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第4章:聖地アードグイ編

第91話:モーグリス草原

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 オワンデルの屋敷の重厚なドアを押し開け、薄暗いエントランスホールから中を見渡した。飛び散る血の痕が黒々と壁や床にこびり付いていたものの、腐った死体や骨などは残っておらず、ミヤコはそっとため息をついた。魍魎は肉体を残らず食い尽くしてしまったのだろうか、それともが片付けたのか。

 静まり返った屋敷の中に不穏な影はなく、生きている存在も感知できない。

 ———それでも。

 ミヤコは静かに鎮魂歌レクイエムを歌い上げた。せめて、失った魂が平穏なうちに還りますように、そしてこの屋敷がその悲惨な歴史に悲しみを残さないようにと心を込めた。光の精霊たちが血糊を清めていき、水の波紋のように広がっていく。

 クルトも、アイザックもそしてガーネットも黙ってミヤコの歌を聴き入っていた。

「アイザック、サトクリフ」

 不意に、クルトがつぶやいた。アイザックが頷く。ガーネットが顔を上げ、ミヤコを背に庇うようにしてドアを睨みつける。

「来る」

 クルトが鋭く言い放ち、ミヤコの周囲に結界を張り巡らせた。その時になって初めてミヤコも異変に気付き、はっと振り返った。

 ギイっとドアが開き、人影がエントランスに浮かび上がる。ミヤコの全身が総毛立った。

 ———ものすごい殺気!何!?

 逆光でシルエットしか見えなかった人影が、一歩近づいた。

「あれっ!?」

 と思ったら、聞き慣れたとぼけた声が響いた。

「あ?」
「アイザックさん?ハルクルト隊長!?」

 そこに立っていたのは、ルノーだった。

「何してんっすか、こんなとこで!?」
「それはこっちの台詞だ!」



 ********



「いや、もう。俺っちの結界が消えたの感知して、大慌てで転移したんっス。いよいよもって瘴魔が溢れたのかと」
「いや~、瘴魔はいっぱいいたけどよ」
「いたんっスか!?」
「ああ、まだ小型だったけどな。群だったな」
「ほえ~。いや、良く退治できたっスね。あ、聖魔法使える人ばっかだから当然か」

 やはり、この屋敷を結界封印していたのはルノーだったらしい。

「英雄?俺が?まっさか~」

ルノーはかはは、と笑って頭を掻いた。

「あの頃の俺は、魔力も安定してなかったし、あれが出来る限りだったんっス。そのあとも2回ほど戻ってきて結界張り直したんっスけどね。何せ魂の浄化とかできないんで、そのうち弾けるかなと思ってたんっス。いやあ、まさかアードグイに行くのに、このルートを使うとは思いもしませんでしたから」
「レア様がここへ行けって言ったから。浄化できて良かったよ」
「お手数おかけしました。俺のやり残しの仕事だったのに…」
「ルノーさんのおかげでここで抑えられてたから、こちらこそ助かりました」
「ミヤさん…。優しいっス。やっぱりハルクルト隊長なんかやめて俺と」
「おい」

 ルノーが手を伸ばしてミヤコを抱きしめようと一歩動いたところで、ハルクルトが殺気を飛ばしギロリとルノーを睨みつける。ミヤコは瞬間にしてクルトの結界に包まれた。

「じょ、冗談っスよ、もう。余裕ないなあ」

 ルノーが両手を頭上にあげて降参した。

「それにしても、ほんとよく浄化できましたね。俺の…俺の部族の人間もここに沢山いて、あの結界も仲間の心臓を使って作ったんっス。
 俺の部族は、割と魔力の多い部族で。獣人の掛け合わせに利用されてたんっス。……俺が生まれた頃には部族も散り散りになってたらしく、ほとんどが獣人として改良されてた。その中でも俺は魔力がずば抜けて多くて母親の腹を食い破って出てきたって言われて、捨てられたんっスよ。思うに、父親が獣人だったんじゃないかと。まあ、証拠も何もないんっスけど」

