十二輝の忍神 ーシノビガミ― 第一部

陵月夜白(りょうづきやしろ)

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37 清十郎の異変

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第三話 清十郎の異変

 夜営は、静かだった。

 農家の空き家に忠壽たちはいた。
焚き火は一本だけ。
 火は低く抑えられ、薪の爆ぜる音もほとんどない。

 お菊はすでに横になっている。
茣蓙(ござ)を掛けられ、浅いが規則正しい寝息を立てていた。

 少し離れたところで、斎藤と吉村が控えている。
 言葉は交わさず、
闇と、お菊の寝姿、その両方から目を離さない。

 忠壽は焚き火のそばに腰を下ろし、その様子を一度だけ確かめてから、静かに言った。
「……今夜は、これ以上の移動はせぬ」
「ここで休む」
 誰も異を唱えない。

 清十郎は、その言葉に小さく頷き、お菊の方へ視線を向けた。
「……眠られましたか」

「はい」
金之助が小声で答える。
「先ほど、ようやく」

「それは何よりです」
清十郎の声は、柔らかい。
だが、どこか張り詰めている。
「気を張り続けるのは、人の身には堪えます」

 忠壽は、その言葉を否定も肯定もしない。
 ただ、清十郎の横顔を一度、静かに見た。

 そのときだった。
――ずきり。

 清十郎のこめかみに、鈍い痛みが走る。
 一瞬、視界が揺れた。

 焚き火の炎が 黒く歪む。
炎の向こうに、人の形が立っている。
 輪郭は曖昧で、顔が、ない。

 清十郎の指が、反射的に刀の柄に触れた。

「清十郎」
忠壽の声だった。
 低く、短い。
清十郎は、はっとして手を止める。

 炎は、ただの炎に戻っていた。
黒い影も、どこにもいない。
「……失礼」

 清十郎は、小さく息を吐いた。
「少し、頭が痛みます」

「続いておるのか」
忠壽は、問い詰めない。
事実だけを確かめる声だ。

「はい」
清十郎は頷いた。
「断続的に。
 強くはありませんが……」

 言いかけて、言葉を切る。
焚き火の脇に落ちていた木片を無意識に拾い上げる。

 力が、入る。
ぱきっ。 乾いた音とともに、木片は、必要以上に砕け散った。

 金之助が、その手元を見る。
清十郎自身も、砕けた欠片を見つめ、一瞬だけ、目を見開いた。

「……力の加減が、
 思うようにいきません」
独り言に近い声。
「危険を感じると、
 身体が、先に動こうとする」

 鉄之介が、居心地悪そうに言う。
「……無理すんなよ」

「無理は、しておりません」
清十郎は即座に答えた。

 だが、その言葉は、
自分自身に言い聞かせているようでもあった。

 忠壽は、しばらく黙っていた。
そして、焚き火に目を落としたまま、言う。
「今は休め。
これからのことを考えると、身体がもっとも大事だからな」
 命令ではない。だが、退路を与える言葉だった。

