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不死の始まり
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『メリアン、私の___。……あなたに、___を与えます。正しい道を選びなさい』
意識が遠ざかる中、誰かの声を聞いた様な気がした。
暖かい、包み込まれるような温もりに目を覚ました。
「え…?ここは、通学路……?」
気がつくと、学生服を着たメリアンはクワッと目を開き空を見上げて手をかざした格好で、歩き慣れた通学路に立っていた。近くを歩く人々は、メリアンを避けながら見て見ぬふりをしている。はっと視線に気がついて、メリアンは手を下ろして、喉を整えた。
侯爵家のタウンハウスから学園までは、歩いて30分ほど。朝の忙しい時間帯に馬車を使い混雑するのを嫌い、入学時から通学は徒歩と決めている。人通りの多い早朝は衛兵が見回り、盗難や事故が起きないよう目を光らせているためか、1日で最も安全な時間帯でもあった。馬車では気が付かない出来事も人々の会話も、徒歩ならば自分で見聞きし感じることができる。礼儀作法や座学の時間で同じ姿勢でいることが多いメリアンは、自分のペースで歩けるこのささやかな時間を密かに楽しんでいた。
何せ『悪魔付き』と神殿から見張られ、親からも見張られ、ついでにジョセフなどという監視役もつけられているメリアンは、自分自身の時間が極度に少ない。人通りの多い早朝の30分、馬鹿なことはしないだろうと許された時間である。
「な、何が起こったのかしら?確かにわたくしは王宮で……」
聖女の魔法の雷で串刺しになって死んだはず。
だが、通りは忙しく仕事に向かう人や、市場の賑やかな声でざわめいている。誰一人として神の怒りが空から落ちてくることなど心配している様子ではない。
だが次の瞬間、カッと空に白い光が広がり、はっと見上げると、今にも雨が降りだしそうだった曇り空を切り裂いて、複雑に組まれた巨大な魔法陣と共に現れる少女の姿があった。
いつか見た聖女降臨。
衝撃的に記憶に焼きついたその姿は、やはり素っ裸である。
「聖女ティアレア…!?」
巨大な魔法陣が徐々に薄れ、ティアレアはゆっくり地上に降りてくる。
「バカな。あれは1年も前のこと。わたくしは……」
メリアンは何が起こったのか理解できなかったが、空から視線を離さず、学園に向かって足早に歩き始めたちょうどその時。
前方から悲鳴が聞こえ、続いて馬の嗎きと、狂ったように石畳を叩く馬車の車輪が、メリアンの目前に迫った。
あっと思う暇もなく、暴走した馬車に跳ねられ、メリアンの華奢な体は宙に舞った。全身の骨が砕けるような痛みに襲われ、路面に打ち付けられた。
馬に蹴られたのだと気がついた時には、すでに意識は暗転していた。
「……うっ」
痛みを堪えるように目を開けると、メリアンはまたしても路上で天を見上げていた。聖女降臨の場面を再度見ている。
「聖女ティアレア…!?」
そう呟いて、ん?と思う。
「ちょ、ちょっと待って。今、わたくしは……」
――暴走した馬車に跳ねられなかったかしら?
自分の体を見ても、骨に異常はなさそうだし、跳ねられた形跡どころか砂埃さえついていない。メリアンはゴクリと喉を鳴らした。
「このまま道を進めば、わたくしは馬に蹴られて死ぬ?」
無意識のうちに、メリアンは一歩退いた。
前方から悲鳴が聞こえ、続いて馬の嘶きと馬車の車輪の音が石畳に振動する。やはり、と思うと同時に身構えた。後方に飛んで避けるか、暴走する馬を止めるか。頭ではそう考えるものの、体は恐怖で固まり身動きが取れずにいた。このままでは――。
「あぶないっ!」
「んぎゃっ!?」
メリアンが体を硬くして目を瞑ると同時に、横から飛び出してきた人物にタックルをされ、メリアンとその人物は路地裏に転がった。その直後、暴走した馬車がメリアンが立っていたところを通過し、街角にぶつかった。わいわいと人が集まってきて、衛兵が駆けつける声がする。
路地裏に転がった拍子に、頭を壁に打ちつけ目の前に星が散ったものの、最悪の事態は免れた。
(あ、危なかった!)
