死神と私と、優しい殺人鬼の想い出

陵月夜白(りょうづきやしろ)

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第二十一章 その微笑は、死に近い

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日曜の午後。
雲は薄く、風は穏やか。春の陽射しの下、遥はベンチに腰掛けていた。
目の前には碧人がいる。

「……来てくれて、ありがとう」
そう言って微笑む彼に、遥は小さく頷いた。
(前よりも穏やか。言葉も選んでる。視線も、優しくなった)
(でも――なにかが、ほんの少しだけ、ズレてる気がする)
彼はあの頃よりも柔らかく、普通の恋人のように振る舞っている。
けれど、その“自然さ”が、どこか過剰に思えた。
(まるで、“完璧な演技”のように見えてしまう瞬間がある)
「もう一度、信じたい」と思ったのは確かだ。
でも、信じられるかは別の話だった。
碧人は話を進める。
「今は一人暮らしでしょ? 不安だと思う。……だったら、せめて連絡だけでもくれない?」
「……うん。LINE、まだ生きてる」
「嬉しいよ。君の声が、こうして聞けるのも……何もかも、感謝してる」
遥は、小さく笑った。
そのとき――


遠く、ビルの屋上。
烏牙の手帳の針が、カチリと止まった。
風が凪いだ。空気が動きをやめる。
彼は記す。

「対象、再接触後の笑顔確認」
「死因起動:第一段階 確定」
「“安心”が“再侵入”を許した」
「次の接触で、“死の発動条件”を満たす」

烏牙は呟いた。
「これが……“心からの笑顔”でなければ、まだ可能性はあった」
「だが今、彼女は――“一度は彼を許した”」


ベンチの上。
碧人は、バッグから小さな箱を取り出した。
指輪ではない。ただのペンダントトップ。
でも、それは遥がかつて一度だけ話した“好きだったイルカのモチーフ”だった。

「君がまた落ち着いたら、これ……受け取ってくれないかな」
遥は、それを手に取った。
「覚えてたんだ……」
「うん。忘れないよ。君の言葉は、全部、僕の中にある」
遥は――気づいていなかった。
それは、好意ではなく記録だった。
愛ではなく制御の材料だった。
“見張る”ために収集された記憶だった。
それを知る者はただ一人。
屋上から、静かにページを綴る死神だけだった。


週末の昼下がり。
遥は、再び碧人と会っていた。
公園のベンチ、ショッピングモールのカフェ、駅の構内――
“偶然”を装って、でも確実に“親密”な距離へと戻ってきていた。
彼は優しかった。決して強く求めてこない。
彼女の言葉に耳を傾け、笑い、共感する。
あの密室の中で狂気に満ちていた彼とは――まるで別人のようだった。
「最近ね、夜も少しずつ眠れるようになったの」
そう言った遥に、碧人は目を細めて微笑んだ。
「よかった。君の時間が、また戻ってきてるんだね」
その言葉は優しく、しかし――どこか“制御する者の観察記録”のようでもあった。


その夜。
遥は自室のベッドで目を閉じながら、ふと違和感を覚えていた。
(……あの人、最近“やさしすぎる”気がする)
(こっちが何を話しても否定しない。何も主張してこない。でも……)
(私の“心”の動きに合わせて、会話を調整してるみたい)
(まるで、全部読まれてる……)
その考えに、背筋が冷たくなる。
そしてもうひとつ――ふと、気づいてしまった。
彼と会う場所、ほとんどが“彼の提案したルート”だった。
「駅で偶然」「たまたま見かけた」――そう言っていたのに。
(私の動きが、全部“予測”されているような……)

「……まさか」
遥は、スマホを手に取った。
設定画面を開き、バックグラウンドのアプリを確認する。
見慣れないアプリが一つ、権限を握ったまま稼働していた。
「行動支援ナビ – 自動ログ解析」
「位置情報ON、カメラ使用権限ON」
手が震えた。
(私……監視されてた?)
スマホを落としかけたその瞬間、玄関チャイムが鳴った。
心臓が跳ねる。
画面には「碧人」の名前。
「来ちゃった。近くまで来たから、少しだけ顔見たいと思って……いいかな?」
遥は立ち尽くしたまま、何も答えられなかった。


同じ時間。
死神・烏牙の記録帳には、こう記されていた。

「対象・遥、最終死因条件:未報告監視の認知」
「恐怖・愛情混合領域へ移行」
「次の“受け入れ”で死因確定」

彼は手帳を閉じた。
「次だ。次、彼女が“それでも彼を家に入れてしまったら”」
「その瞬間が、死の確定時刻となる」
風が強く吹き抜けた。
夜空がざわめいているように見えた。


チャイムの音が、まだ耳の奥で響いていた。
「来ちゃった。近くまで来たから、少しだけ顔見たいと思って……いいかな?」
碧人のメッセージがスマホ画面に表示され続けている。
その下で、通知ランプが赤く瞬く。
遥はドアの前で、立ち尽くしていた。

(だめ。今開けたら、もう戻れない)
(でも……“何もしないまま帰ってもらったら”、きっと彼はもっと暴走する)
(じゃあ、少しだけ。ほんの少しだけ話して――)
手が、ノブに伸びる。
その瞬間。

「それ以上、開けるな」

背後から、低く響く声が聞こえた。
――黒い外套。冷たい気配。
そこにいたのは、死神・烏牙だった。
遥は凍りついた。
「あなた……夢の中の……」
「違う。これは現実だ。
お前がこの扉を開けた瞬間、死が確定する」
「……嘘よ。そんなの、ただの幻で……!」
「お前の心がまだ迷っているから、俺は“干渉”できる。だが一度でも“希望”としてその男を受け入れたら、俺は消える。
お前は二度と、“死”から逃れられない」
遥の手が震える。
「……私、分からないの。
彼が変わったようにも見える。でも、監視されてた。
でも、私が彼を壊したんじゃないかって、今も思ってるの」
「愛でも同情でもいい。だが――“それが自分の命を差し出すだけの価値があるのか”を問え」
烏牙は、静かに手帳を広げた。

「死因:心理的共感による再侵入」
「回避条件:選択放棄、あるいは外的遮断」
「このドアを開けず、声も返さず、想いも送らなければ――お前は死なない」
「だが、逆もまた然り。開けた瞬間、お前の“生”は、彼の“支配の空間”へと書き換わる」

遥はドアに手をかけたまま、沈黙していた。
スマホが震える。
碧人からの着信。
烏牙の声が重なる。
「お前が生きたいなら――ここで終わらせろ」
遥は――目を閉じた。
深く、長い呼吸。
「……ありがとう」
誰に向けての言葉か、自分でも分からなかった。
そして、スマホの電源を落とす。
ノブから手を離す。
そのまま、床に座り込む。
その瞬間――玄関の向こうの世界が、遠ざかっていった。


碧人は、扉の前で数秒待った。
何の反応もない。
再度チャイムを押す。
沈黙。
スマホを確認する。
切られている。ブロックは――されていない。
(……様子を見てるだけ?)
彼はゆっくりと扉に耳を寄せた。
中の気配は、まるで無音。
彼の中で、“ある感覚”が再燃する。
(また、失うのか)
次の瞬間。
碧人はポケットから、合鍵を取り出していた。
「……僕が、取り戻すしかない」
しかし――
その時、風が吹いた。
手元の鍵が、彼の手から滑り落ちた。
「っ……!?」
地面に落ちた鍵が、微かに火花を散らす。
「なに……?」
ビルの屋上。
そこに立つ影が、碧人を見下ろしていたことに――彼は、まだ気づいていなかった。

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