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フィリオ=ルクレインは、緊張で指先を固く握りしめていた。真新しい制服の袖に、淡い汗が滲んでいるのを感じながらも、彼女は胸を張って学院の門をくぐる。
アルミレイユ高等学院。王国中の貴族子弟が集う名門中の名門。そんな場所に、平民出身の少女が足を踏み入れるなど、本来ならあり得ないことだった。
だが彼女は、この春、奇跡的に設けられた“平民特待生枠”に合格した、ただ一人の生徒だった。
「絶対に負けない。正しいことを、正しいと言える自分でいるために……」
フィリオは幼い頃から、貴族社会の腐敗と虚飾について書かれた本を読みあさってきた。中でも頻繁に登場するのが“悪役令嬢”という存在。気に入らない平民を排除し、表では礼儀正しく振る舞いながら、裏では政敵を陥れる冷酷な女――それがフィリオにとっての“貴族令嬢”の典型だった。
だからこそ、彼女は知っていた。この学院には、そんな象徴のような人物が在籍していることを。
アズナ=グランフォード。グランフォード公爵家の直系にして、生徒会長。学院の中でも特別な存在。そして、誰もが一目置く――いや、“一歩退いて見守る”存在。
「でも、私は、負けない。たとえ相手が公爵令嬢でも、間違ったことは――」
その瞬間、廊下の角からふわりと香りが流れてきた。どこか落ち着く、けれど形容しがたい不思議な香。フィリオが顔を上げた先に、彼女はいた。
漆黒の長い髪が背に揺れ、静かな足取りで歩いてくる少女。制服の赤いリボンが陽光を受けてきらめいていた。周囲の生徒たちはさっと道を開け、誰もが目を逸らすか、伏し目がちに見送る。
彼女は、アズナだった。
――来る。心の準備を。私は平民、彼女は貴族。対等じゃない。でも、間違いを許してはいけない。
決意を込めて一歩踏み出したフィリオに、アズナはふと気づいたように顔を向けた。そして、微笑んだ。
「ごきげんよう。新入生の方ですのね? ご案内がお済みでなければ、校内をご一緒いたしましょうか」
「……は?」
あまりにも優雅な挨拶。優しげな声色。完璧な所作。どこにも侮蔑も、見下しも、皮肉もない。ただ真っ直ぐな“気遣い”がそこにあった。
「い、いえっ、だいじょうぶです! 一人で、歩けます!」
顔を真っ赤にしながら、フィリオは頭を下げて早足で通り過ぎた。足音が反響する廊下で、彼女は小さく呟く。
「何、あれ……」
“悪役令嬢”とは、威圧的で、冷酷で、差別的で、容赦のないもの。そう信じていた。そうでなければならなかった。それなのに。
廊下の向こうで、アズナは変わらぬ笑みを浮かべたまま、次の生徒に軽く会釈をしていた。まるで“すべてを赦している”かのように。
――あれが本当に、あのアズナ様? 噂と全然違う……
初日の空気は、すでにフィリオの中で音もなく崩れ始めていた。
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「何、あれ……」
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廊下の向こうで、アズナは変わらぬ笑みを浮かべたまま、次の生徒に軽く会釈をしていた。まるで“すべてを赦している”かのように。
――あれが本当に、あのアズナ様? 噂と全然違う……
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