あのままではまた馬に蹴られて死ぬところだったと、どくどく打ちつける心臓を押さえながら顔を上げると、一緒に転がっていたのは忘れもしない、燃えるような赤髪の男性で。
「ジャック・バーモント……」
彼はメリアンを庇い体を打ちつけたものの、怪我はなさそうで、メリアンの顔を覗き込んだ。
「はぁ、危なかった。大丈夫か?」
「は……はい」
魔導士団長の息子であるジャック・バーモント。メリアンよりも三つ上で、ジョセフ・リー・セガールと同年。彼の実力は学園でも有名で、王太子の側近をしていた。あの日、自分を含む令嬢たちを睨みつけ殺気のこもった魔力を纏っていた人物でもある。
が、今の彼を見るとティアレアを守っていた時のような、視線だけで人を殺しそうな眼力がない。反対に、メリアンを心配そうに覗き込んでいる。
「すまない、突然のことで守りきれなかった。頭を打った?怪我は?」
「………あ、ええ。大丈夫です。あの、助けていただき、有難うございます」
「いや。暴走した馬車の先に君が見えたから。夢中で飛びかかってしまい、失礼した」
「いえ、助かりました」
ジャックは立ち上がるメリアンに手を貸すと、自身の埃を払った。王宮魔導士のローブで身を包んでいて怪我などはなさそうだ。
「変なものが空から落ちてきたから、馬も驚いたのかも知れないな。急いで魔導士宮に報告しないと…ああ、学園まで気をつけて」
チラリとメリアンの制服を見て学園生だと気づいたのだろう、そう言ってにこやかに去っていくジャックを見送り、メリアンは頭を傾げた。
「……一体何が起こっているというの?」
『あなたに、___を与えます。正しい道を選びなさい』
(目覚める前に頭に響いたあの言葉。あれは……?)
メリアンはまた天を見上げた。魔法陣は空に溶け込み、ティアレアはゆっくり降臨してくる。場所は王城の方角だ。
メリアンは得体の知れない力に慄く気持ちを隠す様に腕を摩り、街角に衝突して横転した馬車を振り返った。馬はどうやら怪我もなく無事らしい。鼻息荒く立ち上がり、頭を上下させている。御者もおらず、特に怪我人もいないようだ。蜂か何かに驚いたのだろうか。近くにいた衛兵がバタバタと集まり、横転した馬車を動かし交通規制をしている。
「何かがおかしい…」
メリアンはそう呟いて、今度は気をつけて壁際を歩きながら学園までの道を急いだ。
が、次の路地脇から突然出てきた人にぶつかり、よろめいた。
「あっ、すみま、せ、……?」
その路地から出てきた人物は、聖騎士ジョセフ・リー・セガール。メリアンの婚約者だった。
「ジョセフ?」
「メ、メリアン!?」
ジョセフの服装はヨレヨレで乱れ、口元にも頬にも、だらしなく開けた毛むくじゃらな胸元にも点々と赤い紅の跡があり、いかにも朝帰りの風貌だったのだ。チラリとジョセフの後ろを覗くと、大きな胸をさらけ出した女性がひらひらと手を振っていた。身につけているのはドロワーズとコルセットのみ。
こんな朝っぱらから、娼館もない市場の路地裏で逢い引きとは。
婚約者のいる聖騎士隊員ともあろう者が。
いや、元・聖騎士か…いや、待て。もしこれが1年前に戻っているのだとしたら、まだ聖騎士なのか。
メリアンはすん、と表情を無にした。
「おはようございます。セガール様。徹夜のお勤めご苦労様です」
「メ、メリアン!ち、違うんだ!これは、その」
「触らないでくださいまし。穢らわしい……」
メリアンは、慌てふためくジョセフを一瞥し、踵を返して歩き始めたのだが、次の瞬間、頭上に衝撃を受けて目の前に星が散った。どろりとした液体が額からこぼれ落ち、それが自分の血だと気づいた時は地面に押し倒された。朦朧とする意識の中で、ジョセフが馬乗りになってメリアンの顔を拳で殴りつけた。
「見下しやがって、この悪魔付きが!」
『この時を待っていたんだ』
あの時の記憶が蘇る。
「穢らわしいだと!?穢らわしいのはお前の方だろうが!悪魔に心も体も売ったんだろう!?その尻拭いを俺の人生を使って任されたんだ!お前のせいでな!今すぐその体を暴いてやろうか!あぁ?悪魔の証拠を見つけてやる!」
真っ赤になって怒鳴り散らすジョセフを見てメリアンは悟った。
(ああ。そうか。この人はずっと、私を殺したいほど嫌っていたのか。悪魔付きと言われ、教皇に命令された婚約だもの。仕方ないと言えば仕方ないけれど)
メリアンだって望んだ婚約ではなかった。むしろ早く解消してほしいとすら願っていたが、婚約を命令された当時、準聖騎士だったジョセフに教皇に反論する手立てなどなかったのだろう。ましてや家格からしても伯爵令息のジョセフからすれば、侯爵令嬢のメリアンの方が格上なのだ。
無理もないけれど、殺したいほど嫌われているとは思っていなかった。
