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第二十一章 その微笑は、死に近い
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日曜の午後。
雲は薄く、風は穏やか。春の陽射しの下、遥はベンチに腰掛けていた。
目の前には碧人がいる。
「……来てくれて、ありがとう」
そう言って微笑む彼に、遥は小さく頷いた。
(前よりも穏やか。言葉も選んでる。視線も、優しくなった)
(でも――なにかが、ほんの少しだけ、ズレてる気がする)
彼はあの頃よりも柔らかく、普通の恋人のように振る舞っている。
けれど、その“自然さ”が、どこか過剰に思えた。
(まるで、“完璧な演技”のように見えてしまう瞬間がある)
「もう一度、信じたい」と思ったのは確かだ。
でも、信じられるかは別の話だった。
碧人は話を進める。
「今は一人暮らしでしょ? 不安だと思う。……だったら、せめて連絡だけでもくれない?」
「……うん。LINE、まだ生きてる」
「嬉しいよ。君の声が、こうして聞けるのも……何もかも、感謝してる」
遥は、小さく笑った。
そのとき――
*
遠く、ビルの屋上。
烏牙の手帳の針が、カチリと止まった。
風が凪いだ。空気が動きをやめる。
彼は記す。
「対象、再接触後の笑顔確認」
「死因起動:第一段階 確定」
「“安心”が“再侵入”を許した」
「次の接触で、“死の発動条件”を満たす」
烏牙は呟いた。
「これが……“心からの笑顔”でなければ、まだ可能性はあった」
「だが今、彼女は――“一度は彼を許した”」
*
ベンチの上。
碧人は、バッグから小さな箱を取り出した。
指輪ではない。ただのペンダントトップ。
でも、それは遥がかつて一度だけ話した“好きだったイルカのモチーフ”だった。
「君がまた落ち着いたら、これ……受け取ってくれないかな」
遥は、それを手に取った。
「覚えてたんだ……」
「うん。忘れないよ。君の言葉は、全部、僕の中にある」
遥は――気づいていなかった。
それは、好意ではなく記録だった。
愛ではなく制御の材料だった。
“見張る”ために収集された記憶だった。
それを知る者はただ一人。
屋上から、静かにページを綴る死神だけだった。
*
週末の昼下がり。
遥は、再び碧人と会っていた。
公園のベンチ、ショッピングモールのカフェ、駅の構内――
“偶然”を装って、でも確実に“親密”な距離へと戻ってきていた。
彼は優しかった。決して強く求めてこない。
彼女の言葉に耳を傾け、笑い、共感する。
あの密室の中で狂気に満ちていた彼とは――まるで別人のようだった。
「最近ね、夜も少しずつ眠れるようになったの」
そう言った遥に、碧人は目を細めて微笑んだ。
「よかった。君の時間が、また戻ってきてるんだね」
その言葉は優しく、しかし――どこか“制御する者の観察記録”のようでもあった。
*
その夜。
遥は自室のベッドで目を閉じながら、ふと違和感を覚えていた。
(……あの人、最近“やさしすぎる”気がする)
(こっちが何を話しても否定しない。何も主張してこない。でも……)
(私の“心”の動きに合わせて、会話を調整してるみたい)
(まるで、全部読まれてる……)
その考えに、背筋が冷たくなる。
そしてもうひとつ――ふと、気づいてしまった。
彼と会う場所、ほとんどが“彼の提案したルート”だった。
「駅で偶然」「たまたま見かけた」――そう言っていたのに。
(私の動きが、全部“予測”されているような……)
「……まさか」
遥は、スマホを手に取った。
設定画面を開き、バックグラウンドのアプリを確認する。
見慣れないアプリが一つ、権限を握ったまま稼働していた。
「行動支援ナビ – 自動ログ解析」
「位置情報ON、カメラ使用権限ON」
手が震えた。
(私……監視されてた?)
