立てる。リンを鳴らすとぼんやりと祖母の写真を見る。
そういえば、この仏前にはおじいちゃんの写真がない。なぜ疑問に思わなかったのか。離婚をしたのかと思ってたから?未婚で子供を産んだと聞いていたから?緑の砦に祖母は本当にいたのだろうか。ミヤコはあそこに本当に行ったのだろうか。
「おばあちゃん、なんで死んじゃったの」
会いたい。
話がしたい。
祖母の写真を眺めて質問を投げかけるが、その答えは返ってはこなかった。
日が落ちて辺りが暗くなって来るまで、ミヤコは祖母の仏前でぼんやりと座っていたが、気がつくと縁側の窓からふわりふわりと庭に浮かぶ精霊の光が見えた。ミヤコはふ、と目を細め庭へ向かう。
「クルトさんはいないのに、今日はどうしたの?」
ぽつりと誰に問いかけるでもなく庭に出ると、精霊はふわりふわりとミヤコに近づいてくる。
「ふふ。優しいね。慰めてくれてるの?」
ミヤコは縁側から外に出ると、微笑んであの歌を口ずさんだ。静かなメロディが辺りに浸透し、精霊が震える。精霊の鎮魂歌。あの日、緑の砦でおばあちゃんと歌ったあの唄。
20年前のあの日。
おばあちゃんは誰のために歌ったの?
おばあちゃん、会いたいよ。
ミヤコの歌声は静かに夜空に染み込んでいった。
*****
「ミヤ…?」
緑の砦で薬草を調合をしていたクルトはふとミヤの声が聞こえた気がして、顔を上げた。
今日はミヤが来る日ではない。明日の朝彼女に会えるだろうが、彼女の歌声が聞こえたような気がした。空耳だろうか。
クルトは砦の研究室の窓から外を見る。日の暮れた外は暗かったがミヤコが植えた植物は精霊達の光でぼんやりと輝き、静かに留まることなく空気を清浄にしていく。今日も結界の中は澄み渡っていて、昨日以上に討伐隊員達で溢れていた。
昼食時には目の回る忙しさだったが、戦士たちはただ植物に囲まれているだけでも満足をしていた。何人かは結界内の訓練場を利用して、練習試合をしたりトレーニングをしたりして過ごしていたし、のんびりと座って外で食事をする者もいた。今まででは考えられないほどのゆったりした時間がそこにはあった。
『聖女に会わせてくれよ、クルトさん』
朝だけでも何度その言葉を聞いたことか。
『ミヤは聖女じゃないし、今日はいないよ』
『聖女じゃなくてなんだよ、この力』
『バーカお前、あれだ。薬師ってやつだろ』
『チッゲーよ。土魔法の魔導師だ。ものすごい魔力を持ってるヤツ』
『ええ、魔導師?魔術師長よりすごいだろ。それ』
誰も彼もが彼女の噂をする。やはり押さえておくのは無理か。
『ミヤ様は偉大なる精霊王の愛し子だ』
『黙れ、アッシュ。それも勘違いだ』
いらんことを口走る男だ。その言葉がどれだけ波紋を呼ぶのかわからないのか。
あの日以来、アッシュは朝も昼も時間を作ってはここに来てミヤに会わせろとうるさい。国王に促されているだけのお前なんかに誰が会わせるか。だいたい、僕には権限が全くない。どんなに逢いたくてもミヤが来てくれなければ会えないのだ。もしミヤがあの扉を閉ざしてしまったら。二度と開けなかったら。
クルトは窓の外を眺めながら知らずうちに眉をひそめ、震える拳を握りしめた。考えただけで恐ろしい。会えない日が怖いだなんて。これでも風の赤獅子と呼ばれた戦士か、と自分でも笑いがこみ上げるほど滑稽だ。
「明日には会える。大丈夫だ、彼女は来てくれる」
そう自分に言い聞かせなければ、あの扉の前でずっと待ってしまいそうだった。
==========
読んでいただきありがとうございました。
会ったこともない祖父の話、祖母の噂、他人が思う扉の向こう側の存在、おまけに私の恋愛話。どれもこれも当事者でない人がとやかく言って、さもありなんと忠告する。
うざったい。
それがミヤコが感じた最初の一言。小さい町の中でよっぽど退屈と見える傍観者たちは言いたいことを言い、あることないことを噂する。
ミヤコは特別反発心が強いわけでも、人間嫌いなわけでもない。ある程度他人が自分をどう思うか気になるし、できれば悪く思われたくはない。だけど、どうしようもないことだってあるのだ。