だが、それにしても。聖騎士のくせに、とメリアンは思う。襟口に手をかけ服を引きちぎらんばかりに引き上げるジョセフに抵抗して平手打ちを食らわせれば爪の引っ掻き傷が頬に膨れ上がり、血が滲んだ。
武器を持たない女の後ろから襲いかかり、その上に跨り顔を殴りつけるなんて。騎士どころか男としてどうかと思う。殴られた頭と頬がズキズキと痛む。顔を殴られて口の中に鉄の味が広がった。歯が折れたのかもしれない。痛みで涙が出てくるが、グッと食いしばる。泣いたりなんかするものか。
「くそがァッ!泣き叫んで許しを乞うまで犯してやる!」
(言葉遣いも行動も全く聖騎士らしくない。本当に騎士としての能力があるのかすら怪しいものよね)
「風牙!」
もう一度ジョセフが腕を振り上げたところで、せめてもの防衛にメリアンは咄嗟に風魔法を使って抵抗した。慌てたせいで威力が想像以上に上がり、上に跨ったジョセフを吹き飛ばし、身体中を切り刻んでしまった。壁に激突したジョセフは、ヨレヨレになって見苦しかった服が散り散りになって切られた肌からはプシュッと血が噴き出した。
メリアンは魔力の扱いがうまくない。悪魔祓いをした際に、悪魔との結びつきを切り離したからだと言われているが、埋め込まれた魔石のせいだとメリアンは知っている。
教皇は神に赦しを乞うことが一番の解決の秘訣だから毎日神殿に通えだの、お布施をもっと払えだのと言い、治らないのは信心が足りないせいだのと言われのだが、メリアンに言わせれば「くだらない」の一言である。魔石さえなければ、魔力詰まりさえなければこんな男、切り刻んで遥か彼方まで吹き飛ばしてやるのに。
「ふ、ふざけた真似をしやがって、貴様!!殺してやる!」
メリアンの風魔法で、その自慢の顔も鍛えられた筋肉質な身体も刻まれたジョセフは血だらけになり、ますます顔を真っ赤にさせメリアンに飛びかかり、力任せに殴った。
ゴキリ、と嫌な音がしてメリアンの視界は暗転した。
意識が遠ざかる中、誰かの声を聞いた様な気がした。
暖かい、包み込まれるような温もりに目を覚ました。
「え…?ここは、通学路……?」
気がつくと、学生服を着たメリアンはクワッと目を開き空を見上げて手をかざした格好で、歩き慣れた通学路に立っていた。近くを歩く人々は、メリアンを避けながら見て見ぬふりをしている。はっと視線に気がついて、メリアンは手を下ろして、喉を整えた。
侯爵家のタウンハウスから学園までは、歩いて30分ほど。朝の忙しい時間帯に馬車を使い混雑するのを嫌い、入学時から通学は徒歩と決めている。人通りの多い早朝は衛兵が見回り、盗難や事故が起きないよう目を光らせているためか、1日で最も安全な時間帯でもあった。馬車では気が付かない出来事も人々の会話も、徒歩ならば自分で見聞きし感じることができる。礼儀作法や座学の時間で同じ姿勢でいることが多いメリアンは、自分のペースで歩けるこのささやかな時間を密かに楽しんでいた。
何せ『悪魔付き』と神殿から見張られ、親からも見張られ、ついでにジョセフなどという監視役もつけられているメリアンは、自分自身の時間が極度に少ない。人通りの多い早朝の30分、馬鹿なことはしないだろうと許された時間である。
「な、何が起こったのかしら?確かにわたくしは王宮で……」
聖女の魔法の雷で串刺しになって死んだはず。
だが、通りは忙しく仕事に向かう人や、市場の賑やかな声でざわめいている。誰一人として神の怒りが空から落ちてくることなど心配している様子ではない。
だが次の瞬間、カッと空に白い光が広がり、はっと見上げると、今にも雨が降りだしそうだった曇り空を切り裂いて、複雑に組まれた巨大な魔法陣と共に現れる少女の姿があった。
いつか見た聖女降臨。
衝撃的に記憶に焼きついたその姿は、やはり素っ裸である。
「聖女ティアレア…!?」
巨大な魔法陣が徐々に薄れ、ティアレアはゆっくり地上に降りてくる。
「バカな。あれは1年も前のこと。わたくしは……」
メリアンは何が起こったのか理解できなかったが、空から視線を離さず、学園に向かって足早に歩き始めたちょうどその時。
前方から悲鳴が聞こえ、続いて馬の嗎きと、狂ったように石畳を叩く馬車の車輪が、メリアンの目前に迫った。
あっと思う暇もなく、暴走した馬車に跳ねられ、メリアンの華奢な体は宙に舞った。全身の骨が砕けるような痛みに襲われ、路面に打ち付けられた。
馬に蹴られたのだと気がついた時には、すでに意識は暗転していた。
「……うっ」
痛みを堪えるように目を開けると、メリアンはまたしても路上で天を見上げていた。聖女降臨の場面を再度見ている。
「聖女ティアレア…!?」
そう呟いて、ん?と思う。
「ちょ、ちょっと待って。今、わたくしは……」
――暴走した馬車に跳ねられなかったかしら?