スマホを落としかけたその瞬間、玄関チャイムが鳴った。
心臓が跳ねる。
画面には「碧人」の名前。
「来ちゃった。近くまで来たから、少しだけ顔見たいと思って……いいかな?」
遥は立ち尽くしたまま、何も答えられなかった。
*
同じ時間。
死神・烏牙の記録帳には、こう記されていた。
「対象・遥、最終死因条件:未報告監視の認知」
「恐怖・愛情混合領域へ移行」
「次の“受け入れ”で死因確定」
彼は手帳を閉じた。
「次だ。次、彼女が“それでも彼を家に入れてしまったら”」
「その瞬間が、死の確定時刻となる」
風が強く吹き抜けた。
夜空がざわめいているように見えた。
*
チャイムの音が、まだ耳の奥で響いていた。
「来ちゃった。近くまで来たから、少しだけ顔見たいと思って……いいかな?」
碧人のメッセージがスマホ画面に表示され続けている。
その下で、通知ランプが赤く瞬く。
遥はドアの前で、立ち尽くしていた。
(だめ。今開けたら、もう戻れない)
(でも……“何もしないまま帰ってもらったら”、きっと彼はもっと暴走する)
(じゃあ、少しだけ。ほんの少しだけ話して――)
手が、ノブに伸びる。
その瞬間。
「それ以上、開けるな」
背後から、低く響く声が聞こえた。
――黒い外套。冷たい気配。
そこにいたのは、死神・烏牙だった。
遥は凍りついた。
「あなた……夢の中の……」
「違う。これは現実だ。
お前がこの扉を開けた瞬間、死が確定する」
「……嘘よ。そんなの、ただの幻で……!」
「お前の心がまだ迷っているから、俺は“干渉”できる。だが一度でも“希望”としてその男を受け入れたら、俺は消える。
お前は二度と、“死”から逃れられない」
遥の手が震える。
「……私、分からないの。
彼が変わったようにも見える。でも、監視されてた。
でも、私が彼を壊したんじゃないかって、今も思ってるの」
「愛でも同情でもいい。だが――“それが自分の命を差し出すだけの価値があるのか”を問え」
烏牙は、静かに手帳を広げた。
「死因:心理的共感による再侵入」
「回避条件:選択放棄、あるいは外的遮断」
「このドアを開けず、声も返さず、想いも送らなければ――お前は死なない」
「だが、逆もまた然り。開けた瞬間、お前の“生”は、彼の“支配の空間”へと書き換わる」
遥はドアに手をかけたまま、沈黙していた。
スマホが震える。
碧人からの着信。
烏牙の声が重なる。
「お前が生きたいなら――ここで終わらせろ」
遥は――目を閉じた。
深く、長い呼吸。
「……ありがとう」
誰に向けての言葉か、自分でも分からなかった。
そして、スマホの電源を落とす。
ノブから手を離す。
そのまま、床に座り込む。
その瞬間――玄関の向こうの世界が、遠ざかっていった。
*
碧人は、扉の前で数秒待った。
何の反応もない。
再度チャイムを押す。
沈黙。
スマホを確認する。
切られている。ブロックは――されていない。
(……様子を見てるだけ?)
彼はゆっくりと扉に耳を寄せた。
中の気配は、まるで無音。
彼の中で、“ある感覚”が再燃する。
(また、失うのか)
次の瞬間。
碧人はポケットから、合鍵を取り出していた。
「……僕が、取り戻すしかない」
しかし――
その時、風が吹いた。
手元の鍵が、彼の手から滑り落ちた。
「っ……!?」
地面に落ちた鍵が、微かに火花を散らす。
「なに……?」
ビルの屋上。
そこに立つ影が、碧人を見下ろしていたことに――彼は、まだ気づいていなかった。
雲は薄く、風は穏やか。春の陽射しの下、遥はベンチに腰掛けていた。
目の前には碧人がいる。
「……来てくれて、ありがとう」
そう言って微笑む彼に、遥は小さく頷いた。
(前よりも穏やか。言葉も選んでる。視線も、優しくなった)
(でも――なにかが、ほんの少しだけ、ズレてる気がする)
彼はあの頃よりも柔らかく、普通の恋人のように振る舞っている。
けれど、その“自然さ”が、どこか過剰に思えた。
(まるで、“完璧な演技”のように見えてしまう瞬間がある)
「もう一度、信じたい」と思ったのは確かだ。
でも、信じられるかは別の話だった。
碧人は話を進める。
「今は一人暮らしでしょ? 不安だと思う。……だったら、せめて連絡だけでもくれない?」
「……うん。LINE、まだ生きてる」
「嬉しいよ。君の声が、こうして聞けるのも……何もかも、感謝してる」
遥は、小さく笑った。
そのとき――
*
遠く、ビルの屋上。
烏牙の手帳の針が、カチリと止まった。
風が凪いだ。空気が動きをやめる。
彼は記す。
「対象、再接触後の笑顔確認」
「死因起動:第一段階 確定」
「“安心”が“再侵入”を許した」
「次の接触で、“死の発動条件”を満たす」
烏牙は呟いた。
「これが……“心からの笑顔”でなければ、まだ可能性はあった」
「だが今、彼女は――“一度は彼を許した”」
*
ベンチの上。
碧人は、バッグから小さな箱を取り出した。
指輪ではない。ただのペンダントトップ。
でも、それは遥がかつて一度だけ話した“好きだったイルカのモチーフ”だった。
「君がまた落ち着いたら、これ……受け取ってくれないかな」
遥は、それを手に取った。
「覚えてたんだ……」
「うん。忘れないよ。君の言葉は、全部、僕の中にある」
遥は――気づいていなかった。
それは、好意ではなく記録だった。
愛ではなく制御の材料だった。
“見張る”ために収集された記憶だった。
それを知る者はただ一人。
屋上から、静かにページを綴る死神だけだった。
*
週末の昼下がり。
遥は、再び碧人と会っていた。
公園のベンチ、ショッピングモールのカフェ、駅の構内――
“偶然”を装って、でも確実に“親密”な距離へと戻ってきていた。
彼は優しかった。決して強く求めてこない。
彼女の言葉に耳を傾け、笑い、共感する。
あの密室の中で狂気に満ちていた彼とは――まるで別人のようだった。
「最近ね、夜も少しずつ眠れるようになったの」
そう言った遥に、碧人は目を細めて微笑んだ。
「よかった。君の時間が、また戻ってきてるんだね」
その言葉は優しく、しかし――どこか“制御する者の観察記録”のようでもあった。
*
その夜。
遥は自室のベッドで目を閉じながら、ふと違和感を覚えていた。
(……あの人、最近“やさしすぎる”気がする)
(こっちが何を話しても否定しない。何も主張してこない。でも……)
(私の“心”の動きに合わせて、会話を調整してるみたい)
(まるで、全部読まれてる……)
その考えに、背筋が冷たくなる。
そしてもうひとつ――ふと、気づいてしまった。
彼と会う場所、ほとんどが“彼の提案したルート”だった。
「駅で偶然」「たまたま見かけた」――そう言っていたのに。
(私の動きが、全部“予測”されているような……)
「……まさか」
遥は、スマホを手に取った。
設定画面を開き、バックグラウンドのアプリを確認する。
見慣れないアプリが一つ、権限を握ったまま稼働していた。
「行動支援ナビ – 自動ログ解析」
「位置情報ON、カメラ使用権限ON」
手が震えた。
(私……監視されてた?)
