4 / 30
第三章 逸脱
しおりを挟む
死神・九重烏牙は、夜の空に微かに漂う命の匂いを辿って、静かに降り立った。
黒い外套が風に揺れ、無音のまま廃ビルの屋上へと舞い降りる。その足元には、都市の喧騒が遙か遠くに沈んでいた。
「対象:安曇遥。死因:絞殺。加害者:如月碧人。発生予定、二十三時十七分。」
彼は懐中時計を開き、秒針のリズムに合わせてまぶたを細めた。
この夜の死は、単純な事故や病ではない。明確な殺意によってもたらされる死だ。死神としても、責任重大である。現世の軌道修正が極めて困難なタイプの死だ。
「逸脱は許されない。……前回のような失敗は、絶対に……」
烏牙は、手帳を強く握りしめた。
彼の視線がふと、下の路地の角にある歩道の端を捉えた。
歪んでいた。
工事用の仮設バリケードが、片足だけ浮き上がっており、パイロンが斜めに倒れかかっている。しかもそれに、錆びた標識が斜めにくっついている。
それだけなら、普通の人間は見逃すだろう。
だが、烏牙の目は釘付けだった。
「……歪んでいる……」
呟きは、風にさらわれた。
「……いや、見なかったことにしよう。今は業務中だ。干渉は厳禁。触れてはならない」
彼は目を閉じて首を振った。何度も何度も、振った。
(触れてはならぬ。私は“死”を観測する者。……清掃員ではない……)
しかし次の瞬間には、既にポケットから死神用の水平器とミニ工具セットを取り出していた。
「……一分以内なら……微調整だけなら……倒壊の予防という解釈も……」
自分に言い訳しながら、彼はバリケードへと忍び寄った。
しゃがみ込んだ彼は、スパナを器用に回し、ボルトを締め直す。水平器の気泡を覗き込みながら、支柱の角度を0.5度ずつ調整。
「これで……美しい……」
満足そうに、次は標識へと手を伸ばした。
カチリ。
わずかに傾いていた標識を真っすぐに直す。
「……あと、落ち葉が3枚……この配置も不自然だ。バランスが悪い」
彼はすっと手を伸ばし、舗道の上の葉を端に寄せ、ついでにパイロンの距離も計り直した。
「……うむ。これで安全性も景観も整った。実に理想的……」
まさにその瞬間、彼の手にもっていたスパナが滑り落ちる。
スパナは道路に転がり、走ってきた黒いセダンのタイヤに弾かれる。
スパナは車体下ドライブシャフト付近に入り込み、異様な音と共に進路が逸れていく。
「ブレーキッ!? うわあああっ!」
という叫びとともに、タイヤの軋む音が鳴り響いた。
──ドンッ!
不自然な進路を取った黒いセダンが、路地の角からちょうど出てきた男の影に衝突した。
男は宙を舞い、ゆっくりと地面に叩きつけられる。
「……っ」
烏牙は振り返り、そして青ざめた。懐中時計を見る。予定時刻までは、あと9分。
彼の目に映ったのは、倒れた如月碧人と、駆け寄る安曇遥の姿。
「……いや……まさか……」
烏牙は震える指で、死神手帳を開いた。
『死の発生:保留』 『死因:逸脱。予定:絞殺 → 実際:未定』 『成就率:0%』
「……わたしは……バリケードを……整えただけだ……」
一度停車した黒いセダンの運転手は降りてくることなく、その場を走り去っていった。
「逃げ…た」
セダンの赤いテールライトを見送ると、彼は膝から崩れ落ちた。
背後では、直された標識が誇らしげにまっすぐ立っていた。
黒い外套が風に揺れ、無音のまま廃ビルの屋上へと舞い降りる。その足元には、都市の喧騒が遙か遠くに沈んでいた。
「対象:安曇遥。死因:絞殺。加害者:如月碧人。発生予定、二十三時十七分。」
彼は懐中時計を開き、秒針のリズムに合わせてまぶたを細めた。
この夜の死は、単純な事故や病ではない。明確な殺意によってもたらされる死だ。死神としても、責任重大である。現世の軌道修正が極めて困難なタイプの死だ。
「逸脱は許されない。……前回のような失敗は、絶対に……」
烏牙は、手帳を強く握りしめた。
彼の視線がふと、下の路地の角にある歩道の端を捉えた。
歪んでいた。
工事用の仮設バリケードが、片足だけ浮き上がっており、パイロンが斜めに倒れかかっている。しかもそれに、錆びた標識が斜めにくっついている。
それだけなら、普通の人間は見逃すだろう。
だが、烏牙の目は釘付けだった。
「……歪んでいる……」
呟きは、風にさらわれた。
「……いや、見なかったことにしよう。今は業務中だ。干渉は厳禁。触れてはならない」
彼は目を閉じて首を振った。何度も何度も、振った。
(触れてはならぬ。私は“死”を観測する者。……清掃員ではない……)
しかし次の瞬間には、既にポケットから死神用の水平器とミニ工具セットを取り出していた。
「……一分以内なら……微調整だけなら……倒壊の予防という解釈も……」
自分に言い訳しながら、彼はバリケードへと忍び寄った。
しゃがみ込んだ彼は、スパナを器用に回し、ボルトを締め直す。水平器の気泡を覗き込みながら、支柱の角度を0.5度ずつ調整。
「これで……美しい……」
満足そうに、次は標識へと手を伸ばした。
カチリ。
わずかに傾いていた標識を真っすぐに直す。
「……あと、落ち葉が3枚……この配置も不自然だ。バランスが悪い」
彼はすっと手を伸ばし、舗道の上の葉を端に寄せ、ついでにパイロンの距離も計り直した。
「……うむ。これで安全性も景観も整った。実に理想的……」
まさにその瞬間、彼の手にもっていたスパナが滑り落ちる。
スパナは道路に転がり、走ってきた黒いセダンのタイヤに弾かれる。
スパナは車体下ドライブシャフト付近に入り込み、異様な音と共に進路が逸れていく。
「ブレーキッ!? うわあああっ!」
という叫びとともに、タイヤの軋む音が鳴り響いた。
──ドンッ!