自分の体を見ても、骨に異常はなさそうだし、跳ねられた形跡どころか砂埃さえついていない。メリアンはゴクリと喉を鳴らした。
「このまま道を進めば、わたくしは馬に蹴られて死ぬ?」
無意識のうちに、メリアンは一歩退いた。
前方から悲鳴が聞こえ、続いて馬の嘶きと馬車の車輪の音が石畳に振動する。やはり、と思うと同時に身構えた。後方に飛んで避けるか、暴走する馬を止めるか。頭ではそう考えるものの、体は恐怖で固まり身動きが取れずにいた。このままでは――。
「あぶないっ!」
「んぎゃっ!?」
メリアンが体を硬くして目を瞑ると同時に、横から飛び出してきた人物にタックルをされ、メリアンとその人物は路地裏に転がった。その直後、暴走した馬車がメリアンが立っていたところを通過し、街角にぶつかった。わいわいと人が集まってきて、衛兵が駆けつける声がする。
路地裏に転がった拍子に、頭を壁に打ちつけ目の前に星が散ったものの、最悪の事態は免れた。
(あ、危なかった!)
あのままではまた馬に蹴られて死ぬところだったと、どくどく打ちつける心臓を押さえながら顔を上げると、一緒に転がっていたのは忘れもしない、燃えるような赤髪の男性で。
「ジャック・バーモント……」
彼はメリアンを庇い体を打ちつけたものの、怪我はなさそうで、メリアンの顔を覗き込んだ。
「はぁ、危なかった。大丈夫か?」
「は……はい」
魔導士団長の息子であるジャック・バーモント。メリアンよりも三つ上で、ジョセフ・リー・セガールと同年。彼の実力は学園でも有名で、王太子の側近をしていた。あの日、自分を含む令嬢たちを睨みつけ殺気のこもった魔力を纏っていた人物でもある。
が、今の彼を見るとティアレアを守っていた時のような、視線だけで人を殺しそうな眼力がない。反対に、メリアンを心配そうに覗き込んでいる。
「すまない、突然のことで守りきれなかった。頭を打った?怪我は?」
「………あ、ええ。大丈夫です。あの、助けていただき、有難うございます」
「いや。暴走した馬車の先に君が見えたから。夢中で飛びかかってしまい、失礼した」
「いえ、助かりました」
ジャックは立ち上がるメリアンに手を貸すと、自身の埃を払った。王宮魔導士のローブで身を包んでいて怪我などはなさそうだ。
「変なものが空から落ちてきたから、馬も驚いたのかも知れないな。急いで魔導士宮に報告しないと…ああ、学園まで気をつけて」
チラリとメリアンの制服を見て学園生だと気づいたのだろう、そう言ってにこやかに去っていくジャックを見送り、メリアンは頭を傾げた。
「……一体何が起こっているというの?」
『あなたに、___を与えます。正しい道を選びなさい』
(目覚める前に頭に響いたあの言葉。あれは……?)
