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第4章:聖地アードグイ編

第98話:カリプソの宝物

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 空がうっすらと白んできた頃、ミヤコはようやく頭をもたげて、クルトの抱擁から身をよじった。

「ん…おはようミヤ」
「うぅ、クルトさん、鬼畜…。こんな屋外であんな…」
「いつも屋外じゃないか。前回は聖地であんなにはげし」
「言わないでっ!」

 確かに、クルトと肌を合わせるのはいつも屋外で、室内だったことは…ない。
 思い返して、ミヤコは真っ赤になった。どれだけ奔放なんだと己を恨みたくもなる。クルトが自分を求めるのはいつも屋外で。いつも、ミヤコが命の危険に晒された、あるいは晒した後だ。

 ハタと気がつく。

 クルトのたがが外れる理由の一つ。まさか自分が作っていたなんて。今更ながらミヤコは驚愕した。

「ミヤ…」

 風の結界は張られたままで、結界の中は程よい温かさに包まれている。さらされたミヤコの素肌にクルトが腕を回し、引き寄せる。キスを頭に一つ落とし、そのまま唇がミヤコの首筋へと移動する。

「あっ……」
「ミヤ」
「クルトさん、ダメ…あんっ…」

 ミヤコがびくりと体を震わせ、クルトの甘い吐息がミヤコの胸に落ちる。強く吸われて残された赤い花びらに、満足げに頷くクルトの髪の毛を、ミヤコは軽く握った。自身を見れば、点々と赤い跡が胸やら腹やらに残っている。太股には噛み跡まで付いているじゃないか。

 痴態を思い出して、ジワリと顔が熱くなる。

 おそらく清浄魔法をかけられて、汗やら何やらはすっきり落とされているのに、マーキングの痕だけ残されている。わざとか。

「こ、こんなに痕残して…」
「何度も…本当に何度も言うけど、僕は君のそばを離れない。一人でどこかへ行こうなんて、二度と言わないで欲しい。君がいないと僕が暴走する」

 怒ったような、困ったような潤んだ瞳でミヤコの顔を覗き込み、掴んだ両肩に力が入るクルトの顔を、ミヤコはそっと両手で包み込んだ。

「クルトさん。わたし、クルトさんが好き。大好き」
「僕は君を愛してる、ミヤ。この世でただ一人、君がいればそれでいい」

 頰に置いた手に擦りつくように小首を傾げると、クルトはぎゅうとミヤコを抱きしめた。どうしようもないんだ、とかすれる声で呟くクルトにミヤコは何も言えなかった。

 どっぷりと愛に溺れて、足掻く事さえできない。執着しているとさえ錯覚するこの人は、ひどく儚げで壊れそうだ、とミヤコは思う。零れ落ちる砂をかき抱くように、必死にミヤコを抱きしめる、愛に飢えているクルトを愛してくれる人はいなかったのだろうか。軍師である父親と、不在の母親についてちらりと聞いたが、あまりいいものではなさそうだった。

「クルトさん、ごめん。一人で突っ走ったりして。わたしの方が暴走してた」
「もう二度と一人で行くなんて言わないでくれ」
「うん。もう二度と言わない。一緒に行こう」
「ああ…」

 恋する気持ちなんて、もうないと思っていた。人を愛するなんて、裏切られてばかりで、つらいばかりで必要ないと思っていたのに。あっという間に目の前にいる彼に溺れていて、自分が恥ずかしくもあり、認めないように目を瞑っていた。なのに、この手は振り解けないほど、求めているのだと気がついてしまった。

 そう思ったら、ストンと心が落ち着いた。パズルのピースがカチリと音をたてて、空いていた隙間に埋め込まれた。わたしは完全体ひとつだ。

 ミヤコはにこりと微笑むと、ぎゅっとクルトの手を握りしめた。


 ***


「水の大精霊ウスカーサの加護をもってわたしたちを水害から守り、かの聖地アードグイまで運んで」

 崖の上からミヤコとクルトは手をつなぎ、ウスカーサの加護を声に出した。クルトが風魔法で水面へとふわりと降り立つと防御魔法を放つ。

「そんなもの効きはしないさね」

 ギクリとして振り向くと、そこには怒りを顕にしたカリプソがいた。

「カリプソ…」
「あんたたちニンゲンが、どれだけこの神聖なる海を汚したか知ってるかい?ポイポイ、ポイポイ、要らなくなったものを全てここに落としていくんだ。私がどれだけ走り回っているかなんて知りもしないだろう?」
「それは」
「そうやって、人ならざるものに守られて、どんな手を使ってウスカーサ様に取り入ったのか知らないけどね、あたしは気に入らないね」
「邪魔をするつもり?」
「邪魔はしないよ、約束したしね。私のを聞いてくれるなら、手を貸してやってもいい」
「お願い?」
「そう。なあに、簡単だよ。それができるなら、私も海の亡者共からあんたたちを守ってやると約束するよ。どうだい?」