例えば、両親の離婚。
例えば、聡との最悪の別れ話。
例えば、異世界に通じる扉。
ミヤコが選んだわけではない。
なんとか自分なりに対応して生きようとしているのだ。
昨夜飲んだ酒も良くなかった。考えてみれば、クルトさんと濃度の濃いリキュールを飲んだ後ですでにほろ酔いだったのだ。その後で日本酒なんか飲むんじゃなかった。
今日は養護施設の仕事がある。のろのろと布団から出ると、昨日はお風呂にも入らずに寝てしまったことを思い出して、すっきり目覚めるようにイランイランのオイルをバーナーに落としてキャンドルを灯し、シャワーを浴びた。
養護施設の仕事は朝早く始まる。朝食の準備と昼食の準備をしなければならないから、6時半には厨房に入る。9時から10時まで休憩に入り、今度はランチの準備だ。ミヤコの仕事は2時半で終了だが、今日は所長から呼び出しがあったので、仕事が終わり次第、署長室へと向かった。
「真木村さん、患者さんからもスタッフからも評判いいわよ」
「ありがとうございます」
若杉夏子はこの養護院の署長で、50代の女性だ。穏やかな性格とほっそりした容姿が人気のイケメンキャリアウーマンである。ミヤコはもし自分が一生独り身ならこんな女性になりたいなと密かに思う人だった。
「それで、あなた結婚相手をお探しなんですって?」
「は?」
「そういう噂があるのだけど、違うの?」
また、噂か。どこのどいつがそんな無責任な噂を流しているんだろう。私に恨みでも?
「全くのガセです。探してません」
「あら、そうなの」
「どこからそんな噂を聞いたんですか?」
所長はにっこり笑うと「さあ、どこからかしら」と首をひねった。
「ただね、結婚相手を探してるのならうちの息子はどうかと思って」
「……いえ。すみません。今は全然そんな気持ちがないので」
「でもあなたもう25歳でしょ。そろそろ真剣に探してもいいんじゃないかしら?フラフラしてると行き遅れるんじゃない?周囲の目も気になるでしょう?うちの、お買い得よ?」
そら、きた。「結婚相手を探してる」噂じゃなくて「フラフラしてる」噂を聞いたんでしょう。
「すみません。フラフラしてるつもりもありませんし、東京から戻ったばかりなのでまずは落ち着きたいんです。仕事もちゃんとしたいですし。結婚とか恋愛は二の次で」
そもそも、私は自分の店を持ちたいのだ。第一ゴールがそこなのに、なんでスタート前からつまづいているのだろう。
ミヤコはムカムカする気持ちを抑えながら所長室を出た。最悪の朝に輪をかけて気分が悪い。今日は厄日だ。さっさと家に帰って大人しくテレビでも見よう、と考えて気がついた。テレビはベッドと共に捨てたのだ。ますますテンションが下がってしまう。パソコンの画面で見るのもいいが、引きこもりになったようで気が滅入る。
仕方がない。庭の手入れをして落ち着こう。そうだ、おばあちゃんの部屋が書斎になっていたっけ。何か面白い本があるかもしれない。
気を取り直して、ミヤコは買い物をしてから家に帰ることにした。
***
「ミヤコちゃん、しばらくうちの店来ないでくれるかなあ」
鈴木酒店の主人が会計を済ませようとしたミヤコに言い放った。
「え?」
目を瞬いて、主人の顔を見る。困ったように薄ら笑いをしているが、その目には軽蔑と中傷の色が浮かんでいた。
「うちのバカ息子が、あんたに熱を上げていただろう。最近仕事にならないんだよねえ。わかるかなあ。いやあミヤコちゃん、結婚やめて帰ってきただろう?あのバカもまだ希望があるとかなんとか言ってたんだけど、あんたもう他に男を連れ込んでるそうじゃないか」
なにそれ。信じられない。クルトさんのことそんな風に思ってたわけ?噂の出所がまさか鈴木君だったとは。
「わ、かり、ました。ご迷惑を、おかけします」
子供じゃあるまいし、いい年した男が。親に頼んでわたしに来るなと?あの時は、店に普通に来て構わないとか、言ってなかった?クルトさんのことだって説明して納得してたんじゃないの?