メリアンはまた天を見上げた。魔法陣は空に溶け込み、ティアレアはゆっくり降臨してくる。場所は王城の方角だ。
メリアンは得体の知れない力に慄く気持ちを隠す様に腕を摩り、街角に衝突して横転した馬車を振り返った。馬はどうやら怪我もなく無事らしい。鼻息荒く立ち上がり、頭を上下させている。御者もおらず、特に怪我人もいないようだ。蜂か何かに驚いたのだろうか。近くにいた衛兵がバタバタと集まり、横転した馬車を動かし交通規制をしている。
「何かがおかしい…」
メリアンはそう呟いて、今度は気をつけて壁際を歩きながら学園までの道を急いだ。
が、次の路地脇から突然出てきた人にぶつかり、よろめいた。
「あっ、すみま、せ、……?」
その路地から出てきた人物は、聖騎士ジョセフ・リー・セガール。メリアンの婚約者だった。
「ジョセフ?」
「メ、メリアン!?」
ジョセフの服装はヨレヨレで乱れ、口元にも頬にも、だらしなく開けた毛むくじゃらな胸元にも点々と赤い紅の跡があり、いかにも朝帰りの風貌だったのだ。チラリとジョセフの後ろを覗くと、大きな胸をさらけ出した女性がひらひらと手を振っていた。身につけているのはドロワーズとコルセットのみ。
こんな朝っぱらから、娼館もない市場の路地裏で逢い引きとは。
婚約者のいる聖騎士隊員ともあろう者が。
いや、元・聖騎士か…いや、待て。もしこれが1年前に戻っているのだとしたら、まだ聖騎士なのか。
メリアンはすん、と表情を無にした。
「おはようございます。セガール様。徹夜のお勤めご苦労様です」
「メ、メリアン!ち、違うんだ!これは、その」
「触らないでくださいまし。穢らわしい……」
メリアンは、慌てふためくジョセフを一瞥し、踵を返して歩き始めたのだが、次の瞬間、頭上に衝撃を受けて目の前に星が散った。どろりとした液体が額からこぼれ落ち、それが自分の血だと気づいた時は地面に押し倒された。朦朧とする意識の中で、ジョセフが馬乗りになってメリアンの顔を拳で殴りつけた。
「見下しやがって、この悪魔付きが!」
『この時を待っていたんだ』
あの時の記憶が蘇る。
「穢らわしいだと!?穢らわしいのはお前の方だろうが!悪魔に心も体も売ったんだろう!?その尻拭いを俺の人生を使って任されたんだ!お前のせいでな!今すぐその体を暴いてやろうか!あぁ?悪魔の証拠を見つけてやる!」
真っ赤になって怒鳴り散らすジョセフを見てメリアンは悟った。
(ああ。そうか。この人はずっと、私を殺したいほど嫌っていたのか。悪魔付きと言われ、教皇に命令された婚約だもの。仕方ないと言えば仕方ないけれど)
メリアンだって望んだ婚約ではなかった。むしろ早く解消してほしいとすら願っていたが、婚約を命令された当時、準聖騎士だったジョセフに教皇に反論する手立てなどなかったのだろう。ましてや家格からしても伯爵令息のジョセフからすれば、侯爵令嬢のメリアンの方が格上なのだ。
無理もないけれど、殺したいほど嫌われているとは思っていなかった。
だが、それにしても。聖騎士のくせに、とメリアンは思う。襟口に手をかけ服を引きちぎらんばかりに引き上げるジョセフに抵抗して平手打ちを食らわせれば爪の引っ掻き傷が頬に膨れ上がり、血が滲んだ。
武器を持たない女の後ろから襲いかかり、その上に跨り顔を殴りつけるなんて。騎士どころか男としてどうかと思う。殴られた頭と頬がズキズキと痛む。顔を殴られて口の中に鉄の味が広がった。歯が折れたのかもしれない。痛みで涙が出てくるが、グッと食いしばる。泣いたりなんかするものか。
「くそがァッ!泣き叫んで許しを乞うまで犯してやる!」
(言葉遣いも行動も全く聖騎士らしくない。本当に騎士としての能力があるのかすら怪しいものよね)
「風牙!」
もう一度ジョセフが腕を振り上げたところで、せめてもの防衛にメリアンは咄嗟に風魔法を使って抵抗した。慌てたせいで威力が想像以上に上がり、上に跨ったジョセフを吹き飛ばし、身体中を切り刻んでしまった。壁に激突したジョセフは、ヨレヨレになって見苦しかった服が散り散りになって切られた肌からはプシュッと血が噴き出した。
メリアンは魔力の扱いがうまくない。悪魔祓いをした際に、悪魔との結びつきを切り離したからだと言われているが、埋め込まれた魔石のせいだとメリアンは知っている。
教皇は神に赦しを乞うことが一番の解決の秘訣だから毎日神殿に通えだの、お布施をもっと払えだのと言い、治らないのは信心が足りないせいだのと言われのだが、メリアンに言わせれば「くだらない」の一言である。魔石さえなければ、魔力詰まりさえなければこんな男、切り刻んで遥か彼方まで吹き飛ばしてやるのに。
「ふ、ふざけた真似をしやがって、貴様!!殺してやる!」
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