不自然な進路を取った黒いセダンが、路地の角からちょうど出てきた男の影に衝突した。
男は宙を舞い、ゆっくりと地面に叩きつけられる。
「……っ」
烏牙は振り返り、そして青ざめた。懐中時計を見る。予定時刻までは、あと9分。
彼の目に映ったのは、倒れた如月碧人と、駆け寄る安曇遥の姿。
「……いや……まさか……」
烏牙は震える指で、死神手帳を開いた。
『死の発生:保留』 『死因:逸脱。予定:絞殺 → 実際:未定』 『成就率:0%』
「……わたしは……バリケードを……整えただけだ……」
一度停車した黒いセダンの運転手は降りてくることなく、その場を走り去っていった。
「逃げ…た」
セダンの赤いテールライトを見送ると、彼は膝から崩れ落ちた。
背後では、直された標識が誇らしげにまっすぐ立っていた。
4
あなたにおすすめの小説
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
看病しに行ったら、当主の“眠り”になってしまった
星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全36話⭐︎
倒れた当主を看病する役目を振られた使用人リィナは、彼の部屋へ通うことになる。
栄養、灯り、静かな時間、話し相手――“眠れる夜”を整えていく。そして、回復していく当主アレクシス。けれど彼は、ある夜そっと手を握り返し、低い声で囁く。
「責任、取って?」
噂が燃える屋敷で、ふたりが守るのは“枠(ルール)”。
手だけ、時間だけ、理由にしない――鍵はリィナが握ったまま。
けれど、守ろうとするほど情は育ち、合図の灯りはいつしか「帰る」ではなく「眠る」へ変わっていく。
看病から始まった優しい夜は、静かな執着に捕まっていく。
それでも、捕獲の鍵は彼ではなく――彼女の手にある。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
触手エイリアンの交配実験〜研究者、被験体になる〜
桜井ベアトリクス
恋愛
異星で触手エイリアンを研究する科学者アヴァ。 唯一観察できていなかったのは、彼らの交配儀式。
上司の制止を振り切り、禁断の儀式を覗き見たアヴァは―― 交わる触手に、抑えきれない欲望を覚える。
「私も……私も交配したい」
太く長い触手が、体の奥深くまで侵入してくる。 研究者が、快楽の実験体になる夜。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
婚約破棄された夜、最強魔導師に「番」だと告げられました
有賀冬馬
恋愛
学院の祝宴で告げられた、無慈悲な婚約破棄。
魔力が弱い私には、価値がないという現実。
泣きながら逃げた先で、私は古代の遺跡に迷い込む。
そこで目覚めた彼は、私を見て言った。
「やっと見つけた。私の番よ」
彼の前でだけ、私の魔力は輝く。
奪われた尊厳、歪められた運命。
すべてを取り戻した先にあるのは……
根暗令嬢の華麗なる転身
しろねこ。
恋愛
「来なきゃよかったな」
ミューズは茶会が嫌いだった。
茶会デビューを果たしたものの、人から不細工と言われたショックから笑顔になれず、しまいには根暗令嬢と陰で呼ばれるようになった。
公爵家の次女に産まれ、キレイな母と実直な父、優しい姉に囲まれ幸せに暮らしていた。
何不自由なく、暮らしていた。
家族からも愛されて育った。
それを壊したのは悪意ある言葉。
「あんな不細工な令嬢見たことない」
それなのに今回の茶会だけは断れなかった。
父から絶対に参加してほしいという言われた茶会は特別で、第一王子と第二王子が来るものだ。
婚約者選びのものとして。
国王直々の声掛けに娘思いの父も断れず…
応援して頂けると嬉しいです(*´ω`*)
ハピエン大好き、完全自己満、ご都合主義の作者による作品です。
同名主人公にてアナザーワールド的に別な作品も書いています。
立場や環境が違えども、幸せになって欲しいという思いで作品を書いています。
一部リンクしてるところもあり、他作品を見て頂ければよりキャラへの理解が深まって楽しいかと思います。
描写的なものに不安があるため、お気をつけ下さい。
ゆるりとお楽しみください。
こちら小説家になろうさん、カクヨムさんにも投稿させてもらっています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる