『この悪役令嬢、すべてを許しすぎて逆に怖い』

白石あかね

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フィリオ=ルクレインは、その日もアズナ=グランフォードを“観察”していた。

教室での受け答え。講義中の立ち振る舞い。昼食時の席の取り方と、周囲との会話の距離感。すべてを見つめ、記録していた。

だが、そこには一つとして“悪意”の兆しが見つからない。

「ほんとうに、いつもああなの?」

食堂の席で、同じ新入生の少女に問いかけたフィリオの声には、少しだけ焦りがにじんでいた。

「うん。わたしも最初は怖いと思ってたけど……でも、怒ったとこ、一度も見たことないよ。アズナ様って、本当に優しい方なんだよ」

「……でも、貴族で、公爵令嬢で、生徒会長で……」

「うん。それでも変わらないの。誰に対しても、平等に微笑んでくださるの」

納得がいかない。なぜ、誰も疑おうとしないのか。誰も、違和感を持たないのか。

――そんなわけ、ない。

フィリオは箸を置き、黙って立ち上がった。向かった先は図書室。かつてこの学院で起こった断罪劇や、貴族同士の争いの記録が、過去の校内新聞に残っているはずだ。

だが、調べていくうちに、驚くべき事実に突き当たる。

「アズナ様に関する告発記録……ゼロ?」

どれほど遡っても、アズナの名前が“糾弾される側”として登場した記録は一つもなかった。それどころか、告発そのものが“提出されたが、いつの間にか取り下げられている”という経緯が繰り返されていた。

「断罪無効……?」

違和感が確信に変わる前に、先輩の生徒がふと呟いた。

「ああ、それ、有名だよ。アズナ様に断罪なんて、無理無理。された人が、結局“自分が悪かった”って言い始めるんだから。しかも、アズナ様はそれを責めずに、ふわっと受け入れてくれちゃうの」

「赦されるんですか?」

「うん。というか、赦される前に、自分が勝手に赦されたくなる感じ? あの香りと笑顔に包まれてると、どんな怒りも罪も、どうでもよくなっちゃうの。なんだか……安心するんだよね」

フィリオは言葉を失った。  
赦しという名の絶対的支配。  
それを“誰も疑わない”という事実が、何よりも怖かった。

彼女はその足で香塔の前まで行った。そこは、アズナが日々香を調合する場所。扉の奥から、かすかに甘くて温かな香りが漂ってくる。

何の変哲もない花の香りなのに、心が静まっていくのが分かる。警戒心も、焦燥も、怒りも、すべてが霧のように消えていく。

「これが……アズナ様の“香”……?」

そしてふと気づいた。

自分の感情が、香りによって“輪郭を失っている”ことに。

手のひらが湿っていた。冷たい汗だった。こんなにも優しく、穏やかで、柔らかい空気なのに、なぜか全身に鳥肌が立っている。

アズナは、本当に“人間”なのか。

それとも、もっと別の……この世の理から外れた存在なのか。

その日、フィリオの心には初めて、“疑念”ではなく、“畏れ”という言葉が根を下ろした。
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