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第2部
28 姉さんが悪いことなんて、ひとつもない
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「――問いたいことがあると言ったろう」
張り詰めた空気に先んじて落とされたのは、前カドガン伯爵の咳払い。それから諦念を感じさせる、穏やかな声色。
憎々し気に真珠姫を睨みつけていたオルグレン婦人は、はっとしたように声の主へ顔を向ける。
「セシル、私に問いたいことはなんだ」
「おまえはわかっていると言ったじゃないか」
アスコット子爵の唸るような声には、紛れもない憎悪が浮かんでいた。
前カドガン伯爵に掴みかからんばかりのアスコット子爵に、オルグレン婦人が「やめて」と弱弱しく首を振る。
「やめて、セシル。お願いよ。私が愚かだったのだから。ねぇ、もう何も暴かないで……」
オルグレン婦人に振り返ったアスコット子爵は、眉尻を下げ、さきほどまでの恐ろし気な形相をすっかり拭い去っていた。
今にも倒れそうなオルグレン婦人のもとへ近寄り、華奢な手を取る。
オルグレン婦人を支えるべく、婦人のすぐそばに控えていたアラン様は、レイディを支える騎士の役をアスコット子爵に譲るべく、一歩下がった。
「姉さんが悪いことなんて、ひとつもない。だから安心して」
「そんなわけがないじゃないの!」
差し出されたアスコット子爵の手に、両手で縋るオルグレン婦人は、身も世もなく、絶望を嘆く。
「本当に、姉さんは悪くないんだ。全部僕の仕組んだことなんだから」
「違うわ、セシル――」
「その女だって言ってただろ? 僕が『ギルを奪うようにけしかけた』って」
冷たく目を細め、アスコット子爵は真珠姫に横目をやった。
真珠姫が首を傾げる。何にも興味のなさそうな、あの無機質な、人形のような表情で。
オルグレン婦人が驚愕に目を見開く。
「まさか……。そんな……。ほんとうに? ほんとうに貴方が……?」
アスコット子爵の手を振り払うオルグレン婦人。
男性の手から逃れられるほどの力はなく、ゆったりとした所作だった。
けれどアスコット子爵は、離れていこうとするオルグレン婦人の手を繋ぎ留めようとはせず。傷ついたように。そして自嘲するかのように、微かな笑みを口元に浮かべた。
「アラン、姉さんを頼むよ」
アラン様は頷くと、今にも崩れ落ちそうなオルグレン婦人の肩を支え、「母上、あちらで休みましょう」と二人掛けのソファーへ促した。
前カドガン伯爵にアボット侯爵が、親子二人の進路を遮らないように身を引く。
「さて」
オルグレン婦人がソファーに沈み込むのを見届けると、アスコット子爵が前カドガン伯爵に向き直った。
「結局のところ、ギル。おまえは理解できていないということか?」
再び戻った憎悪。氷の炎。その灯の揺れる、銀色の瞳。
見るものを凍えさせるような。
一切の情けを感じさせない眼差しで、アスコット子爵は前カドガン伯爵を睨みつける。
「いや。君が問いたいことは、わかっているつもりだ。だが、互いの思い込みを前提に、言葉を省くことは、もうやめよう、セシル。これまで私達が犯した過ちは、そこから始まっているのだから」
宥めすかすような前カドガン伯爵の様子に、アスコット子爵は嫌悪感を募らせたようだった。
先ほどまでは怨恨を感じられた顔つき。その表情は今や、一切の感情が抜け落ちたかのように、まったくの無となった。
「言葉を交わしていれば防げたとでも? おまえの過ちも罪も、すべてが。おまえ自身の傲慢と無責任と非情に由来するのではなく。僕達の無理解のせいであったと?」
前カドガン伯爵を咎める口調も淡々としていて、そこから感情を伺わせない。
「そうではない。私の裏切りは、私だけの罪だ。他の何に咎を見つけようとするのではない」
「自覚しているようで、なによりだ」
必死に語り掛けようとする前カドガン伯爵に対し、アスコット子爵の冷酷な様子。
二人の温度差に、身震いしてしまう。
そんな私が頼りなく映ったのか、アボット侯爵が「メアリー嬢、あなたも座った方がいい」とお声をかけてくださった。
