『この悪役令嬢、すべてを許しすぎて逆に怖い』

白石あかね

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香塔の最上階にある記録保管室は、学院内でも特に静寂に包まれた場所だった。

高窓から差し込む光が、古びた紙の山に斜めの影を落としている。棚の間をすり抜ける風は、乾いた紙と残り香の混じった空気を揺らし、まるで時間そのものが漂っているような錯覚すら与えた。

「本当に……ここにあるのかな」

フィリオ=ルクレインが棚の一角に手を伸ばしながら、振り返る。

「アズナ様が通っていたって聞いた。記録魔法が残ってるはず」

隣で頷くマリアンヌ=クラレットも、目を凝らしながら背表紙を指でなぞっていた。

ふたりはただの興味からではなく、ある種の確信に突き動かされていた。

――アズナの“香”は、ただの癒しではない。  
そう思わせる出来事が、ここ最近あまりに多すぎた。

やがて、マリアンヌがひとつの分厚い冊子を引き抜く。革装の表紙には、かすれて読みづらくなった金文字で《香術体系:感情誘導香の理論と実践》と記されていた。

「これ……!」

フィリオが駆け寄り、ふたりはその頁を慎重に開く。

中はぎっしりと書き込まれた理論式と、調香手順、そして使用例の記録。

《使用目的:恐怖の緩和/調香対象:沈香・ベルガモット・銀桂》  
《副作用:記憶の感情的強調》

そんな文字の中に、ふと、目を引く一文があった。

《香りは、言葉よりも強く命を縛る。命令せずとも、心は自然と従う。》

その行の横には、確かに筆跡の異なる追記がある。  
丸く、丁寧な筆致で、こう書かれていた。

《静かなる支配こそ、理想の導き。  
             ――アズナ・G》

二人は顔を見合わせた。

アズナ・G。  
アズナ=グランフォード。  
彼女がこの理論に触れ、理解し、何らかの“答え”に辿り着いていた証。

「香りは……言葉よりも強く……?」

呟いたフィリオの声がかすれた。心の奥に冷たいものが流れ込む。

「アズナ様は……何を“理解”していたの?」

マリアンヌが震える手で書のページを閉じたとき、部屋の空気が妙に重く感じられた。

それまで優しく漂っていた香の残り香さえ、まるで見えない手に首を掴まれるような圧を持っていた。

“この人は、本当に優しいだけなのか?”

その問いが、ふたりの中で同時に浮かび上がった。

答えは、まだ分からない。

だが、ひとつだけ確かなのは――  
あの微笑と香りには、理性をも感情をも、意志すらも呑み込むだけの“力”があったということだった。
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