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番外編2 閨講義と猥談と

第一話 憂鬱な閨講義

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 ゲルプ王国第三王子バルドゥールは執務机に肘をつき、大きな両手で顔を覆って唸っていた。

 バルドゥールはいずれ、ガルボーイ王国女王となるアンナの王配になる身である。
 婚約すら交わしていないが、それは決定である。

 その決定事項はバルドゥールの中でだけ有効なのだが、まあゲルプ王国王族に限って言えば、この末っ子王子の一途な恋心は微笑ましく見守られていたので、よほどの政治的需要がない限り、政略結婚を第三王子バルドゥールに求めようと考える者はいなかった。

 そして王配に最も求められることといえば。女王に子胤こだねを託し、次代を繋ぐことである。
 まぁ有り体に言えば、女王たるアンナを抱いてはらませろということである。

 バルドゥールはこれまで、愛するアンナに操を捧げんと、娼婦や未亡人との火遊びは勿論、王族ならばほとんど義務であるねやの講義でさえ、実技を避け、机上の講義のみで済ませてきた。
 が。

 ――先日の、アーニャのあの事故ラッキースケベへのあの反応……。もしかして、僕はアーニャを悦ばせることができないのではないか? 勉強しろというのはつまり……。

 まぁ、そんな具合に、ちょっと最低な方向へバルドゥールは悩んでいた。

 バルドゥールの忌避しがちであった閨講義の行われる予定の今日。ウンウンと悩む主を前に、侍従は冷めた目を向けていた。

 ――またこの方は、どうでもいいことを悩まれていらっしゃるのだろうな。

 侍従からすれば、あでな色香タップリの美貌を誇る未亡人が閨の講師だなどと、こちらから金を払ってでもお願いしたいくらいだ。
 手取り足取り、そのたくみな技術を自らの体に施され、また女を悦ばせるテクニックまでご教授いただけるなど、控えめに言っても天国に違いない。
 それなのに目の前の主であるバルドゥールは、愛するアンナ王女という存在があるのに、他の女の肌に溺れるわけにはいかぬ、とストイックというよりも、ただの阿呆としか思えぬ主張を掲げ、つっぱねているのである。

 だいたい王族が子孫を残すことは義務なのだから、閨に通じてくれなくてはちょっと困る。
 対する女性側とて、無闇に欲望のまま進まれても、破瓜はかの痛みが増すだけであろう。
 閨に慣れぬ男が初めての快楽に自制を失くし、女の体をむさぼるに終始する初夜など、それこそアンナ王女の信頼に背き、失望を与える行為に違いない。
 初夜が心的外傷トラウマとなって、その後の夫婦生活に支障をきたすようであれば、本末転倒である。

 とまぁ、建前は色々あるが、低俗で正直な本音としては、王族の義務という最高の言い訳つきでイイ女を抱けるというのに、それを突っぱねるバルドゥールが鼻持ちならなん、ということに帰結する。

 ストイックというより、そもそも男としての欲望がないのかもしれない。口にするのもおそれ多いが、もしや不能なのかも。
 そう思えば、侍従のモヤモヤとした胸の内はスッとした。

 ――そうだ。このお方はきっと不能なのだ。

 バルドゥールに知られれば、不敬として首を刎ねられかねないが、まぁ、心の中で何を思おうが、それは侍従の勝手であった。
 年上の頼れる男として穏やかに微笑み、バルドゥールに問いかける。


「殿下、どうなさいましたか?」

「……閨の講義なんだけど」


 バルドゥールは沈痛に耐えるような表情で切り出す。


「はい。いかがなさいましたか?」

「今日も机上のみで済ませたい……と考えていたんだが……」


 はあーっと重い溜息をつくバルドゥール。これほどまで閨の実技をいとうとは。侍従はやはり主は不能なのだ、とひっそり胸の内で同情した。


「その前に急ぎ、兄上達と姉上の意を仰ぎたい」

「はっ?」


  閨講義の憂鬱から飛んで、突然、脈絡もなく兄王子姉王女の招集命令を発するバルドゥールに意表をつかれ、侍従は間抜けな声を漏らす。
 バルドゥールはそんな侍従を気にもせず、ぐしゃりと前髪をやや乱暴な手つきで掻きあげる。


「兄上姉上の今日の予定は、何もなかったはずだ。あいつら、三人でチェス大会を開催すると言ってたからな。なんで僕は誘われないんだ……」


 ――それはおそらく、殿下の打たれる手があまりに単純で、対峙し甲斐がない退屈だからだと思いますよ。

 侍従は慈悲に満ちた微笑みを浮かべてバルドゥールを見つめると、率直に思い浮かんだ感想を飲み込んだ。
 バルドゥールの進める駒はあまりに真っすぐ過ぎる。
 バルドゥールは、決して論理的思考力がないわけではない。王子として及第点をつけられるくらいには、そこそこ優秀だ。

 だがバルドゥールは何かを犠牲にする、という行為や思考を嫌う。出来ないわけじゃない。ガルボーイ王国王女アンナにおいては、その例外が発揮されるし、アンナを守るためならば、バルドゥールとてなにがしかの犠牲に目をつむるに違いない。

 だから出来ないわけじゃない。しかし嫌うのだ。

 バルドゥールは盤上の駒を己の部下に見立てている節がある。
 だからバルドゥールとのチェスはつまらない。対峙する側としては、バルドゥールの性格をよく知らなければ、馬鹿にされているようにすら感じる。

 ――殿下が将軍として軍を率いられたら、我が国の軍は壊滅間違いなしでしょうね……。

 学園卒業後は軍務に就くバルドゥールだが、侍従は心優しい主が、その役目に向かないことを知っている。だからバルドゥールが軍務に就く前に、早くガルボーイの内乱が収まって欲しい。
 
 ――この方を外征に向かわせたくない。

 侍従はバルドゥールとガルボーイ王国王女アンナとの婚姻を心から願っている者の一人だ。


「兄上姉上はおそらく、王太子応接室に集っている。僕が参入したいということ、そして相談があることを伝えてくれないか」

「かしこまりました」


 一体何を相談するのか。もしや閨講義についてか。
 侍従はそこはかとなく嫌な予感を胸に抱きつつ、主の命を受けすぐさま行動に移した。
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