ミヤコは支払いをすませると、早足で帰路に着いた。胸をこぶしで殴られたみたいだ。ずくずくと痛みが走る。わけのわからない感情が腹の中を走り回るような不快感と圧迫感。荒れ狂う嵐の海に放り出されたような気がして、呼吸が浅くなる。
「ミヤちゃん、ちょっと話があるんだけど、今夜いいかしら」
感情のこもらない瞳で呼ばれた方を見ると、叔母が玄関から顔を出してミヤコを呼んでいた。
「叔母さん」
「夕飯でも一緒にどう?」
今度はなに?誰も彼も、笑顔を貼り付けて毒を吐く。叔母さんも叔父さんも淳兄さんも結局みんな一緒。
また突き放される。あの時みたいに。
味方は何処にもいない。
確かなのは、自分の立っている場所だけ。
望むな。
期待するな。
頼るな。
おばあちゃんだけが。
「すみません、おばさん。今日はちょっと具合が悪くて」
「あら、大丈夫?薬は飲んだの?」
「少し寝れば、大丈夫だと思うから」
「そう?それじゃまた今度ね。ちゃんと寝るのよ?」
「…はい。ありがとうございます」
「ミヤちゃん?本当に大丈夫?」
いつになく他人行儀な態度のミヤコを訝しげに見つめ、そう聞いた和子にミヤコはもう答えることはできなかった。無表情にお辞儀をして、自宅へと帰っていく。そんなミヤコの後ろ姿を和子は心配そうに見送っていたが、ミヤコが和子に振り返ることはなかった。
買ってきた食材をキッチンに置き、祖母の仏前に座る。いつもの通り、お供えを置き線香を立てる。リンを鳴らすとぼんやりと祖母の写真を見る。
そういえば、この仏前にはおじいちゃんの写真がない。なぜ疑問に思わなかったのか。離婚をしたのかと思ってたから?未婚で子供を産んだと聞いていたから?緑の砦に祖母は本当にいたのだろうか。ミヤコはあそこに本当に行ったのだろうか。
「おばあちゃん、なんで死んじゃったの」
会いたい。
話がしたい。
祖母の写真を眺めて質問を投げかけるが、その答えは返ってはこなかった。
日が落ちて辺りが暗くなって来るまで、ミヤコは祖母の仏前でぼんやりと座っていたが、気がつくと縁側の窓からふわりふわりと庭に浮かぶ精霊の光が見えた。ミヤコはふ、と目を細め庭へ向かう。
「クルトさんはいないのに、今日はどうしたの?」
ぽつりと誰に問いかけるでもなく庭に出ると、精霊はふわりふわりとミヤコに近づいてくる。
「ふふ。優しいね。慰めてくれてるの?」
ミヤコは縁側から外に出ると、微笑んであの歌を口ずさんだ。静かなメロディが辺りに浸透し、精霊が震える。精霊の鎮魂歌。あの日、緑の砦でおばあちゃんと歌ったあの唄。
20年前のあの日。
おばあちゃんは誰のために歌ったの?
おばあちゃん、会いたいよ。
ミヤコの歌声は静かに夜空に染み込んでいった。
*****
「ミヤ…?」
緑の砦で薬草を調合をしていたクルトはふとミヤの声が聞こえた気がして、顔を上げた。
今日はミヤが来る日ではない。明日の朝彼女に会えるだろうが、彼女の歌声が聞こえたような気がした。空耳だろうか。
クルトは砦の研究室の窓から外を見る。日の暮れた外は暗かったがミヤコが植えた植物は精霊達の光でぼんやりと輝き、静かに留まることなく空気を清浄にしていく。今日も結界の中は澄み渡っていて、昨日以上に討伐隊員達で溢れていた。
昼食時には目の回る忙しさだったが、戦士たちはただ植物に囲まれているだけでも満足をしていた。何人かは結界内の訓練場を利用して、練習試合をしたりトレーニングをしたりして過ごしていたし、のんびりと座って外で食事をする者もいた。今まででは考えられないほどのゆったりした時間がそこにはあった。
『聖女に会わせてくれよ、クルトさん』
朝だけでも何度その言葉を聞いたことか。
『ミヤは聖女じゃないし、今日はいないよ』
『聖女じゃなくてなんだよ、この力』
『バーカお前、あれだ。薬師ってやつだろ』
『チッゲーよ。土魔法の魔導師だ。ものすごい魔力を持ってるヤツ』
『ええ、魔導師?魔術師長よりすごいだろ。それ』
誰も彼もが彼女の噂をする。やはり押さえておくのは無理か。
『ミヤ様は偉大なる精霊王の愛し子だ』
『黙れ、アッシュ。それも勘違いだ』
いらんことを口走る男だ。その言葉がどれだけ波紋を呼ぶのかわからないのか。
あの日以来、アッシュは朝も昼も時間を作ってはここに来てミヤに会わせろとうるさい。国王に促されているだけのお前なんかに誰が会わせるか。だいたい、僕には権限が全くない。どんなに逢いたくてもミヤが来てくれなければ会えないのだ。もしミヤがあの扉を閉ざしてしまったら。二度と開けなかったら。
クルトは窓の外を眺めながら知らずうちに眉をひそめ、震える拳を握りしめた。考えただけで恐ろしい。会えない日が怖いだなんて。これでも風の赤獅子と呼ばれた戦士か、と自分でも笑いがこみ上げるほど滑稽だ。
「明日には会える。大丈夫だ、彼女は来てくれる」
そう自分に言い聞かせなければ、あの扉の前でずっと待ってしまいそうだった。
==========
読んでいただきありがとうございました。
31
あなたにおすすめの小説
大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!
