最後のリゾート

ジョン・グレイディー

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第四章

黒い影

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 彼は、布団に横たわり、抗うつ薬の脳内浸透に浸りながら、激動の一日に一定のけりが付けられた満足感を感じていた。

 会社については、どうせ必要とされないのであれば、ウィルス後遺症と鬱病を抱え、命を削ってまで働く意思は彼には毛頭なかった。

 職場復帰初日、社長の彼を疎む態度から、彼は今日の会社との対決を既に想定していた。

 ただし、鬱病がこんなに重く発症することは想定外であった。

 彼は思った。

 会社を辞めても、あの医者に頼っても、もしかすると、俺の鬱病は治らないのかも知れない。

 何か他に原因があるのかも知れない。天性的なものかも知れない。

 彼は、油断した好奇心に駆られ、いろいろ鬱病の原因を考えているうちに、眠りに落ちて行った。

 どのくらい寝たのであろうか。ふと目が覚め、枕元の携帯を覗くと夜中の2時を回っていた。

 彼は喉が渇いていたので、台所に行こうと起きあがろうとした。

 が、体が動かない。意識はある。目も見える。耳も聞こえる。金縛りだ。

 そして、彼は察した。また、アイツがやってくるのを、
 あの黒い影が

 彼は会社では若い時から震災等の復興関係のスペシャリストとして活躍しており、東日本大震災、熊本地震など被災地で勤務することが多く、その場合は、東京の自宅を離れ単身赴任の生活をしていた。

 今から5年前は、熊本地震の復興事業のため単身赴任生活をしており、その事業の目処が立った2月頃、彼は金縛りに遭い、初めて、あの黒い影に遭遇した。

 やはり、クタクタに疲れ、早寝をした日であった。深夜、急に目が覚め、体が全く動かなくなった。彼の住居は社宅のワンフロアーで、寝室と台所がドアで仕切られていた。

 彼は、ドアがそーと開くのを感じ、その方向を睨みつけた。

 街灯の光が差し込み、開いたドアの隙間から、誰かが覗いているのが見えた。

 暗光の中にぼんやりと黒い影が見えた。大きな人間のような形をしていた。のっそり、のっそり、彼に近づいて来る。

 そして、彼の脇に座り込み、彼の耳元に、何かを伝えるように、黒い影が顔を近づけて来た。

 彼はその黒い影の顔を思い切り殴った。体が動いたのだ。

 はっと目が覚めた。慌てて携帯を見ると朝の6時であった。

 彼は夢を見たのだと思った。そして、布団から手を伸ばし、こたつの上の煙草を取ろうとした。

 その時、彼は固まってしまった。伸ばした左手の拳が赤く腫れ上がっていたのだ。

 それからは、疲れ果て寝付いた時に、必ず、あの黒い影が現れるようになった。

 熊本の後に勤務した大阪でも同じであった。東京に戻る前に勤務した長野でも、あの黒い影は彼を追ってやって来た。

 この日も彼の疲労度からして、黒い影が現れるは間違いないと彼は感じた、そして、いつものように、体は動かないが、彼は黒い影を殴ろうと気構えた。

 部屋のドアがすーと開き、やはり、あの黒い影がじーと彼を見ていた。

 彼はいつものように黒い影を睨みつけていた。

 すると、黒い影はいつもと違い彼に近づこうとしない。そして、黒い口を開き、彼にこう言った。

 お前の苦しみは、湖の底で苦しみ踠いた「玲奈」に比べれば、楽なもんなんだよ。

 お前は「玲奈」を助けなかった。お前だけ、水面にたどり着いた。お前は「玲奈」を助けなかった。

 彼は黒い影を凝視した。声は出なかった。身体も動かなかった。いつもはアイツを殴り飛ばすことができるのに。

 アイツは近づいて来ない。

 彼は苛立ちを覚えた。

 黒い影は何度か同じことを繰り返し言い、消えていった。

 急に外に陽光が差した。携帯を見ると朝の7時を回っていた。

 彼は昨夜のことを全て覚えていた。黒い影が言ったことも

 そう、彼が大学2年の時、ダム湖に転落し、同乗者である恋人が溺れ死んだあの出来事

 あの黒い影が言った、「玲奈」とは、その恋人の名であった。

 彼の心の苦しみ、苦悩は、鬱病以外にも存在した

 脳の病気ではない、鬱病や統合失調症とかではない、呪いとか怨念とかでもない、彼の正体を置き去りにした、あのダム湖の底、

 あの出来事、ダム湖の中での出来事、知っているのは彼と彼女だけだ

 彼はあの事件から30年以上も経った今でも、あの水中の出来事は誰にも話したことはない。

 なのに

 黒い影は知っていた。

 彼は、急いで抗うつ薬と睡眠導入剤を適量以上に飲み込み、黒い影を追いかけるように寝落ちして行った。
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