 清十郎は、わずかに頭を下げる。
「……承知しました」

 再び、お菊の方を見る。
眠る姿は、変わらない。
 その安らかさを前に、清十郎の胸の奥で、何かが、静かに軋んだ。

 頭痛は、まだ消えない。
だが――誰にも、それ以上は語られなかった。

 夜は、変わらず静かだった。

 夜明けは、静かに訪れた。
灰を含んだ空は鈍く白み、
 遠くの山影は、まだ輪郭を取り戻していない。

 それぞれが短い仮眠から目を覚まし、焚き火の跡を囲むように集まった。

 お菊は斎藤と吉村に支えられ、無理のない姿勢で腰を下ろしている。
 顔色はまだ優れないが、目ははっきりと覚めていた。

 忠壽が、全員を見回してから口を開く。
「……さて。
これからの話をせねばならぬ」

 誰も口を挟まない。
この場に、軽い言葉は似合わなかった。
「まず、館林を離れるべきかどうかだ」

 金之助が、慎重に言う。
「黒屍人は、今は動いていません。
 でも……また現れない保証はない」

「そうだな」
鉄之介が腕を組む。
「領民が襲われりゃ、お城の殿様も無事じゃ済まねえ」

 忠壽は頷く。
「だが、館林を離れれば、
 この地の領民を見捨てることにもなる」

 お菊が、静かに口を開いた。
「……食料は、十分とは言えません」
声は弱いが、はっきりしている。

「噴火の影響で、
 畑も倉も、被害が出ています。
 このままでは、
 冬を越せぬ家も出るでしょう」

「幕府の援助は?」
鉄之介が聞く。

「期待は……難しいかと」
忠壽が答える。

「噴火は、この地だけではない。
 どこも手一杯だ」
沈黙が落ちる。

「……噴火は、いつまで続く」
金之助が、ぽつりと呟く。

 誰も、答えられない。
忠壽は、話題を変えるように続けた。
「肝心な神珠のことだ」

 空気が、わずかに張り詰める。
「我らが把握している珠は、四つ。
 そして、佐野の側にも、少なくとも四つはある」

「いや、もっと持ってる可能性もあるよな」
鉄之介。

「両方で、八……いや、九つあるかも」
金之助が指を折る。

「それくらい、集まっていてもおかしくない」

「だが」
忠壽が言う。
「封印には、十二が必要だ」

「残りは……」

 お菊が視線を落とす。

「まだ、どこにも渡っていない珠がある」
場に、いくつもの選択肢が浮かぶ。

 探すのか。
 守るのか。
 それとも――奪うのか。

 そのとき、清十郎が、静かに口を開いた。
「……奪う、という選択肢も、
 現実的ではあります」

 声は落ち着いている。
感情は、乗っていない。
「佐野の側に珠が集まり過ぎれば、いずれ封印は不可能になる」

 鉄之介が、ちらりと清十郎を見る。
「随分、割り切ってるな」

「人を守るための剣であるなら」
清十郎は、淡々と続ける。
「脅威を先に断つのは、理に適っています」

 誰も、すぐには反論しなかった。

 清十郎が仲間になった今――
その剣の重さは、確かに戦況を変える。

 金之助は、巾着に手を置いたまま、清十郎を見る。

 頼もしい。
だが、どこか、引っかかる。

「……ただ」
忠壽が、そこで言葉を挟んだ。
「奪うにせよ、探すにせよ、
 今は情報が足りぬ」

 全員が頷く。
「黒屍人の動き。
 佐野の次の一手。
 そして、残る神珠の所在」

 忠壽は、お菊を見る。
「巫女のお菊様を守りながら、
 どこまで踏み込めるか」

 お菊は、ゆっくりと顔を上げた。
「……私も、覚悟は出来ています」

 その言葉が、場の空気を引き締めた。

 朝の光が、
焚き火の跡を照らす。

 答えは、まだ出ない。
だが――選択肢は、もう逃げ場を失っていた。

 清十郎は、黙ってその輪の中に座っている。

 頭の奥で、鈍い痛みが、朝になっても、消えなかった。

第四話 虚舟の術中

 夜更けの館林城。
奥座敷の空気は、重く、湿っていた。

 灯明の火が揺れている。
揺れているのに、風はない。
 揺れているのは、火ではなく――この部屋にいる“人の心”のほうだった。

 松平武寛は、座敷の中央で膝を抱え、肩をすくめていた。
 上座に座ることすら出来ていない。

 畳に爪を立てるように指を曲げ、喉の奥で何かを噛み潰している。

「……来る……来る……」
「また……黒いのが……」
「儂を……儂を殺しに……」

 呼吸が浅い。
まるで肺の中に灰が入っているかのように、息が詰まる。

 噴火の灰は城下を覆い、黒屍人は夜ごと増えた。
 城の内も外も信用ならぬ。
家臣の顔さえ、黒い影に見えるときがある。

 武寛は座敷を見回した。
女中はいない。 
家臣もいない。
