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6 ジャックとリナを引き裂いたのは
「私は一度だって、ジャックを好きだなんて言わなかったわ」
簡素なベットの上に伏せるハロルドに、リナははっきりと言った。
リナは機械的にタオルを絞るとハロルドの赤く腫れ上がった頬にのせた。冷ややかに見下ろされたハロルドは、ひんやりとしたタオルを手で押さえ、頬に押し当てた。ハロルドは鈍い痛みに顔をしかめ、おろおろと情けなく戸惑っていた。
「しかしですね……。その、リナさんは……」
ハロルドの口振りは歯切れ悪く、それというのは思考回路が分断され、彼はうまく言葉を繋ぐことが出来なかった。
しかしハロルドはリナの言い分に、はっきりと違和感を感じていた。
確かにリナは当初、ハロルドのことをうっとりした目で見つめてきていたように思う。
ハロルドはリナが自分を仕えるべき領主令息への好意というには少しばかり強すぎる思いを抱いているだろうと自惚れていた。恋情ではなくとも、憧れのような淡いものは存在していたに違いなかった。
しかし、あのとき、という明確な区切りはなかったように思うが、いつの頃からかリナの瞳からうっとりと夢見る憧れは姿を消したのだ。
そして賢いリナは、ハロルドの虚勢を、そればかりか女性蔑視という決定打までかなり正確なところまで見抜いていた。
友人としてすら許容範囲であるかも疑わしいハロルドの人格的な欠陥を知って、それでもリナが己に憧れを抱き続けているだろうと考えるほどには、自惚れてはいなかったし、世間知らずでもなかった。
それだからハロルドは手の平を返したように、リナの前では仮面を外したのだ。
もちろん、今日ほど冷酷に彼女を傷つける言葉を放ったことはなかったけれど、それはわざわざリナを皮肉って怒らせる必要性を感じなかったというだけだ。
リナがハロルドの叔父であるジョンソン氏の庶子だと判明してから、ハロルドは叔父からリナを見つけたことによる感謝の意を受けるとともに、女癖の悪いハロルドがリナに手を出していないか探られることとなった。
痛くもない腹を探られるのは不愉快だ。
叔父は正妻を蔑ろにした上に、その正妻が実家から連れてきたという、正妻にとって唯一の味方であった侍女に手を付けた、らしい。そしてその侍女はお手付きとなったその翌日早朝に、館から姿を消した。正妻への謝罪の手紙だけを残して。
叔父は侍女が消えたのは正妻が原因だと責め続け、唯一の味方であった侍女も失った正妻は、大人しい性格から叔父を恨むことも反発することも出来ず、己を責め続け、やがて心を病んだ。
心身を壊した正妻は叔父の邪魔だてによって実家に帰ることも叶わず、ひっそりと亡くなり、叔父はただひたすら消えた侍女を探し続けていた。正妻との間に子はなかった。
そんな非道な叔父に女癖が悪いと危険視されるのは、ハロルドにとって業腹だった。
ハロルドは知っていたのだ。リナがジャックをずっと長いこと想っていることを。
ナタリーがどんな経緯で孤児院に来たのか、ハロルドは知るところではないが、ナタリーが来るまで、ジャックとリナはまるで世界に二人しかいないかのように、寄り添うように互いが互いしか瞳に映さず生きてきたのだと、孤児院院長からも聞いていた。
今では宿屋を営む娘とリナが交流をし始めたのも、娘が孤児院を出て宿屋に勤め始めてからで、そしてそれはリナが子爵家に引き取られてからだ。
宿屋の主が亡くなり、娘が途方に暮れていたところに、娘が宿屋を営めるよう金銭の援助をリナがジョンソン氏に頼み込んだことから始まった。それまでリナと娘はほとんど会話を交わしたこともなかった。
院長はジャックとリナが二人以外と交流を持たず、閉じた世界に居続けることを懸念していて、ハロルドの介入による変化に、諸手を挙げて喜んだ。
女の尻を見境なく追いかけるというのは、一般的に眉を顰めるような振る舞いではあるが、これまでジャックが女を追いかけるなど、見たとこもなかったと院長は言った。
女どころか、リナ以外を追うことなどなく、リナ以外の手を取ることもなかったのだという。
孤児院に来たばかりで戸惑うナタリーのことも、目の端で捉えながらも、ジャックがナタリーに声をかけることはなかった。
ナタリーを気にしながらもリナから離れないジャックに見かねて、リナがナタリーに声をかけるまで。ジャックとリナは二人だけの世界で生きてきた。
ジャックがリナを見るときの穏やかで愛情溢れる目も、リナがジャックを見つめるときの哀しみを湛えた縋るような目も、ハロルドは知っている。
知っているのだ。
ハロルドが孤児院に訪れ、ナタリーに惹かれてつきまとい、ナタリーのついでとばかりに調べた孤児院に、叔父の探し続けた女の忘れ形見。リナを見つけてしまったことが始まりだと。
ハロルドが孤児院に足を運ばなければ、ナタリーとジャックは惹かれあいながらも、ジャックは決してリナの手を離さなかっただろう。
静かな三角関係は静かなまま、きっとそのうちナタリーが姿を消すことで終止符を打ったはずだ。