 ルノーの静かな告白に、全員が息を呑んだ。

「魔力が多いから他族と関わり合って恐れられるより、自然と共に生きて自然と共に還る、そういう生き方を選んだ部族だったんっスけどね。それに目をつけられて、女子供が攫われた。家族や仲間を取り返すために、男連中が踏み込んだところで魔導師たちに捕らえられ、実験材料にされたそうっス。
 そのうち、獣人に変化させられた何人かが魔力の暴走を起こして、逃げ出した。俺の母親も逃げた一人だったんっスけど、そのときすでに俺を妊娠していて。腹ん中の俺は魔力過多。俺の母親は中毒を起こして爆発死。腹が風船みたいに膨れて爆ぜたって。血まみれになって生まれてきたのが、俺だったんっス。臨月でもなかったのに、五体満足で死んだ母親の腹から這い出てきた化け物だったんっス」

 まるで歴史書でも読むかのように、淡々と語るルノーの瞳には感情がない。チラっと顔を上げ、全員の顔を見ると、満足したかのように頷き、頭をかいた。

「それで俺、この屋敷を襲ったんっス。俺を化け物だって言った同族も合わせて、殺して殺して、動くもの全部潰して。お前らが造り出した化物に殺されて悔しいだろう、ザマアミロって思って。瘴気になっても魍魎になっても許すもんかって思って、結界作って逃げた。 
 で、何の心残りもなくなって、どうやって死のうかなって思ってた時、突然頭に浮かんだのが執行人の任務。目から鱗が落ちたみたいに、はっきりとした目標ができて。それから一人で生きて、生きるためには何でもやって。ヘヘッ。俺、すげえ野生児だったんっス」
「ルノー……」

 アイザックが息を飲む。

「それで、王都に行ったらルフリスト軍師と会って、ハルクルト隊長が俺より強いってわかって。初めて俺も人並みだったって思って」
「「いや、それは違うだろ」」

 アイザックとガーネットが同時に突っ込んだ。

「えっと、隊長の方が化け物だって気付いて」
「僕が化け物扱いか」

 ははっとクルトも呆れたように笑う。

「ハルクルト隊長に助けられたんっス。特訓はきつかったけど、俺を見てくれて、一人の人間として扱ってくれた。ハルクルト隊長が、もしかしたら執行人の仲間なんじゃないかと思ってくっついてたんっスけど」

 ルノーは、少し照れたようにいつもの人懐っこい顔で笑った。
 クルトもルノーも、お互いが切羽詰まって助けが必要だった時に、出会うべくして出会ったのだ。ミヤコとクルトが出会ったのもそうだったように。陳腐ではあるけれど、運命だったんだとミヤコは思った。

「ルノーさん」

 ミヤコがおもむろに手を伸ばし、ルノーを抱きしめた。後ろでクルトがピクリと動いたものの、止めることはなかった。

「え」
「ごめんなさい。私、ずっと自分ばかり辛い目にあってるって思ってた。両親に愛されず、恋人にも捨てられて、なんで私ばっかりって。でも違った。私、とても恵まれてる。おじいちゃんにもおばあちゃんにも、おじさんにもおばさんにも、クルトさんにもルノーさんにも、アイザックさんにも、ガーネットさんにも。みんなに守られて」
「み、ミヤさん」
「ルノーさんにも皆んながいる。それが巡り合わせなら、私も受け止める。ルノーさん強いけど、私も一緒に守りたい」
「……っ!や、だなあ。ミヤさん。隊長に殺されちゃいますよ、俺」

