死神と私と、優しい殺人鬼の想い出

陵月夜白(りょうづきやしろ)

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第二十章 仮面の日常

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退院後、一週間。
遥は、都内の別の場所にアパートを借りてに一人暮らしを再開していた。

「一人で大丈夫なの? 実家に戻ればいいのに。お父さんも喜ぶよ」
母の心配を振り切って選んだ、“元の日常”。
会社には「ひきつづき体調不良による療養」とだけ伝え、復職までの時間を稼いでいる。
部屋の家具は変わらない。窓の外も、風の音も変わらない。
けれど――すべてが、異質だった。
歯ブラシを置く位置、シャワーの音の残響、ドアノブの冷たさ。

(誰かが見てる……?)
そんな感覚が、ふとした瞬間に沸き上がる。
テレビもスマホも、見つめてくる“目”のように感じてしまうことがある。
(碧人くんは……どこにいるの?)
口に出せなかった問い。
それは同時に、“まだどこかで彼を探している”自分の心の声だった。
(本当に、あれで終わったの?
彼は、もう私を――見てないの?)
その問いかけに答えたのは――偶然だった。
郵便受け。
何気なく手にした一通の手紙。差出人不明。
中には、たった一枚の紙。

「君の笑顔が、また見られてうれしいよ」
「もう一度、あの静かな時間を作ろう。次は、もっと完璧にできる」
震える手。紙が膝の上から滑り落ちた。
視界がにじむ。
声が出ない。けれど確信だけが心を凍らせた。
(……碧人くん)
彼は、まだどこかで見ている。


同時刻。
碧人はカメラの映像を確認していた。
高倍率ズームの望遠レンズ。
ビルの屋上から、街の中の一室を覗いている。

「……無事に戻ったんだね、遥」
モニターには、彼女が部屋の中で膝を抱えて座っている姿。
表情は見えない。けれど、空気で分かる。
「やっぱり、君は“ひとりじゃ生きていけない”」
声は優しかった。だが、その実体は狂気の静謐。
「今度こそ、失わない」
手には、新しく購入した鍵。
“今度の部屋の、内側からしか開けられない補助錠”。
完璧な密室を作るための準備が、もう始まっていた。


その夜、烏牙は書記局からの通達を受けていた。
死神中庁からの指示――

「対象・遥、次回接触により“再度死因登録の可能性大”」
「如月碧人、特別観察枠へ移行」
「必要あらば、強制介入を許可」

烏牙は手帳を閉じ、深く息を吐いた。
(……次だ)
(遥、お前が“彼を信じる”なら――)
それが、君の“死の承認”になる。


午後三時。

遥は久しぶりに外へ出ていた。
陽射しは春のように暖かく、風は頬をなでて通る。
それでも、心の中の寒さは拭えなかった。
手紙を受け取ってから三日。
誰にも言えずにいた。警察に届けることも、母に見せることもできなかった。
(私の心のどこかが、“それを望んでいた”って、知られるのが怖かった)
「もう一度、あの静かな時間を作ろう」
――あの言葉が、否定しきれない甘美な響きを持っていたことが、恐ろしかった。
(私、逃げたはずなのに……)
(まだ、彼を“待ってる”ような自分がいる)
それが、何よりも自分自身を責めた。


駅前の小さな書店に入る。
久しぶりに読む本を探したかった。
棚の陰、視線の先。
ふと、誰かの気配を感じた。
(誰かが見てる?)
振り向いたが、誰もいない。
それでも、心臓が急に早鐘を打ち始めた。
(違う……誰もいない。でも、いる)
その直感は正しかった。
ビルの向かい。
レンタカーの中に身を潜めた碧人が、望遠レンズ越しに彼女の姿を確認していた。
「……よかった。変わってない」
声は低く、震えていた。
碧人は一週間かけて、彼女の生活パターンを再構築していた。
通院の曜日、買い物の傾向、午後の散歩コース、立ち寄る場所。
そのすべてが、“もう一度出会う”ための地図だった。

「偶然を装って、出会う」
「恐怖ではなく、懐かしさとして彼女に届くように」
「時間はかかってもいい。今回は、ゆっくり“手に入れる”」

ポケットの中に、新しいスマホがある。
位置情報アプリを起動すると、彼女の現在地が点滅していた。
彼女のスマホに、“遠隔アプリ”を仕込んでいたことは、本人も気づいていない。
(君が僕を“思い出す”瞬間を、作ってあげる)


