【完結】お偉い辺境伯家令息は、鼻息荒く胸を反らしてふんぞり返るのがお得意

空原海

文字の大きさ
6 / 7

6 ジャックとリナを引き裂いたのは

「私は一度だって、ジャックを好きだなんて言わなかったわ」

 簡素なベットの上に伏せるハロルドに、リナははっきりと言った。
 リナは機械的にタオルを絞るとハロルドの赤く腫れ上がった頬にのせた。冷ややかに見下ろされたハロルドは、ひんやりとしたタオルを手で押さえ、頬に押し当てた。ハロルドは鈍い痛みに顔をしかめ、おろおろと情けなく戸惑っていた。

「しかしですね……。その、リナさんは……」

 ハロルドの口振りは歯切れ悪く、それというのは思考回路が分断され、彼はうまく言葉を繋ぐことが出来なかった。
 しかしハロルドはリナの言い分に、はっきりと違和感を感じていた。

 確かにリナは当初、ハロルドのことをうっとりした目で見つめてきていたように思う。
 ハロルドはリナが自分を仕えるべき領主令息への好意というには少しばかり強すぎる思いを抱いているだろうと自惚れていた。恋情ではなくとも、憧れのような淡いものは存在していたに違いなかった。

 しかし、あのとき、という明確な区切りはなかったように思うが、いつの頃からかリナの瞳からうっとりと夢見る憧れは姿を消したのだ。
 そして賢いリナは、ハロルドの虚勢を、そればかりか女性蔑視という決定打までかなり正確なところまで見抜いていた。

 友人としてすら許容範囲であるかも疑わしいハロルドの人格的な欠陥を知って、それでもリナが己に憧れを抱き続けているだろうと考えるほどには、自惚れてはいなかったし、世間知らずでもなかった。
 それだからハロルドは手の平を返したように、リナの前では仮面を外したのだ。
 もちろん、今日ほど冷酷に彼女を傷つける言葉を放ったことはなかったけれど、それはわざわざリナを皮肉って怒らせる必要性を感じなかったというだけだ。

 リナがハロルドの叔父であるジョンソン氏の庶子だと判明してから、ハロルドは叔父からリナを見つけたことによる感謝の意を受けるとともに、女癖の悪いハロルドがリナに手を出していないか探られることとなった。

 痛くもない腹を探られるのは不愉快だ。

 叔父は正妻を蔑ろにした上に、その正妻が実家から連れてきたという、正妻にとって唯一の味方であった侍女に手を付けた、らしい。そしてその侍女はお手付きとなったその翌日早朝に、館から姿を消した。正妻への謝罪の手紙だけを残して。

 叔父は侍女が消えたのは正妻が原因だと責め続け、唯一の味方であった侍女も失った正妻は、大人しい性格から叔父を恨むことも反発することも出来ず、己を責め続け、やがて心を病んだ。
 心身を壊した正妻は叔父の邪魔だてによって実家に帰ることも叶わず、ひっそりと亡くなり、叔父はただひたすら消えた侍女を探し続けていた。正妻との間に子はなかった。

 そんな非道な叔父に女癖が悪いと危険視されるのは、ハロルドにとって業腹だった。
 ハロルドは知っていたのだ。リナがジャックをずっと長いこと想っていることを。

 ナタリーがどんな経緯で孤児院に来たのか、ハロルドは知るところではないが、ナタリーが来るまで、ジャックとリナはまるで世界に二人しかいないかのように、寄り添うように互いが互いしか瞳に映さず生きてきたのだと、孤児院院長からも聞いていた。
 今では宿屋を営む娘とリナが交流をし始めたのも、娘が孤児院を出て宿屋に勤め始めてからで、そしてそれはリナが子爵家に引き取られてからだ。

 宿屋の主が亡くなり、娘が途方に暮れていたところに、娘が宿屋を営めるよう金銭の援助をリナがジョンソン氏に頼み込んだことから始まった。それまでリナと娘はほとんど会話を交わしたこともなかった。

 院長はジャックとリナが二人以外と交流を持たず、閉じた世界に居続けることを懸念していて、ハロルドの介入による変化に、諸手を挙げて喜んだ。
 女の尻を見境なく追いかけるというのは、一般的に眉を顰めるような振る舞いではあるが、これまでジャックが女を追いかけるなど、見たとこもなかったと院長は言った。
 女どころか、リナ以外を追うことなどなく、リナ以外の手を取ることもなかったのだという。