古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。
その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。
『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』
昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。
領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。
一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――
侯爵家の愛されない娘でしたが、前世の記憶を思い出したらお父様がバリ好みのイケメン過ぎて毎日が楽しくなりました
下菊みこと
ファンタジー
前世の記憶を思い出したらなにもかも上手くいったお話。
ご都合主義のSS。
お父様、キャラチェンジが激しくないですか。
小説家になろう様でも投稿しています。
突然ですが長編化します!ごめんなさい!ぜひ見てください!
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
ヒロインですが、舞台にも上がれなかったので田舎暮らしをします
未羊
ファンタジー
レイチェル・ウィルソンは公爵令嬢
十二歳の時に王都にある魔法学園の入学試験を受けたものの、なんと不合格になってしまう
好きなヒロインとの交流を進める恋愛ゲームのヒロインの一人なのに、なんとその舞台に上がれることもできずに退場となってしまったのだ
傷つきはしたものの、公爵の治める領地へと移り住むことになったことをきっかけに、レイチェルは前世の夢を叶えることを計画する
今日もレイチェルは、公爵領の片隅で畑を耕したり、お店をしたりと気ままに暮らすのだった
子育てスキルで異世界生活 ~かわいい子供たち(人外含む)と楽しく暮らしてます~
九頭七尾
ファンタジー
子供を庇って死んだアラサー女子の私、新川沙織。
女神様が異世界に転生させてくれるというので、ダメもとで願ってみた。
「働かないで毎日毎日ただただ可愛い子供と遊んでのんびり暮らしたい」
「その願い叶えて差し上げましょう!」
「えっ、いいの?」
転生特典として与えられたのは〈子育て〉スキル。それは子供がどんどん集まってきて、どんどん私に懐き、どんどん成長していくというもので――。
「いやいやさすがに育ち過ぎでしょ!?」
思ってたよりちょっと性能がぶっ壊れてるけど、お陰で楽しく暮らしてます。
魔法が使えない令嬢は住んでいた小屋が燃えたので家出します
怠惰るウェイブ
ファンタジー
グレイの世界は狭く暗く何よりも灰色だった。
本来なら領主令嬢となるはずの彼女は領主邸で住むことを許されず、ボロ小屋で暮らしていた。
彼女はある日、棚から落ちてきた一冊の本によって人生が変わることになる。
世界が色づき始めた頃、ある事件をきっかけに少女は旅をすることにした。
喋ることのできないグレイは旅を通して自身の世界を色付けていく。
薄幸ヒロインが倍返しの指輪を手に入れました
佐崎咲
ファンタジー
義母と義妹に虐げられてきた伯爵家の長女スフィーナ。
ある日、亡くなった実母の遺品である指輪を見つけた。
それからというもの、義母にお茶をぶちまけられたら、今度は倍量のスープが義母に浴びせられる。
義妹に食事をとられると、義妹は強い空腹を感じ食べても満足できなくなる、というような倍返しが起きた。
指輪が入れられていた木箱には、実母が書いた紙きれが共に入っていた。
どうやら母は異世界から転移してきたものらしい。
異世界でも強く生きていけるようにと、女神の加護が宿った指輪を賜ったというのだ。
かくしてスフィーナは義母と義妹に意図せず倍返ししつつ、やがて母の死の真相と、父の長い間をかけた企みを知っていく。
(※黒幕については推理的な要素はありませんと小声で言っておきます)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる