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プロローグ

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 宙に浮かぶ神々の雷グーデルシン
 それは聖女ティアレアが撃ち放した神聖魔法だ。

 メリアンは息を飲んだ。

 周囲はありの巣を突いたような大騒ぎになっている。
 創世記では魔族との戦いで神が落とした強力な攻撃聖魔法。

 それが王都の上空に巨大な影を落とした。もはやわずかな防御結界など役に立たない。

 ――ああ。わたくし、死ぬのね。

 それが、メリアンに雷光が当たる寸前の、最後の思念だった。


 ***


 メリアン・ドリュモア・ガーランドは深窓の令嬢と噂の侯爵家の長女だ。
 美しい白銀髪プラチナブロンドに夜空のような青い瞳。貴族令嬢の見本のような立ち振る舞い、知識も豊富で地位もあり、頭脳も明晰と非の打ちどころが無く、学園では高嶺の花と羨望の目で見られている。魔力が少なく病弱なため、学園も休みがちになり、それがますますメリアンの魅力を増した。

 メリアンが12歳の時、当時15歳の準聖騎士隊だったジョセフ・リー・セガール伯爵令息と婚約し、メリアンが18歳になって卒業と同時にジョセフを婿入れさせることが決定しており、 誰もが羨むカップルになるはずだった。

 17歳になった今、少女から大人へと移り変わっていく姿は誰が見ても息を呑む。

 現在、二十歳のジョセフ・リー・セガールは、成人の儀を終えて聖騎士になり、聖女の護衛をしている。そのためか、婚約者であるメリアンを邪な目で見たりはせず、規律正しく紳士的にメリアンをエスコートする。柔らかく微笑み合う二人を見て、巷の貴族令嬢はうっとりとため息を吐く。「月の女神レアーを護る聖騎士セイントのよう」と。

 実の所、メリアンは皆が思うほど病弱でもないし、大人しく微笑んで全てを許す聖女のような令嬢でもない。魔力路器官の疾患により魔力循環がうまくいかない為、体調を崩すことはままあるが、それ以外は健康体そのものであるし、気も強く、おてんばな方だと自負している。だが、噂が一人歩きをし、またわざわざ訂正するのも面倒臭いと考えたメリアンは沈黙を貫いた。

 メリアンにとって神殿は信頼するに値しないし、そもそも神だの魔王だの悪魔だのを信じていない。魔法があるから、何かしら自然界の神秘はあるのだろうが、全てを「神の思し召し」と「奇跡」で終わらせるには、魔術も自然界も奥が深すぎる。魔法陣構築に必要なのは自然界の真理と古代語であって、信心や奇跡などではないのだ。魔力と知識があれば、神を信じていなくても魔法は繰れることをメリアンは知っている。

 教皇に至っては鳥肌が立つほどの嫌悪感もある。あの男にどれほどの屈辱を飲まされたことか。『神の考えることは我々人間には考えも及ばないことなのだよ』とでっぷりと太った腹をブヨブヨと揺らせながら教皇はゲスな笑みを浮かべる。自然界も神の思し召しでできており、なんなら我々の住んでいるこの世界も神が作ったのだと。そして我々も神の愛から作られたのだ、と拳を作って力説する教皇を横目に、メリアンはふんと鼻を鳴らす。自分たちで理解できないものを全て神様のおかげといい、不幸は悪魔のせいだという。

 ――その我々人間が理解できない神の教えを説く神殿に毎月多額の寄付を強要するのはなんのためかしらね。

 だが、それを顔に出すような馬鹿な真似はしない。なぜなら、メリアンには神殿に返し切れないほどの借りがあり、逆らえばメリアンという個人の自由が奪われるから。

 神殿が言うには、メリアンが7歳の頃に王都の貧民街で大火事があり、自分がその元凶なのだという。残念ながらそのことは全く覚えていないし、思い出そうとすると頭痛がひどくなるため、反論もできない。よほど恐ろしい目にあったのか記憶喪失になり、7歳より前のことは覚えていないのだ。

 教皇曰く、メリアンは悪魔に魅入られて貧民街に行き、そこで悪魔の業火を使い貧民街を壊滅状態に追い込んだのだという。国から処刑を言い渡される直前に王宮への出入りは生涯しないと約束を結び教皇に助けられ、5年に渡り神殿に閉じ込められて悪魔祓いの儀という名の洗脳を受け、魔除けの魔石という不可解なものを体に埋め込まれた。魔石を埋め込む施術で傷物令嬢になってしまったメリアンの救済として、監視役がわりに当時準聖騎士だったジョセフ・リー・セガール伯爵令息と婚約を結ばされたのだった。

 しかしながら、5年という月日の洗脳や貴族令嬢に対してありえない拷問を受けても、メリアンはうまく本心を隠す術を覚え従順なフリをしながら自我を強く持ち続けた。そうでなければ監禁は5年で済まなかったに違いない。

 ジョセフとは根本的に考えが違い、メリアンと全く馬が合わないが、聖騎士としての矜持からかベタベタと接触はしてこないのがせめてもの救いだった。おそらくジョセフから見ても、無理やり押し付けられたメリアンに興味はないのだろう。それにメリアンがいかに嫌ったところで、聖女にでもならない限り、聖騎士との婚約解消などできるわけでもない。

 両親は一人娘が命拾いし、救済のための悪魔祓いを教皇を崇拝しており、たとえ監視であっても聖騎士と婚姻できることを名誉に考えている。この国で神殿の力は強く、王族ですら迂闊なことは出来ない。助けられた娘の命の恩は真摯に返すべし、と両親は毎月の多大な寄付金を感謝の代わりに納めている。

 そんなこともあり、両親は聖騎士ジョセフに相応しくあれ、とメリアンを厳しく教育した。貴族令嬢は愛や刺激など求めてはいけないと言い聞かされ、常に笑みを浮かべ冷静であれと叱咤された。自分は侯爵令嬢で、国のため家のために政略結婚を強いられるのは、当然の事。体は夫のため、心は神殿のため、愛は領民のためにあるものと教えられた。貴族であれば、例え己が男爵令嬢だったとしても、それは抗えない事実。
 
 少なくとも両親にとっては、そういうものらしい。自分達は恋愛結婚であったにも拘わらずに、だ。

 ジョセフは聖騎士を絵に描いたような紳士でもある。規律正しく、教本通りのエスコートをし、相応しい振る舞いをする。どこにも個人の感情が触れることはない。表情も張り付いたような笑顔をいつも見せ、眉を顰めることすらなかった。

 当然、メリアンも表向きは教本通りの完璧な淑女であるから、好きでもない男の浮気や遊びにいちいち目クジラを立てることもなく、飄々と見て見ぬ振りをする。

 例えジョセフが紳士面をする裏で、夜な夜な下町の女中と遊び、高級娼婦のお世話になっていることを知っていても、メリアンは知らないフリをする。

 正義だ、神だと剣を振りかざしていい気になっている色ぼけ腐れインチキ聖騎士男に、心を預ける気もなかったし、愛情の一欠片すらも持っていなかった。豊満な体を持った聖騎士にお近づきになりたい女は溢れるほどいるのだから、メリアンなど路端の小石程度にしか思ってもいないはず。ひょっとすると、侯爵家の地位を得るためとはいえ、目障りな小蝿くらいには嫌っているかもしれない。


 まさかその色ぼけ腐れインチキ聖騎士のジョセフが、自分を殺したいと思うほど憎んでいるなどとは思いもしなかったのだ。

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