同じ時間――
烏牙は中庁の記録局で、静かに書類を提出していた。

「運命干渉申請:感情主因に基づく未来死因阻止」
「対象:遥」
「介入方法:限定的現世警告、予知提示の範囲内」
「目的:最終死因の自然回避を試みる」

窓口の審判官が目を細めて言った。
「この申請、通れば例外枠だ。……責任は重いぞ」
烏牙は答えた。
「……それでも、彼女が“誰かを信じることで死ぬ”なら、俺はその信念を一度だけ壊す」


その夜。
遥の夢に、黒い影が現れた。
あの死神――烏牙だった。

「君は、また彼に出会う。だが、それは“再会”ではない」
「それは、“再定義”だ。
 今度こそ、“これは愛ではない”と、君が自分で判断しなければならない」
遥は夢の中で答えた。
「……分かってる。だけど……」
その言葉の続きを、彼女は言えなかった。
(“もう一度、話せたら”って思ってる時点で、私はもう、死に近づいてる)
夢の中の烏牙は、静かに背を向けて言った。
「“その気持ち”こそが、君の死因だ」


午後五時三十二分。

通院帰りの帰路。
春の陽は西に傾き、街は橙色の影を長く引いていた。
遥はマスクをして、駅前のコンコースを歩いていた。
(誰かに見られてる?)
いつもの疑念が、また胸に浮かぶ。
でも今は、以前ほど強くはない。ただ――漠然とした“予感”があった。
駅前の書店の角を曲がった瞬間。

「……遥?」
その声で、心臓が跳ねた。
ゆっくり振り返る。
そこにいたのは――碧人。
紺色のシャツに、薄手の上着。落ち着いた色のジーンズ。
表情も穏やかで、目元にわずかな微笑みさえ浮かんでいた。
(……本当に“偶然”みたい)
声も、服装も、視線さえも、以前の彼とは違っていた。
「こんなところで会うなんて……元気、そうだね」
遥は言葉を失った。
“逃げた側”の罪悪感が、喉を塞いでいた。
「……碧人くん」
彼は、あくまでも自然な笑顔のまま言った。
「よかった。生きてて」
その一言が、遥の胸に深く突き刺さる。
(そうだ。彼は、私の命を奪わなかった。
……思いとどまってくれた。あの時も)
「少しだけ……話せないかな?」
碧人の声は優しかった。
「もう、怖がらせたりしないから」とでも言いたげな、安定した声音だった。
(だめ。話しちゃいけない)
そう思ったはずだった。
けれど、遥の唇は――
「……うん」
そう言っていた。


街灯が灯り始めたカフェの窓辺。
ふたりは対面で座っていた。
ホットミルクティーの湯気が、薄く立ちのぼる。
碧人は、ゆっくりと目を伏せながら言った。
「ずっと、謝りたかった。……君を、閉じ込めようとしたこと」
「でも、僕なりに――君が消えるのが怖くて、どうしたらいいか分からなかったんだ」
遥は黙っていた。けれど、その言葉は確かに届いていた。
(ずるい……そうやって、優しい言葉を使って、また近づこうとする)
(……でも、本当に“変わろう”としてるなら?)
碧人の目が、真っ直ぐに遥を見つめた。
「もう一度だけ、君と向き合いたい。今度は、“檻の中”じゃなく、隣で」
「……考えさせて」
それが、遥の精一杯だった。


カフェの屋上、ビルの縁に。
烏牙は静かに立っていた。
手帳のページが風でめくれ、次の行に新たな記述が現れる。

「再接触完了」
「感情反応:同調・迷い」
「死因可能性:再発動圏内突入」
「……次だ。彼女が“もう一度会う”選択をするなら」
「その瞬間が、**“死の最終確定時刻”**となる」

烏牙の手が、手帳のページの余白に一行、記す。
“次に微笑んだとき、君は死ぬ”


昨日の記録:
• 会話量:平均
• 感情反応:中立
• 離反兆候:小
(嘘だ。そんな兆し、なかった)
(あれは演技だった? 騙してた? ずっと……最初から?)
碧人の手が震え始めた。
その震えは、やがて笑いに変わった。
「……そうか。そういうことだったんだ」
彼の瞳が静かに濁っていく。
「じゃあ、探さなきゃ。戻ってもらわなきゃ」
その声は、もう人間の声ではなかった。


夜空の下。
烏牙は空中に開かれた頁の前で筆を走らせていた。

「遥:死因変更履歴発生」
「碧人:対象外者による危険干渉拡大中」
「事象分類:逸脱個体干渉予備段階」
「中庁報告案件:準備完了」

彼は、静かに独り言のように呟く。
「……お前が歪んでいなければ、これはただの逃避劇で終わった」
「だが、如月碧人。お前の愛は、もう“生”を殺す器に変わった」
そして静かに筆を置いた。
夜が、次の死を選ぼうとしていた。
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