 狼狽えて手をばたつかせるルノーに、クルトは苦笑いで答えた。

「……後でゆっくり殺してやるから、今は受け取れ」

 それを聞いて、全員が目を見開いた。

「マジっスか。俺っちの命あと数分?」

 眉をハの字に落として、恐る恐るミヤコの背に手を回し、ルノーはぐっと口を結んだ。

「………柔らかいっスね、ミヤさん。すごい、いい匂いがしてずっとこのまま…」

 そう言いながら、ミヤコの肩に顔を埋めようと頭を垂れた時。

「そこまでだ」

 クルトがバリッとミヤコを剥ぎ取ると、自分の腕の中に閉じ込めた。

「ちょ、クルトさん!?」
「なんでッスかーー!まだ全然味わってないっス!もうちょい、感触を」
「触りすぎだ!寄るな、腐る!」
「ひでぇ!」

 そんなクルトとルノーのやりとりを見て、アイザックとガーネットはやはりため息をついた。

「少しでも見直した俺たちが馬鹿だったな」
「ああ……重症だな」


 *****


 ルノーも交えて、ミヤコたちはオワンデルの屋敷を出て、領地の境からモーグリス草原を望んだ。ポツポツと生えたハルニレの木以外ははしばみ色の草地で、他には何もない。その風景は少しだけソルイリスの聖地に似ている。この草原も浄化が必要なのだろうな。ミヤコがそんなことを考えていると、ミヤコの考えていることがわかったのか、ここは昔からこんな感じっス、とルノーが笑った。

「俺も、ここ数年モーグリス草原まで来てないんで、はっきり言えないんっスけど、このまま草原を北にまっすぐ抜ければ、幾つかの廃墟になった村があります。そのあと山を一つ越えたら、海峡が見えるはず。そこから聖地アードグイが見えます。そこまでは最短でも三日、普通に歩けば七日ってとこっスね」
「マロッカで行くから五日はかからないだろうが、山越えだからな」
「あそこは大型獣がいるんで、気をつけてくださいね。まあ、隊長とアイザックさんなら余裕でしょうけど」
「わかった。で、王都の方はどうだ?モンファルトの動きは」
「ああ、そうだった!ええと、神殿の森がいきなり枯れたんっス。今、討伐隊の何人かが様子見に行ってますが」
「神殿の森が?」
「あそこは王族が陣取ってて、入れなかったんっスよ。厄介な結界が張ってあったらしくて。それが昨日、いきなりボロっと森が枯れて。あと、その前夜グレンフェールでも軽い地震があって。西獄谷の湖が氾濫しそうになって、びっくりしたっス。でもすぐ収まったんで、きっと水の大精霊が何かしたんじゃないかと。町の連中は戦々恐々としてて、愛し子に何かあったんじゃないかって心配してましたよ。それで、伝達石で連絡しようと思ったとこで、結界の崩壊を感じたんで慌ててここに来たんっス」

 それを聞いていたガーネットが首を傾げた。

「私が王都にいた時、国王は神殿にいたはずだ。まさか国王に何かあったんじゃないだろうな」
「国王が王都を離れたのか?」

 アイザックが目を見開いて、ガーネットに尋ねた。

「最近の魔物の暴走といい、聖女の——ミヤ嬢の——噂といい、あまりにも色々起こりすぎていたからな。それにルブラート教が西獄谷ウエストエンドに入り込んでいるとの情報もあったし、不穏な動きがいくつも出てきた。貴族議員たちは言い争いばかりで収拾がつかず、現聖女からの連絡もない。使役を出しても戻ってこないとあっては、仕方がなく王自ら神殿に向かったんだ。もちろん護衛は付いているはずだが。その留守中にモンファルトのクソが王都に舞い戻ってきて……まさか、あのバカが……」
「モンドにとって現聖女は母親の仇でもあるし、国王も父親とはいえ、聖女にうつつを抜かしている。自分が王になるためには邪魔な存在だろうから動機は十分だ。だが、王を殺してもあいつが次王になる可能性は、今のところゼロに近いだろう?議会に認められなければ、未だ廃嫡された身だしな。あいつもそこまで腑抜けでもないと思うが。それより、ルブラート教の方が怪しくないか?」

アイザックがふむ、と腕を組んだところで、ルノーが話を折った。

「ひとまず、俺は戻ります。神殿からの連絡が入ったら伝達石で知らせるっス。お気をつけて」

 そう言って、ルノーはミヤコたちと別れ、オワンデルの屋敷へ戻っていった。封印をした際に転移の魔法陣を門前に描いてあったらしく、そこからグレンフェールに戻るらしい。ミヤコも手を振って、ルノーにまたねと告げた。
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