死神の誤算と策略、私の運命はもう変わらない

陵月夜白(りょうづきやしろ)

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第八章 戻ってくる場所

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第八章一話 戻ってくる場所

 病院の自動ドアが閉まる音を背に、陸翔は駅までの道をゆっくり歩いた。
父親の面影がまだ目の奥に焼きついている。
言葉は少なかったが、あの痩せた横顔と「選べよ、自分の人生を」という一言が、ずっと喉の奥に刺さっている。
 (……俺の人生、選べるのかよ)
スマホが震えた。グループの連絡用アプリ。
 「至急、アジト集合」の短い文。
舌打ちを飲み込んで、陸翔は改札をくぐった。

 雑居ビルの三階。剥がれかけた壁紙と、電子タバコの甘ったるい匂い。
中では三人の男がソファにふんぞり返っていた。
 全員が黒い服。
無駄に派手な腕時計と、刺青が覗く手首。
 「来たか、仁科」
呼び捨てで声をかけてきたのは、幹部の一人――“田沼”だ。
 スーツ姿だがネクタイは緩め、笑っていない目でこっちを見ている。
 「すみません、遅くなりました」
「まあいい。……ちょうどいいタイミングだ。次の仕事がある」
 田沼がソファの脇からタブレットを手渡す。画面には女性の写真。
栗色の巻き髪に、派手すぎないアイメイク。 大学の門の前らしき背景。
 「この子。迎えに行け。佐々岡さんの“お嬢さん”だ」
陸翔の背筋がわずかに強張る。
 「……佐々岡さんって、“あの”……?」
 「そう。“山際組”の本家筋だ。今回の指示は直通。お前、変なことすんなよ。彼女に口きかせるな、目も合わせすぎんな、車の中で音楽もかけんな。とにかく“無事に送り届ける”だけが仕事だ」
 「……えっと、どこに迎えに?」
「星和女子大の前。午後三時半。門の前に立ってる。写真と同じ顔だから、間違えるなよ」
 「……はい」
そう答えたが、内心では不安だった。陸翔は昔から**“人の顔を覚えられない”**。特に女性の顔は苦手だった。メイクや髪型が違えばもう分からなくなる。
 写真を睨みつけるように見つめながら、「こりゃやばいかもな……」と小さく呟く。
 「車は?」
「俺のアルファード貸してやるよ。 ……おい、分かってるよな。ちょっとでもキズつけてみろ、ぶっ殺すからな」
 (……あんたのアルじゃねえだろ、組の車じゃねえか)
 心の中で毒づきながらも、陸翔は頷くしかなかった。
 「わかりました。……迎えに行ってきます」
 「頼むぞ。“佐々岡の娘にミス”なんて起きたら、次に死ぬのはこっちかもな。なあ?」
 そう言って男たちが笑う。どれも目が笑っていない。
背中にじわじわと冷たい汗が滲んでいくのを、陸翔は気づかないふりをした。

 アルファードビルを出たとき、風が冷たくなっていた。
 時計は、午後2時52分。
大学までは車で20分ほど。渋滞を考慮しても、まぁ間に合う。
 陸翔は深く息を吐き、歩き出した。
 (……迎え? 俺が、そんな仕事を?)
考えれば考えるほど現実味がなかった。
けれど――この場所では、命じられた仕事からは逃げられない。
 「顔なんて、覚えられねえってのに……」
 小さくぼやきながら、駅へ向かう足取りはどこか重かった。

 午後の大学前、冷たい風が構内の掲示板を揺らしていた。
 安曇遥は校門の前で小さく息を吐き、手袋の上からスマホを握りしめていた。模試は終わった。あとは誘ってくれた仲間たちが来るのを待つだけ――だったはず。
 ふと、前方に止まった黒いアルファードが目に入った。やけに存在感のある車だった。
助手席には黒い服の男が乗っているように見える。
サングラスでもかけているのか、表情は読めない。
 車の運転席から男が降りてきて、まっすぐにこちらへ向かってくる。遥は一歩後ずさった。
 「……ハルカさんですか?」
低くて若い、少しかすれた声だった。思わず「えっ?」と聞き返そうとした瞬間、男はさらに一歩近づいた。
 「お迎え頼まれてて。波留嘩さんですよね? お父さんから聞いてます。さ、乗ってください」
 え? なに? 迎え? 誰の?
混乱する頭の中で「ハルカ」という名前だけがひっかかった。
たしかに“はるか”だ。でも彼女は佐々岡の娘でもなければ、迎えを頼んだ覚えもない。