スマホを落としかけたその瞬間、玄関チャイムが鳴った。
心臓が跳ねる。
画面には「碧人」の名前。
「来ちゃった。近くまで来たから、少しだけ顔見たいと思って……いいかな?」
遥は立ち尽くしたまま、何も答えられなかった。
*
同じ時間。
死神・烏牙の記録帳には、こう記されていた。
「対象・遥、最終死因条件:未報告監視の認知」
「恐怖・愛情混合領域へ移行」
「次の“受け入れ”で死因確定」
彼は手帳を閉じた。
「次だ。次、彼女が“それでも彼を家に入れてしまったら”」
「その瞬間が、死の確定時刻となる」
風が強く吹き抜けた。
夜空がざわめいているように見えた。
*
チャイムの音が、まだ耳の奥で響いていた。
「来ちゃった。近くまで来たから、少しだけ顔見たいと思って……いいかな?」
碧人のメッセージがスマホ画面に表示され続けている。
その下で、通知ランプが赤く瞬く。
遥はドアの前で、立ち尽くしていた。
(だめ。今開けたら、もう戻れない)
(でも……“何もしないまま帰ってもらったら”、きっと彼はもっと暴走する)
(じゃあ、少しだけ。ほんの少しだけ話して――)
手が、ノブに伸びる。
その瞬間。
「それ以上、開けるな」
背後から、低く響く声が聞こえた。
――黒い外套。冷たい気配。
そこにいたのは、死神・烏牙だった。
遥は凍りついた。
「あなた……夢の中の……」
「違う。これは現実だ。
お前がこの扉を開けた瞬間、死が確定する」
「……嘘よ。そんなの、ただの幻で……!」
「お前の心がまだ迷っているから、俺は“干渉”できる。だが一度でも“希望”としてその男を受け入れたら、俺は消える。
お前は二度と、“死”から逃れられない」
遥の手が震える。
「……私、分からないの。
彼が変わったようにも見える。でも、監視されてた。
でも、私が彼を壊したんじゃないかって、今も思ってるの」
「愛でも同情でもいい。だが――“それが自分の命を差し出すだけの価値があるのか”を問え」
烏牙は、静かに手帳を広げた。
「死因:心理的共感による再侵入」
「回避条件:選択放棄、あるいは外的遮断」
「このドアを開けず、声も返さず、想いも送らなければ――お前は死なない」
「だが、逆もまた然り。開けた瞬間、お前の“生”は、彼の“支配の空間”へと書き換わる」
遥はドアに手をかけたまま、沈黙していた。
スマホが震える。
碧人からの着信。
烏牙の声が重なる。
「お前が生きたいなら――ここで終わらせろ」
遥は――目を閉じた。
深く、長い呼吸。
「……ありがとう」
誰に向けての言葉か、自分でも分からなかった。
そして、スマホの電源を落とす。
ノブから手を離す。
そのまま、床に座り込む。
その瞬間――玄関の向こうの世界が、遠ざかっていった。
*
碧人は、扉の前で数秒待った。
何の反応もない。
再度チャイムを押す。
沈黙。
スマホを確認する。
切られている。ブロックは――されていない。
(……様子を見てるだけ?)
彼はゆっくりと扉に耳を寄せた。
中の気配は、まるで無音。
彼の中で、“ある感覚”が再燃する。
(また、失うのか)
次の瞬間。
碧人はポケットから、合鍵を取り出していた。
「……僕が、取り戻すしかない」
しかし――
その時、風が吹いた。
手元の鍵が、彼の手から滑り落ちた。
「っ……!?」
地面に落ちた鍵が、微かに火花を散らす。
「なに……?」
ビルの屋上。
そこに立つ影が、碧人を見下ろしていたことに――彼は、まだ気づいていなかった。
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