 孤児院に来たばかりで戸惑うナタリーのことも、目の端で捉えながらも、ジャックがナタリーに声をかけることはなかった。
 ナタリーを気にしながらもリナから離れないジャックに見かねて、リナがナタリーに声をかけるまで。ジャックとリナは二人だけの世界で生きてきた。

 ジャックがリナを見るときの穏やかで愛情溢れる目も、リナがジャックを見つめるときの哀しみを湛えた縋るような目も、ハロルドは知っている。

 知っているのだ。
 ハロルドが孤児院に訪れ、ナタリーに惹かれてつきまとい、ナタリーのついでとばかりに調べた孤児院に、叔父の探し続けた女の忘れ形見。リナを見つけてしまったことが始まりだと。

 ハロルドが孤児院に足を運ばなければ、ナタリーとジャックは惹かれあいながらも、ジャックは決してリナの手を離さなかっただろう。
 静かな三角関係は静かなまま、きっとそのうちナタリーが姿を消すことで終止符を打ったはずだ。

 他ならぬハロルドが、リナとジャックを引き裂いた。


感想 0

あなたにおすすめの小説

【短編】花婿殿に姻族でサプライズしようと隠れていたら「愛することはない」って聞いたんだが。可愛い妹はあげません!

月野槐樹
ファンタジー
妹の結婚式前にサプライズをしようと姻族みんなで隠れていたら、 花婿殿が、「君を愛することはない!」と宣言してしまった。 姻族全員大騒ぎとなった

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

「お前を愛する事はない」を信じたので

あんど もあ
ファンタジー
「お前を愛することは無い。お前も私を愛するな。私からの愛を求めるな」 お互いの利益のために三年間の契約結婚をしたアヴェリンとロデリック。楽しく三年を過ごしたアヴェリンは屋敷を出ていこうとするのだが……。

夫から『お前を愛することはない』と言われたので、お返しついでに彼のお友達をお招きした結果。

古森真朝
ファンタジー
 「クラリッサ・ベル・グレイヴィア伯爵令嬢、あらかじめ言っておく。  俺がお前を愛することは、この先決してない。期待など一切するな!」  新婚初日、花嫁に真っ向から言い放った新郎アドルフ。それに対して、クラリッサが返したのは―― ※ぬるいですがホラー要素があります。苦手な方はご注意ください。

結婚5年目のお飾り妻は、空のかなたに消えることにした

三崎こはく
恋愛
ラフィーナはカールトン家のお飾り妻だ。 書類上の夫であるジャンからは大量の仕事を押しつけられ、ジャンの愛人であるリリアからは見下され、つらい毎日を送っていた。 ある日、ラフィーナは森の中で傷ついたドラゴンの子どもを拾った。 屋敷に連れ帰って介抱すると、驚いたことにドラゴンは人の言葉をしゃべった。『俺の名前はギドだ!』 ギドとの出会いにより、ラフィーナの生活は少しずつ変わっていく―― ※他サイトにも掲載 ※女性向けHOT1位感謝!7/25完結しました!

大嫌いな従兄と結婚するぐらいなら…

みみぢあん
恋愛
子供の頃、両親を亡くしたベレニスは伯父のロンヴィル侯爵に引き取られた。 隣国の宣戦布告で戦争が始まり、伯父の頼みでベレニスは病弱な従妹のかわりに、側妃候補とは名ばかりの人質として、後宮へ入ることになった。 戦争が終わりベレニスが人質生活から解放されたら、伯父は後継者の従兄ジャコブと結婚させると約束する。 だがベレニスはジャコブが大嫌いなうえ、密かに思いを寄せる騎士フェルナンがいた。   

お前など家族ではない!と叩き出されましたが、家族になってくれという奇特な騎士に拾われました

蒼衣翼
恋愛
アイメリアは今年十五歳になる少女だ。 家族に虐げられて召使いのように働かされて育ったアイメリアは、ある日突然、父親であった存在に「お前など家族ではない!」と追い出されてしまう。 アイメリアは養子であり、家族とは血の繋がりはなかったのだ。 閉じ込められたまま外を知らずに育ったアイメリアは窮地に陥るが、救ってくれた騎士の身の回りの世話をする仕事を得る。 養父母と義姉が自らの企みによって窮地に陥り、落ちぶれていく一方で、アイメリアはその秘められた才能を開花させ、救い主の騎士と心を通わせ、自らの居場所を作っていくのだった。 ※小説家になろうさま・カクヨムさまにも掲載しています。

大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!

古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。 その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。 『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』 昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。 領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。 一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――