 「……はい?」
疑問の返事をしたつもりが、結果的には“肯定”になっていた。
 「ああ、よかった。じゃあ乗ってください。このあと夕方は渋滞しそうなんで、急ぎましょう」
 陸翔は慣れた手つきで後部座席のドアを開けた。遥が戸惑っている間に、ごく自然に、まるで知っている人のように。
 (え……ちょ、ちょっと待って……)
 声を出す間もなく、遥はそのまま車内へと押し込まれる。ドアが閉まる音が、やけに重たく響いた。
 次の瞬間だった。
助手席に座っていた男が、何かを感じたようにこちらをゆっくりと振り向いた。
 ――黒髪。黒のロングコート。凍りついたような視線。
 遥は息を呑んだ。

 「……烏牙……?」
その姿は間違いなく、あの“死神”だった。


第八章二話 沈黙を裂く声

 アルファードのエンジン音が静かに響く。
冬の午後、窓の外では街路樹の枝がかすかに揺れていた。
 遥は助手席の男をちらりと見る。――やはり烏牙だった。車内には彼の存在を感知する空気が、冷気のように漂っている。
 後部座席に座る遥は、身を強張らせながらシートベルトを握っていた。
 (まずい。これは完全な誤解……でも、それより……)
 助手席の烏牙が、ただ無言で前方を見つめているのが恐ろしく感じた。
まるで、何かが“決まっている”かのような沈黙だった。
 思わず遥は叫んだ。

 「――停めて!」
ブレーキが急に踏まれ、車体が揺れる。陸翔が驚いて振り返る。
 「え? ど、どうしました? 大丈夫ですか?」
 「停めてって言ったの! すぐ、路肩に!」
 「あっ、はい……!」
慌ててハザードを焚きながら、陸翔は車を停めた。
 「お嬢様」の言葉は、この仕事で唯一絶対の命令だ。逆らえば、何が起こるかはわからない。
 車内に不穏な沈黙が広がる。
 「……大学に戻って」
「え? いや、でも俺、“送り届けろ”って言われてて……」
 「はやく戻って! あなた、何か勘違いしてるよ!」
 遥はシートベルトを外し、身を乗り出すようにして言い放った。
 「私は安曇遥! あなたなんか知らないし、ハルカだけどハルカじゃない。ていうか、それより――
 もっと重要なのは……あなたには……死に――……っ……いや、なんでもない!」
 烏牙が、わずかに目線をこちらに向けた。
 「……あなたも、何か言いなさいよ」
沈黙を破った遥の怒声に、烏牙は淡々と答える。
 「今、この男には私は見えていない。しかし、彼はもう……“死ぬ”ことは理解している」
 「……告知したの?」

「……ああ。あと、五日だ」
 「五日……?」
遥の声がかすれた。
頭の中で何かがつながった。篠原奏の残日数――「5日」。
 遥の心臓が跳ねる。
 「奏くんと同じ? 偶然? ……一緒に、死ぬの……? まさか……」
 吐息が白く曇る車内で、遥は小さくうめいた。
 「……もういや。なんで私なんか、死神が見えるのよ。
 これじゃ、普通に生きられないじゃない……!」
 烏牙は、初めて静かに視線を伏せた。
その姿は、あまりにも“人間”のようだった。
 「お、お嬢さん……?」
沈黙に耐えかねた陸翔が声を上げた。
 「どうしたんですか? 何を……何を“仰ってる”んですか? 死神……って……今、言いました?」
 遥は強く目を閉じた。
今はこれ以上、言ってはいけない。
 「――はやく。大学に戻って」
その言葉には、泣き出しそうな震えが滲んでいた。