加藤もいない。

「……加藤……」
「加藤は……どこへ行った……」
「儂を置いて……」

 そのときだった。
――すっ。
障子も襖も、開く音がしなかった。

 けれど、誰かが“入った”気配だけが、はっきりと座敷に落ちた。

 武寛の背が、びくりと跳ねる。
首がぎこちなく回る。
 そこにいたのは、老人だった。

 背は低い。
衣の裾は床を撫で、影が薄い。

 顔は灯に照らされぬ位置にあって、目だけが不気味に光っている。
 歩いてきたはずなのに、足音がなかった。

 武寛は、喉が裂けるほど叫んだ。

「曲者ッ!!」

「加藤はおらぬか!!」
「加藤ッ!!」

 だが――声が、途中で途切れた。
音にならなかったのではない。

 声が“出なくなった”。
武寛は口を開けたまま固まる。

 喉が動かない。息も抜けない。
恐怖の叫びが、身体の内側に詰まって、肺を圧迫した。

 老人が、指を一本立てていた。
ゆっくりと。確信を持って。

 その指は、武寛の喉元を縫い止める杭のようだった。

 老人は、落ち着いた声で言った。
「お殿様。落ち着きなされ」

「儂は怪しい者ではない」

 武寛は立ち上がろうとする。
だが、足が動かない。
 膝が畳に吸われたように重い。
息だけが乱れる。

 老人は、武寛の恐怖を眺めるように、半歩だけ近づいた。
 距離を詰めるのに、急がない。
“逃げられぬ”ことを知っている歩き方だった。

「あなた様に、よいものを持って参った」

「今あるすべての不安を……取り除いてしんぜよう」

 武寛の目が揺れる。
声は出ない。
 だが喉の奥で、かすれた息だけが漏れる。

 老人は、立てた指をゆっくりと武寛の前へ掲げた。
 その指先に、ぽつりと光が灯る。

 灯明の火とは違う。
白でも朱でもない。
妙に冷たく、妙に深い光だった。

 光は揺れない。
まるで“生きている”ように脈を打つ。

 武寛の瞳が、その光に吸い寄せられる。
 目が離せない。
離してはいけない、と脳が命じられている。

 老人は、淡々と告げた。
「恐れは毒じゃ」
「毒は、思考を腐らせる」
「腐った思考は、闇を呼ぶ」

 指先の光が、じわりと強まった。
 その瞬間、武寛の頭の中に――風が吹いた。
 いや、風ではない。
光が、武寛の額へ近づいてくる。

 武寛は逃げようとした。
だが身体が動かない。
 喉も動かない。
光が額へ触れた。

 ――ずるり。
吸い込まれた。

 指先の光が、そのまま武寛の頭の中へ“入った”。

 光が消える。
だが消えたのではない。
 そこに移った。
武寛の目の奥に、同じ光が宿った。

 次の瞬間だった。
武寛の顔が変わった。
 恐怖で歪んだ顔ではない。
怯えではない。

 別の何か――確信と、使命感と、狂気が混ざった表情。

 武寛は、ようやく声を取り戻したように叫んだ。

「神の怒りだ!!」

「とうとう神がお怒りになった!!」

「浅間が火を噴いたのは……神が……神が……!!」

 声が座敷を裂く。
その叫びは、さっきまでの“怯えた声”ではなかった。

 震えていない。むしろ強い。

 老人――虚舟は、満足したように頷いた。
「そうじゃ。
やっと気づかれなさったか」

 虚舟の声はゆっくりだった。
落ち着き払っている。
 意味ありげに、言葉を一つずつ落とす。

「怒りを鎮めよ」

「捧げよ」

「鎮めねば……この城も、この国も……灰になるぞ」

 武寛の目がぎらつく。
顔が引きつるほど笑っているのに、涙がこぼれていた。

「そうだ……鎮めねば……」

「捧げねば……」

「生贄だ……生贄を……」

 虚舟は、それを聞き届けると、ゆっくり踵を返した。

 襖へ向かう。
音がしない。
 足音がないまま、虚舟は闇へ溶けていく。

 去り際に、ひとことだけ残した。
「……では、お殿様。
存分に、鎮められよ」

 襖が閉まる音はなかった。
けれど虚舟が消えた瞬間、座敷の空気だけがひとつ軽くなる。

 代わりに――
武寛の中に、別の重さが沈んだ。

 武寛は畳に手をつき、声を上げた。
「曲者だぁ、加藤、加藤はおらぬか!!」

「神に捧げるのだ!!」

「何をしておる!はやく参らぬか! さもなくば……儂は……儂は……!!」

 そして、虚舟が消えたはずの闇に向かって、武寛はぶつぶつと念仏を繰り返し始めた。

「……なむ……なむ……」
「……なむ……なむ……」

 祈りではない。
それは“術の拍”だった。

 ここから先、城は地獄へ落ちていく。
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