他ならぬハロルドが、リナとジャックを引き裂いた。
簡素なベットの上に伏せるハロルドに、リナははっきりと言った。
リナは機械的にタオルを絞るとハロルドの赤く腫れ上がった頬にのせた。冷ややかに見下ろされたハロルドは、ひんやりとしたタオルを手で押さえ、頬に押し当てた。ハロルドは鈍い痛みに顔をしかめ、おろおろと情けなく戸惑っていた。
「しかしですね……。その、リナさんは……」
ハロルドの口振りは歯切れ悪く、それというのは思考回路が分断され、彼はうまく言葉を繋ぐことが出来なかった。
しかしハロルドはリナの言い分に、はっきりと違和感を感じていた。
確かにリナは当初、ハロルドのことをうっとりした目で見つめてきていたように思う。
ハロルドはリナが自分を仕えるべき領主令息への好意というには少しばかり強すぎる思いを抱いているだろうと自惚れていた。恋情ではなくとも、憧れのような淡いものは存在していたに違いなかった。
しかし、あのとき、という明確な区切りはなかったように思うが、いつの頃からかリナの瞳からうっとりと夢見る憧れは姿を消したのだ。
そして賢いリナは、ハロルドの虚勢を、そればかりか女性蔑視という決定打までかなり正確なところまで見抜いていた。
友人としてすら許容範囲であるかも疑わしいハロルドの人格的な欠陥を知って、それでもリナが己に憧れを抱き続けているだろうと考えるほどには、自惚れてはいなかったし、世間知らずでもなかった。
それだからハロルドは手の平を返したように、リナの前では仮面を外したのだ。
もちろん、今日ほど冷酷に彼女を傷つける言葉を放ったことはなかったけれど、それはわざわざリナを皮肉って怒らせる必要性を感じなかったというだけだ。
リナがハロルドの叔父であるジョンソン氏の庶子だと判明してから、ハロルドは叔父からリナを見つけたことによる感謝の意を受けるとともに、女癖の悪いハロルドがリナに手を出していないか探られることとなった。
痛くもない腹を探られるのは不愉快だ。
叔父は正妻を蔑ろにした上に、その正妻が実家から連れてきたという、正妻にとって唯一の味方であった侍女に手を付けた、らしい。そしてその侍女はお手付きとなったその翌日早朝に、館から姿を消した。正妻への謝罪の手紙だけを残して。
叔父は侍女が消えたのは正妻が原因だと責め続け、唯一の味方であった侍女も失った正妻は、大人しい性格から叔父を恨むことも反発することも出来ず、己を責め続け、やがて心を病んだ。
心身を壊した正妻は叔父の邪魔だてによって実家に帰ることも叶わず、ひっそりと亡くなり、叔父はただひたすら消えた侍女を探し続けていた。正妻との間に子はなかった。
そんな非道な叔父に女癖が悪いと危険視されるのは、ハロルドにとって業腹だった。
ハロルドは知っていたのだ。リナがジャックをずっと長いこと想っていることを。
ナタリーがどんな経緯で孤児院に来たのか、ハロルドは知るところではないが、ナタリーが来るまで、ジャックとリナはまるで世界に二人しかいないかのように、寄り添うように互いが互いしか瞳に映さず生きてきたのだと、孤児院院長からも聞いていた。
今では宿屋を営む娘とリナが交流をし始めたのも、娘が孤児院を出て宿屋に勤め始めてからで、そしてそれはリナが子爵家に引き取られてからだ。
宿屋の主が亡くなり、娘が途方に暮れていたところに、娘が宿屋を営めるよう金銭の援助をリナがジョンソン氏に頼み込んだことから始まった。それまでリナと娘はほとんど会話を交わしたこともなかった。
院長はジャックとリナが二人以外と交流を持たず、閉じた世界に居続けることを懸念していて、ハロルドの介入による変化に、諸手を挙げて喜んだ。
女の尻を見境なく追いかけるというのは、一般的に眉を顰めるような振る舞いではあるが、これまでジャックが女を追いかけるなど、見たとこもなかったと院長は言った。
女どころか、リナ以外を追うことなどなく、リナ以外の手を取ることもなかったのだという。
孤児院に来たばかりで戸惑うナタリーのことも、目の端で捉えながらも、ジャックがナタリーに声をかけることはなかった。
ナタリーを気にしながらもリナから離れないジャックに見かねて、リナがナタリーに声をかけるまで。ジャックとリナは二人だけの世界で生きてきた。
ジャックがリナを見るときの穏やかで愛情溢れる目も、リナがジャックを見つめるときの哀しみを湛えた縋るような目も、ハロルドは知っている。
知っているのだ。
ハロルドが孤児院に訪れ、ナタリーに惹かれてつきまとい、ナタリーのついでとばかりに調べた孤児院に、叔父の探し続けた女の忘れ形見。リナを見つけてしまったことが始まりだと。
ハロルドが孤児院に足を運ばなければ、ナタリーとジャックは惹かれあいながらも、ジャックは決してリナの手を離さなかっただろう。
静かな三角関係は静かなまま、きっとそのうちナタリーが姿を消すことで終止符を打ったはずだ。
他ならぬハロルドが、リナとジャックを引き裂いた。
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