第八章三話 戻る場所があるということ

 アルファードは大学前のロータリーにゆっくりと停まった。
 遠くから学生たちの笑い声が聞こえる。夕方の講義を終えた仲間たちが合流しはじめているらしく、キャンパスの入口付近にはちらほら人が集まっていた。
 後部座席の遥はシートベルトを外し、ドアノブに手をかけた。
 「ここでいいです。……ありがとうございました」
 「……えっ? あ、はい……」
 陸翔は明らかに混乱していた。
つい数分前まで「死神」「告知」「死ぬ」などという非現実的な単語が飛び交っていたのだ。
 しかも、目の前の女性はまるで幽霊でも見るような顔で、自分のことを――「死ぬ」と断言した。

 遥は一度だけ助手席を見た。
烏牙は相変わらず、無言で前方だけを見つめている。
 (……この人はきっと、何も助けてはくれない)
 そう理解していても、遥はなぜか彼を責めることができなかった。
ただひとつ、どうしても伝えたいことだけがあった。
 「……あの、さっきのこと……」
ふと口を開いたが、続きは言葉にならなかった。
 (“死ぬ”なんてこと、本当は言っちゃいけなかった)
 ドアを開け、外に出る。冷たい風が、頬を撫でていった。
背後から声がした。陸翔だった。
 「俺……何か、悪いことしたんすかね」
その言葉に、遥は目を伏せた。
本当の意味では、まだ何もしていない。
だけど彼の未来は、もう“観測された”。
 (本当に……何もしていないのに)
「……違います。あなたは、ただ巻き込まれただけ。
 でも、きっと……何かを選ばないといけない日が来ます」
 「……選ぶ?」
「その時に……誰かの命を、自分の命を、ちゃんと考えてください」
 それだけ言って、遥は歩き出した。
 夕暮れの大学前。彼女の背中は、どこかひどく遠く見えた。

 陸翔はしばらくその背中を見送ってから、車のドアを閉めた。
ふと助手席を見たら男が座っていた。

 「あああああああ!ビックリした!」
助手席の男――烏牙――が、ゆっくりとこちらを向いた。
「急に現れないで下さいよ。ちびっちゃいますよ。 まだ俺に用すか?」
 返事はなかった。
陸翔はゆっくりと唾をのみ、小さくつぶやいた。
 「俺が、あと何日かで……死ぬって、マジなんすか?」
 烏牙はただ静かに目を伏せた。
その沈黙が、いちばん恐ろしかった。

 冷房の音だけが静かに響く車内。
助手席の“男”――いや、死神と名乗ったあの存在は、もはや話しかけるでもなく、ただ空気のように座っている。
 陸翔はそっとタブレットを取り出し、再度“写真”を確認する。
 (あの子……全然顔、違くね?)
そう思った瞬間だった。

 「――ごめーん、ごめーん! 待たせた?」
 大学の門を出て、小走りにこっちへ向かってくる女性がいた。
茶色いカーディガン、ブランド物のバッグ、完璧な巻き髪。そして、写真とほとんど変わらない顔立ち。
 その横には、数人の友人たちが手を振って見送っていた。
 「ちょっと友達と話し込んじゃっててさ。気づかなかった~」
明るい声に、陸翔は反射的に反応した。
 「あ、どうも! 佐々岡さんのお嬢さんですよね? どうぞこちらです!」
 素早く後部ドアを開ける。
波留嘩は何の警戒もなく乗り込むと、
 「アルファード、ひっさしぶり~。やっぱ乗り心地いいよね~」と機嫌よく座席に身を沈めた。
 ドアが閉まる音が、ようやく陸翔の心を落ち着かせた。
 (あっっっっっっぶねえ……)
冷や汗が背中を流れた。
 (マジでさっきの子をそのまま連れてってたら……確実に“処理”されてたろ、俺)
 助手席を見ると、烏牙は相変わらず無言で前を見ている。
 (こいつが一番怖ぇよ……)
陸翔は深く息を吸い、エンジンを入れた。
 アルファードは、夕方の大学前を静かに離れた。
 今度こそ、本物の“任務”を果たすために。
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