そしてまた、アボット侯爵は振り返る。
精緻な人形のように佇む、真珠姫へと。
張り詰めた空気に先んじて落とされたのは、前カドガン伯爵の咳払い。それから諦念を感じさせる、穏やかな声色。
憎々し気に真珠姫を睨みつけていたオルグレン婦人は、はっとしたように声の主へ顔を向ける。
「セシル、私に問いたいことはなんだ」
「おまえはわかっていると言ったじゃないか」
アスコット子爵の唸るような声には、紛れもない憎悪が浮かんでいた。
前カドガン伯爵に掴みかからんばかりのアスコット子爵に、オルグレン婦人が「やめて」と弱弱しく首を振る。
「やめて、セシル。お願いよ。私が愚かだったのだから。ねぇ、もう何も暴かないで……」
オルグレン婦人に振り返ったアスコット子爵は、眉尻を下げ、さきほどまでの恐ろし気な形相をすっかり拭い去っていた。
今にも倒れそうなオルグレン婦人のもとへ近寄り、華奢な手を取る。
オルグレン婦人を支えるべく、婦人のすぐそばに控えていたアラン様は、レイディを支える騎士の役をアスコット子爵に譲るべく、一歩下がった。
「姉さんが悪いことなんて、ひとつもない。だから安心して」
「そんなわけがないじゃないの!」
差し出されたアスコット子爵の手に、両手で縋るオルグレン婦人は、身も世もなく、絶望を嘆く。
「本当に、姉さんは悪くないんだ。全部僕の仕組んだことなんだから」
「違うわ、セシル――」
「その女だって言ってただろ? 僕が『ギルを奪うようにけしかけた』って」
冷たく目を細め、アスコット子爵は真珠姫に横目をやった。
真珠姫が首を傾げる。何にも興味のなさそうな、あの無機質な、人形のような表情で。
オルグレン婦人が驚愕に目を見開く。
「まさか……。そんな……。ほんとうに? ほんとうに貴方が……?」
アスコット子爵の手を振り払うオルグレン婦人。
男性の手から逃れられるほどの力はなく、ゆったりとした所作だった。
けれどアスコット子爵は、離れていこうとするオルグレン婦人の手を繋ぎ留めようとはせず。傷ついたように。そして自嘲するかのように、微かな笑みを口元に浮かべた。
「アラン、姉さんを頼むよ」
アラン様は頷くと、今にも崩れ落ちそうなオルグレン婦人の肩を支え、「母上、あちらで休みましょう」と二人掛けのソファーへ促した。
前カドガン伯爵にアボット侯爵が、親子二人の進路を遮らないように身を引く。
「さて」
オルグレン婦人がソファーに沈み込むのを見届けると、アスコット子爵が前カドガン伯爵に向き直った。
「結局のところ、ギル。おまえは理解できていないということか?」
再び戻った憎悪。氷の炎。その灯の揺れる、銀色の瞳。
見るものを凍えさせるような。
一切の情けを感じさせない眼差しで、アスコット子爵は前カドガン伯爵を睨みつける。
「いや。君が問いたいことは、わかっているつもりだ。だが、互いの思い込みを前提に、言葉を省くことは、もうやめよう、セシル。これまで私達が犯した過ちは、そこから始まっているのだから」
宥めすかすような前カドガン伯爵の様子に、アスコット子爵は嫌悪感を募らせたようだった。
先ほどまでは怨恨を感じられた顔つき。その表情は今や、一切の感情が抜け落ちたかのように、まったくの無となった。
「言葉を交わしていれば防げたとでも? おまえの過ちも罪も、すべてが。おまえ自身の傲慢と無責任と非情に由来するのではなく。僕達の無理解のせいであったと?」
前カドガン伯爵を咎める口調も淡々としていて、そこから感情を伺わせない。
「そうではない。私の裏切りは、私だけの罪だ。他の何に咎を見つけようとするのではない」
「自覚しているようで、なによりだ」
必死に語り掛けようとする前カドガン伯爵に対し、アスコット子爵の冷酷な様子。
二人の温度差に、身震いしてしまう。
そんな私が頼りなく映ったのか、アボット侯爵が「メアリー嬢、あなたも座った方がいい」とお声をかけてくださった。
そしてまた、アボット侯爵は振り返る。
精緻な人形のように佇む、真珠姫へと。
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