 海の亡者たちというのは、海で死んだ人たちの亡霊のことだろうか、それとも瘴魔に関わることなのだろうか。ミヤコはクルトと視線を合わせ、ゆっくりと頷いた。

「一つ教えて。亡者というのは死んだ人たちの霊のこと?」
「ああ、そんなのもいるねえ。アガバの業火から逃れてきた魂とかね。腐りきった肉を提げている馬鹿者どももウジャウジャいるよ。あとは…そうだ、穢らわしい怨念みたいなのも混じってるねえ。あれは本当に厄介なゴミだ。ヘドロのように底に溜まる。兎に角、私はこの何百年もの間そのゴミを拾い集めているのさ。なのに次から次へとゴミが舞い降りてね。いい加減腹が立っているんだよ」

 ふと、ミヤコの中に疑問が湧いた。もしかしたらルビラの怨念も逃れたかもしれない。水鏡の狭間ユナールでミヤコは確かにルビラの魂を浄化した。だけど、瘴気はなくなっていないし、世界が浄化されたわけではない。聖地ウスクヴェサールを浄化したものの、海にはまだ悪しきものや不浄のものが残されているようだ。ウスカーサの力がここまで及んでいないのは、彼の力がまだそこまで回復していないせいだ。

「カリプソ、わたしは精霊王の孫です。ウスカーサの住む聖地ウスクヴェサールも、大地の精霊レアの住む聖地ソルイリスも浄化しました。わたしはわたしの犯した罪を償うつもりで、この世界に戻ってきました。あなたの力になれるかどうか、まだわかりませんが、あなたのお手伝いを私にさせてもらえませんか?」
「せ、精霊王の孫……へえ?奇特な子もいたもんだ。この私に手伝いを申し出るなんて、正気かい?あんたの命が尽きたって終わりっこないんだよ?」
「祖母が作ってくれた浄化の歌があります。もしかしたら、水の精霊さんも助けてくれるかもしれないし」
「はっ。水の精霊?あれはダメだ。ドリスの娘たちは綺麗なものにしか目を向けないし、人魚たちは男漁りに興じているからね。ウスカーサ様のお力が澱んでからは特にダメだよ。私に力を貸そうなんて奴らはこの大海にいやしない」

 また知らない名前が出てきたが、ドリスの娘も人魚も精霊っぽい。人魚といえばセイレーンを思い出す。男漁り、といわれれば、男好きなのかもしれない。美しい女性の姿で誑かすと神話に出てくるけれど、そもそも当時航海士といえば男ばかりだったから仕方がない気もする。

「でも、精霊王の頼みなら?」
「精霊王ねえ。傍観者で人間に贔屓ばかりしている王が役に立つのかね。でも、まあ手伝うっていうんなら文句は言わないよ」

 カリプソは少し考えて、ニヤリと笑うと手を打ってミヤコたちにこう告げた。

「だったら、この陸地からアードグイまでの海を浄化できたらあんたたちを認めようじゃないか。大きなことを言ったんだ、そのくらいできるだろ?この海全てというのは、矮小なあんたじゃ幾ら何でも酷だろうからね」

 ミヤコは唇をかんだ。アードグイまでは距離がある。水は流れ動くし、大地のようなわけにはいかない。今綺麗な水に戻してもそれが流れ動いて、不浄な水と混じり合う。結局は全てを浄化しなければ無理なのではないか。

「できないというのなら、私のお願いを聞いてもらうよ」
「そのお願いというのは?」
「あんたと一緒にいた、大男を私に寄越せばいいだけだよ」
「……アイザックさんのこと?」
「名前なんかはどうでもいい。あれは綺麗な力を持っているだろ。しばらく水につけておけばこの辺りも綺麗になる」

 なるほど、聖魔力のことを言っているんだとミヤコも気づく。ガーネットも聖魔力は持っているが、アイザックさんの力は聖女の力が元だから、恐らく精度とか魔力量が違うのだろう。

 しばらく水につけておけばって、出汁じゃあるまいし!溺れちゃうじゃないの!魚じゃないんだから!

「アイザックさんは渡せません」
「だったら、あんたの力でなんとかしてくれるんだろうね。時間は決めないよ。好きなだけかけておくれ。私は私の宝物さえ無事ならそれでいいんだから」

 そう言うと、カリプソはとぷり、と海に沈んでいった。

「ミヤ……。僕の風魔法でアードグイまで飛んで行こう」
「ダメだよ、クルトさん。あなたの魔法だって無限じゃないし、アードグイについてから何があるかわからない。クルトさんの力は温存しておきたい」

 クルトが倒れたら、ミヤコは自力で身を守ることはできないし、クルトのことも守れない。仮に生き延びても帰りのこともある。

「わたしの力は魔力じゃないから、尽きることはないし。わたし、やってみるよ」


==========

ちょっと豆知識。

ミラートの世界では、ドリスは実は貝の精霊(ヴィーナスの誕生の絵画を思い出していただけるとわかりやすい)で、ドリスの娘たちはウツボや海蛇の姿をとっている精霊です。名前しか出てこないので、覚えなくてもいいです。
実際のウツボや海蛇が男漁りをする事実はありません。(当たり前だって)
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