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第2部

4 娘と呼びたかった、お母様とお呼びしたかった

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「え……」

 思いもよらない事実に目を瞬かせると、アラン様のお母様はうふふ、と無邪気な少女のように微笑まれる。

「アランが伯爵位を継いですぐにね。メアリーさんが挨拶にきてくださったときは、まだ正式に離縁の許可が王家より下されていなかったのよ。本当はすぐにでもお知らせしたかったのだけど、アランが口留めるものだから……」

 ごめんなさいね、と微笑まれるアラン様のお母様のお姿は、とてもお幸せそうで、輝いていらして。
 ようやく前伯爵からの呪縛を解かれ、自由に羽根を伸ばされるのだとわかった。

 胸元で手を組み、目頭が熱くなるのを堪える。

「新たなる壮途そうとに心よりお慶び申し上げます。これからは夜会でもお目にかかることが叶うのでしょうか。本日デビューしたばかりの若輩者です。どうぞご指導くださいませ」

 せっかくアンジーが綺麗に化粧を施してくれたのに、どうしても潤んでしまう目元。アラン様のお母様はハンカチをそっと押し当ててくださった。

「ええ、ええ! 勿論よ。でもメアリーさんもご存じの通り、私も社交からは遠ざかっていたから……。二人で力を合わせましょうね」

 にっこりと微笑まれるアラン様のお母様は、これまでの可憐な少女のような儚さとは異なり、美しく自信に溢れた淑女そのものだった。
 そしてアラン様のお母様は、少しお声を落とされて、悪戯っぽく目を細められた。

「それでね、メアリーさん。私は今、何より知りたいことがあるのよ」
「なんでしょう」

 わたしは見当もつかない、というように嘯きながらも、頬が緩むのをこらえきれず、くすくすと笑いが漏れてしまう。

「私の大事な大事な娘が、本当に娘になってくれるのか、気がかりでならないのよ」
「それはまた……」

 アラン様のお母様は細い眉を顰め、いかにも困った、というようなお顔をなさる。
 アスコット子爵はお隣でやれやれ、というように肩を竦めておられた。

「何しろ息子は粗忽者そこつものもいいところ。
 学問はそこそこ出来るようだけれど、人情の機微には疎いし、これから伯爵家の人間や領民、それからコールリッジ一族を背負って社交界を渡っていかなくてはならないのに、腹芸も駆け引きも出来そうになくて、頼りないったらないのよ」

 アラン様のお母様は目を吊り上げ、険のあるお声になる。

「一番悪いのは、誰より大切にしている娘さんの気持ちをちっとも理解しないどころか、完全に勘違いして、遠ざけようとさえするのよ。
 本人は彼女を守っているつもりなのだけど、その振る舞いが彼女を深く傷つけていることに気が付かないの」

 はぁっと嘆息されたアラン様のお母様は、ゆるゆると首を左右に振られた。


「ねえ、メアリーさん、こんなどうしようもない息子のお嫁さんになってくれるお嬢さんなんて、いると思う?
 それにね、ただお嫁さんになってくれるお嬢さんがいればいいわけじゃないの。私の大好きな女の子がいてね。その子のことをずっとずっと、私は娘と呼びたかったのよ」

 わたしはもう、美しく施された化粧がまたもや流れ落ちるだろうことに、抗うことが出来なかった。
 デビュタントボールの今日、まるで試練を与えるかのように、皆がわたしを泣かせようとするのだから。

「いいえ。息子さんの弛まぬ努力を、わたしは存じております。他の者達が年相応の遊びに興じる中、己を律し、誰より厳しく、ただひたすら精進なさっていた姿を見てまいりました。
 それはご自分のためではなく、あの方の大事に思う者のため」

 アラン様と同じ、神秘的な銀色の瞳を見つめる。穏やかに微笑み、わたしの言葉の続きを待つアラン様のお母様。
 わたしはすうっと息を吸い込んだ。

「……お母様のため、それからその娘さんのため」
「メアリーさん……」

 アラン様のお母様がわたしの手を取る。

「お母様。わたしもずっとお母様とお呼びしたかった。以前にも同じことを言いましたね」

 くすりと笑うと、アラン様のお母様……いいえ、お母様も微笑み返してくださった。

「お母様、アラン様はご立派なお方です。お母様がアラン様に愛情を注ぎ、お育てくださったから、真っすぐで愛情深い紳士になられました。
 曲がったことや、足の引っ張りあいのような駆け引きは、確かに苦手なのかもしれません。けれど、アラン様の苦手とすることも二人で助け合って、寄り添い支えていきたいと願うのです」

 お母様は目尻に皺を刻み、うっすら涙を浮かべられた。

「アラン様はお母様の望む娘を、お嫁さんに連れて来られたでしょうか?」
「ええ!私が望んでいた、ただ一人の可愛い娘を連れてきてくれたわ!」

 お母様がぎゅっと抱きしめてくださる。母という存在に抱きしめられるのは、これが初めてだ。
 柔らかくて温かくて、いい匂いがして。どこかくすぐったくて。

 ああ、わたしは、本当に。ずっとお母様に抱きしめてもらいたかった。



「ねえ、ご婦人方。盛り上がっているところ、水を差すようだけど。あちらのドラマもいい具合に白熱しているようだよ」

 華奢で優し気な風貌のアスコット子爵は、陶然とした表情を浮かべ、愉快そうな口ぶりで騒ぎの元へと細く長い指で示した。

「我らが明星の勇姿を、いざこの目に焼き付けようじゃないか」

 アスコット子爵は小声で「さあて、どこまで奮闘するかな。僕の可愛い甥っ子は」と歌をそらんじるように軽やかな調子で呟かれた。
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